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大団円


店へ戻って来た大番頭と伊助は、

近所の御神木の見張りから呼び戻された白装束手代らによって、出会い頭に取り押さえられた。


「なんだ、おまえたちは無礼な」

当初、大番頭は強気な態度をとったが地下へと続く階段へ押し込められると、

説明されずとも状況を呑み込んだようだった。


地下倉庫内の、廊下の壁の燭台には軒並み火が灯され、倉庫内はぼんやりと明るくなっていた。

手代たちに追い立てられながら、大番頭と伊助は廊下を歩かされた。

そして、突き当たりの隠し部屋の中に、吉兼とサキの姿を見た時、

大番頭は涙ながらに、自ら跪くのだった。


「どうかお許し下さいませ」

と床へ額を擦り付ける大番頭。


「これは如何なることか…………」とサキ、

「魔法陣によって、魔物を召喚したのは何故か」


大番頭は唯々ひれ伏し、

「お許し下され」と言うばかりだった。


「伊助に関わることか」

と吉兼が、大番頭を気遣う伊助を見ながら尋ねると、大番頭は意味あり気に黙り込んだ。


「俄かには信じて貰えぬかも知れぬが、我らは、3日後の朝方、大番頭が魔物どもに八つ裂きにされ無惨に亡くなる事をよく存じておる、いったいそなたは、魔物どもとどのような契約を結んだのだ?」

と吉兼はしゃがみ込んで、大番頭へ詰め寄った。


大番頭はさして驚きも悪びれもせずに言った。

「私が死ぬと言う事は、契約は達成されなかったのでございます、伊助と家族が助かったのならば、私の命など容易いものでございます」



「大番頭が、わたくしどもに提出した伊助の経歴は全くのでたらめ……だったのですね、伊助は大番頭の息子さん……なのでしょう、そうして並んでいらっしゃると、どことのう似ていらっしゃる」と、サキ。


「伊助は、私の息子で御座います、十年前に亡くなりました、私の家族も皆亡くなり……、私はこの十年孤独に耐え生きて参りました、しかし、西洋魔術では悪魔と契約すればどんな願いでも叶えてくれると聞き、私はお嬢様への長崎土産と言う口実で、高価な魔術書をオランダ人から購入し……、」


大番頭は震えながら、言葉に詰まった。


「家族を全員蘇らせたのですね」

とサキが言うと、


「最初は、本当にそのような事が出来るとは思わなかった、しかし罪人どもの血肉を捧げると、それと引き換えに魔物は家族を1人また1人と蘇らせてくれました……恐ろしいことで御座います、私は家族のためならばどんな犠牲も厭いませなんだ……しかし、魔物はそんな私の心につけ込み、家族を消されたくなくば、罪人の穢らわしき血肉や魂ではなく、お嬢様を純粋な魂を差し出すよう要求して参りました」


大番頭のその言葉を聞いた吉兼は、サキの顔を見た。

サキは取り乱すことなく吉兼を見て頷いた。

「マダの狙いは、最初から、わたくしでした」


「して、その要求をのんだのか?」

と吉兼は、声を荒げた。


「いいえ、そのような事は致しません……ですが代案として………旦那様のお命を……」

と大番頭は呟いた。


「私の命とな?」

と吉兼は唖然とした。


「……、最初は“いらぬ”と言われたのですが、魔物に“旦那様と入れ代わればお嬢様のお傍で人生を共に過ごし、お嬢様が天寿を全うされた暁には……」

と言う大番頭の言葉に、


「何を勝手な……」と今度はサキが声を荒げた。

「天の掟に逆らう事がどれだけ多くの災いを招くこととなるか、考えはしなかったのですか」

サキの叱責に、

大番頭は、唯々ひれ伏し、

「申し訳ございません、申し訳ございません」と繰り返した。



サキと吉兼は、

それでも、大番頭が住まいとしていた、

店の二階へ伊助や家族を共に住まわせることにして、その日のうちに支度させた。

更にその日は護衛の者を付け、店の者たちにも“大番頭からは目を離さぬように”と申し渡した。

しかし、次第に人から人へ情報は漏れ、店の者の冷ややかな視線が、大番頭や伊助に注がれることと相成った。

大番頭は夜を待たずに、便所で首を吊り自殺した。



そして、丑三時。


それは、それは、

うららかな春の夜であった。

穏やかな川面に揺れる下弦の月。

万人が美しいと口を揃えるであろうその月を、川縁を歩く吉兼は、万感の思いで見上げていた。


弓張り提灯を携えた辻番連中とすれ違い様、吉兼は先頭を歩く中年の大男へ声をかけた。


「紋次、ちと頼みが御座る」


「はて、澤田朔左衛門様のところの若様じゃないありやせんかい、あっしの名をご存知で……」

と紋次。


「この町で、紋次の名を知らぬ者はおらん……して、頼みと申すのはな、そちら辻番連中を我が澤田家で召し抱えたいのだ、よいか、給金は今の倍出す」


吉兼がそう言うと、


「“首斬り坂”の配下ですかい、そらちょっと考えさしてもらいてぇですな……」


と紋次は苦い顔で笑った。

辻番連中は、それぞれ吉兼へお辞儀して去って行った。



吉兼は、紋次たちの後ろ姿を見送ることなく、突然、川縁を走り出した。


そして、今まさに辻斬りに斬りかかられんとする非人の前へと踊り出た。


「あいや、待たれ……」と雄叫びを上げた吉兼は、非人を間合いの外へ押しやった。

「早う逃げよ……」


「すまねぇ旦那……」非人は一目散に逃げ去った。


「おう、邪魔立てするか」

と言う、辻斬りと向きあった吉兼は、愕然とした。


「貴様、何者だ」

と声を荒げたのは、吉兼の方だった。


そこに立っていた男は、先だってのマダが化身した吉兼の偽者ではなく、どこかトボけた顔の浪人であった。


しかしその浪人が斬りかかって来たので、吉兼は行きがかり上、仕方なく応戦した。

一抹の不安を他所に《獅子王》は抜け、いとも容易く辻斬り浪人を始末してしまった。


「阿修羅……ではない……」

吉兼が斬り捨てた浪人は突っ伏したまま、微動だにしない。


「はい、よくできました」

と、往来の暗がりの中から声が聞こえた。

「シャンバラ、貴様か……」

吉兼は暗がりへ向かって叫んだ。


「仕方なかろう、おまえの見た辻斬り男など、もともと何処にもおらんのだ、そこまで再現するのは、骨が折れるでな……」


そう言いながら、黒を基調とした洋装の男が暗がりから姿を現した。


「……マダは何処だ」

と言う吉兼の真剣な眼差しをマジマジ眺めて、シャンバラは腹を抱えて絶笑した。


「おめでたい奴め、マダの名を呼んでちゃんと封印してやりたかったか、あの雷を落として、天の裁きがどうのこうの……、やりたかった……残念でした、

とっくに俺様がアスラ界へ送り返しました……ハハハ」


シャンバラは、吉兼の周りをハエのように飛び回りながら言った。


「マダは何処だ、マダは何処だ……おまえは本当にバカだな、猿より進化しとらんのではないか……」


シャンバラは尚も吉兼の頭の上で、ケラケラと笑った。


憤慨した吉兼は、シャンバラから目を背け歩き出した。


「話が済んだなら帰る」


「おいおいおい、ひとつお忘れでないかい?」

とシャンバラが、吉兼の背中を突いた。


「なんだ、まだ何かあるのか?」

と吉兼が向き直ると、

シャンバラは自分を指差した。


「俺様はどうする?」


「貴様は勝手にアスラ界でも阿修羅界でも帰れば良いではないか」

吉兼がそう言い放つと、シャンバラは空中で頰杖を突いてため息をこぼした。


「やはり、おまえは猿以下だ…………………俺様がこの人間界にとどまっておると言うことはだ、俺様を呼び出し契約した者がおると、そうは思わぬか……思わぬだろうな、猿以下の人間に解る筈もない…………」


何故か、はしゃぐシャンバラの言葉を聞き、吉兼は目の前が暗くなった。



「だって、貴様は魔物ではないだろう」

と吉兼は苦し紛れに言い放った。


「うん、嬉しいね、魔ハハハ物ではないよ、ホホホ、アスラの王だよ、しかし契約は契約だ……、それが、世のことわり……………、因みに、契約内容は、おまえを殺すことだハハハ、お前の魂などいらんのだがなハハハ………」


そんな、引き笑いばかりするシャンバラの声が、吉兼の耳には何処か遠くで響いた。


時間を遡る前の、シャンバラとのあの一戦。

いとも容易く、稲妻を落とされ黒焦げにされ、目クソ鼻クソ並みに扱われた記憶が、吉兼の頭の中を走馬灯のように駆け巡った。


「今、思い出してただろう、俺様に目クソ鼻クソ並みに、ケチョンケチョンにされた日のことを……」

とシャンバラは鼻クソを穿りながら言った。


吉兼は無言で頷き、すがるような目をシャンバラへ向けた。


「まあ、人間と言う生き物は、ほとほと不可解なものだ、わざわざ自ら災いを招き入れる、猿のままだった方が、幸せだったろうにな………因果応報ってのはあるんだよな〜、じゃ、やるか」

とシャンバラは少し寂しそうな目をして、地上へ降り立ち身構えた。


吉兼は目を閉じ、深呼吸をした。

そして、「お咲さん……」とサキを思い浮かべて呟いた。


「あ、そうだ、俺様、個人的には《お咲の魂》と引き換えで、負けといてやってもいいぞ」

とシャンバラ。


「断る……。」

と、吉兼はキッパリと答えた。



そして吉兼は意を決し、《獅子王》を抜いた。


「ちょっと、待った……」

と、シャンバラ。


「何じゃ」

と吉兼は拍子抜けしながら尋ねた。


「その剣……、剣だよ」

とシャンバラは目を伏せた。


「《獅子王》?」


「《獅子王》じゃねーだろ、よく見ろ………

おい、猿野郎、色だよ……、体も……」


と言うシャンバラの言葉に従い、

吉兼は、自分の太刀と体を見た。

体は幽体と実体が混じり合い、烈火の如く赤く光り赫く鎧を身に纏っていた。

剣も炎を纏ったように赤く燃え盛っている。


「あ、赤い……赤こう御座る」と吉兼。


「“赤こう御座る”じゃねぇよ、いつの間にそんな剣持ってんだよ、ビックリだわ」

シャンバラは、そう言いながら少しずつ、《烈火の武者》から離れて行った。


「家を出るとき、妻……、お咲さんが持たせてくれたのじゃ」

と《烈火の武者》は胸を張った。


「そりゃ、帝釈天の《天帝の剣》だ、知らねぇと思うけどアスラの天敵のインドラって…まあ、どうでもいいや、もう分かったから、あんまり、そいつを振り回さないでくんない……」


シャンバラは青ざめた顔で、空へ手を差し伸べて、ふわりと浮かび上がった。

すると空が光り五芒星の魔法陣が出現した。


「シャンバラ、帰るのか……せっかくだし戦って行かぬか、」

と吉兼が、太刀を見せながら言った。


「そんな麻雀みたいな誘い方があるか、状況が変わったから契約は不履行だ、“契約者は死ぬ”が、お前のせいだかんな……俺様を恨むでないぞ」


そう言うとシャンバラは、自分で作った五芒星の魔法陣の中へと消えて行った。


そして、空の光りが薄れ、魔法陣も次第に見えなくなった。



独り取り残されたようになった吉兼は、

空を見上げながら剣を鞘へと収めた。

体から鎧は消えたが、不思議とその分だけ体が重くなったような気がした。


吉兼は、これで終わったと思う反面、

「契約者は死ぬ……」と言うシャンバラの言葉に、胸の痞えがおりることはなかった。


家へ帰ると、玄関先にサナが現れ、いつものように、塩を軽くまいてくれた。


「お咲さんは、」

と吉兼が尋ねると、

「あ、寝ねぇでずっと待っておられたのですが……ちょっと取り込んでらして、」

と言ってサナは目を伏せた。


サナに誘われながら、サキの部屋の前を通り過ぎようとした時、ふと見ると障子が開け放たれているのが分かった。

どうやら室内にサキの姿はない。


「こちらですよ、旦那さん……」

剣術道場の方へ行く渡り廊下の手間で、サナが手招きした。


「うん」

吉兼は、サナと共に廊下を渡って、稽古場の入口へと向かった。



珍しく稽古場の中に火が灯され、

中央に布団が敷かれてあった。

門弟たちがその布団を取り囲んでいる。

「如何した……、咲か……」と吉兼は稽古場の中へと駆け込んだ。


剃髪した医師が、布団の傍らで吉兼を静止した。

「いま、ケガ人は絶対安静ですぞ……」

医師がそう声を荒げると、

「ケガじゃと……一体、何があったのじゃ」


吉兼が布団のケガ人に目を遣ると、

布団へ横だえていたのは、忠兵衛だった。

忠兵衛は、胴を包帯でグルグル巻きにされて、虫の息であった。


「忠兵衛、如何した……」

と忠兵衛へ取り付く吉兼。

「安静じゃと言うに……」

医師は吉兼を引き離そうとその手を掴む。

「……、良いのです、お医者殿、どうか、お人払いを吉兼様……2人きりに……」

忠兵衛が、虫の息でそう言うと、

医師は立ち上がり、サナや門弟たちを引き連れて廊下へ出た。


「吉兼様、申し訳ござらん……、」

と忠兵衛は、虚空を眺めながら言った。

「忠兵衛、何があった」

と吉兼は忠兵衛の手を握った。


「拙者……、藩がお取り潰しになり…………放浪していたところ、先代に拾われ…………今まで、お仕えして参りました、若…………吉兼様にも……、」


忠兵衛の囁くような脆弱な声を、吉兼は聴き漏らすまいと耳を傾けた。


「忠兵衛、私は、お前の忠義に感謝しておる、」


「しかしながら、思うのです何故(なにゆえ)じゃと…………、罪人を1人、また1人と斬るたびに…………、何故、拙者じゃのうて、吉兼様なのじゃと…………、思ってしまうので御座います、その疑心の闇に鬼が……………鬼が棲み憑いた……」


忠兵衛はそう言って、初めて吉兼の目を見た。


「あの、シャンバラを召喚したのは、この拙者なのです」


忠兵衛の瞳に、既に光はなく、涙さえも枯れ果てていた。

吉兼は、思わず忠兵衛の手を離してしまった。


「拙者は、咲様が幼き頃より…………………ずっとお慕い申しておりました………………叶わぬ事と知りながら、幼き頃のお咲様のお言葉を真に受けて………そんな拙者の淡い思いも、不甲斐ない貴方様が現れ、呆気なく踏みにじられた……………、何故、拙者でなく貴方様が、……、恨めしい、恨めしい……、地獄にてお待ち申し上げます」


忠兵衛は、そのまま力尽きた。


吉兼は、茫然自失となって、そのまま稽古場を後にした。


「旦那さん……、そっちはいけねぇ」

まるで幽霊のように廊下を歩く、吉兼の背中にサナが声をかけたが、聞こえている気配はなかった。

サナは堪らず後を追おうとしたが、

医師に止められた。


「二人だけにしてやりなされ……」


稽古場の廊下の更に先には、小さな井戸が備えつけられてあった。


井戸端でサキが、着物を脱ぎ捨て、

襦袢姿のまま、井戸の水で何度も何度も手を洗っては、水を捨てて、

水を汲んでは、手を洗っている。


吉兼は、そんなサキの、ただならぬ形相を見て、正気に戻った。


「お咲さん……、」


サキは、吉兼の呼びかけに応じず、

手を洗い続けていた。


「お咲さん……、」


吉兼は近づきながら、尚も呼びかけた。


サキは、また桶の水を捨て、

井戸のツルを引いた。


「咲……、」吉兼は井戸のツルを止め、サキの手を取った。


「駄目、汚れているのです、触らないで……」とサキは、吉兼の手を振りほどいた。


吉兼は振りほどかれた手をまた握った。

何度振りほどかれても、何度も、何度も、サキの手を握った。


「わたくしは、忠兵衛を刺した………………お母様の匕首(あいくち)で、忠兵衛を、何度も、何度も刺したのです…………………わたくしを手篭めに しようとした忠兵衛を、何度も刺したのです……あの忠兵衛を……」


そう取り乱すサキを、

吉兼は無言で抱きしめた。


「イヤ、離して下さい、離して、嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃ………、」


暴れ、泣き叫ぶサキの体を、

吉兼は、何も言わずに抱きしめ続けた。


空に星はなく、まして月もなく、

悲痛な声が鳴り響く、漆黒の空には、

未だ日の昇る気配すらなかった。



おわり





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