踏切
踏切の音。懐かしい。
ふ、っと。記憶に残っていないはずの感情が沸き上がる。
理由はわからない。ただ、きっと。
私が、私が存在している理由が……いや。存在して『いた』理由が。
踏切に関係しているのだろう。
「ご飯まだー?」
帰り道にコンビニで買ってきた肉まんを食べながら、台所にいる親に言う。
「いやもうちょい待って」
母が言う。早く食卓に着いて食べろ、とよく急かすくせに、私が先にリビングに行くといつもこうだ。
仕方がないのでスマホを弄りながら待つ。テレビでは昔の漫画が原作のアニメが放送されているが、残念ながら私には興味を持てそうなものではなかった。
……くだらない。
スマホを眺めながら、いつもそう感じてしまう。
どうでもいい、とりとめのない話題で盛り上がる人たち。
私には縁のない、政治、宗教、スポーツ、ゲーム、漫画、アニメ。
いや、ゲームとかアニメや漫画は好きなものもあるんだけど。
私の好きなもので盛り上がることはめったにない。
スマホから視線をテレビへと移し、チャンネルを変える。
親の影響か、私がいつも見るのはニュース。生放送は失敗してるのを見るのが嫌だし、バラエティは興味がない。
ワイドショーはよくわからない人たちがよくわからない自論を繰り広げたり、言い合ってお互い譲らないのを見るのが苦痛だ。
中学生らしくないね、とか、もっと音楽とかにも興味持ちなよ、とか、地味、とか。
クラスメイトから色々と言われたりもする。
興味はあるんだ。ただ、そう言う子たちの好きなような、一般的なモノ、音楽には興味がないだけ。
いわゆるインディーズとか、マイナーとか。そういう類のものばっかり見たり、聴くから。
テレビを見ていたのはずなのに、気付けば私はまたスマホを眺めていた。
これはもう、現代の病気なんだろう、きっと。電車でもバスでも、コンビニでも、レストランでも。皆下を向いて、スマホを見てばっかり。
別に悪いとは全然思わないけど。
運転中や歩きながらのスマホは危ないと思うけど、そう言うのはきちんと罰を受けるようになってるし。
だから、人様の趣味や、何かをやっていることに文句を言う気はない。
むしろそんな熱意があるのが羨ましくすら思う。いいことだ。
なんて。これじゃ私がワイドショーのコメンテーターみたいじゃんか。
「……聞いてるの!?もうご飯できてるわよ、早く食べなさい!早く来ないと片付けるわよ!」
はぁ、とため息をつく。またこれだ。親の、そして私の悪い癖。
親は自分の都合で動く。普段は人を平気で待たせる癖に、自分が待つ番になると途端に急かしてくる。
娘の私が……ううん、他人が自分の思い通りになるとでも思っているのかな?
そして。私は集中すると周りの声、音が聞こえなくなる。
聞こえてるのかもしれないけど、一瞬で思考から消え去っている。
返事はしているらしいから、それで友達にもよく注意される。
でも治らないものは治らないんだもん。どうしろっていうのさ。
出来る限り。自分なりに気を遣って、何かありそうなときは身構えておく。何もしない。
これくらいしか対策は思いつかなかった。
ただ、親にそれをする気はなかった。いわゆる反抗期ってやつだ。実に子供らしい私の発想だ。
「はいはい」
あからさまに嫌そうな表情と声で椅子に座る。
また今日も私の嫌いな食事だ。それを見た母が私に言う。
「好き嫌いしないの」
そういう母が作る食卓に魚は並ばない。理由は知っている。母親が魚嫌いだから。
オトナはいつも自分勝手だ。早く私も大人になりたい。
そして、あんな風な自分勝手な大人じゃなくてさ。
真面目で優しくて、気遣いができて、皆の役に立てる、そんな、素敵な大人になりたい。私のことは二の次でいい。
誰かの笑顔が、私にとっての幸せだ。そう思ってる。
今思えば。
この幻想は、早く捨てるべきだった。
そうすれば、絶望することもなく、人間を嫌いになることも、男性を嫌いになることもなく。
……私自身を嫌いになることもなかった。
そして。
……気付けば踏切の音は鳴りやんでいた。
いつもいつも、私の記憶にないのに、まるで私が経験したかのような出来事が、脳裏によぎる。
「……ばっかみたい」
自嘲気味に呟いて、私は踏切をくぐって進む。
……くぐって?
なぜ、電車の通っていない踏切をくぐる必要があるの?
誰かの声が聞こえた気がする。危ない、とか、よく聞こえなかったけど。
悲鳴とか、叫び声の方が多かったかな。なんでだろう、凄く冷静に思い出せる。けど、そんな体験をした記憶は、私にはない。
ただ、いろんな雑音が聞こえたのちに、鼓膜が破れるかと思うくらいの大きな音の電車の警笛が聞こえて。それから、最後に、一言。
「その命、要らないの?」
誰の声だろう。聞き覚えはない。
でもどうせ夢かなにかでしょ。どうでもいいや。
「うん」
「じゃあ、頂戴」
「いいよ」
そして、私の意識は途絶えた。