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化け物先生



幽体となった澤田朔左衛門吉兼(さわださくさえもんよしかね)は、蔵の納戸の中に居たはずなのだが、気がつくと四方が闇に取り包まれて、視界は失われていた。


夜であれば、月明かりぐらいありそうなものだが、明かりらしきものは何も見えない。

宿場の活気や、長屋の子らの鳴き声、犬の遠吠え、我が家中の者の働き回る物音もしない。サナの呼び声。

家々から立ち昇る夕餉の薫り、女子(おなご)白粉(おしろい)の薫り、庭の花の薫り、

(サキ)の部屋から、着物から漂う白檀(ビャクダン)の薫り。

普段何気なく、そばにありながら、過ぎさってゆくだけのもの。

それらは、吉兼が最も愛おしむべきものであった。

それらが、全て失われたと感じた時、

これが死なのだ。と吉兼は悟った。


吉兼は膝を抱えた。

死を悟り思うものは、あのオドロオドロしき(しかばね)の山ではなく、この世でもっとも美しいものだ。

祝言の折に見た、白無垢のお(サキ)の姿だ。

「ろくに話もせなんだが……きっと嫌われておろうが、また、一目だけでも会いたい」

そう声なき声が呟いた時、

闇の中に、小さな光虫のようなものが飛びきて、手のあたりにとまった。

近くでそれをよくよく見てみると小さな源氏蛍であった。

「母上……」

労咳(ろうがい)で亡くなった母とは、幼い頃、母がまだ存命のうちに、早々に引き離された。

最後に会った時、母は「必ず、また逢える」と吉兼に告げた。

「寂しくなったら蛍に逢いにゆくと良い」

「あれは、母の言葉であったのか」と、この期に及んで、母との最後の会話が鮮明に蘇った。

源氏蛍は何か語りかけるように、光をゆっくりと点滅させ、光色を変えた。

「母上……」


その源氏蛍の辺りから、仄かに白檀の薫りが漂って来た。

それは、吉兼の脳髄を震わせた。

彼は思わず立ち上がり、叫んだ。

「お(サキ)さん……」

間も無く、

「これが《獅子王》……」との声が、微かに聞こえた。

それは、サキの声であった。

吉兼の足下に、

太陽の如く、眩い白金の輝きを発する剣が現れた。

一瞬ではあるが、白い手のようなものが動いた気がした。


「これらを以って……」

サキの声はよく聞こえなかったが、吉兼は、サキが自分へ語りかけてくれている、そう思えることが嬉しかった。


だが、間も無く、その輝く剣は移動をはじめた。

吉兼はそれを追おうとしたが、思うように歩けない。

源氏蛍は、導くように先を飛ぶが、

黒くドロドロの汚泥のようなものが、重く足へまとわりついた。

みるみるうちに身体が闇に包まれた。

吉兼は、「このままだと飲み込まれる」と手を伸ばしたが、とりつく場所すらない。

その時である。

誰かが、吉兼の手を取った。

屈強なその大きな手は、汚泥の中から吉兼の身体を、まるで畑の大根のように引き抜いた。

「オレの背中さ乗ってくだせぇ」

男性の低い声が闇の中から響いた。

吉兼は訳も分からず、男性の背中らしきものに必死でしがみついた。

「どなたか、存じませんが(かたじけな)い」

と吉兼が言うと、

男性は、笑っているように肩を震わせた。


(かたじけな)ねぇなんて旦那、こっちゃの方が忝ねぇんでがす……」


「そりゃ、またどうして」


「うちの娘っこが、いつもご迷惑ばっかけまして…」


「娘⁈」


(かたじけ)ねぇついでに、どうか、

《さなっ子》ば守ってやってくなんしょ……おねげぇします」


男性は、吉兼を輝く剣の置かれた場所まで連れて来ると、

「その太刀の側に、奥様がいらっしゃるで、太刀から手ば離されんようにな……へば……」と言って、サナの父を名乗った男性は、消えたようだった。



一方、同じ頃。


辻番頭の紋次の姿が岡場所にあった。

「なんだい、親分さん……ご無沙汰じゃないか」

客を送りに店から出て来た娼館の女将おカツが、紋次へ声をかけた。

「もう、親分じゃねぇよ妙な呼び声たてんな」

紋次は咄嗟におカツの口を塞いだ。

「なんだい、随分手荒いんだね」


「すまねぇ……、さっき、出てお行きんさったお侍のご一行だがな……」

と紋次が言いかけると、

おカツの顔色が豹変した。

「なんだい、もう岡っ引きじゃないんだろう……、探り入れてんじゃないよ」

そう言い放つと、おカツはさっさと店の中へ戻ってしまった。


紋次は暖簾(のれん)の隙間から店の中の様子を伺った。

若い遊女が、おカツに抱き締められ泣いている。

「なんだい、ひどいことするわね、大丈夫かい」


おカツは頻りに遊女の首の辺りを気にしていた。

「キズもんなっちまうわよ……ったく」


どうやら、あの客に首を強く絞められたらしかった。


紋次は辻番所まで急ぎ戻り、腕っぷしの強そうな連中を集め、宿場町一帯を捜索する様に命じた。

「辻斬りの下手人(げしゅにん)は、恐らく澤田朔左衛門吉兼》に相違ない」


紋次は、夜な夜な夜回りの最中(さなか)

刑場前の辻に出された獄門台へ足を運んでいた。

夜間、首守りに従事する非人たちに話を聞くためだ。

非人たちは、一晩中寝ずの首守りに、相当ヒマを持て余していた様子で、数日とかからず、2日前の河原で起きた辻斬り事件の様子を話してくれた。

吉兼に似ていたが別人と言う者もあれば、吉兼本人に相違ないと言う者もあった。


紋次は、その日の昼間、刑場で罪人の首を迷うことなく一刀両断した吉兼の変貌ぶりを見て確信を得た。


「能ある鷹は爪を隠す」

変貌したのではなく、町中の者に弱気を装っていたのだ。

内に秘めたる狂気が、留まるところを知らず膨れ上がり、樽おけの水の揺蕩(たゆた)う如くに、外へ漏れはじまた。


辻番頭紋次の鋭い眼光は、首切り坂下の澤田朔左衛門屋敷へと向けられた。



偽の澤田朔左衛門一行は、酒に火照った身体を河原で冷ましていた。


頭から水を浴び、「ひーっ」と奇声を上げた忠兵衛の背後から、

「非人どもは、と……」と吉兼の声がした。


「さぁーね、非人どもはがどうしやした」

忠兵衛は月代を掻きながら立ち上がって、辺りを見回した。


「もう我慢ならん、忠兵衛、二、三人ここへ連れて参れ、あのような輩には思い知らせてやらねばならん……」

吉兼は、鼻息荒く目を白黒させていた。


忠兵衛は“このお方は何を申しておられるのだ”と目を丸くした。

彼の脳裏に先日、刑場前で吉兼から非人への態度を諭された場面が浮かんだ。

「非人と言えども……敬意を払え」

目の前で刀に手をかけ武者震いする、吉兼を見て、“まるで、別人じゃ”と忠兵衛は思った。

「ここいらの非人どもとは、刑場にて面識もございります、先生どうかお気をお鎮め下さい」

忠兵衛がそう言うと、吉兼は直ぐさま刀を抜き忠兵衛の喉元へ突き立てた。

「師匠の言うことが聞けぬのか……」

と、不敵に笑う吉兼に、

「我が師匠は、酒に酔うたぐらいで、非人を斬ってやろうと言う御人ではなかった、師匠の乱心を諌めるも弟子の務めでございます」

忠兵衛は、その場でひざまづいた。


「ほほう、己の身を賭して師匠を諌めようと申すか……」


吉兼は刀のみねで、ペチペチと忠兵衛の頬を叩いた。他の弟子たちはそれを手をこまねいてを見ていた。


「私は師匠を信じておる、弟子に刃を向けられるお方ではない、誰に対してもお優しく罪人にも情けをお掛けになる故に、……斬れぬ、斬ることが出来ぬお方なのじゃ、私をお斬りになるなら、あなた様はもはや私の知る師匠ではない」

刀を突き立てられたまま、忠兵衛はそう言って、目を閉じた。


けたたましい虫の音が河原中に響きわたっていた。

草むらの中、相対する吉兼と忠兵衛。


それを少し遠くから眺める視線があった。


「何をされてるんで」

と、夜を切り裂くような大声が、虫の音までも一瞬黙らせた。


「楽しそうですな、首切りのお稽古ですかな」

暗がりから現れたのは、弓張り提灯を携えた紋次だった。

彼の配下の辻番連中も、次々と物陰から姿を現した。


「何奴じゃ」

と吉兼は、向き直ると改めて刀を構えた。


「お忘れですかな若様、紋次ですよ、旅籠座の辻番頭の……紋次ですよ」

紋次は、そう言って提灯を吉兼の顔へ向けた。

「知らぬ……」と言って、吉兼はその提灯を刀で叩き落とした。



忠兵衛が隙を突き、吉兼を羽交締めにし、

「誰か、早よう、刀を取れ……早よう」

と他の者たちへ呼びかけた。

先んじて吉兼の手から、刀を取り上げたのは紋次だった。


すると吉兼の首が180度旋回し、忠兵衛の顔を見て笑った。

そして、肩からもう一対の手が生えて忠兵衛の首を締めた。


「この化け物」と忠兵衛は叫んだが、すぐにその声は力づくで潰された。

「引き離せぇ」

紋次の号令で辻番連中や弟子たち総勢10名余りが、吉兼の異様な肉体へ取りついたが、ことごとくはね退けられてしまった。

薄れゆく意識の中で、

忠兵衛は、夕刻、澤田家屋敷を出る時分に奥方のサキから持たされた《護符》のことを思い出した。

「これを懐に忍ばせておきなさい」

サキの美しい顔が浮かんだ。

( 私もお咲様のようにお美しい女子(おなご)夫婦(めおと)になるまでは死ねん )

忠兵衛の貪欲な思いと共に懐の《護符》の文字が浮かび出た。


化け物となった吉兼は、《護符》の文字を見た途端に血相をかえた。

忠兵衛から手を離し、紋次をはじめ立ちはだかる人々を、4本の腕で押しのけて、夜のとばりの中へと姿を消していった。


「何なんじゃありゃ、おい、……みんな無事か、」

紋次が持ち前の大声で呼びかけた。


「はい、辻番はみな無事です」

辻番のひとりが手を挙げた。


「忠兵衛さん、忠兵衛さん……」

草むらの中で仰向けに倒れたまま動かない忠兵衛を囲んで、澤田門下の弟子たちが叫んでいた。


「おい、お侍のお先生方、そんなとこで泣いてる暇ぁねえぜ、あの化け物先生、

《首斬り坂》の方へ走って行きやがった……オイラたちゃ、後を追うぞ」

紋次はそう叫ぶと、

辻番連中とともに《首斬り坂》目掛けて走り出した。


「なぜ……先生が、あのようなお姿に…罪人どもの呪いであろうか……」

と弟子たちが落胆し、顔を見合わせて居ると、

「……、奥方様をお守りしろ……」

と忠兵衛の細く嗄れた声が聞こえた。


弟子たちは奮起して立ち上がると、忠兵衛を背負い上げた1人を残し、《首斬り坂》へ向かった辻番連中の後を追った。



つづく




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