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トラヴィール教会概説、及びエスペラント・ウニートにおける奇跡者ダニエル・オンドリ派・聖ベルヴィル騎士団・フクロウ派の受容について

 教会芸術においてカトゥルンは常に、十七の目から涙を流し続ける五枚羽の天使の姿で表現される。彼は永遠に悔いているのだ。この世を王国から遠ざけてしまった、己の賢しらを。


 トラヴィール教会という「制度」がいつ成立したのかという問題については、現在様々な学説が入り混じっている状況である。しかし、大方の学者達の意見は一致しており、それはつまり、聖処女エルサレムの時代、奇跡者ダニエルに洗礼の雨が降り注いだ瞬間こそがその時であるということだ。

 もちろん、それ以前にもアトナの民はフェト・アザレマカシアと何らかの方法で接触していたらしいし、月光国正教会、あるいは異端とされているアイレム教の問題もある。しかしヨグ=ソトホースを唯一の主と認めること、カトゥルンが世界にもたらした原罪とトラヴィールによるその贖罪、そして無知の幸いといったトラヴィール教に独特の教義、それを初めて「発明」したのは間違いなく奇跡者ダニエルであるからだ。ちなみに、正式には奇跡者ダニエルはその創始者の名前であり、その集団の名前でもある。これは少しややこしいので、奇跡者ダニエルの中では、創始者の方は単に「族長」と呼ばれ、集団名だけを奇跡者ダニエルと呼んでいる。

 さて、トラヴィール教会においてはいわゆる「正統」と「異端」の区別があり、選神枢機卿会議において「正統」と認められているのは主要五派と呼ばれる五つの教派だ。それぞれ奇跡者ダニエル、オンドリ派、聖ベルヴィル騎士団、フクロウ派、月光国正教会と呼ばれており、そのなかでも奇跡者ダニエルの次に生まれ、まるで生きた魚のように精巧なヒエラルキアを作り出し、それによって教会の隅のかしら石となったのがオンドリ派だ。

 一般的な無神論者達、人間至上主義者達がトラヴィール教会という単語を聞いた時にまず思い浮かべるのも、大体がオンドリ派のイメージであろう。荘厳な教会、華麗な宗教芸術、あるいは身の内に響き渡るような聖歌といったものは、すべてがオンドリ派の生み出した虹色の卵である。

 オンドリ派の創始者とされているのは犠牲の子羊たる聖ランドルフ・カーター、しかしそもそもランドルフはアトナの民であっても奇跡者ダニエルには属していなかった。それどころかカーター家は、代々その父祖である「偉大なる王」エドマンド・カーター以来ずっと「偽りの兎」、つまり兎魔学者の家系であった。しかしそのランドルフが、「銀の鍵」の秘跡によって「銀の鍵の門」を超え、ヨグ=ソトホースにまで到達することで、自分が救い主トラヴィールのエクステンシオであると知った時、その時にオンドリ派は産声を上げたのである。

 それまで奇跡者ダニエルは、奇跡を孕みし者である族長と、そのうつし子達、すなわちアトナの民しか信徒となることはできなかった。奇跡者ダニエルの教義においては、アトナの民だけが主に選ばれた民だからだ。しかしランドルフは、全ての人々が、それどころか全ての存在が、救い主トラヴィールのエクステンシオであると証明して見せた。つまり、オンドリ派においては全ての存在がその信徒となることができる。ここに初めて、神々の定めた「民」という囲いを超えて、あらゆる人々を内包することができる、全世界的な人間の紐帯が誕生したのだ(ただしこれには一つだけ例外がある、それが「汚らわしいスペキエース」なのだが、この教義についてはここで取り上げるにはあまりに複雑な問題であるため、残念ながら省略させてもらう)。

 オンドリ派の次に生まれたのは聖ベルヴィル騎士団だ。現在では災害時の救援活動、慈善病院の経営、難民の保護、その他弱者・少数者支援といったような社会奉仕活動でお馴染みになっているが、そのルーツは名前の通り騎士の集団、騎士修道会である。

 時は第一次神人間大戦直前、トラヴィール教会の信徒達は迫害に次ぐ迫害を受けていた。というかそもそも、族長たるダニエルが、四柱の魔王(アッシリア・バビロニア・メデス・ペルシア)を打ち倒し、更に聖処女エルサレムを底知れぬところの穴に投げ込ことによって、己のうつし子達を神々のくびきから解き放って以来、ずっとトラヴィール教会は迫害を受けてきた。その当時は未だ神々がトラヴィール教会にいまします時代であり、借星は文字通り神々から借りた土地であって、そうでない土地は全て得体の知れない暗黒に覆われていたのだ。そのため、神なき民であるアトナの民、あるいは主ヨグ=ソトホース以外を信じることのないトラヴィール教徒達は自然と流浪の人々となっていった。

 そんな中、後に聖ベルヴィル騎士団初代総長となるジャンゴ・ラインハルトがこの世に生を受けた。ジャンゴはこれといって変わったところのないオンドリ派信徒の両親の元に生まれ、本人も敬虔なオンドリ派信徒として成長した(ジャンゴはオンドリ派信徒ではなく、そもそも捨て子であったとする異説もある)。先ほども少し述べたが、当時のトラヴィール教徒は世界各地を転々とし、この世界の隅々にまで福音の伝道をしているさなかにあり、ジャンゴとその家族達も同様の境遇にあった。

 世界各地を巡ってジャンゴはたくさんのことを、良いことも悪いことも区別なく学んでいっただろう。そして、ある日……ジャンゴに関しては様々な、食い違う伝説が残されているため、そのどれが本当にあったことなのかということは今となっては分からない。けれど、あらゆる伝説に共通する点が一つだけある。ある日、ジャンゴが左目を失い、その代わりにある啓示を受けたということだ。その啓示とは、地上に主のための王国を打ち建てよということ。ジャンゴはその啓示に従うことにした。そして、聖ベルヴィル騎士団は生まれた。主の王国、ヴールを地上に打ち建てるために。

 ベルヴィルとは当時の国際的言語であったホビット語で美しい(ベル)都市(ヴィル)を意味する言葉だ。聖ベルヴィル騎士団という名前は、ジャンゴとその僕たる騎士達が、やがては主のために美しい都市をこの地上に打ち建てるであろうという意味で名付けられたとされている。

 そして、聖ベルヴィル騎士団は瞬く間にトラヴィール協会のコミュニティ内部でその地位を確立していった。トラヴィール教徒達は安住することもできず、あちこちの土地を放浪することに疲れ果てていたのだ。そんな彼ら/彼女らに、主の王国、トラヴィール教徒達の聖なる土地を手に入れようというジャンゴの主張は、乾いた鱗に降り注ぐ雨のように浸透していった。そして、ついにトラヴィール教徒達は神々に戦争を挑むことになる。そう、それこそが第一次神人間大戦だ。その目的は、遥か昔に祖先達が住んでいた土地、ケメト・タアウィのシナイを手に入れること。

 とはいっても当時のトラヴィール教会は、奇跡者ダニエル・オンドリ派・聖ベルヴィル騎士団の三派を合計してもそれほどの数の信徒を有していたわけではなかった。現在の隆盛からは想像できないかもしれないが、自らの神国も持たず、庇護者たる神々も戴かず、ただこの世界に撒き散らされたディアスポラの人々、それが彼ら/彼女らであった。

 確かに、奇跡者ダニエルはケメト・タアウィを支配していた神々に一度は勝利を収めた。しかし族長たるダニエルは既に地の表から取り上げられて、天上のヴール(この後に出てくる肉と塵でできた偽りのヴールではなく、栄光と無知でできた真実のヴール)へと招かれていた。そのため、ヨグ=ソトホースの奇跡をその身に宿した族長を失った奇跡者ダニエルには、以前ほどの力は残っていなかったのだ。また、オンドリ派に属する人々の中には神を殺しうる兵器、後の世に対神兵器と呼ばれることになる兵器を作る術を持つ、兎魔学者からの転向者がいたことはいたのだが、それほど数が多かったわけではなかった(あるいはこの戦争に使われた技術にThe Hasturic Order of Silver Twilight、通称HOSTの協力を見る研究者もいるが、そうなるとこの後で述べる「主要三派」に月光国正教会が含まれなかったことに矛盾が生じる)。

 つまり、第一次神人間大戦において神々に勝利するためには、トラヴィール教徒だけでは戦力が不足していたのだ。そのため、ジャンゴとその僕達は、神々に抗するために別の勢力に助けを求める必要があった。それが、ノスフェラトゥだったのだ。

 伝説上の生き物であるケレイズィを除き、知的生命体とされているナシマホウ族は六種だ。ノスフェラトゥ、ホビット(絶滅種)、イタクァ(絶滅種)、ソクラノス、そしてヒューマンとライカーン。前者の四種がいわゆる高等知的生命体であり、後者の二種は下等知的生命体と呼ばれている。そして、高等知的生命体の中でも最も高等な生き物とされているのがノスフェラトゥだ。

 当時はホビット語でラミアと呼ばれていた彼の鬼達は、マホウ族でもないにもかかわらずなぜかセミフォルテアを使うことができ、中級マホウ族と同じかあるいはそれ以上の戦闘能力を有している。更に、トラヴィール教徒と同じように特定の神を持つことなく、特定の地に集うこともなく、世界各地に散らばって生息していた。神々と争い事を起こすにあたり、これほどうってつけの同盟相手は他にはいないだろう。

 しかし、問題点が一つだけあった。ノスフェラトゥは自分以外の全てのことに関心がないのだ(ノスフェラトゥには「自分」という観念がないため、このいい方は少々正確ではない)。彼の鬼達が存在する意味はたった二つ、生存と殺戮。そして、人間と違ってほぼ完全な生命体である彼の鬼達を殺すことのできるほど力強い存在は、それがたった一鬼を相手にするとしてもそれほど多くはない。そのため彼の鬼達は、生存を理由として他のあらゆる生き物と共存・協力をするという発想を持つことはなかった。更に、殺戮には友人は必要ない。同族同士が交わることさえない、そんな相手とどうやって同盟を結べるというのか? 希望は、無いかに、思われた。しかし、その時……主の恩寵が……聖ベルヴィル騎士団に臨まれた……と、少なくともトラヴィール教会の伝える話ではそういうことになっている。

 聖ベルヴィル騎士団がケメト・タアウィに攻め込んだことで始まった第一次神人間対戦は、速やかに泥沼にはまり込んだ。彼の騎士達はなんとかシナイを取り戻すことができたのだが、神々に対する人間の反逆はこれで二度目だった。しかもどちらもトラヴィール教徒によって起こされたものであって、神々はこの時点でついにトラヴィール教会という存在がどれほど危険なのかということについて思い至ったのだ。だから、神々はそれを滅ぼすこととした。こうして、世界の各地で神々とトラヴィール教徒との争いが勃発し、全面戦争に至ったのだ。

 一般的な説によれば、そのことがノスフェラトゥを戦争に巻き込む大きな原因となったということになっている。各地で頻発する、対神兵器相当の兵器を持つ人間と、中級以上のマホウ族との争い。それだけでなく、ノスフェラトゥ自体も神々によって危険視されるようになっていった。今まで闇の中に隠れ潜み、ひっそりと狩りを行っていた彼の鬼達の存在が、戦いの銃火によって照らし出され、私大次第に明らかになっていくことで。ある意味ではトラヴィール教徒と同じく離散した種族である彼の鬼達は、神々の目にはやはり驚異と映ったのだ。そして、神々や強力な兵器よってその生存を脅かされ始めたノスフェラトゥは、まずは同族同士で集まり始め、それから次に同盟者を探し求める。己の生存を守るために……というわけだ。

 しかし、それは本当に本当のことだろうか? 理にかなった説明ではある。ただ、聖ベルヴィル騎士団の円卓評議会に席を持つ騎士達に代々伝えられているという伝説では、事情は少し違ってくる。それによれば、かの美しき女神、アナンケ王妃の死は……いや、どうしてここでその話をすることができようか? 物語は死んだ、死んだものを生き返らせることは偽りの兎の業だ。許されることではない。とにかくここでは、第一次神人間対戦において、初めてトラヴィール教徒とノスフェラトゥが契約を結んだ、と述べるに止めておこう。

 それから、彼ら/彼女らと彼の鬼達は、当時最も力を持っていた神、神々の王であった神、アルディアイオス大王を殺した。それしか生き残る道はなかったからだ。トラヴィール教徒とノスフェラトゥ、神々に従わぬ者達に向けられた「浄化」の剣を収めさせるには、彼ら/彼女らと彼の鬼達が、神々と同等の力を持っているということを神々に認めさせるしかなかったのだ。そして、そのプレメディテイトの通り、それを神々は認めたのだ。度重なる停戦交渉の結果、二つの土地が神々から賜られることになった。すなわち、トラヴィール教徒にとっての約束の地であるしないと、アルディアイオス大王の土地であり、この戦争で神なき土地となったパンピュリアとだ。トラヴィール教徒はシナイを取り、ノスフェラトゥはパンピュリアを取った。そしてできた二つの国が、ベルヴィルとパンピュリア共和国であった。ほとんど誰もが知っている通り、この年をしてベルヴィル記念歴は始まる。

 また、始まったのは暦だけではなかった。この年から始まった最も重要なことは、ベルヴィル公会議だ。奇跡者ダニエルが出シナイをしてからの長きにわたって、世界各地に広がって交わることのなかったトラヴィール教徒達は、己の土地を得たことによって初めて一つところに集まり始めた。まあ、正確にはパンピュリア共和国にも多数のオンドリ派信徒達が住まうことになっていったのだが、それは例外として、とにかく様々な場所から様々なトラヴィール教徒が一つに集まることとなった。

 そして、その結果として、ある問題が浮上してきた。それは教義の問題だ。トラヴィール教徒達は離散生活の中、それぞれが辿った異民族の宗教と混ざり合い、自分達の教義を段々と変化させていった。そのせいで各クラスターごとに福音は捻じ曲げられ、当初のトラヴィール教とは似ても似つかない独自の音色になってしまっていたのだ。これではいけない、族長ダニエルが開き、犠牲の子羊ランドルフ・カーターが示した、トラヴィール教の正統な形を取り戻さなければいけない。そのために、ベルヴィル公会議が開かれることになったのだ。

 最初期のベルヴィル公会議で定められたことの中で、特筆すべきことは三つだ。七十人編纂聖書の成立と主要三派の決定、それから選神枢機卿の誕生。

 まず七十人編纂聖書であるが、この頃トラヴィール教徒には共通の聖典は一つしかなかった。族長ダニエルによって語られたというか歌われたとされる「詩編」である。しかし、共通するものはこれだけでも、宗派ごとに膨大な種類の聖典が存在していた。そのため、その中でどれが本当に正しい聖典なのか、つまり聖典の正典(なんだか下らない洒落言葉のようになってしまったが)を定める必要があったのだ。六十八人の編集者達によって会議が行われ、そしてカノンは決定した。それが七十人編纂聖書である。

 後の公会議で新たに正典として加えられたものや、逆にここから外典・偽典とされ外されたものもあるため、現在のカノンとは違っている点もあるが、大まかなところは同じだ。真実のヴールで行われたとされるトラヴィールの聖跡や、裏切者のケレイズィが起こしたとされる主への反乱など、人間以前の出来事を記したカトゥルン聖書。人間以後の出来事の記録と、「詩編」「ダニエルの手紙」などその他の資料を収めたトラヴィール聖書。これ以降はこの二つの聖書が、少なくとも正統派トラヴィール教徒の中では共通の聖典とされることになる。

 次に主要三派の決定と選神枢機卿制度の誕生について。前述した通り、この頃のトラヴィール教徒達は幾つもの宗派に分かれてしまっていた。もちろん、本人達には「分かれた宗派」であるなどという認識はなく、自分こそが正統なトラヴィール教会を継いでいるのだと考えていたのだが、実際のところはそうではない場合が多々あったということだ。そのため、本当の「正統」を定める必要があったのだ。

 第一回から第十七回まで、十七年もの長きにわたって協議された結果、以下の三つの宗派がトラヴィール教会の正統な宗派であると定められた。それが奇跡者ダニエル、オンドリ派、聖ベルヴィル騎士団の主要三派である。更にそれだけではなく、その主要三派から一人ずつ代表者を出し、その三人によってトラヴィール教会と神々との交渉にあたらせることとした。第一次神人間対戦に勝利したことで独立した領土を手に入れはしたものの、依然として世界は神々の手の内にあり、人間を中心とした勢力であるトラヴィール教会はそういった神々の国、神国との政治的な駆け引きを今後も続ける必要があったためだ。三人の代表者は、トラヴィール教徒の間にありながら神ごとを選ぶ者という意味で、選神枢機卿と呼ばれるようになった。

 さて、天秤の片側に「正統」がかけられたとすれば、当然のようにもう片方の皿の上には「異端」の首が置かれることとなるだろう。十七回の公会議によって異端とされた宗派は数多くあるが、その中でも最も重要な宗派はシュブ=ニグラス主義だ。現在ではパンピュリア正教会とその他のパンピュリア諸教会に分かれているが、その大本はこの時に異端とされた一つの宗派であった。

 この宗派の最も大きな特徴は第十七回公会議で否定されたシュブ=ニグラスの聖性を認めているということである。またそれだけではなく、第一回から第七回までの公会議(いわゆる普遍的公会議)で決定された教義のみを教義として受け入れ、正統派とされた主要三派よりもいっそう厳格にランドルフ=カーター時代の信仰を守っている。具体的な例を挙げれば、聖職者の妻帯禁止、夢の重要視(夢見の機密)、髭や髪をむやみに切らないということであるが、ここで詳細に立ち入るのは差し控えよう。とにかくシュブ=ニグラス主義は異端とされて、その信徒達はベルヴィル及びパンピュリア共和国から追放された。それから、その後は旧神国圏、主に現在のエオストラ地域に信仰の場を移すことになる。

 そして、時は流れた。少なくともトラヴィール教主要三派にとっては平和な時代が続いて、その後に来るのはリベラシオン(人間解放)時代。この時代に、フクロウ派は生まれた。

 リベラシオン時代とは、神々から解放されたベルヴィル及びパンピュリア共和国(ノスフェラトゥは人間達を支配することに対して神々ほど熱心ではなかった)に広がった芸術・思想運動の総称である。それまでマホウ族や、他のナシマホウ族と比べても劣った存在であるとされていた人間達が、(ノスフェラトゥの力を借りたとはいえ)神々の王を倒すことができたということで新たに自信をつけ、人間の人間による人間のための人間像を作り出そうと始まったこの時代は、またオンドリ派の宗教芸術作品が多数誕生した時代でもある。

 パンピュリア共和国のセント・ハドルストン大聖堂、エーリッヒ・ツァンによって完成された聖燐式の音楽、それにこの時代を代表する芸術家である「万能人」ヘンリー・アンソニー・ウィルコックス。そういった、ちょっと前にも触れたのだが、荘厳かつ華麗、身の内に響き渡るような芸術の数々がオンドリ派教徒達によって惜しみなく作られていった。

 しかし、それと同時にトラヴィール教徒は、特にオンドリ派は、堕落の坂道を転がり落ちていくことになる。今までは肉体的にも精神的にも、もちろん魂魄的にも彼らには余裕など全くなかった。だが、自らの土地に安住し、同じ信仰を持つ人々に周りを囲まれ、それによって生存以外の事柄にその視線を向けられるようになると、やがて彼ら/彼女らは弛緩し、倦怠していった。聖職は俗世的な対価によって売買され、罪が許されるかどうかの境は持つ者と持たざる者の境と限りなく等しくなった。そして、その堕落の反動としてベルヴィルで引き起こされたのがフクロウ派の改革(オウル・リフォーメーション)であった。

 フクロウ派の改革の重要なファクターとなったのは、リベラシオン時代に発達したといわれる「個人」という概念である。現在では信じがたいことであるが、そもそも神話時代の人間には「個人」という意識が希薄であった。それは神国時代の統治制度と密接に関係している。

 神国においては人々の精神は神々と接続されていた。人々は畜群として管理され、自分だけの内的世界を有することなどほとんどなかった。しかし、第一次神人間対戦の勝利によりベルヴィルの人々は完全にその接続から解放され(パンピュリア共和国ではノスフェラトゥによる緩やかな精神統治が続いていた、おそらくこれがパンピュリア共和国に改革の炎が燃え移らなかった原因なのだろう)、人間の脳は完全に各々のみの所有物となった。

 それだけではなく、「個人」の概念の発達にはトラヴィール教に特有のコンセプトも関係している。それは「一信教」である。それ以前の宗教は必ず多信教であった。信ずるべき神々が多数いたのだから当然といえば当然なのだが、トラヴィール教徒はそれを否定した。信仰の対象とすべきものは主、つまり「ヨグ=ソトホース」「フェト・アザレマカシア」「トラヴィール」の三位一体のみであり、今まで人々に信じられていた神々という存在は、全てが主の似せ物であると断じられたのだ。

 それによってトラヴィール教徒は絶対なる一人の主と向き合うこととなる。独立した内的世界の中に、たった一人の主。トラヴィール教徒にとって約束された無知の幸とは、「主」と「私」との間に交わされた一対一の契約であった。神々と畜群ではなく、一柱と一人。その関係性の中から「社会」より分離した「個人」が花開くこととなったのだ。

 そして、その「個人」は更に主との関係性を発達させた。それが万人教会説である。万人教会説とは、「ド・マリニー第一の手紙」二章一説にある「もしもここにいるあなたがたのうち、たった一人でもヨグ=ソトホースを愛するならば、ここは主のための場所、教会となるでしょう」という言葉を根拠として主張されたもので、洗礼を受けた全てのトラヴィール教徒はその各々が教会、つまり福音を広め伝える教えの家であるとする説だ。この説は、人は本質的には無知な存在であってその救済はあらかじめ定められており、信仰はただ王国の到来を証明するためだけに行われるとする絶対救済説と共に、フクロウ派の二大原理となった。

 この二大原理を信じる人々にとっては、オンドリ派のような、総大司教を頂点とした救いのヒエラルキアによって成り立つ「偶像としての教会」の権威は認めることができないものだ。そのため、次第にその人々は新しい組織を作り始めることとなる。その組織はオンドリ派のように聖職者と一般信徒とを分けることはない。その代わりに、唯一この世界に与えられた啓示である聖書を熟知し、それを教えることで人々を正しく導く教職者(大体は牧師と呼ばれている)と、その生徒である信徒達とで構成されることになる。こうして、あちこちでフクロウ派の基礎となる様々な宗派が芽吹き始めたのである。

 現在まで残る宗派でいえば、晩餐派、族長派、アンロッキスト等々、べルヴィルの全域で広がった反オンドリ派の波は、トラヴィール教会の新しい宗派を次々と生み出していった。彼ら/彼女らはもちろん正統な宗派とは認められず、当然のように主要三派。特にオンドリ派からの大々的な弾圧を受けることになった。しかし、それでも燃え盛るリフォーメーションの火勢は止めることができず、その弾圧はかえって彼ら改革者達の結束を生み出してしまう。

 べルヴィル記念暦百七十年、聖なるティンダロス猟犬数を戴いたこの年、万人教会と絶対救済の二大原理を信奉する新派の代表達が集まって、べルヴィルのパラヴァス市で一つの会議が開かれた。後に第一回総会と呼ばれるようになる会議であり、ここで採択された信条こそがかの有名なフクロウ信条である。詳しい内容についての言及は控えるが、この信条の採択をもってトラヴィール教会に新しくフクロウ派という宗派が生まれることとなった。

 フクロウ派とは、すなわちフクロウ派の二大原理によって基礎づけられた信仰を有する無数の分派の集合体である。正式名称は世界トラヴィール教会フクロウ派協議会。宗派を構成する各分派の指導者を集め、不定期で開かれる総会を中心とした緩やかな結合によって成り立つ組織であり、その総会のおもたる目的は(原則)全会一致によって総会議長を選び出すこと。そしてそのフクロウ派総会議長こそが奇跡者ダニエル族長、オンドリ派総大司教、聖べルヴィル騎士団総長に続く第四の選神枢機卿となるのである。

 フクロウ派信条の中でも最も有名な文句は「我ら主以外には服せず」だと思われるが、これこそまさにフクロウ派によってオンドリ派に突き立てられたノーティフィケーションであった。現在の人的政治学の世界では、国家には統治を義務的な構造とするものと、あるいは権力的な構造とするもの、二つの種類が存在していると説明する。このような分裂は初めて人間の国家が登場したこの時代に姿を現したとされるもので、つまりそれは、統治を義務とみなし愛・真・善・美の四務分担の制度をとったパンピュリア共和国と、統治を権力とみなしたべルヴィル、この二国の分裂だ。

 更に完全なるトラヴィール教国であるべルヴィルでは、一般的な人間諸国のように権力分立の制度を取っていない。べルヴィルにおいては権力は次のような形で構成されている。すなわち、会権力としての外交権・内政権と、上位権力としての律法権。そして律法権はトラヴィール教会の最高意思決定機関たる選神枢機卿によって行使される。つまり、選神枢機卿は単なる神々との交渉役というだけではなく、べルヴィルにおける絶対権力者でもあったのだ。フクロウ派はこれに対してノーを叫んだ。

 前述したようにフクロウ派は万人教会説を掲げている。万人が教会である以上、その教会を支配するような上位の権力が存在するはずがない、教会とは主にのみ信仰を捧げるものなのだから。従って、我々は主以外には服さない、選神枢機卿の権力には服さない。これが「我ら主以外には服せず」の意味だ。ちなみに、この宣言は後に「人民主権」の思想に繋がっていくことになるのだが、その話はトラヴィール教会とあまり関係がない話なのでここで言及することは避ける。

 とにかく、フクロウ派はフクロウ信条によって選神枢機卿の寡頭体制に反旗を翻した。奇跡者ダニエルと聖べルヴィル騎士団の二派はこれに対して静観の態度に出たが、オンドリ派は強く反発。フクロウ派の信徒達を異端者として次々に異端審問にかけていったが、時は既に遅かった。べルヴィルではほとんどのトラヴィール教徒がフクロウ派となっており、オンドリ派は逆にべルヴィルからパンピュリア共和国へと追い出されてしまったのだ。

 激怒したオンドリ派はパンピュリア共和国からべルヴィルのフクロウ派へと宣戦を布告。ここに「主の眠り」戦争が始まることになる。ただ戦争とはいっても、これは実際のところ小さな小競り合い程度のものであった。べルヴィルの主戦力である聖べルヴィル騎士団も、パンピュリア共和国の主戦力であるノスフェラトゥも、この戦争にはほとんど関与しなかったし、それ以上に第一次神人間対戦終結後の嫌戦ムードがこの時期まで尾を引いていたためだ。(アイレム教と他宗派との戦争を除いて)トラヴィール教内部で起こった唯一の宗教戦争はその後すぐに終結し、ベルヴィルのブルーノ市で宗教和議が結ばれた。

 ブルーノ宗教和議と呼ばれるこの和議によってフクロウ派は正式に正統としての地位を認められ、「主要四派」に加えられた。更にそれだけではなく、選神枢機卿とフクロウ派代表団の間で行われた長きにわたる交渉の末、食い違う双方の教義の間の妥協案として、この和議には次の二つの内容を含むこととなった。一つ目が、フクロウ派は恒久的に選神枢機卿制度を認めるということ。二つ目が、その代わりにフクロウ派の代表者一人を選神枢機卿として選出するということ。前述したように、その代表者とはフクロウ派総会議長である。

 ブルーノ宗教和議が結ばれた直後に行われた第二回総会において、初代議長として一人の牧師が選ばれた。その名前はロバート・ブレイク。フクロウ派分派の一つであるブレイク教会の名前の由来となった人物であり、またオンドリ派教会を自ら離脱して新しく教会を建設したことによって、フクロウ派の改革の端緒となった人物でもあった。


 さて、恐らくこれでトラヴィール教会の歴史、その概観を説明することができただろう。本来ならば、これに加えて月光国正教会(ハストゥール正教会)についても触れておかなければならないのだが、ただそうしようとすれば「人間時代」の前、それどころか「神々時代」の前、ケレイズィの反乱から説き起こさなければならなくなってしまう。第一、今まで述べてきた解説についても、相当の修正を加えなければならなくなる(真実のヴールが関わってくると、時間と空間は限りなく不安定になり、観察者の視点に従って現実が変化してくる)。そのため、ここでは思い切って省略し、次の話題に移りたいと思う。

 次の話題、それは主要五派のうち月光国正教会以外の四派が、現在のエスペラント・ウニート(以下EU)でどのように受容されているのかということだ(ちなみにここに書くまでもないことではあるが、月光国正教会は月光国以外のいかなる場所においてもその信徒を獲得していない)。

 しかし、この話題に入るにあたって、その前にどうしても次の疑問に答えておく必要があるだろう。それは、人間至上主義国家であるEUにおいて、なぜ人間以上の何かに対する信仰、つまり宗教であるところのトラヴィール教会が受け入れられているのかということだ。人間至上主義とは、一言でいうならば「人間が信仰するべきものはただ己たる人間のみ」という命題を掲げた無信論の一形態である。そのため、一般的に反宗教的な側面を持つものであり、確かにEUもウニート・インテルコンセントによって政教分離を定めている。いかなる宗教的勢力も、権力(人間至上主義国家は統治の役割を権力として理解している)の場に立ち入ることを許されていないのだ。

 しかし、ここで注意しておかなけらばならないのは、EU成立の歴史的背景である。そもそもEUとは、第二次神人間大戦後、ヤー・ブル・オンやそのほかの神々が科したくびきより解き放たれたケメト・タアウィに建国された国家だ。そして、その国家を建設したのは、世界各地の様々な場所(主にパンピュリア共和国とポンティフェックス・ユニット)からやってきて、第二次神人間大戦を戦った人々である。結果としてEU、よくいえば多様な価値観を持つ国家、もう少し率直ないい方をするならば、雑多な移民の寄せ集めのような国家になった。

 そのような国民達、移民達の中には、実はトラヴィール教徒も多くいたのだ。トラヴィール教会は、第二次神人間大戦時に人間側の陣営につき、人間至上主義者達と共に神々と戦っていた。そして、そういったトラヴィール教会の兵士達の一部は、戦争が終了してからもトラヴィール教国に戻ることなく、後にEUとなる土地に残った。人間至上主義が誕生した場所であり最初の人間革命が起こった場所でもあるサヴィエト・ルイドミや、建国の英雄にして絶対的独裁者であった猿神の思想統制がその死後も続いている内外不問的人間博愛国とは違って、EUは人間至上主義国家の中でも比較的穏健な部類に入る国家であり、人間以外のあらゆる権威を否定しようというファナティックな態度にかけていた。そのため、そういったEU国民となろうとするトラヴィール教徒を排斥するのではなくなく、共に生きていくという選択肢を選んだのだ。

 要するに、EUは人間至上主義国家の中ではかなり宗教に寛容な政策をとっているということだ。ウニート・インテルコンセントに定められている政教分離も、実際のところは、あくまで国家の中枢、権力部分に宗教を入れないというだけのことである。国民に対しては公共の福祉に反しない限りで信教の自由が保障されており、EU国内では様々な移民集団に応じて、様々な宗教が信じられている。そして、その中でも一番大きな割合を占めているのがトラヴィール教会だというわけだ。

 以上の説明で、人間至上主義国家であるEUにおいて、なぜトラヴィール教会が受け入れられているのかという疑問には答えられたと思う。それでは、そのトラヴィール教会の中でも、各宗派はそれぞれどのように受け入れられているのであろうか。

 まず、奇跡者ダニエルについて。

 既に言及した通り、アトナの民以外は奇跡者ダニエルの信徒となることはできない。正確にいうとできなくもないのだが、かなり面倒な審査を通過した上で、異民族の体に宿ってしまってはいるがその魂魄は実はアトナの民のものであるということが、ハッメバッケール(調査官)によって認められることによって初めて奇跡者ダニエルの信徒となることが認められるので、実質的にはアトナの民しかなることができないといっても決して過言ではないだろう。ただし逆に、現代のアトナの民は、若干の例外を除いてほぼ全てが奇跡者ダニエルの信徒である。そのため、移民としてEUに渡ってきたアトナの民及びその子孫であるアトナ系エスペラント人は大体が奇跡者ダニエルだということになる。アトナ系移民街のことをダニエル街と呼ぶのはそれが理由だ。

 彼ら/彼女らは隣人達からどう思われているのだろうか。いわゆるダニエル条約(ダニエル雨天洗礼派の地位に関する条約)によって、その締結集団内において奇跡者ダニエルは「詩編」と「契約書」を事細かに法文化した宗教的なトーラーを、当該集団の定めたあらゆる法律・規則・その他の決まり事に優先することが許されている。そのため、一部の排外的な人々からはあまり好ましく思われていないということは事実だ。しかし、大方の人々からはその宗教的な勤勉さと、奇跡学によって鍛えられた論理的知性ゆえに、愛されているとまではいえなくてもそこそこの敬意を寄せられている。ちなみに、もっと一般大衆的な奇跡者ダニエルの理解としては、彼らが常に「無知の幸」(オンドリ派で使用されているものとは違って動きやすいように丈が短く、それぞれ役割の決まったポケットがついている)をまとっていることから「なんか知らないけどいつも黒いコートを着ている人達」だ。

 第二に、オンドリ派について。

 オンドリ派は、EUではあまり受け入れられているとはいい難い状況にある。そもそも人間主義自体が、全ての人間達が各々の主権を持ち、その上位としての支配権力は存在するべきではないという「自由・平等・博愛」の思想である。そのためヒエラルキア、階級制度を極めて重視するオンドリ派はこの地には根を張りづらいのだ。ただ、第二次神人間大戦時にパンピュリア共和国から来た移民達や、あるいは建国直後の時期に大々的に行われた宣教の生き残りなどがいるため、まったく存在しないというわけではなく、各州にはそれぞれの教区が置かれている。特にフィンガー州のそれは大司教区であり、司教座である「銀の鍵の門大聖堂」はそのオンドリ派的壮麗さからEUでもかなり人気がある観光スポットの一つとなっている。

 第三に、聖ベルヴィル騎士団について。

 誰もが知っている通り、聖ベルヴィル騎士団の身分は主に二種類に分かれている。騎士とそれ以外だ。その内で、騎士階級のものは聖ベルヴィル騎士団の本来の役割である「偽りのヴールの防衛」と「教会の剣となり盾となる」ことの二つを任務としている。そのため一般人としての生活をすることはなく、トラヴィール教徒にとっての重要拠点に置かれている騎士団領修道院(トラヴィール教会所属として治外法権が認められている)に派遣されている者達を除けば、全ての騎士がベルヴィルにある偽りのヴールで共同生活を営んでいる。よって、EUに存在している聖ベルヴィル騎士団の信徒は騎士以外の者、すなわち従士と雇員ということになり、隣人達としても騎士団という割には普通の人達だなあといった感じを抱いていることが多い。

 これも一部前述したことであるが、聖ベルヴィル騎士団についての最もティピカルな印象といえば社会奉仕と、そして銀行だ。前者についてはいうまでもないだろう、EUの各地で聖ベルヴィル騎士団経営の病院や救貧院が見られる。ちなみにこの社会奉仕は必ずしも慈善の目的のみで行われているものではない。孤児院や災害救助には、危機的な状況に置かれながらもそれを乗り越えた人々、主の愛を感じやすく、生存能力にも長けた人々を効率的に発見し、騎士として迎え入れるためのシステムとしての側面がある。また後者についてだが、その歴史発展過程については省略するとして、とにかく聖ベルヴィル騎士団が運営する銀行は世界でも最大規模のものであり、それはEUにおいても例外ではない。その非常に低廉な金利と、長期的な視点に立った資金運用はEU経済の安定にとって欠かせないものだ。また、女神モネータとエコンの神々がEU経済を完全に掌握することに対する防波堤としての役割を果たしているという説もある。

 最後に、フクロウ派について。

 EUにおいて最も受容されているトラヴィール教の宗派といっても過言ではないが、そもそもフクロウ派自体が多くの分派の集まりであるため、例えばパンピュリア共和国におけるオンドリ派のように宗教的な一大勢力になっているというわけではない。ただし、第二次神人間大戦の際に聖ベルヴィル騎士団の同友者(騎士団の信徒ではないがその隊列に加わる者のこと)としてEUに派遣された人々のほとんどがフクロウ派信徒だったのであり、それらの人々がそのままEUに移民として定住したこともあって、EUの社会・文化の根底にはかなり強いフクロウ派の影響が見られる。EUの各地にはフクロウ派の様々な宗派が根付いており、地域的なコミュニティの基盤となっているのだ。

 フクロウ派教会建築にはオンドリ派のように芸術的価値を持つ、偉大といってもいいようなものは極めて少ない。大多数のフクロウ派分派は、真の協会は我々の内にこそあり教会建築はしょせん礼拝の場所としての建物、道具でしかなく、真聖なものでは有り得ないと考えるからだ。確かに大きな建築、技術を凝らした建築は存在しているが、そういったものは宗教的・芸術的な目的ではなく、純粋に世俗的・科学的な目的に基づいて設計されている。つまり人をより多く収容するために大きくしているだとか、音響効果をよりよくするための技術だとか、そういった目的だ。それに大多数の宗派において教会は小さく、身近で、簡潔な建物として作られている。建物さえ持っておらず、どこかのビルの一室が集会の場、祈りの場となっていることさえあるくらいだ。


 以上、これまで概観してきたように、EUではトラヴィール教会は様々な形で受容されており、その受容形態は四つの宗派ごとに、それらの宗派が持つ特徴によって決定している。しかも、それぞれの宗派が、EU独自の発展を遂げているのだ。この観点から見ていけば、オンドリ派受容におけるパンピュリア共和国との相違、聖ベルヴィル騎士団の脱聖化と共助的役割の肥大化、主の眠り戦争以来とも思えるフクロウ派の興隆など、興味を惹かれる研究テーマは枚挙にいとまがない。

 しかし最も重要なことは、EUがまだ若い国であるということだろう。第二次神人間大戦から現在まで、たった百年程度の年月しか流れていない。ということは、EUにおけるトラヴィール教会の受容、変容は未だ途上の段階にあるということだ。人間至上主義国家において、宗教はいかにして受容されていくのか。その非常に興味深い問いかけの答えを、EUでは、まさに今、その過程を実際に、しかも間近で見ることができる。

 この光景を研究していくことは宗教という現象を理解するために重要であるだけではなく、もっと根源的に、人間そのものを理解することにさえ役立つのではないだろうか。今後、トラヴィール教会とEUとの関係性の研究がより一層進むこと、そして、この文章がその進展の一助になることを切に願うものである。


 カトゥルンは、友であるトラヴィールへの最後の言葉として、こう言い残したとされている。「私は知っています。いつの日か、フェト・アザレマカシアが私の体に触れるであろうということを」。

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