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第十話


 トスイの冷血卑劣指導により、彼を脅して王都行きの協力を無事に取り付けたアニタ。

 診療所を後にした彼らは、さっそく次の街に向かうことにした。


 人が多く賑やかな街の喧騒を背にして、王都へ続く街道に出る。しばらく足を進めて街から離れて行くうち、やがて街道はとても静かなものとなる。

 そこでようやく、アニタは先程からずっと気になっていたことをトスイに尋ねてみた。


「……トスイさん」

「ん、なに?」

「……馬は、どうしたんですか」


 そう、馬。馬がいないのだ。南部都市カルタダから乗ってきた馬がいない。

 確か馬は宿の厩舎に預けたはずだ。その後宿で火事が起きて、行方が知れない。……と、いうことは、


「まさか……火事で焼け死んで、」

「ああ、馬は盗まれちゃったんだよね」

「えっ?」

「火事のどさくさに紛れてね。他の宿泊客が厩舎から逃してあげて、そのまま盗んで乗っていくのを見たから間違いないよ。その時は君が中毒で倒れて馬どころじゃなかったから追わなかったけど」

「じゃ、馬は生きてるんです?」

「生きてるよ。盗まれたけど」


 馬、生きてた。実は診療所で起きた時から密かに馬の安否を気にしていたのだ。短い時間とはいえ、アニタのカチコチ石像乗馬体験に大人しく付き合ってくれた賢い馬だ。経緯はどうあれ、生きていてよかった。

 安心してホッと息をついたアニタを、トスイは面倒くさそうに見る。


「なんだ、街を出てからずっと辛気臭い顔してた原因はそれか」

「馬もちゃんと助かってて良かったですね」

「おめでたい頭だね〜。馬盗まれたおかげで君は今夜野宿する羽目になるのに」

「命の危険が無ければもう野宿でも何でもいいです」


 火事で死にかけたことで、アニタの宿に求める基準はもうガバガバになっている。

 トスイもそれを察したのか、哀れみの視線をこちらによこしてくる。これ見よがしに「あっ……」みたいな反応をするのは止めて欲しい。絶対わざとだ。


 それに、どうせ今夜は野宿以外はあり得ないのだ。移動手段は馬なしの徒歩。前の街を出たのも昼過ぎ。おまけにトスイは何も言わないが、アニタの遅い足に合わせて歩いてくれているから必然的に時間もかかる。どう頑張っても日が暮れるまでに次の街に着くのは無理だと言うことはアニタも分かっていた。


「明日次の街に着いたとして、あと王都までどれくらいかかりそうですか?」

「この調子で行くと最低十日はかかるんじゃない」

「最低で十日……」


 今のアニタには気の遠くなる日数だ。果たして本当に、あと十日で自分は王都まで無事に辿り着けるのだろうか。今はまだトスイが居るからいいとして、旅の術を最低限教えてもらって彼と別れたらアニタは一人だ。


「トスイさんって、どこまで私に付き合ってくれるつもりなんですか?」

「次の街までだけど」

「はっ、早くないですか⁉︎」


 せめてあと二、三日は一緒に居てくれるのかと勝手に思っていた。


「王都まで行く術を教えるって言っても、要は俺が持ってる旅に関する知識や技術を君に覚えさせればいいわけでしょ? 何も身体を鍛えるわけじゃないんだから、すぐ覚えられるよ」

「そ、そうですかね……」

「それに君、記憶力には自信あるって言ってたし」

「…………」


 言った。トスイに殺されかけた際、勤続五年目の掃除婦だとハッタリかますついでに、確かにそんなことを言った。記憶力に自信があって、五年の間に王城や城下でどんなことが起きたのかを昨日の事のように思い出せる、みたいなことを言った。問題はその発言もハッタリであることだ。アニタはそこまで記憶力は良くないし、物忘れもよくする。


 ……嗚呼、過去の自分の発言の愚かさが憎い。記憶力の乏しさが情けない。

 先程の上機嫌は見る影もなく、アニタは途端に肩を落として項垂れる。その様子に驚いたのは、彼女の隣を歩いていたトスイだ。


「え、何でいきなり落ち込むの? 怖いんだけど」

「いえ……やっぱりトスイさんと離れるの、ちょっと不安だなって思って」

「………………なにそれ」

「トスイさんって本とか紙に変身しませんかね」

「…………」

「あっ、待ってください! 何で急にそんな歩くの速くなるんですか! 嫌がらせですか! ちょっと!」




 ◇




 それから段々と日も暮れ始めた頃。

 街道から少し逸れた林に入ったアニタ達は、今夜はそこに腰を落ち着けることにした。


 辺りの木の枝を適当に集めて火をおこし、それを取り囲む形で並んで座る。食事はトスイが懐から木の実と干し芋を取り出したので、それを分けてもらった。木の実はちゃんと煎ってあって美味しかったし、干し芋もほんのり甘く味付けされていた。……トスイがしたのだろうか?あまり想像できない。


 そんなアニタの(うかが)うような視線を感じたのか、横に座る男がちらりと此方を見る。


「なんか用なの」

「いえ、これ美味しいなと思って」

「あっそ。良かったね」


 それだけ言うと、トスイは再び焚き火の方に視線を戻してしまった。アニタも特に何を言うことも無く干し芋の咀嚼を再開する。

 昨夜の騒ぎが嘘みたいに今夜は静かだ。同じ火を見ているはずなのに、火事の炎と焚き火はまるで違う存在に見える。


 ぱちぱちと火が弾けて踊る音に混じって、ごくりと干し芋を飲み込む音が喉から鳴った。(から)になったアニタの口の中から、小さな言葉が零れ落ちる。


「……焚き火は、見ても変にならないんですか」

「……うん」

「暖炉の火とか松明とかはどうです?」

「ならない」

「じゃあ火事が駄目?」

「そういうわけでもない」


 アニタの問いに淡々とトスイは答えていく。その視線は相変わらず焚き火を見つめたままだ。その濃い紫色の瞳は、ゆらゆらと揺れる火を映して黒色に近くなっていた。


「今までも火事に遭ったことはある。でも、ああはならなかった。……宿()()火事が駄目なんだ、たぶん。宿が燃える臭いや光景が」

「どうして駄目なのか、聞いても?」

「…………」

「……()()()って言わないんですね」

「え?」

「前だったらそうやって、すぐはぐらかしてたのに」


 思い出すのは、初めて会った時や馬上でした“時の石”についての会話だ。ちょっとでもアニタが踏み込んで()こうとすると、今までならすぐにはぐらかされて終わりだった。

 そんなアニタの指摘に、トスイは意外そうに目を瞬かせていた。珍しい表情だ。


「確かに。俺いま、一瞬君に話すかどうか迷ったよ」


 少し前まで、そんなこと絶対あり得なかったのに。

 言葉の裏にそんな含みを感じる。


「迷ってるなら、話せばいいんじゃないんですか」

「なに、聞きたいの?」

「そりゃ聞きたいですよ」

「…………」

「…………」

「……ふぅん。なら、話すけど」


 ぱちりと小さくまた火が踊る。また干し芋を齧る。


「子供の頃さァ、両親が泊まってた宿で殺されて、そのまま宿ごと燃やされたんだよね」

「…………」

「だから、あの時はソレ思い出しておかしくなったんじゃないの」

「わりと他人事みたいに話すんですね」

「もう随分と昔のことだからね」

「トスイさんも、その場に居たんですか」

「居たよ。父親にベッドの下に隠れさせられた。そのまま宿が燃えきる前に、運良く使用人が見つけてくれて助かったけど」

「……そうですか」

「そー」

「…………」

「……口、止まってるよ」

「え?」

「干し芋、まだ口ん中入ってるんでしょ。ちゃんと噛んでから飲みな」

「あ、はい」


 言われるがまま、口の中の干し芋を飲み込む。よく噛んだのにもかかわらず、今度はあまり味が分からなかった。


「……犯人は、どうなったんですか」

「下っ端の実行犯は死んだけど、指示した親玉は今日も元気にのうのうと生きてるよ。だから俺はそいつを殺すために色々と頑張ってるわけ」

「もしかして、王都へ行くのもそれが目的で?」

「話が早くていいね。まー、そういうこと。ずっとカルタダで張ってたんだけど、今は王都に居るって噂を聞いたから。君を(さら)ったのもその関係かな。その噂を聞いた直後に王城の掃除婦姿の君を見つけたから、てっきり仇の手先かと思ったんだよね」

「えっ⁉︎ 待ってください! ということは、最初は私をご両親の仇の隠密だと思って拐ったってことですか?」


 アニタを王城の隠密と勘違いして拐ったのではなかったのか。てっきり王城の密書を横取りしようとする不届き者かと思っていたのに。


「そうだよ。何故か君は自分が王城の隠密に間違われたと勘違いしてたけど。俺が城の密書なんか奪っても仕方ないでしょ」

「トスイさん、わざと訂正しませんでしたね」

「さー、どうだろ」

「絶対心の中で馬鹿にしてましたよね」

「カルタダの事すら知らないにしては頑張ってたんじゃないの」


 まだ何かあるのか。カルタダの事とは何だ。さっさと吐け。そんな気持ちを込めながら、アニタは渋面のまま隣の男の話に再び集中した。


「前の街がさァ、ものすごい人で混んでたの覚えてる?」

「もちろんです。みんな街の外から来た人でしたよね」


 おかげで泊まれるマトモな宿が満室になり、ぼったくり宿に泊まり、挙句火事で死にかけたのだ。忘れるわけがない。

 結局、人があれほど多かった理由は分からずじまいであった。近々お祭りか何かあるのかとアニタは推測したが。


「あの人ゴミは、大半がカルタダに行く奴らだよ。前日にあの街に泊まって、次の日に馬や馬車でカルタダまで行く」

「カルタダに何かあるんですか」

「あそこは表向きは大商業都市で通ってるけど、実際はデカい裏賭博場や違法取引が横行しまくってる。そういうのが大好きな奴が集まるんだよ」


 そう言われて、アニタは初めて過去の世界に来た時の光景を思い出す。血と鉄が混じったみたいな不気味な色の裏路地に、何かが腐ったような嫌な臭い。おまけにトスイの「死体がごろごろ転がっていてもあまり驚かれない」発言。つまりあの腐敗臭は、そういうことだろう。あの治安の悪さがカルタダの当たり前なのだ。


「トスイさん、とんでもない所に居たんですね」

「俺はあんな所でぐーぐー寝てる方がとんでもないと思うけどね。俺の嘘もすぐに信じるし」

「嘘?」

「“後ろに男が三人いる。さっきまで君を見ながら()()とか()()とか言ってたけど、知り合い?”ってヤツ」

「えっ! あれ嘘だったんですか⁉︎」

「後ろはちゃんと確認しな。どの道あのまま留まってたら真実になってただろうけど」

「…………」

「ねぇ顔。引き攣って不細工になってる」


 人が恐怖に慄いている顔を不細工とかいうんじゃない。散々嘘吐きやがってこの野郎。

 そう文句を言ってやりたいのだが、アニタもアニタで嘘を吐きまくっていたので強く責められない。仕方がないので大人しく顔をほぐすことにした。


「……そういえばトスイさん」

「ん。なに?」

「さっき城の密書なんか奪っても仕方ないって言ってましたよね」

「そうだね」

「それはつまり、私が本来提供するはずだった城についての情報は必要なかったってことになりません?」

「そうなるね」

「じゃあどうして、私の出した条件に応じてくれたんですか?」


 私を王都に連れて行くことは、貴方には何の得もなかったのに。言外に、そんな言葉を匂わせる。

 それは無事に相手にも伝わったらしい。膝に頬杖をついたトスイが、気怠そうに此方を見た。


「……最初はさァ、君のこと不愉快な女だなって思ってたんだよね」

「ド失礼ですね。私も只今絶賛不愉快ですよ」

「そうやって変に気が強くて、無駄に口が立って、見苦しいほど諦めなくて、鬱陶しいくらいに相手のこと真っ直ぐ見据えてくる所も気に入らないよね」

「喧嘩売ってます?」

「一番気に入らなかったのは、君が俺の未来を変えるかもしれないって言われた時かな。お前ごときが、やれるもんならやってみろって正直思ったよね」

「絶対喧嘩売ってますよね?」


 結局アニタの条件に応じてくれた理由は何なんだ。まさか気に食わないから嫌がらせするつもりで旅に同行することを決めたとか言わないだろうな。

 突然売られた喧嘩にアニタは口をへの字に曲げる。こうなったらまた肩にグーパンのひとつやふたつお見舞いしてやる他ない。


 そう思って勢いよく繰り出した拳はいとも簡単に避けられた。行き場を失った可哀想な右手は、突然伸びて来た手に掴まれる。

 その拍子にクイッと軽く隣に引かれたアニタの身体は、そのままトスイの胸にいとも容易く収まった。


「はー。なんで俺、こんな女と一緒にいるんだろ」


 とびきり失礼な言葉とは裏腹に、肩に触れたその手はとびきり優しくて、アニタは混乱した。


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