第一話
とある王国のとある王城にて。
お昼時、城の大食堂は午前の仕事を終えた使用人達で賑わっていた。この大食堂は給仕や掃除婦などの使用人から騎士まで城に仕えるあらゆる人物が集う場所である。
部屋の隅に用意された皿を取り、食事が給されている場所へ行き、貰った後は各々が好きな場所に座って食事をするという何処かで聞いたことがあるようなシステムだ。
そして、この物語の主人公――アニタ・メルディスもその食堂の賑わいの中にいた。
焦茶色の髪を後ろで三つ編みひとつにまとめて、前髪は眉上で綺麗に揃えられている。露わになった凛々しく少し短めの眉は、気丈な彼女の性格を如実に表していた。
身につけている大きな白いエプロンと首までボタンがある黒いお仕着せは、この城の掃除婦の証だ。
アニタは今年入ったばかりの新人である。従って、人という人がいるこの大食堂の賑やかさに未だ慣れていなかった。必要な食器を取り忘れたり、同僚たちが居るテーブルが分からなくなったり。そんな小さなミスをたまにする。
その日も例に漏れず、アニタは大食堂で迷っていた。
(……お肉の配給場所ってどこ?)
今日は肉を食べたい気分なのだが、先程から何度探しても「お魚」の場所に辿り着く。おかしい、昨日は確かにこの場所で肉を配給していたはずなのに。空の皿を持ったままアニタはしばらくグルグルと食堂を巡る。ついでに腹の虫もぐるぐると鳴る。早くしなければ貴重な昼休憩が終わってしまう。
タイムリミットと空腹が自然とアニタを焦らせる。もういっそ「お魚」で妥協するか……そんなことを考えていた矢先のことだった。
「どうしたの君? 随分と困ってるようだけど」
「え?」
ふと、後ろから誰かに声をかけられる。振り返った先、そこに居たのは見慣れぬ黒髪の騎士だった。人好きのする穏やかな笑みを浮かべて、こちらを見つめている。キツネみたいな目は弓形に細められていて、瞳の色も髪と同じで黒っぽい。……誰だろう、この人は。
初対面の男からの突然の声かけに、アニタは戸惑いを覚える。それが相手にも伝わったらしく、騎士の表情が少し困ったようなものになる。
「ああ、ごめんね。いきなり声をかけて驚いたよね」
「いえ、そんな」
「さっきからここら辺をずっと歩き回っていたみたいだから少し気になって。もしかして迷った?」
「はい、そうなんです。お肉の配給場所が分からなくて。昨日はこの場所だったと思うんですけど」
「あー、お肉の場所ね。今日は確か、すごい端の方に移動してるよ」
「そうなんですか?」
「たまにあるんだよね、仕入れの関係らしいけど。場所わかる? こっちこっち」
「あ、はい」
場所が分かるか聞いておきながら、男はアニタを連れて慣れた様子で先を進んでいく。どうやら案内してくれるつもりらしい。それはとても有難いのだが、貴重な休憩時間を自分に浪費させるのは申し訳ない気がする。そう考えたアニタは先行く男の背に声をかけた。
「あのー、」
「ん? なに?」
「案内してくださるのは有難いんですが、場所だけ教えていただければ大丈夫です」
「え?」
「せっかくの昼休憩ですし、ご自分の為に使ってください。ご迷惑をおかけしてすみません」
少し他人行儀過ぎたかもしれない。だが実際、他人なのは変わりないし、この見知らぬ人の手をこれ以上煩わせるわけにもいかない。
そんなアニタの思考を見透かすように、男は再び彼女に笑いかける。その笑みは「気を遣わなくてもいい」と言わんばかりの親しみがこもったものだった。
「いやいや、迷惑だなんて微塵も思ってないよ。君、新人さんでしょ? 知らないのは当然のことだし、気にしないで」
なんて出来た人なんだろう。目の前の親切な騎士に、思わずアニタは尊敬の眼差しを向けた。困っている人に手を差し伸べて、見返りも求めることも、ひけらかすこともしない。騎士の鑑みたいな人だ。彼に声をかけてもらえて助かった。
「さ、着いたよ。ここがお肉の場所」
そうこうしている間に、目的地まで無事に到着したらしい。男の言う通り、肉の配給所は端の端の方にあった。大食堂に慣れてないアニタが見つけるのは至難の業だっただろう。
男に向き直ったアニタは、深く丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございます。案内までしていただいて」
「どういたしまして。じゃあね」
「はい。…………あれっ?」
男の「じゃあね」を合図にアニタが顔を上げると、さっきまで目の前に居たはずの男がもう居なくなっていた。きょろきょろと周囲を見回してみても影も形もない。
「……うーん、急いでたのかな?」
少し不可解な事象に首を捻りつつも、アニタは配給場所に向かったのだった。
◇
その後、アニタが無事に昼食を終えた頃。
――ゴーン、ゴーン、ゴーン
午後の仕事十分前を告げる鐘が鳴る。その鐘の音に促されるように、アニタは同僚達と一緒に次の持ち場へと向かっていた。和気あいあいと他愛のない話をしながらも、その足は自然と早まる。
「やっぱり一人で部屋ぜんぶ掃除するとなると大変だね」
「ねー、先輩と一緒にやってた入りたての頃がどんなに恵まれてたか分かるわ」
「あんた次の持ち場どこ?」
「えっとねぇ、確か東棟の方だった気がする」
「あ、それなら途中まで一緒に行こうよ。私もそっちの方角だから。アニタは?」
「私は時の石の部屋だよ」
「あー、あそこか。狭くて物がいっぱいのとこだよね」
アニタの午後の持ち場を聞いた同僚の一人が苦虫を噛み潰したような顔をする。それが五十匹ほど潰したのかと思うほど凄い顔だったから、アニタはつい吹き出してしまう。どうやら彼女は時の石の部屋の掃除が相当苦手なようだ。
「ぶふっ! すごい顔!」
「だってあの部屋本当に面倒くさいんだよ! いちいち物どかさないといけないしさぁ! すごい埃っぽいし! アニタは嫌じゃないの?」
「うーん、私は別に。物は多いけど広い部屋より掃除しやすいし」
「そーお? 時の石伝説だか何だか知らないけど、あの部屋ほど面倒くさい掃除場所はないよ」
「まあまあ、掃除するのはあんたじゃなくてアニタなんだから」
「それもそっか。頑張りなよ、アニタ!」
「うん、ありがと」
同僚の応援に礼を言ったところで、丁度別れ道に差し掛かる。左に行くという同僚達に手を振って別れて、アニタは右の廊下を進んだ。
それからしばらく歩いた後、とある部屋の前でその足は止まる。部屋の扉は重厚な装飾が施されていて、見ていると少しだけ気圧されてしまう。無意識のうちに深く息を吸ったアニタは、ゆっくりとノブをひねって午後の仕事場に入った。
「失礼します……」
部屋の中が無人なのは分かっているが、一応入室の挨拶はしておく。これはもう癖みたいなものだ。
室内は薄暗く、窓から差し込む光がキラキラと埃を照らしていた。部屋の中央に視線を移すと、台座の上のガラスケースの中に大きめの白い石が収められている。これが時の石だ。
「時の石」はその名の通り、時を司る石である。過去や未来などの時空を行き来できる力を持っているという。この国ができる遥か昔には、時の石を巡って世界大戦も巻き起こったとか。それが「時の石伝説」である。
だが、今では時の石伝説を本気にしている者は殆どいない。城としても、古い言い伝えを守るという名目で時の石を展示するこの部屋――時の石の部屋を作ったはいいが、訪れる人は清掃のためにやってくる掃除婦ぐらいだ。
加えて、この部屋は時の石の説明やら関連文書の展示やらで物が多かった。狭い割に掃除が大変なこの部屋は掃除婦達からもあまり人気はない。
アニタは別にこの部屋のことが嫌いではないが、特別好きと言うわけでもない。さっき同僚に話した通り物は多いが、だだっ広い部屋よりは掃除がやり易いと思う。他に良いところがあるといえば、展示室の長椅子くらいか。早く仕事を終わらせたら、そこでちょっとの間は休憩ができる。
兎にも角にも、仕事に取り掛からなければ。アニタは部屋の隅にある小さな物置へ向かい、そこから箒、雑巾、ハタキなどを取り出す――が、なかなか上手くいかない。
「くっ! 取れない……!」
どうやら物置の中で箒同士が複雑に組み合わさってつっかえているようだ。
綺麗で掃きやすそうな箒はビクともせず、一本のやたら小汚くて掃きにくそうな箒だけが取り易い位置にある。前の清掃担当者は一体どんな箒の入れ方をしたんだと問い詰めてやりたい気分だが、今は掃除するのが先だ。
仕方なしにアニタがその掃きにくそうな箒を手にした時だった。
「っ⁉︎」
突然の眩い光が背後から彼女の視界を襲う。
気づいた時には壁も天井も何もかもが真っ白で、影という影が消えていた。
「な、なに⁉︎」
驚いたアニタは咄嗟に持っていた箒を振りかぶる。だがそれは虚しく空を切り、何の意味もない。
振り返った先はさらに眩しくて、腕で目元を庇う。それでも恐ろしいほどの白い光は襲ってきて、耐えきれず目を眇めた先には例の「時の石」があった。部屋の中心から発せられたその白く強い光は、ガラスケースに反射して幾筋にも折れている。
「なっ……これ、時の石のせい?」
アニタが口にした問いに応えるかのように、光がますます強くなる。
これ以上はもう見ていられない。本能的にきつく目を瞑ったと同時に、アニタの意識はそこで途絶えた。