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第十一話


 抱き寄せられている。あのトスイに優しく肩を抱き寄せられている。つい数秒前まで喧嘩を売って来た男に。

 その衝撃は凄まじいもので、アニタの言語能力は一瞬著しく低下した。


「えっ、エエッ、え、エッ……!」

「うるさいんだけど。黙れば」

「スゥー……! ハァー……!」

「突然深呼吸しないで」

「っあ、あなた、言葉と行動が不一致すぎません?」

「なに、一致してたらいいわけ?」

「そういう問題でもなくてですね」

「嫌なら離れたら。そんな力入れてないけど」

「は、腹立つ〜! そっちから抱き寄せて来たくせに何で上手(うわて)に出ようとするんですか?」

「……じゃあ下手に出たら許してくれんの」

「ぎゃあああ! そんなに耳の近くで囁かないで!」

「だからうるさいよ」


 おかしい。先程まで確かにアニタはこの男にグーパンを仕掛けようとしていたはずなのに。どうして今その男に抱き寄せられているのだろう。しかもそれが何故か不快ではなくて、抵抗する気が起きないから困る。


 この場合どうするのが最適解なのかアニタには分からない。だから結局、借りてきた猫のように大人しく男の腕の中に収まっているしかなかった。

 トスイもトスイで何か言えばいいものを、何も言いやがらない。基本形は左手をアニタの肩に優しく置く形だが、時たまアニタの後ろの三つ編みを軽くいじって遊ぶ応用形を繰り出してくる。心臓に悪いからやめろ。


(…………)


 そうして暫くされるがままのアニタだったが、長い長い思案の末、トスイの背にゆっくりと片手を回した。そのまま男の背を何度か軽くさする。


「何で俺の背中さすってんの?」

「慰めてるんです。もしかしたらトスイさん、悲しいのかなと思って」

「……悲しい?」

「さっき、ご両親の話をしてくれたでしょう」


 トスイは淡々と事実を話すことに終始していたが、彼の両親の最期は相当(むご)いものだったはずだ。それこそ、この間の宿の火事で当時のことを思い出しておかしくなるくらい。

 嘘つきで秘密主義なこの男のことだから、両親のことを口に出すのも久々だったのではなかろうか。それに伴って湧き上がる悲しみが表に出てくるのも。


「悲しくなったから誰かにそばにいて欲しくて、ちょうど良く横に居た私を抱き寄せたのかなって思ったんですけど……違いました?」

「……違うけど、合ってるかも」

「いやどっちですか」

「別に、誰でも良いってわけじゃない」


 その言葉を皮切りに、肩に置かれていた手にもっと強く引き寄せられる。そして気づいた時には、アニタの身体はトスイの両腕にきつく抱き締められていた。


「と、トスイさん⁉︎」

「背中、手ぇ止まってるよ」

「え、えぇー……」


 どうやらこの状態になっても背中をさするのをご所望らしい。……まあ別に、やれと言うならやるが。

 アニタは右手でトスイの背をさすり、左手は安心させるように一定のリズムで優しく叩いた。やっていることは幼子をあやす母親のようだが、顔が燃えるように熱い。相手に顔が見えない体勢で良かった。いや色んな意味では良くないが。


「……俺の親、口封じのために殺されたんだよね」

「…………」

「火事から助けてくれた使用人が言ってたんだ。両親が殺されたのはナゼールの違法取引の現場を見たからだって」

「ナゼール?」

「俺の両親を殺すよう指示した親玉。裏では有名な大商人で、カルタダの裏賭博場もそいつが殆ど牛耳ってる」

「だからトスイさんはずっとカルタダに居たんですね」

「そー。結局見つけられずに、王都に行くことになったけどね」

「助けてくださった使用人の方はどうなったんですか?」

「俺を庇って、殺されたよ」

「っ、騎士団には?」

「行った。けど証拠が上手いこと消されてて、罪に問うのは難しいのが現状だって言われたかな」

「そんな……」

「まあ、それに関しては騎士団に対して恨みとかは無いよ。身寄りがなくなった俺に孤児院の世話までしてくれたしね。行かなかったけど」

「い、行かなかったんですか⁉︎」


 アニタが驚きの声をあげると、顔の横でトスイが頷く気配がした。今、彼はどんな表情でこの話をしているのだろうか。そう考えると、アニタは自身を抱き締めている男の顔を見たくて堪らなくなった。


「孤児院に行く前にさ、今の自分には二つの未来があるって思ったんだよね」

「……?」

「ひとつは、このまま孤児院に行って、大人になったら働いて、そうやって真っ当に生きていく未来」

「トスイさん?」

「もうひとつは、どんな汚い手を使ってもナゼールを見つけ出して、必ず殺してやる未来」

「っ、こえが、」

「――俺は、後者を選択したんだよ」


 耳元で聞こえる声が、少しだけ震えている。

 泣いているのだろうか。分からない。顔が見えないから、分からない。顔が見たい。そう思うのに、トスイが腕を離してくれない。まるで今の顔をアニタに見られるのを拒絶しているみたいだ。


「トスイさん、貴方の顔が見たい。顔を見て話をしたいです」

「君、前に言ってたよね。五年後の未来で俺と君は全く接点が無いって」

「お願い、顔を見せて。今どんな顔でそんな話を、」

「前に聞いた時は別にどうも思わなかったけど、今はそれで良かったって心底思うよ」

「トスイさん! お願い離して!」


 次の瞬間、トスイの両腕が離れた。あれほど力強くアニタを抱きしめていたはずなのに、いとも容易く簡単に。

 弾かれたように見上げた男の顔は、何も変わりは無かった。眉根を寄せて、仏頂面でこちらを見下ろしている。


「あ、れ……?」

「……悪かったね。ちょっと強く抱きしめすぎた」

「な、なんともないんですか? 泣いてない?」

「はァ? この俺が泣くわけないでしょ」

「でも、貴方の声が震えて……」

「気のせいだよ。それに、俺より君の方がよっぽど泣きそうな顔してる」


 トスイが濃い紫色の目を少し細める。

 「泣いていない」という言葉通り、確かにその睫毛は乾いていて、頬にも涙の跡は無い。


「本当になんともないんですか? 平気ですか?」

「本当になんともないし平気だから、君もそのみっともない顔どうにかして」

「はい……」

「……泣くのは、無事に未来に帰ってからにしな」

「え?」


 今のは一体どういうことだ。アニタが意味を聞き返すより先に、トスイは立ち上がってしまった。

 そのまま少し離れたところに歩いて行って、そこで適当な木の枝を拾うと、突然地面に何やら絵や文字を描き始める。


「……トスイさん? 何を描いてるんですか?」

「地図だよ。この辺りの地域から王都までのね」

「この辺りの地図って、もしかして」

「君に王都まで行く術を教えるって言ったでしょ。今から朝まで、みっちり教え込むから」

「い、今から朝まで?」

「そー。とっとと始めるよ」



 ◇



 それから本当に朝まで、トスイの王都までの安全な旅講座は続いた。真っ暗だった空は明るく白んで、小鳥の(さえず)りが聞こえてくる。


「じゃあ、この三番目に通る町は?」

「えーと、宿が比較的安いけど、相部屋前提のところが多いから注意。その次の町は避けた方が無難なのでこの脇道を使って迂回する」

「ん。合ってる。はい次」

「次はですね……」


 現在、一晩かけて覚えた知識をアニタは必死におさらいしていた。極めて意外なことに、トスイの教え方は丁寧でとても分かりやすかった。おかげで記憶力に自信のないアニタでも難なくついて行くことが出来ている。


「トスイさんって、学校の先生とか向いてると思いますよ。すごく教えるの上手ですし」

「はァ? 君みたいな物覚えの悪い嘘つきを何人も相手にするなんて御免だね」

「……記憶力に自信あるって、嘘ついたのそんなに根に持ちます?」


 アニタが前にかましてしまった「私、記憶力に自信あります!」というハッタリは開始早々バレた。

 なにせ初っ端から「え、君って一回聞いただけで覚えらんないの? 冗談抜きで?」と言われたのだ。最初は嫌味かと思ったが、話しているうちに彼は本気で驚いていたことが分かった。


 どうやらトスイは一度見聞きしただけで物事をすぐに覚えることが出来るらしい。そのため、彼の中では「記憶力に自信がある」と言い張るアニタもそのレベルだと想定されていたようだ。無茶すぎる。


 しかし、何だかんだで一晩根気強く付き合ってくれたから、やはり彼は先生に向いているのではないかとアニタは思う。


「……ま、今教えられるのは大体こんなもんだね。後は次の街で実地かな」

「はい。ありがとうございました」

「だいぶ明るくなってきたし、そろそろ次の街に向かうよ」

「分かりました」


 トスイに促されるまま、支度を整えて発つ準備をする。もちろん地面に描いた地図やメモも消しておいた。


 そして再びトスイと並んで街道を歩いて行く。朝日が少し眩しいが、無事に晴れてよかった。朝の空気が気持ちいい。アニタは大きく伸びをする。

 その様子を、横でトスイは静かに観察していた。


「…………」

「トスイさん? どうしました、そんな難しい顔して」

「……今の君ってさァ、いわゆる徹夜明けの状態なわけだよね」

「え? まあ、そうなりますね。結局診療所を出てから一睡もしてませんし」

「その割には、全然眠たそうじゃないよね」

「そういえば……、今も全然眠たくないですね」


 言われてみれば、一晩中起きていたにもかかわらず朝まで全く睡魔に襲われることはなかった。日中に散々動き回ったのにもかかわらず。しかも睡眠不足による身体に疲れも特に無い。


「俺はある程度体力もあるし、一晩中起きてるのには慣れてるけど、君はそうじゃないよね」

「確かに、お城で働いてた時は徹夜なんて絶対無理でした。暗くなるとすぐに眠たくなっちゃって」

「過去に来てから今まで、欠伸をしたり眠くなったりしたことある?」

「欠伸は無いですけど……、でも意識を失ったことは何度もありますよ。三回も」


 一回目は時の石で過去に飛ばされた時。二回目はトスイに気絶させられた時。三回目は煙の吸いすぎで火事場中毒になった時だ。


「そこなんだよ。俺に気絶させられたり、中毒症状で倒れたりはしてる。だから余計に気づきにくかった」

「どういうことですか?」

「君は過去に飛ばされてから、まともな睡眠をまだ一度もとってない」

「まともな睡眠」

「睡眠欲求が無くなってる」

「ええっ⁉︎」


 それはなかなかに異常事態ではなかろうか。

 だって、眠らなければ疲れがとれないし、頭も冴えない。睡眠は人間が生きる上で必要不可欠なものだ。


「今まで見てきたけど、君って一度も眠たそうにしたことないんだよね。あのぼったくり宿でも専用風呂にはそこそこ執着してたけど、疲れたからベッドに横になりたいとか言わなかったし」

「よく覚えてますね……」


 そんなことアニタはもうとっくに忘れてしまっていた。というか気にしてすらいなかった。さすがの記憶力だ。素で人のことを煽りまくるだけのことはある。


「かといって、睡眠がとれないことで特別疲れてる様子もない」

「そうですね。確かに今めちゃめちゃ元気です私」

「そんな得意げに言われると腹立つね」

「理不尽」


 絶賛異常事態なおかげで眠らずとも元気なアニタとは違い、トスイは一晩中眠らなかった分それなりに疲れが溜まっているのだろう。そう思うと申し訳なくなったので今回は大人しく理不尽を受け止めておくことにした。


「もしかしたら、時の石の力と何か関係してるのかもね。次に眠くなった時が帰る合図とか」

「ね、眠れば未来に帰れるんですか⁉︎」

「あくまで可能性の話だよバカ」

「バカは余計です」

「それに今の君には眠ることよりも、しっかり働けるところ見つけた方が現実的かもね」

「働くって、次の街で路銀を稼げってことですか?」

「そー。いま文無しでしょ、君」


 確かに路銀を稼ぐ必要性はアニタも前々から感じていた。いくら旅の知識や技術を得ようとも、文無しではどうしようも無い。


「君の場合、力仕事とか長期の仕事はやめた方がいいね。体力ないし、素性がバレても困るし」

「掃除の仕事とかないですかね。本職なんですけど」

「どうだろ。裏路地での掃除ならあるかもね」

「そんな掃除は嫌です」


 アニタが望んでいるのは、城や屋敷でのお掃除である。裏路地での()()()は望んでいない。


「じゃあ食堂はどうですか。実家が城下で食堂をやってるので、ある程度勝手も分かると思いますし」

「いいんじゃないの。食堂とかはよく募集かけてるし、日雇いだったら素性もそこまで深掘りされないと思うよ」

「それは有り難いですね。なら――ヒッ!」


 言葉を言い切る前に、アニタは喉を引き攣らせた。

 そのまま急いで横に居る男の後ろに身を隠す。その行動に驚きつつも、トスイはすぐさま辺りを警戒した。……が、特に殺気は感じないし、危険も無い。

 しかし、依然として彼の後ろに隠れた女はとてつもなく焦っている。


「ねぇ。いきなり何?」

「ま、まままえ、まえっ、前に……!」

「前? 特に何も無いけど」


 前と言われても、危険なものは何も無い。

 街道からここまで順調に歩いていたトスイたちは、今現在ちょうど次の街に入る手前まで来ていた。このまま進んで街門をくぐれば、次の街――フリエラに到着だ。

 門の先には、通りを忙しく歩く人々がそこそこの数いる。まだ朝早いというのにご苦労なことである。


「前に居るんですっ……!」

「何が」

「お、伯父です! 私の伯父が前に居るんです!」


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