表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

首切り坂の決闘 2


薙刀(なぎなた)女中二人は、少しずつ雨戸を開いていった。


夜空には更に濃く、紫がかった黒雲が蔓延り、最後のひとつの星の輝きまでも奪った。

そして、その中では絶えず稲光が瞬いていた。


開いた雨戸と雨戸との隙間に、吉兼の姿が見えた。


「どうじゃ、おサナ……」

と弓蔓を一杯に引いたサキはささやいた。

「気持ち一寸、左さ……」

とサナ。

サキは一寸左へ弓を動かす。


「どうじゃ」

とサキ。


「そこだす……いつでも……」

とサナ。


偽吉兼は、サキの部屋のほうを向いた。

また稲光りが瞬き、その瞳は赤く光るのがわかった。

「お咲……そこにおったのか……、隠れても私には、分かるぞ白檀の薫りじゃ、お咲や」

魔物は、吉兼の声で言った。

優しい夫の声に、

サキの手もとが震え、

その目は涙で霞んだ。


「奥方様、惑わされちゃなんねぇだ……よく見るんだす……ありゃ旦那さんじゃね」

と耳元で囁くサナ。


「雨戸をもっと開きやれ……」とサキが呟くと、薙刀女中二人は雨戸を開け放った。

「奥方様」とサナ。

サキはそれを合図に光の矢を放った。

矢は真っ直ぐ、偽吉兼の左肩を射抜いた。

偽吉兼の動きが止まった。

サキはすぐさま二矢目を射掛けた。

ニ矢目は額を貫通、三矢目を弓蔓へかけたところで、偽吉兼は再び動き始めた。

「効かなぇよ……奥方様」とサナは絶望の色を隠しきれない。


偽吉兼は庭の結界を踏み越えて、遂に屋敷内へ足を踏み入れた。

「お咲、夫が帰ってきたのだぞ、何故(なにゆえ)、我に抗うのじゃ」

と囁く、偽吉兼の体は家内のさらなる暗闇に触れ、

人体からはみ出した残り四本の腕が影となり浮かび出た。

サキが三度(みたび)矢を放ち、

魑魅魍魎(ちみもうりょう)(まと)いし、阿修羅よ、名を名乗れ」

と、サキが叫ぶと、戸の影より女中らが薙刀を魔物へ差し向けた。

「名乗れ……阿修羅……」

女中たちも声を揃える。


「阿修羅とは異な事を申すのう、お咲……、主人に向かって」


そう言って魔物は、行く手を阻む薙刀に触れた。

女中たちの薙刀は、青き炎を上げて燃え盛った。


阿修羅の肩から生えた腕が、燃え盛っる薙刀ごと女中たちを持ち上げ、外へ放り投げた。


「貴様は、主人ではない、阿修羅じゃ……名を名乗れ……」

と叫ぶサキを、阿修羅は嘲笑った。

「名乗れ……」サキは一貫してそう叫び、弓を持ち上げ、阿修羅の鳩尾(きゅうび)を突いた。

阿修羅は動ずること無く、源頼次が(ぬえ)を射たという弓を容易くへし折った。

「サナ、《護符》を」

サキが言い放つと、サナは文机の上の《護符》を阿修羅へ放った。

《護符》は吸い寄せられるように、阿修羅の身に悉く貼りついた。

阿修羅は両手に青白い鬼火を焚くが、

体中に張り付いた《護符》火は灯らなかった。

それでも阿修羅は歩みを止める事なく、鬼火を灯したその手で、サキの着物の両襟を取り、持ち上げた。

サキの体は青い炎に包まれた。


サナは咄嵯に香炉を手に取り、白檀(ビャクダン)の灰を阿修羅へ投げつけた。

「なにするだー、奥様を離せー、」

サナは叫びながら手当り次第に投げつけた。

阿修羅は灰に少々目をやられたが、ひるむ事なく左側の2本の腕でサナの首根っこと体を掴み上げ、壁へ投げつけた。

「サナ……」サキの叫びも虚しく、壁に頭を打ったサナは、床へ落ち、伏したまま動かなくなった。

サキは青い炎に包まれながら、魂を焼かれぬよう祈り続けた。


阿修羅の背後の中庭では、白頭巾をかぶった手代衆9名が隊列を組み、吹き矢、火縄銃や長手槍を構えていた。



「いかんぞ、吉兼の体を傷つければ、魂の器がのうなる」

中庭の隅で、吉定が、手代衆たちへ呼びかけた。

「奥方様のお身体に鬼火が……」と手代。

「鬼火は恐れさえせねば、焼かれることはない……サキならば大丈夫じゃ……」

と吉定。


「御隠居様、吉兼様は、既にこの世にはおられませぬ、我らは、奥様のお命をお助けするのみ」


手代のひとりが、吉定を振り返り叫ぶ。


「志村、こりゃいかんともしがたき事態じゃぞ、敵は強大じゃ……吉兼を呼び戻すぞ……」

そう言って吉定は、再び数珠を取り経を唱え始めた。

それを見た志村三太夫は、マニ車を取り出し、回し始めた。


「ワシの狙いは、そもそも、咲お前じゃ、霊力と呪術に長けたお前に阿修羅の子を産ませる、抗わず付き従え、互いに悪い話ではあるまい……」


そう不敵に笑う阿修羅の顔へ、サキは唾を吐きかけた。


「このアマ……、」

阿修羅は声を荒げ、サキの着物の襟を開いた。

サキは両肩が露わとなったまま、目を閉じ手元で印を結び、切紙九字護身法きりかみくじごしんぼうの呪文を唱え続けた。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前、、臨、兵、闘、者……」


すると、サキの体を包んでいた鬼火は吹き消え、阿修羅の体の至るところへ貼りついた《護符》の文字が光り始めた。

「熱い、熱い」

と喚きながら、阿修羅はサキから手を離し、部屋を出て、中庭へと降りた。

空かさず、白装束の手代衆が、阿修羅へ次々と吹き矢を放った。

体に吹き矢を受けた阿修羅は崩れ落ち、白砂の地面へと突っ伏した。


「ごく微量のトリカブトを塗った矢でありますゆえ、死には到らず、麻痺させ申した」

手代のひとりが、誇らしげに吉定へ報告した。

「うむ、でかした」

と吉定は褒めた。

が、しかし、突如、中庭に小型の竜巻が起こり、

そこいら中に貼られた《護符》を吹き剥がしてしまった。


「まだじゃ、奴は己の名を申しておらぬ、夫の体内から抜け出したのみ」

サキが室内から這い出して、叫んだ。

そして、《獅子王》を中庭へと放り投げた。

白装束の手代衆は竜巻に舞いあげられ、

屋敷の外まで吹き飛ばされてしまった。


《獅子王》も竜巻に舞い上がると、

闇の中で、眩く光り、その姿を消した。


その途端、竜巻は止んだ。


その間に、辻番連中は手分けして、屋敷の外まで飛ばされた手代たちの身柄を全員回収し、怪我人を家内へと運び入れていた。

「まだ次があるとよ、早く全員を屋敷の中へ入れろ……急げよ」

経を読んだまま動かなくなった御隠居を小脇に抱えながら、紋次が叫ぶ。


戻って来た澤田家門弟たちが、気を失ったままの忠兵衛や、マニ車を回し続ける志村三太夫を背負って、屋敷内へ急いだ。


一方、サキは部屋の中で、伏したままのサナを抱き起こしていた。

「サナ、サナ起きなさい、サナ……」


サナは「うん、うん……」と唸りながら、目を覚ました。

「死んだ、おっとーがいただ……」

とサナは、呟いてから咳込んだ。

体中が白檀の灰だらけである。

「サナ、お庭をご覧……」


サキとサナは、部屋の戸口まで這い出て、ともに庭を見渡した。


「《獅子王》が消えたのじゃ、何処にあるか見えるか……」

とサキが尋ねると、

「甲冑を身につけた、お侍さんが……持っておらっしゃる……」

と、サナは答えた。

「その、お侍とは誰じゃ……」

と、サキ。

サナは目を凝らした。

「体中が金色(こんじき)に光っとらしゃって、よう見えんです……化け物へ立ち向かっておられやす」

サナは、庭の白砂の上を見つめ続けた。


サキは、そんなサナの言葉を受けてすぐに立ち上がった。

ひっくり返った文机を元へ戻し、

床へ転がった硯と筆を執って、何やら呪文を唱えながら、黄紙(おうし)に朱液で筆を走らせ始めた。


サナが目を凝らす視線の先では、阿修羅が不敵に笑みを浮かべていた。


「まさか、あの地獄の淵から戻って来ようとは……」

そう言う、阿修羅はもう既に、人の姿をしていなかった。

口は耳まで裂け、牙が溢れている。

髪は赤く炎のように燃えあがり、逆立っていた。

筋肉隆隆の身体には三対六本の太い腕。

腰巻を一枚回した下半身に生えた脚は、樹齢を帯びた大樹の如く、しっかりと大地を踏みつけていた。


相対する黄金の武者と言えば、阿修羅の3分の1にも満たない大きさで、その体には古式ゆかしい平安時代の源氏の鎧を身に纏っていた。


「思えば、最初に逢うた夜に、貴様を切り捨てておけば良かったのう……」

と黄金の武者。


「そうじゃ、しかしお前にそれは出来なんだ、うらなりの侍モドキ、魔物と人との区別もつかず“金子を弾むだ”だの、“欲しいだけくれてやる”だのと、ならば、そっくり“家”ごと頂こうではないかと言うのだ“奥方”も一緒にな、そちが望んだのだ、このように穢れた家など要らぬのであろう……」

と、阿修羅は笑った。


「……さにあらず、拙者が一族の穢れを断ち切る」

黄金の武者は《獅子王》を阿修羅へ差し向けた。


「抗うと申すのか、このワシに……」

阿修羅はそう言うと腕を3本まとめて振り下ろした。


書院造の離れ家では、辻番連中が中庭を見守っていた。

「どうだ、誰か何ぞ見えるか」

そう紋次が尋ねると、

辻番連中も澤田家門弟たちも皆一様に首を横に振った。

忠兵衛や、白頭巾の手代たちなど、手負いの者は皆、布団に寝かしつけられていた。

弟子のひとりが、眠ったままの忠兵衛たちを眺めて、また中庭の方を見た。

庭の白砂の上のには、体中にお札を貼られて、うつ伏せに倒れているこの屋敷の主人の姿があった。

その吉兼は何処からどう見ても異様な風態の死骸にしか見えない。


「あれ、先生のご遺体を拾いに行った方がよろしくありませんか……」


と、そう門弟が口走ると、


「ならん……」と、吉定が、経を止めて声を荒げた。


「かの者は、死んではおらぬ、阿修羅も然り、体の中とも外ともつかぬところで、相対しておる、今まさに闘っておるのじゃ……、」

と、それだけ言うと吉定はまた目を閉じたまま、

「なーむ、なーむ」と経を唱え始めた。


その横で志村三太夫は、延々とマニ車を回し続けていた。


「お(かしら)、あの2人は、さっきから一体何をやってんすか……」と、辻番のひとりが、吉定たちを見ながら、紋次へ尋ねた。


「お前、そう言うことオイラに聞くんじゃねーよ」

と紋次は、その部下の頭を小突いた。


そに時、

何の前触れもなく、庭に面した土塀の一部が轟音と共に崩れ落ちた。



「奥様、見てくなんしょ、あったらでっけーバケモンば、あの金色のお侍さん、投げとばしやした……」

サキの部屋の中で、

サナが手を叩いて大喜びした。


「うん、じゃがな、おサナ、呼んでくれても、わたくしには阿修羅の影ぐらいしか見えぬのじゃ」

とサキが答えるが……、


「おお、奥様、あのお方は、お強いです……、ほらご覧くだせ……うわ、バケモンの腕ば斬り落としなすった……」

とサナは全く聞いていない。


「危うくなったら教えて下さい……」

とサキ。


黄金の武者は尋常ではない高さまで飛び上がると、阿修羅の振り上げた腕を斬り落とした。


「腕を振るしか能のない、木偶の坊であったか、拙者のとんだ見込み違いであったのう」

と黄金の武者は軽やかに着地し、《獅子王》を構えたまま、笑った。


「何を言うか、猪口才な……、幽体で魔物に勝とうなんぞ100万年早いわ……貴様は、その太刀を手放せば暗黒の世界へまた引きずり込まれるのだ」

そう言うと阿修羅の斬り落とされた腕が、斬り口から生え、元どおりになった。

「幽体では妖力の強き者が勝つ、人間のお前は、決してワシに勝てぬ」


そう豪語する阿修羅の、六本全ての手に青龍刀らしき剣が握られた。


「ほほう……」

6本の腕を巧みに操り、剣の舞に興ずる阿修羅を、黄金武者は興味深げに眺めた。


その青龍刀らしき剣は、次々と振り下ろされた。

黄金武者は高く飛び上がると、一振りずつ剣を交わした。

彼は剣の上をまるで階段のように駆け上がると、

阿修羅の分厚い肩の上まで登り詰めた。


「ひとつ尋ね忘れておったが、貴公の名は何と申す……」


黄金の武者は阿修羅の耳元へ詰め寄って《獅子王》を突き立てた。


「忌み名を知れば魔力を封じられる申すは、呪術者の迷信ぞ……」と阿修羅。


「迷信と申すならば、鬼も阿修羅も迷信じゃ……貴様らは人の心の中にこそおる」

と、黄金武者は《獅子王》を振り上げた。


「このワシも、己自身が生み出した幻覚と申すか、馬鹿な……」


阿修羅は高笑った。


「然にあれども、あらずとも、我、百鬼夜行を成敗するのみ……」

黄金武者の振り上げた《獅子王》は天よりのイナズマを受け赤く赫いた。


「天意は示された、名を名乗り魔界へ封じ召されるか、それとも永遠の死を望むか……そなたの辞世の句を聞いて進ぜよう」

黄金武者は《獅子王》を阿修羅の首へ突き立てた。

「さあ、申せ……」


「貴様に聞かせる名などない」

阿修羅はそう言って目を閉じた。


振り下ろされた《獅子王》は阿修羅の首を一刀のもとに斬って捨てた。


首は地上へ落下し、阿修羅の体は霞となって消えた。


「お侍さん、バケモンの首を斬り落としやした」

サナは喜び勇んで、サキの肩へ抱きついた。


「おサナ、これを阿修羅の首へ貼っておくれ、お前ならばきっと出来る」

サキは、朱液で書かれた《護符》をサナへ手渡した。


サナは庭へと降りたち、阿修羅の首へ恐る恐る近づいた。


「恐るるに、足らんぞサナ……」

黄金武者が阿修羅の首へ駆け上がり、

《獅子王》でザクザク頭を突き刺して、“ガハハハ”と得意気に大笑いした。

「どうじゃサナ、もうコヤツ、死んでおる」


「もしかして、旦那さんでやんすか」

サナは、阿修羅の頭の上の黄金武者へ叫んだ。

「さようじゃ、」

と黄金武者は“えっへん”と胸を張った。


「そったらとこで遊んでねぇで、さっさと体さ戻ってやんねぇば、奥様ずっと心配してらっしゃるんだよ……馬鹿たれ」

とサナは、黄金武者を怒鳴りつけた。


サナが阿修羅の額へ《護符》を貼り付けると、間もなく首は霞のようになって消えていった。


一方、人待ち顔のサキは突っ伏したままの吉兼の傍らで、佇んでいた。


黄金武者は、吉兼の体の前で何やらサキの顔を見つめていた。


「まだ、戻ろうか迷ってんだか」

とサナは黄金武者へ話掛けた。


「我が妻の困り果てた顔が、あまりに美しゅうてな、見惚れておるのだ、実体となってからでは、嫌がられるでな……」


と黄金武者はデレデレと顔を赤らめた。


「早ぇく戻れって……」とサナは呆れた。


空には、黒雲が去り、

夜が明けの兆しがあった。


澤田朔左衛門家屋敷向かいの、辻を隔ててた薬種問屋。

どう言う訳かこの店には、結界が施されてはいなかった。


その薬種問屋の地下倉庫には、各種薬の原料なる罪人の遺体の部位が、安置されていた。


地下の深い闇の中から風の音とも、

唸り声ともつかない低く薄気味の悪い音が響いていた。それは夜が明けようとも一向に鳴り止む気配はなかった。



つづく



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ