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河原の辻斬り男


()る、うららかな春の夜であった。

(おだ)やかな川面に揺れる下弦(かげん)の月。

万人が美しいと口を揃えるであろう、

その月でさえ、今の吉兼(よしかね)狼狽(うろた)えた目には、

浮腫(ふしゅ)(ただ)れた人の顔のようにしか見えなかった。

吉兼は川面へ自分の顔を見出し、(おの)が気を落ち着かせんと試みたが、

灯りと言えばあの不気味に赫く月のみ、

己が顔でさえも準じて不気味にしか見えなかった。

あの刑場の罪人どもの、苦悶に満ちた死に顔と重なり、また吐き気を催すのだった。


ふと見ると、辻裏の深い闇の中から、ぼんやり浮かび上がった青白い火が、音もなくこちらへ近づいてくる。


嗚呼、ついに私も勘が冴えて、人魂さえも見えるに至ったかと、吉兼はため息混じりで、その火に向かって合掌した。

「南無阿弥陀、南無阿弥陀……」

一心に掌を擦り合わせ、経を唱えていると、


「なんでぇ」と不意の大声。

吉兼は腰を抜かしてしまった。

泣きっ面の吉兼が目を剥いたその眼前には、

やけにガタイの良い中年の男が突っ立っていた。

その背後に若い男が数名従っていた。

そして、若い男のうちの1人の手には、弓張り提灯が握られていた。


澤田朔左衛門(さわださくさえもん)様んとこの若様じゃねぇですかい?」


夜分だと言うのに場違いなほど大声で、男はヘラヘラと笑い、馴れ馴れしい口調で言った。

ガラは悪いが、野党の類いではない。

俠客、いや、辻番か、と吉兼は身を竦めながらも、咄嗟に彼らの身なりを見て、そう判断した。

「なに、怪しい人影だと思って近づいてみたらよ……随分尻を打ったんじゃないかい、大事ないかい」

大男は、心配しているのか疑わしいほど、腹を抱えて笑ってから、吉兼へ手を貸して立ち上がらせた。

大男、吉兼が何も尋ねずとも勝手に話し始めた。

よくよく聞いてみると男の名は紋次と言い、やはり、ここいらの旅籠座お抱えの辻番連中の辻番頭であった。


「最近、ここいらの宿場でも辻斬りが横行しとるらしくて、見回ってたんでさ」

男らは誇らしげに胸を張り、吉兼を見下ろしたまま言った。

「お一人じゃ物騒ですぜ、お屋敷までお送り致しやしょうか」


「……あいや、もう少し涼んでいくので……」

と吉兼が、震えながら小声で告げると、

男たちは、軽く会釈して通り過ぎていった。

しばらくして、

「澤田朔左衛門様って言やぁ、あの首切り坂の……」


「あんなんで、首切りが務まるもんかね……」


「ちげぇねぇや」


などと男達の嘲り笑う声が、川縁に反響して吉兼のもとまで聞こえて来た。


誰が、好き好んで《首切り坂》の当主になんぞなるものか、と心の中で叫ぶ吉兼は強く唇を噛みしめた。


初代の澤田朔左衛門(さわださくさえもん)は、流れ者の浪人でありながら人当たりが良く、商いの才にも秀でていた。

そんな、初代朔左衛門は、

いつの頃からか江戸表の街道沿いに住み着いた。

江戸幕府が民衆への見せしめのためと、人で賑わうその街道沿いへ刑場を移転すると、初代朔左衛門はそこへも度々出入りするようになった。

当時、刑場で《御様御用(おためしごよう)》なる役職を御公儀より拝命していた山岡永久へ弟子入りし剣の腕を磨いた。

山岡の息子に剣の才が無く、その役を解かれると、剣の腕をかわれた澤田朔左衛門がその後を引き継いだ。


御公儀《御様御用(おためしごよう)

とは、御公儀の依頼により、刀剣の《試し切り》をするお役目の事である。


初代朔左衛門が出入りしていた刑場では、主に獄門刑という刑罰が執り行なわれていた。

獄門刑とは、梟首(きょうしゅ)、晒し首などの異名からも分かるように、公衆の面前で罪人の首を斬り落とすのが常である。

そればかりか、首を切り落とされた胴体は刀剣の試し切りと称して腑(内臓)に至るまで切り刻まれた。


初代朔左衛門が、御公儀より拝命した、

御様御用(おためしごよう)》とは、

つまりこの獄門刑に処された罪人の胴体部分に刀を入れる役目であった。


そのうち、正式に処刑執行から(むくろ)の始末まで、朔左衛門が一手に担うようになり、浪人身分でありながら刑場内では相当な権威のある存在となった。


代々、澤田家当主は澤田朔左衛門を名乗った。

前述の通り浪人身分であるため、幕府より知行は無く、賃金は、刀ひと振り幾らの歩合制であった。


正規に公方(くぼう)様はじめ名だたる上流武士の名刀の試し切りを代行する他、刀剣商、刀鍛冶などから新品の刀の試し切りを依頼されることも多かった。

試し切りされた刀には、その証明の御印が施され、御公儀お墨付きに匹敵する箔がつき、通常より高値で取引きされたようである。


この物語の主人公、澤田朔左衛門吉兼(さわださくさえもんよしかね)はその初代から数えて6代目にあたる。

もとは備中新出藩の藩士の子で、澤田の家には婿養子として迎えられた。

国本では、父の妾の子として部屋住み同然に扱われて来た。

それが年頃になり、

「良き縁談がある」と父から持ちかけられた。

「立場は浪人であるゆえ知行はないが、薬師問屋など手広く商いを営んでておる立派な家だ」とか「幕府からナンとかと言う有り難いお役目を拝命仕(つかまつ)っておられる由緒ある家だ」とか、

吉兼が尋ねる度、父は何処かはぐらかすような適当な物言いだった。

しかし、何にしても一生部屋住みよりはマシであろうと、意気揚々と江戸へ来て見れば、その実は、市街地から遠く離れた江戸表の宿場町にある刑場の処刑人であった。

この吉兼、剣の腕は確かなれど、気が弱く、幾分怖がりなところがあった。


江戸幕府は武士の治世といえども、100年以上も平和な世が続いたお陰で、武士が刀を抜くことは滅多に無くなっていた。

吉兼自身、婿入りに際し父から「“江戸”で笑われぬように」と備中国住守次なる室町時代のボロ刀を持たされたが、部屋住みの頃は稽古以外には竹光を差して出歩いていたものだった。


吉兼の代になると、澤田家には、代々仕えている《弟子》や《手代》の中に相当の手練れがゴロゴロしていた。

生きた罪人に刃を立てることに、いちいち怖じ気づく吉兼に代わって、斬首やお試し切りは《弟子》たちが行った。

しかし幾らなんでも刑場へ当人が足を運ばぬのでは《御様御用》もお役御免ともなりかねなかった。

吉兼は渋々重たい体を引きずりながら、毎朝早くから刑場へと出掛け、処刑の一切を見届けた。


澤田家のお屋敷から刑場までの道のりは、割合と急な坂道になっており、いつの頃からか、近隣で暮らす人々はそこを《首切り坂》と呼ぶようになった。



吉兼は、あの惨たらしい獄門刑を見届けた夜には、中々寝付けなかった。

そうすると決まって川辺を歩くのだった。

穏やかに揺れる水面の月や、儚く美しい蛍の輝きを眺めて故郷を思い出し、心を落ち着かせるのだった。

さっきまで、血だまりのようであった月の光も柔らかいだ頃、

吉兼は、また水鏡に顔を映した。

目を腫らして帰っては、お屋敷の者どもにまで後ろ指を差されてしまう。

「よし」

と、立ち上がると今度は、ぷぅんとやけに血生臭い臭気が漂って来た。

何処かに犬の死骸でも有るのか、

吉兼はまたもや、手ぬぐいで口を押さえて、しゃがみ込んでしまった。


“ドボン”と言う重い水音とともに川面が激しく揺れた。

少し先の河川敷の草むらから、誰か何かを川へ放り込んだようだった。

何か大きな塊がぷかぷか浮かんで、こちらへ流れて来る。


吉兼は、すこぶる嫌な予感がした。

チラリと見てすぐそれが(むくろ)であるのが分かった。

人で、ほぼ間違いない。

粗末な身なりからして川縁で寝起きしている類いの輩であろう。

それでも職業柄、自然と刀傷に目がいってしまった。

太刀筋は実に見事だった。

袈裟型に一刀両断、一点の迷いなし。

「私も気さえ乱れねばあれぐらいは……、」

と武士として、張り合う気持ちは少しあった。

長居は無用。

面倒に巻き込まれては敵わんと、吉兼はさっさと立ち上がると、己が屋敷を目指し歩き出した。が、その矢先、背後に殺気を立てる者の気配を感じた。


吉兼は咄嗟に腰元の刀を鞘ごと抜いて、

頭上に振り降りてきた刃を受けとめた。


受け止めた相手の刃には、べっとりと赤い血が濃くこびりついていた。

吉兼は辻斬りに相違ないと思った。


「そのほう、見た目によらず中々やるのぅ…」と辻斬りの男は、不敵に笑った。


互いに隙はなく、

辻斬り男の刀と吉兼の鞘は交わったまま拮抗した。

月明かりが、水面に揺らめき、男の顔を照らし出したその刹那、吉兼はハッとして、鞘入りの刀を少し引いた。

「なにを、」と一瞬、男の手が緩んだのを見計らって吉兼は素早く刀入りの鞘を収めた。


「あいや、しばらく」

と声を挙げ、後ずさりしながら、地面へ両膝をつき、ひれ伏す吉兼は、


「何処のどなたか存じませぬが、そなたを腕の立つ辻斬りと見込んで、ひとつお願いが……」早口で申して、頭を垂れた。


「はっ、貴様……気でも触れたか、貴様も武士(もののふ)の端くれならば、潔く抜かぬか、尋常に勝負致せ」


男の目が夜行性の野獣の如く、ギラギラと耀いた。


「そなた、拙者を斬りたければ斬ってくれて構わぬが……」


「では、斬る」男は刀を振り上げる。


「まだ、まだ、話は最後まで聞け……、そなた、そのように辻斬りに身をやつしてまで、人を斬りとうて仕方ないのであれば、拙者のところに来ぬか……」


吉兼は神妙な面持ちで、男の顔を見上げた。

男は刀を構えたまま硬直した。


「貴様……何を言うておる……」



「拙者、澤田朔左衛門吉兼(さわださくさえもんよしかね)と申す、ここを下った刑場で、代々御公儀より御様御用(おためしごよう)役を拝命しておる者じゃ、獄門刑一切を取り仕切る権限擁する者なれど、拙者は、相手が罪人であろうとも、人を斬るのが好かん……故に、普段は、父吉定の弟子や手代に代わって

貰っておったり……、罪人の骸を所望する、お武家へ売り飛ばしてしまっておる……故に……」


「情けない男よの〜」


辻斬り男は、それでも機嫌を良くしたのか、懐紙(かいし)で切っ先を拭い、刀を鞘に収めた。


「何とでも言え……平素はそれでも、何とか切り抜けて来られたのだ、だが先だって、御腰物奉行(おこしものぶぎょう)様より通達がござって……く、く、」


「何じゃ、はよ言え、気になるではないか」


「く、公方(将軍)様が、」


公方(くぼう)様……」



「公方様が、刑場までわざわざお出ましになられ、お試し斬りの様子を、御照覧あそばされる由、……当主たる拙者が、手を下す他なく……」


「……で、あろうな、公方様の御前で剣術の才をお目に掛ければ良いだけの事、

励め……武士の誉れじゃ、」


辻斬り男は、そう言って、吉兼に興味がなくなったのか踵を返した。

空かさず、吉兼は男の袴の裾へすがりついた。

「お待ちくだされ……」


「なんじゃ、離さぬか……」

男は無下に吉兼を蹴飛ばした。


「そなた、それがしと代わってくださらぬか?」


辻斬り男の動きが止まった。

「貴公、何を申しておる」


「申した通りじゃ、そなたが、公方様の御前で、お試し斬りの役を務めるのじゃ」


「誰も代われぬと、貴公が申したばかりではないか」

辻斬り男は、呆れた。


「そなたの面差しが、どことのう拙者と似ておる……そのままでも、バレはせぬが、心配であれば三角巾で鼻と口を覆えば良かろう……そうじゃ、我が屋敷では薬の調合も行っておる故、三角巾ならば余っておる、そうじゃ」

吉兼は、夢中で策謀を巡らせた。


「貴公のような、辛気くさい顔などしておらぬわ……」


「そこが、良いのじゃ、そなたの血走ったその血気盛んな目、タダでとは言わぬ、金子(きんす)は充分に……いや、欲しいだけくれてやる、拙者の影武者となってくれ」

吉兼のその言葉に、


辻斬り男の目の色が変わった。


つづく


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