“うらなり侍”汚名返上
翌朝から、辻斬り男が吉兼に成り代わり
刑場へ赴いた。
一方で、吉兼は、辻斬り男と成り代わり、蔵の二階に身を潜めた。
「旦那さん、大丈夫だか……」
と時々、サナがお膳を持って、様子を見に来た。
「これ、おサナ、お膳など持って来ぬでも良いと申すに、怪しまれるであろう、握り飯でよい」
と吉兼が言うと、
「旦那さんさ、粗末な食事はさせられねぇだ」
サナの頑な態度に根負けし、
吉兼は、少々困った顔で、お膳へ手を伸ばした。
器をとり、箸を取り、
好物の里芋を箸で摘もうとしたが、里芋はコロコロと床へ転がり落ちてしまった。
「あれあれ……」とサナは、腹を抱えて笑ったが、
吉兼の顔に笑顔がなかった。
どうしたことか、手にうまく力が入らない。
吉兼は、
また里芋を取ろうとするが、
また床へ転がってしまった。
昨日まで考えもせず普通に出来ていたことが、できなくなっている。
「いいよ、オラが食わしてやるじゃ」
サナが見兼ねて、吉兼から箸を取り上げて、料理を口へ運んでやった。
吉兼は、サナの笑顔に多少救われたが、
心の中に巣くい始めた不安を、払拭出来ずにいた
晴天の下、
刑場では、
獄門刑の処刑執行が執り行なわれようとしていた。
白装束で茣蓙の上へ座す罪人が、辞世の句を読み上げると、座したまま深々と頭を垂れた。
本日は、
澤田朔左衛門吉兼が剣を握ると、何処からか聞きつけた群衆が、柵の向こうで固唾を飲んで見守っていた。
吉兼は、刀を高く振り上げると、ひれ伏す罪人の首もと目掛け、それを一気に振り下ろした。
血しぶきが乱れ飛ぶことも無く、
首だけが桶の中へゴロンと落ちた。
その見事な太刀捌きに、見物人からおぉーっと歓声が上がった。
その群衆の中に、何時ぞやの辻番頭の紋次の姿もあった。
「あの、若様……てぇした腕じゃねぇか」
紋次とその配下の者どもは、吉兼のいつになく毅然とした立ち居振舞いに惚れ惚れとした。
次にお試し斬りの段になって、
立ち会っていた御腰物奉行の配下の組頭や同心たちが、この度、長尾藩から幕府へ献上された刀を数振りを忠兵衛へ手渡した。
忠兵衛は、いつもの調子で、
「では、参ります」
と刀を抜こうとすると、澤田朔左衛門吉兼が止めた。
「拙者から参りとう御座る」
と吉兼は、居合わせた牢屋奉行と御腰物奉行へ申し出た。
「嗚呼、それはもう、そうした方がよい、くるしゅうない」
と御腰物奉行がそう言うと、牢屋奉行も異存なく頷いた。
「でぇい……」
と威勢の良い掛け声と共に、罪人の胴体が真っ二つに切り裂かれると、
柵の外から群衆の歓声が上がった。
忠兵衛はまるで調子が狂ったようで、中々思うように切れず、
「太刀筋が乱れておる」と逆に吉兼から叱咤される始末。
忠兵衛は呆然とし、他の弟子たちと顔を見合わせた。
吉兼の勇姿は、忽ち評判となり「うらなり侍、汚名返上」の知らせが宿場内を駆け巡った。
偽吉兼たち一行が屋敷へ戻る頃には、その知らせは澤田家家中の者の耳にも届いていた。
「“うらなり侍”じゃと、巷ではそのように呼ばれておったのか……」
吉兼は、サナから伝え聞き、蔵の中で独り憤慨したが、反面自らが描いた策謀通りになったと安堵した。
そのうち、屋敷内へ偽吉兼が姿を見せた。
サキとサナたち女中は、いつものように吉兼一行を出迎えた。
偽吉兼は、顔を上げたサキの美しさに見惚れた。
サキは“うらなり侍”の話題などどこ吹く風で、いつものように、お供の者たちの体を塩で清めた。
次に吉兼の番という段になって、サキは動きを止めた。
「これはどう言うことじゃ」
サキの目には、吉兼の体半分を覆う黒い影が見えていた。
サキは、その黒い影へ、やたらめったら塩を振りかけたが、影が薄れる気配はない。
「は、まさか……」と呟いて、サキは蔵の二階の格子窓を見た。
その様子を蔵の中から眺めていた吉兼は、サキと目が合ったと思い、咄嗟に身を隠した。
「誰か、蔵を見て参れ」
とサキが声を荒げると、女中たちが蔵を目指して駆け寄った。
「何も御座いません」
と、サナが蔵の戸口へ立ちはだかったが、敢え無く女中たちに取り除かれた。
女中の1人が、蔵へ入って隅々まで改めた。
サナは、その様子を見るに耐えず両手で、目を覆った。
しばらくして、その女中が息を切らせて蔵の中から戻って来た。
「何も御座いません」
と、その女中が言うと、
「いま一度……」とサキが毅然として言い放った。
サナは己が目で確かめようと、蔵へ入ろうとしたが、他の女中たちに押し除けられてしまった。
別の女中が数人連れだって、蔵の中を改めたが、やはり怪しいものは見当たらなかった。
サキは、困惑の度を隠しきれぬサナに、何も声を掛けず静観した。
「如何した……」と尋ねる吉兼を、サキは汚い物でも見るように蔑視し、
「皆、総出でこの者の体を清めよ」
と女中たちへ、声を掛けて奥へ引っ込んでしまった。
サナは、何が起こったのか訳が解らず、蔵の中へ駆け込んだ。
階段を駆け上がり、二階の納戸へ足を踏み入れると、そこに居たはずの吉兼の姿がない。
「旦那さん、旦那さん、隠れとらんで出て来ておくれ……旦那さん」
サナの悲痛な叫びが、
蔵の外まで響いていた。
つづく