2-21.『キーラ:弟との語らい』
俺はキーラ=テランと名乗ってる、自称商人だ。
胡散臭いって? そりゃそうだ。自分でもそう思う。
だが、申し訳ないが、詮索はしないで欲しい。
いわゆるお忍びって奴なんでな。本来の立場ってのは秘密なのさ。
そんで、お忍びでどこにいるのかって言えば――そりゃあ酒場だ。
お上品で上等な酒をお上品に飲むのも嫌いじゃないが、平民向けの酒を探索者たち向けの酒場で騒ぎながら飲むってのも悪くない。
もちろん、そういう酒場で静かに飲むのも嫌いじゃない。
ここ最近は本業が忙しかったんだが、久々にキーラとして、いきつけの酒場――『アクア・キャッツ』へと顔を出せた。
そして顔を出して見れば、顔なじみの探索者たちが辛気くさい顔をして、片隅で顔をつきあわせながら飲んでいる。
不思議に思い、俺はグラスを磨いているマスターに声を掛けた。
「マスター。あいつら、どーしたんだ?」
「ラヴュリントスから追い出されたついでに、デスペナってやつで見事財布の中身が半分になっちまったらしい」
「あの迷宮から追い出されるってコトは……」
「ああ。そういうコトだ。ふつうのダンジョンだったら、あいつらはウチで二度と酒を飲めなかったコトを思えば、財布が薄くなるだけですんで儲けモンとも言えるな」
「部外者の励ましは逆効果かね?」
「だろうな」
「なら仕方ない。カウンターで飲むか」
探索者たちの話を肴に飲むのが好きなんだが、気の乗らない日ってのもあるもんだ。まさに、ゼーロスたちはそういう状況だろうから、気遣ってやらんとね。
「マスター、何かオススメの酒とかは入ったか?」
「おう。あそこで沈みながら飲んでる連中から仕入れた取っておきがあるぜ」
「じゃあ、それを頼む」
「葡萄酒はイケるか?」
「不味い酒以外なら、どんな酒でもイケる口さ」
そう言って口の端を吊ってやれば、マスターも厳つい顔に似たような笑みを浮かべて、ボトルを差し出してきた。
ガラスというダンジョンでよく手に入る素材でできた瓶は、見慣れているものの、張られているラベルに見覚えはない。
それどころか、書かれている文字が全く読めない知らない文字だ。
「どこの国のなんだ?」
「ラヴュリントスの中のセラーにあったやつらしい」
「ダンジョン内にセラーがあるのか」
「らしいが、よく分からん。詳しく知りたいなら探索者たちに聞いてくれ」
「ああ、そうするよ」
ボトルを傾けて、用意されたグラスに注ぐ。
美しく鮮やかな赤い液体が流れ出てきて、グラスを満たす。
同時に立ち上る芳醇な香りは、探索者や平民が普段飲むワインとは比べものにならないほどだ。
「貴族に目を付けられたら大変だな」
「ゼーロスたちとサリトスたち以外に今のところそのセラーまで行ける探索者はいない。
しばらくはウチにしか卸さないとも言ってるしな。客が黙っててくれれば、当面の問題はないな」
つまり、貴族や商人たちには黙っておけということか。
俺はうなずきながらグラスに口を付ける。
瑞々しい果実の風味に、ほどよい果実の酸味と、酒精の苦み。
喉を通り過ぎたあとに残る、風味良い爽やかな後味。
「なるほど」
そりゃあ黙ってるさ。黙ってるに決まってる。
こんな美味いの、他人に教える気なんてさらさらない。
このマスターがこの店のお得意さま以外に振る舞う気がないっていうなら、尚更だ。
「次はいつ飲めるコトやら」
「今すぐ飲めるぞ」
噛みしめるように上質な赤ワインを味わっていると、弟の声とともに、カウンターへ、今飲んでいるものとは違うラベルのボトルが置かれた。
「サリトス」
「久しぶりだ。兄さん」
「そうでもないだろ?」
「キーラ兄さんとは久しぶりさ」
「……それもそうか」
弟とは、本来の姿でちょくちょくと会っているので忘れがちになるが、確かにキーラとして会うのは久しぶりかもしれないな。
「このボトルは兄さんへの土産だ。持っていってくれ」
「悪いな。ありがたく飲ませてもらおう」
サリトスからもらったボトルは、手持ちのバッグに仕舞う。
それから、気を利かせてマスターが持ってきてくれたグラスを受け取って、弟に差し出した。
「飲むだろう?」
「もちろんだ」
親しい奴以外は分からないくらい小さな笑みを浮かべてうなずくサリトスに、俺は手元の赤ワインをゆっくり注いだ。
「バドたちが持ち帰ってきたラヴュリントスのワイン?」
「そうらしい。美味いぞ」
「知ってる」
ほんの僅かに笑みを深める様子を見るに、弟も自分たちが手に入れたやつの味見はしたのだろう。
羨ましいとは思うが、俺自身は探索者は向いてないのも知っている。
だからこそ、探索者たちの探索の話が、俺にとっては最高の肴になるわけだ。
「久々の兄弟の再会に」
「再会に」
酒場の喧噪に飲まれそうになりながら、グラス同士がぶつかるチンっという音が鳴る。
騒々しい酒場では不似合いのやりとりだとは分かっているが、互いに色々思うことがあるからな。
「今日は何を聞かせてくれるんだ?」
「兄さんは何を聞きたい?」
「もちろん、ラヴュリントスの探索譚だ。
キーラとしては、何一つ聞いてないからな。仕事としての報告だと省略されただろうあれこれも聞きたいし、ディアリナちゃんやコロナちゃん……それと、最近一緒にチームを組んだって言うフレッド君の活躍とかも、知りたい」
「そうなるとかなり長くなりそうだ」
「ははっ――気にするな。ここが閉店するまで、まだまだ時間があるからな」
「それでも足りるかどうかは分からないが……」
サリトスはマスターにチーズの盛り合わせを注文し、グラスを軽く傾けてから、語り始めた。
「なるほどな……確かに今までのダンジョンとは全く違うようだ」
儲けだけみれば――上手く立ち回れねば、儲けの薄いダンジョンのようだ。
それでも、弟たちやバド君たちがそれなりのものを見つけているという実績が、多くの探索者の欲望を刺激している。
そのせいで、我がペルエール王国内では、様々なモノが品薄になってしまっているんだが。
皆がラヴュリントスばかり挑戦するせいで、今まで色々なダンジョンからのドロップ品で潤っていた市場が、かなり偏りがでてるんだから困りものだ。
そこを狙ってフリュード鋼窟のドロップ品を大量に持ち込み、大儲けをしている探索者チームもいるようで――そいつらは中々見込みがあるとは思う。
そのチームはフリュード鋼の武具以外にも、品薄になってるアイテムを調べては、自分たちが攻略可能なダンジョンに赴いて、ドロップ品を大量に売りさばくなどをしているという噂もある。
本当に、見込みのあるチームなので、是非ともそのまま高位ランクに到達して欲しいものだ。
流行のダンジョンを攻略することだけが、探索者じゃないと、俺は思ってるしな。
「ダンジョン内の骸骨商会というのも面白い。
面白いが……貨幣の循環がそこで止まりかねないのが問題だ」
「それに関してはコロナが商業ギルドに話を持って行くといっていた。
そう悪いようにはならないはずだ」
「ふむ――商業ギルドが動くなら、確かに何か案を出すか。
話を聞く限りでは、今まで日の目を見なかった職人ギルドも、活発化しそうだな」
「個人的には職人ギルドから料理人を独立させ、料理ギルドがたち上がるのに期待したい」
「料理ギルド?」
俺が首を傾げると、サリトスが数枚で綴られたダンジョン紙を手渡してくる。
「これは……」
「ダンジョン内にいるオークの料理人セブンスが渡してくれたレシピだ。
早急に、あの味をダンジョンの外で食べれるようになって欲しいと思うのだがな……」
見れば非常に複雑な工程を何度も行う料理のようだ。
今までの料理の常識が覆りそうな話であるが――
「それは写本だ。兄さんは実家に持って帰っても構わない」
「ああ。うちの料理長に見せてみるコトにしよう」
話に出てきたトンコツラーメンなる料理ではなさそうだが、そんな料理人が渡してきたレシピだ。不味いということはないだろう。
「そして、レシピの原本は――マスター。俺からの贈り物だ」
「よく言うぜ。お前が食いたいだけだろ」
「ああ、その通りだ」
チーズの欠片を口の中に投げ込みながら、サリトスはうなずく。
マスターも興味はあるんだろう。渡されたレシピに目を通していく。
「ほう――こいつは……。
ふむ、ちょいとどこまで再現できるかはやってみないとだな……」
しばらくレシピを見ながらぶつぶつと言っていたマスターが、真面目な視線を弟に向ける。
「料理人仲間に見せても?」
「最低限に留めてくれるのであれば。まだ大きく広げたくはないのでな」
「今後こういうレシピが手に入る可能性は?」
「大いにある」
「なるほど、だからこその料理ギルドか。
レシピの情報をギルド内で留めておきたいってか?」
「それもある」
「それも?」
マスターが訝しむ。
横で聞いていた俺も少し考えてみて、もしかして――と思い至った。
「サリトス。お前――面倒くさくなって、複雑な行程の多くを飛ばして雑にやっておきながら、レシピ通り作ったと謡う連中を廃したいんだな?」
「そうだ。俺の――俺たちの目的は、セブンスのような料理をダンジョンの外でも味わいたいという一点。
ダンジョンに行けば食える――などという詰まらない話ではなく、ダンジョンに行かなくても、探索者以外でも、楽しむコトができる状況というのを望んでいる」
酔っているのか、それともセブンスの料理とやらがよほど美味しいのか――サリトスが珍しく饒舌に語る。
「料理だけに限った話ではないのだが……ラヴュリントスに潜っていると、色々と価値観が変わっていくんだ。
俺たちはつい、今のままでいい、大きな変化はいらない、今まで出来ていたのだから問題ない――そういう風に考えてしまう。
だが、あそこに潜っていると変化も悪くないと思えるようになるんだ。
今までの常識は通用しない。だが、今までの経験が通用しないワケではない。むしろ、今までの経験に、ダンジョンが応えてくれると言うべきか……。
闇雲に潜り、闇雲に戦い、ただただダンジョンを踏破する――遙か過去より人間はそれを繰り返してきた。
それにどれほどの意味があったのか――なんてコトを考えてしまう」
弟の語る内容に、俺とマスターは黙り込んだ。
ダンジョンとは本来、創造主からの慈悲であり試練であった――神話にもそういう記述はあるし、実際にサリトスはラヴュリントスのダンジョンマスターからそう語られたという。
「意味か……。
難しいな、人間はそうして今まで生きてきた――それじゃあダメなのか?」
「さぁな」
マスターの言葉に、サリトスは肯定とも否定とも付かない様子で首を緩やかに振る。
確かに難しい話だ。
だが、どうしても一つだけ言っておくことはある。
「サリトス。意味ならあったと、俺は思うぞ」
「そうなのか?」
「今、この時代にお前がいる。俺やマスターがいる。お前の仲間がいる。
それは、今この時代までに闇雲にダンジョンを攻略してきた先人たちがいたからだ。
先人たちが生き繋いで来たからこそ、お前という変化の種が、ラヴュリントスと出会えた。
そう思えば、闇雲にダンジョンに潜ってきた歴史も、無意味なんかじゃないさ」
弟の様子を見て思う。
ラヴュリントスのマスターの言う試練とは、ただダンジョンを攻略させるだけのものではなく、今のサリトスのように様々なことを考えさせ、悩ませる意味があるのだろうと。
「恐らく、ラヴュリントスと関わるコトで、人間が――サリトスのように悩むコトもまた試練として織り込まれているんだろう」
そして、きっとラヴュリントスからのメッセージの一つでもあるのだと、俺は推測する。
『いつも通りとは、いつまでも続くものではない』
――と。そう言われている気がするんだ。
だから――
「サリトスの悩みはきっと神意の一端に触れたからなんだろうさ。
だからこそ、その上で思うままに振る舞い、神の意志の深奥――深意に触れてきてもらいたい」
「兄さん……」
「実家の為、俺の為――色々と情報を持ってきてくれてるのは助かる。
だが、お前はもう少し、お前の欲望に従うべきだ。セブンスの料理について語る時のお前は、実に楽しそうだったぞ」
「わりと欲望通りに動いているつもりだったが」
「だとしたら、身内にも分からないレベルだったって話だな」
微妙に口を尖らせてるようだが――つくづく分かりづらい弟だ。
仕方ない。拗ねる弟の為に、少し話題を変えてやろう。
「ところで、例の件はいつやるんだ?」
サリトスはこちらを軽く一瞥してから、グラスを傾けて口の中を湿してから答えた。
「……区切りとしてちょうどいいフロア5終盤の予定だ。
仕事として報告した時にも言ったが、ラヴュリントスは複数の層に分かれているらしく、一つの層が5つのフロアで構成されてるらしい。
なのでまず、第一層のフロア5終盤で仕掛けようと、コロナとは話をしている」
「ふむ。ならこちらもそのつもりで根回ししておくが……いつになりそうだ?」
「そこまではさすがに……。
今のフロア3にかなり手こずっているからな……。同じような謎解きがあるのならば、同じように時間が掛かるだろうな」
「そうか……。
まぁ定期報告は受けているから、時が来れば分かるか」
そう納得して、俺はワインを呷った。
俺がワインを飲み込むのを待ってから、サリトスが告げる。
「ああ――それと……」
「それと?」
「恐らくだが――手応えとしては、そろそろフロア3も終盤だと考えている。なので近々、そちらの職場に顔を出すと思う」
バド君たちだって良いところまで進んでそうなのに、最初に突破するのは自分たちだと疑っていない弟の姿に、俺は思わず笑みを浮かべる。
弟が実家にいたまま、実家の仕事を継いでいたなら、きっと見ることのできなかった顔だろう。
その顔を見ながら、俺は笑いながらうなずいた。
「それは楽しみだ。吉報を職場で待っているとしよう」
ゼーロス「…………」
バド「…………」
アサヒ「…………」
ケーン「…………」
ゼーロス「明日からは、次は負けないように準備を始めるとするわいな」
次回はダンジョンサイドの小休止回の予定です