進撃の怪奇戦線
黄金武者はサナへ《獅子王》を手渡すと、吉兼の体へと戻っていった。
「奥方様、これどうすっぺ」
とサナは《獅子王》をサキへ見せた。
サキはサナの腕の中で、実体と化した《獅子王》の姿に少々戸惑いながら、「……と言うことは、」と吉兼を再び見やった。
吉兼は伏したまま動く気配はなかった。
「やはり、手遅れだったか……」とサキは項垂れた。
「いや、こったらもんは、水ぶっかけりゃいいんですよ」とサナは《獅子王》をサキへ渡し、屋敷の奥へと駆けていった。
間もなく、タライを持ってサナが戻って来た。
タライの中にはナミナミに水が注がれてある。
その水面はすでにタプタプ揺れて、多少ヘリから溢れていた。
「サナ、それは、ちと手荒じゃぞ……」
サキは思わず吉兼の頭へ覆いかぶさった。
そんなサキに水はかけられぬと、サナは踏み止まったが、タライの水は波打ち、吉兼のお尻へタポンタポンと大分垂れてしまった。
「あっ……」っと声を上げ、吉兼が目を覚ました。
サキはその異変に気付き、
「サナもう良い……」と制止したが、
サナの勢いは止まらず、吉兼の尻へタライの水をみなぶち撒けてしまった。
「あーっと……」
吉兼は奇声を上げながら、立ち上がった。
「サナ、殺す気か……」
吉兼が向き直った頃には、サナは、“これはさすがにマズイ”と屋敷の奥へ逃げ込んでしまっていた。
「袴もフンドシも、ずぶ濡れではないか……」
濡れた袴が尻に張り付き、心地が悪い。吉兼は急ぎ袴を脱ごうと腰紐へ手を掛けたが、彼の着物の袖を引っ張っる者があった。
見ると、サキがそのか細い手ガッチリ掴んでいる。
「お咲さん、いかがした……」
吉兼はそう言って袖を引いたが、サキは俯き加減のまま、一向に離そうとしない。
サキは無言のまま、少しずつ吉兼の胸元まで歩み寄り、吉兼の胸へ額を強く押し当てた。
吉兼は今迄一度も見たことのない、サキのそんな姿に少々驚きながらも、彼女の震える背中へそっと手を回すのであった。
「すまなんだのう……、暗闇の中で、そなたの声が聞こえたような気がした……」
吉兼はサキに囁いた。
吉兼とサキは、着物を着替えるため吉兼の部屋へ2人寄り添って、入っていった。
2人はそれから数時間、部屋から出て来なかった。
日が少々高くなり、
サキは吉兼の襟元で火打石を打った。
「御武運を……行ってらっしゃいませ」
家内の者たちが、正門前で参列して見守る中、
吉兼は肩衣半袴いわゆる裃(登城時の略式の正装)の出で立ちで屋敷を出た。
吉兼は今迄になく晴れやかな面持ちであった。
《首切り坂》を行く一行の中には、忠兵衛や、門弟の他に、何故か高僧のような金糸の袈裟を身に纏った“凌水”吉定とその従者志村三太夫の姿もあった。
吉兼一行が刑場へ入ると、刑場内の様相は普段と一変していた。
普段、牢屋奉行や御腰物奉行が座る縁台がひな壇状に増設され幾分高くなっている。
砂場も綺麗に掃除がなされ、まるで枯山水の波紋のようなものまで見て取れた。
程なくして、
将軍家の行列が、街道側から刑場へと入った。
一方、澤田家屋敷の上空には再び黒雲が蔓延り始めていた。
女中らが不安気な顔で空を見上げた。
サキは、サナから手渡された朱筆の札を手にとり、訝しげに首を傾げるのだった。
「どうなさったんでがす」とサナはサキの顔を覗き込んだ。
「何かおかしい……サナ、阿修羅は名乗らぬまま斬られたと申したな……」
とサキより尋ねられ、
「へぇ、名乗らねぇまま斬られやんした」
サナは、サキのただならぬ形相に少々萎縮しながら答えた。
何やら外が騒がしいと、
守衛たちが、正門前へ出てみると既に往来は町の人々で埋め尽くされていた。
公方様ご到着に合わせ、往来へ出ていた人々が何やら恐れ慄き逃げ惑っていた。
屋敷内の静寂を打ち破るが如く、
薬種問屋の奉公人の伊助が駆け込んできた。
「お店に魔物が出ました」
伊助は屋敷内を駆け回り叫び続けた。
「奥方様、魔物です、魔物です」
伊助は中庭に出て、サキを呼んだ。
奥からサキや、女中たちがあらわれ、
中庭の伊助へ駆け寄った。
「伊助、それは如何なることじゃ」
とサキ。
「今朝方より大番頭の姿が見当たらず、地下倉庫を探しましたところ、骸の安置室で……、」
伊助は、庭の砂を握りしめた。
「大番頭が、事切れておったか……」
とサキは伊助の肩へ手を置いた。
「罪人の骸の如く、……八つ裂きに……」
伊助は顔をくしゃくしゃに歪めた。
「八つ裂きとな……、して魔物は何処へ参った」
女中たちが割って入る。
「次々と、刑場を目指し、進行中……現在、武装した者どもが応戦しております」
と伊助。
「次々と……」
「魔物は一軍を成しております」
サキや女中たちが正門を出ようとすると、
武装した手代衆がそれを静止した。
「結界よりこちらへ出られませぬよう」
屋敷前は瞬く間に、逃げて来た群衆で埋め尽くされた。
「辻番のお頭が、お屋敷へ逃げるようにと……」
町人たちが、屋敷の者へ訴えた。
屋敷の守衛たちは町人たちを外へ追い遣ろうとするが、
「良い、町の方々を屋敷へ迎え入れよ」
サキが声を荒げた。
サナは、《獅子王》を携え、屋敷の外へと抜け出したが、夥しい人の数で前へ進めない。
その人々の間から、肌を露わにした異様な者どもの一団が見えた。
よく見るとそれは裸の人間ではなく、骸の肉塊が人型に組み合わさった怪物であった。
怪物どもは群衆を掴んでは投げ、掴んでは投げしながら、《首切り坂》を目指し進んでいた。
「奴らの狙いは公方様だ、絶対に刑場へ行かせちゃならん」
槍を手にした紋次ら辻番連中が怪物を取り囲んだ。
サナの腕の中で、《獅子王》が輝いた。
将軍家の行列が歩いた後の往来を練り歩く肉塊の怪物たちに路傍の人々は、石をぶつけた。
「こっちとら忙しんだよ、罪人がわざわざ化けて出るんじゃないよ」
旅籠の女将はそう言い放って、手持ちの火縄銃をぶっ放した。
怪物の頭は木っ端微塵に吹き飛んだが、その肉片が寄り集まりまた新しい個体を作り上げた。
脳が露呈した頭に足と手が生え、まるで子供のように走り回っていた。
「女将さん、下がって」
サナは女将の前へ出た。
小型の怪物がサナへ向かって来た。
サナは《獅子王》を鞘から抜き、飛びかかって来る怪物を斬りすてた。
怪物の体は霞のように消え去った。
「サナちゃん……あんた女中さんだろ、
そんな技どこで覚えたんだい」
女将は目を丸くした。
「ちょっと、見合う見真似で……」
サナは、苦笑いしながら人混みの中へと消えた。
化け物行列の先頭付近では、白頭巾に白装束の澤田家手代衆が手裏剣に火薬を仕込んだ《火車剣》を多用し、決死の応戦を試みていた。
「肉塊の継ぎ目を狙え」
手代頭の号令の従い、手代たちは怪物の継接ぎを分解するように《火車剣》を放った。
怪物が火花を上げ、バラバラに崩れ落ちると、その肉塊にさらに鉄砲を撃ち込み破壊する、肉塊を細分化し、再生を防ぐわけだが、それは時間稼ぎにしかならない。
そのうち手代の1人の体へ降りかかった肉片が、衣服を食い散らかし、その肉体を蝕んだ。
「怯むな、我ら元より穢れし身体じゃ、死など恐るるに足らず」
手代頭がそう叫ぶと、白装束の手代衆が一斉に時の声を上げた。
サナが、そんな手代衆へ追いつき、《獅子王》を振り上げた。
「手代さんたち、オラがコイツらを打った斬るだ……」
サナはそう叫びながら、怪物へ飛びかかった。
つづく




