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シャンバラ



刑場内の縁台の上に寝かされた澤田朔左衛門吉兼(さわださくさえもんよしかね)の顔を、吉定と志村三太夫とサナが覗き込んでいた。


吉定は例により経を唱え始めた。

隣で志村三太夫は、その経に合わせて景気よくマニ車を回し始めた。


「まったく、意味わかんねぇんだよな」

と、サナはそんな二人を見守った。

「まったくだ」

と、サナの横には黄金の武者が立っていた。

「なにしてんだ、旦那さん…こったらとこで、さっさと魔物退治さ行かねぇか」

とサナが声を荒げると、吉定と志村がビクッと反応し、一瞬だけサナの方を見た。


「それが攻めあぐねてしもうてのう、昨夜、あれだけズタボロに斬り殺してやった阿修羅が、復活したとなると、私がまた斬ったところで無駄なのではないか……」


そう言って、黄金武者はすがるような目でサナを見た。


「なんだ、魂だけさなったら、頭がぼやけるんだか、奥方様だって、皆さん命かけて戦ってらっしゃるんだで、何だか頼りねぇなぁ、やっと行ってこねぇか……」


サナが小言を言っていると、志村三太夫が脇から話しかけた。

「サナ殿、なにをそんなに怒っておられる」

「……あっ?」

とサナは志村を睨みつけた。

「いや、なんでも御座らん」

志村は吉定の陰に隠れるようにマニ車を回し続けた。


そうこうしている間に、怪物が刑場の土塀を崩し始めた。


サキが怪物の上へ馬乗りになり、《童子切安綱》をザクザク突き立てていた。


怪物は、何度も土塀へ体当たりして、堅固な門までもなぎ倒しながら、場内へと入り込んで来た。


「“なかなか、興味深い余興じゃのう”と公方様が仰っておられます」


ひな壇の上で、

側用人が、牢屋奉行へ耳打ちした。


「この場合、“余興では御座らん”と申し上げたら、どうなりますかのう」

と、牢屋奉行が聞き返すと、


「それは、騒動になりますかな……」

と側用人。


「では、このまま様子を見ると言うのは、如何でしょうかな」

と牢屋奉行。


「それであれば、逃げた方が……」

と側用人。


吉宗は、興味深げに荒れ狂う怪物を見つめながら、何かを指をさし、何やら“ごにょごにょ”呟いた。


すると、また牢屋奉行のもとへ伝言が回って来た。

「“御婦人が果敢に戦っておられるのは実に微笑ましい、して、あの金色(こんじき)に光る武者は何者じゃ、実に天晴(あっぱ)れな戦いぶりじゃ”と公方様が仰っておられます」

と側用人は、取り次いだ。


「“金色の武者”など見えませぬ、と申し上げください」と牢屋奉行が返すと、


「それは、 あいなりませぬ……公方様の御目にお狂いがおわすと申し上げることに等しい……誰か見える者をお探しなされ」

側用人は、静かに声を荒げ牢屋奉行をまくし立てた。

牢屋奉行は、仕方なくひな壇を下った。


黄金武者は程なく、場内へ入りこんだ怪物を《獅子王》で、八つ裂きに斬り刻み消滅させた。

吉宗は手を叩いて喜び、サキへ賛辞を贈った。

サキは吉宗へ向かって深々と頭を垂れた。


次々と怪物が場内へ侵入して来ていた。

サキが怪物の方を向くと、


「“して、そなたの側で戦っておる金色の武者は何者じゃ”と、公方様がお尋ねじゃ」

と側用人がサキへ尋ねた。

サキは割と淡白に、

「我が夫、澤田朔左衛門吉兼に相違御座りません」

と言い放った。

そして、場内で暴れ回る巨大な怪物へと立ち向かって行った。


黄金武者もサキの後ろを、金魚のフンのように付いて歩いていると、


「いつまで、遊んでおる」

と言う声が、黄金武者の耳元へ届いた。


黄金武者は、サナの方を見たが、サナはまったくその声に気付いていない様子だった。


「まったく、無能な男よのう……、肉体から長く離れておると、帰れぬようになると申しておる」

その声の主は、嘲りを相を呈していたが、黄金武者にはその笑みすら見つけられず、キョロキョロと辺りを見回すばかりだった。


「こっちじゃ、汝等(うぬら)の公方様を見よ」


黄金武者は声に従って、吉宗を見た。


「あ……」黄金武者は絶句した。


彼の視線の先で、吉宗の髷を引っ張り上げて、まさにその肉体から魂を引きずり出さんとする若い男の姿があった。


「人間なんぞ他愛ないもんじゃ、見よ一国の君主ともあろう者が、このザマじゃ」


吉宗の肉体の中から、

幽体の吉宗が出たり入ったり、

その男は髷を摘む指二本で、いとも容易く将軍の体を(もてあそ)んでいた。

当の吉宗は、それにまったく気が付かないどころか、黄金武者が見えたり見えなかったりしているので、むしろ楽しそうに手を振ったり、振らなかったりしているのだ。


黄金武者はまったく取り乱して、

「やめよ、公方様から手を離せ」

と言うので精一杯だった。


「では、やめてやる」そう言って男は、まるで大根でも引き抜くように吉宗の肉体から幽体を引き抜いて、黄金武者の方へ投げつけた。

黄金武者は慌てふためいて吉宗の幽体を受け止めるのであった。


「何をするか、恐れ多くも公方様に……」

と黄金武者が絶叫すると、男は腹を抱えて絶笑した。


「滑稽じゃのう、“恐れ多い”ものか、貴様とて魂を見れば分かるであろう……神でも仏でもない、たかが人間じゃという事が……“恐れ多い”とはこのようなことを申すのではないか」


そう言って、男は“パチン”と指を鳴らした。

すると雛壇状の縁台から火の手があがり、それは瞬く間に燃え広がった。

壇上の幕臣たちは逃げる間もなく皆断末魔の悲鳴を上げ、全員が黒焦げの骸骨に成り果てた。


男がもう一度“パチン”と指を鳴らすと、一瞬にして時間が巻き戻り、幕臣たちは何事も無かったように、縁台でのんびりと(くつろ)いでいる。


「ほう、如何なる仕掛けじゃ……」


驚愕する黄金武者にお姫様抱っこされたまま、吉宗が歓声を挙げた。

「下ろせ、吉兼」

黄金武者は、吉宗の求めに応じて、彼を下ろした。


「なれど、そなた、その神にも匹敵する力を以って何とする、余は、そなたの申す通り、神や仏に非ず、その拙き力を以ってして、民の為に日夜尽くしておる、そなたは何とする……」


そう言う、幽体の吉宗を男はさっさとに肉体へ戻してしまった。


「愚問じゃ」


「貴様、公方様が、公方様が、有難くもお話し下さっておられる最中に……バチ当たりな」

黄金武者は、声を荒げた。


「バチなど当たらぬ、バチはワシが当てるのじゃ」と言いながら、男は吉宗の頭を木魚に見立ててバチで叩いた。


「貴様……そなたは、神か?」と黄金武者。


「神ではない、アスラじゃ」と男は面倒くさそうに言い放った。


「阿修羅……」と黄金武者。


「まあ、仏教的に申せば、阿修羅じゃ、どっちでも良い……」


「では先日の……」


「違う、あ奴は、マーダ、あ奴もアスラじゃが、厳密に申せば、我が祖先が神に抗うために作った怪物じゃな」


「では、あなた様は……」


「我は、シャンバラ、アスラの王」

そう名乗るとシャンバラは、世界に君臨するが如くに、空中へ浮かび上がった。


黄金武者は、これは占めたとばかりに、

「天よ、御聖断あれ!」と叫び、

《獅子王》を天空へと翳し、稲妻を呼びだした。


「おい、待て」

シャンバラは、その稲妻を打ち払った。

「汝は馬鹿か」

彼は、新たな稲妻を黄金武者へ差し向けた。


黄金武者はバチバチと稲妻に打たれ、

その場に倒れた。


「アスラの王を天界へ送って何とする、乾坤一擲、天地を呑み込む大戦争になるぞ、せっかく、和平が続いておるのに、人間はいつもそうじゃ、こちらの都合も考えず、無知を振りかざして好き勝手に振る舞う、神の寵愛を一身に受けておることも自覚せずにな……」


シャンバラは、怒りが冷めやらず、

地面に伏したままの黄金武者を、更に殴る蹴るしながら、罵倒し続けた。


汝等(うぬら)は、都合が悪くなると見えもせぬ、阿修羅じゃ、鬼じゃと物怪(もののけ)じゃと罪をなすりつけるが、最も忌むべきは、それを招き入れる人の業じゃ、汝は、その身を打ちひしがれても、

まだ、気づかぬのか、この(うつ)け!」


シャンバラは、黄金武者の体をヒョイと浮き上がらせ、吉兼の肉体へ叩き込んだ。


空に蔓延っていた黒雲は去り、太陽が姿を現した。

吉兼は縁台の上に横たわり、明るい日の温もりの中で目を覚ました。


「先生、さすがにその寝相では……寝ていることが、バレます故……」

と忠兵衛が、吉兼を揺り起こした。



「本日の獄門刑は取りやめ、審議差し戻しと相成った、南町奉行、大岡越前守様よりの伝令じゃ、それと本日はそなたらにも幕府より伝達事項が御座る……」

と御腰物奉行が、皆を集め、幕府よりの文を読み上げた。

「……であるから3日の後、公方様が日光詣の折、有難くも、この刑場へ御御足を御運びになり、処刑執行諸々を御照覧あそばされることと相成った……澤田朔左衛門以下門弟は、粗相なきよう励むこと、尚、当日は弟子ではなく、朔左衛門吉兼、自らが辣腕を奮うこと……、」


それだけ言うと、御腰物奉行は全員を解散させた。



「先生、如何致しましょう」

《首切り坂》の帰り道、忠兵衛が他の弟子たちへ気がねしながら、吉兼へ話し掛けた。

「如何とは?」と吉兼。


「首切り、御様御用(おためしごよう)に御座ります」

と忠兵衛は少々取り乱しながら言った。


「私に斬れと申すのであろう、斬る他あるまい……」

吉兼は涼しい顔で言った。


忠兵衛は、吉兼の変貌ぶりに首を傾げた。


澤田家屋敷へ戻ると、サキと女中たちが塩を山盛りに携え、待ち構えていた。


「本日は、獄門刑が取りやめであった故、」と言う吉兼の口の中にまで、容赦なく塩が投げ込まれた。


吉兼が、風呂で体を清めるて出てくると、脱衣場でサナが浴衣を着せてくれた。


吉兼は軽やかな足取りで、サキの部屋へと向かった。

「咲さん……」

と彼がいきなり障子戸を開くと、

「ヒャッ……」と饅頭を咥えたサキが悲鳴を上げた。

「何ですか……声も掛けずに開ける者が有りますか……」

サキは伏目がちに眉を(ひそ)めた。


「さようか……、」

と、吉兼ががっかりして、障子戸を閉めようとすると、

「なぜ、閉めるのです……用がお有りなのでは……」と、

サキは、饅頭を一口食べて、やはり伏目がちに唇をツンと尖らせた。

「用と言うほどではないのだ」

と、吉兼は我慢できず、サキを背中から抱きしめた。


吉兼は、サキの小耳の後ろに鼻を押しつけ、仄かな白檀の香りを嗅いだ。

「今日の着物もよう似合っておる……」

と言いながら、彼の手はサキの襟元へ潜り、懐の奥深くへ差し伸べられた。


「旦那様……」とサキの手が吉兼の手を止めた。

サキは至近距離で、吉兼の顔を見つめて、

「まだ、事は済んでおりません」

と掴んだ手を吉兼の膝元へ置いた。

「だから、これから……」と抱きつく吉兼の腕をサキはに笑顔であしらった。

「そうでは御座りません」

と、サキは廊下の方を差し示した。


廊下では、サナが《獅子王》を持って控えていた。

「そなたらも、あの夢を見たのか……」

と、吉兼は驚愕した。


「むしろ、最後まで見てねぇのは旦那さんの方です」

とサナは笑いを堪えた。


「阿修羅の王は、時を事が起こる最初へと巻き戻して去って行かれました」

とサキ。


「ならば、シャンバラは、魔物の発現に関し、何か言及しておったか……」

吉兼はサキの肩を揺すった。


「大切な事は総べて、あなた様へお伝えしたと……」

そう言いながら、サキは食べかけの饅頭を吉兼の口へ押しつけた。



つづく

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