前編
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誰もできなかったことを成し遂げたい。
幼い日のリックは、100年前に魔王を倒した『英雄』ヤマトの伝記を読んでそう思った。
ヤマトの伝記は世界中の子供たちが一度は読んだり、聞いたりしたことのある本である。
伝記はヤマトがこの世の果てに住む隠しボス『カイザー・アルサピエト』と戦い、決着がつくことなく終わる。
最後にはこう書かれている。
『この最後にして究極の魔物は、倒せばあらゆる願いを叶えるアイテム『アカシックレコード』をドロップする。だが私にはそれが叶わなかった。これから冒険者を目指す子供たちの中から、いつかそのアイテムを手に入れ願いを叶えることができるものが現れることを願っている』
その言葉にリックは心が躍った。いつか、ヤマトですら倒せなかったこの世の果てにいるという究極の隠しボスを自分が倒して『アカシックレコード』を手に入れるんだ。
いてもたってもいられなくて、寝転がったまま足をバタバタさせて心臓が熱くドクドクと鼓動する音を聞き、まだ見ぬ冒険に思いを馳せた。
ところが、母親はリックが冒険者への憧れを口にするたびにこう言った。
「冒険者はいつ死ぬか分からない危ない職業よ。できれば他の安全な道に進んで欲しいわ」
さらに、親父もこう言った。
「お前もいずれ家庭を持つんだ。安定した真っ当な仕事につけ」
色々言いたいこともあったが、さすがに10年以上も同じことを言われ続ければそんなものなのかなあ、と思ってしまうものだ。
ただ、何となく冒険者に関わる仕事がしたかったので、16歳の時に西方ギルド『タイガー・ロード』が出している求人に応募してみることにした。福利厚生もちゃんとしてるし過剰な残業もない安全で安定した「真っ当な仕事」である。
こうして、冒険者を目指していた一人の少年は、気が付けばギルドの受付として14年も働いていたのだった。
□□□
西方ギルド『タイガー・ロード』、シャンクアット支部。
「えーっと、依頼番号00003457「大量発生したスライムの討伐』ですね。ログストーンをお預かります……はい、スライム30体の討伐確認しました」
リック・グラディアートルは手慣れた動作で書類に必要事項を書き込むと、引き出しの下から銀貨を二枚取り出して机の上に置いた。
「こちらが報酬となります」
窓口の前に立つ若い冒険者は、銀貨を手に取ると爽やかな笑顔で言う。
「ありがとうございます、受付のおじさん!!」
お、おじさん?
「あ、ああ、いえいえ。またのお越しをお待ちしております」
そう言って頭を下げたリックをちらっと見て、若い冒険者は踵を返して建物から出て行った。
「はあ、おじさんねぇ」
「おう、リック! いい依頼はいってないか? なんかこう、ちょっとイリーガルな感じだけど報酬のいいやつ」
そう言ってリックの座る窓口の前にやってきた人間族の男はザイート。毛皮のコートを身にまとった筋肉質の体に、厳つい顔のいかにも荒くれものと言った感じの冒険者である。
ちなみに年齢はリックと同じ30歳である。リックが初めて受け付けを担当した相手がザイードであり、ザイードが始めて依頼を受けに来たのがリックの担当窓口だったりする。
まあそんなこともあって腐れ縁と言ったところである。
「こんな田舎の支部にそんな依頼は来ないのお前も知ってるだろうに」
「久しぶりに来てみたら、相変わらずしけたこと言ってんなあ」
「てか、あったとしても俺なんかが斡旋できるわけないだろ。14年前をよーく思い出して言ってくれよ。あんときも今も俺はずっとここに座ってる。同じ場所にな。要するに出世コースなんてものからはとうの昔に乗り遅れたんだよ」
「はっ、はっ、はっ。まあ、知ってていったんだけどな」
嫌味な野郎だ。とリックは心中で毒づいた。
「お前が、そうやって足踏みしている間に……見ろこれを!!」
そう言ってザイードが見せてきたのは、一枚のカードである。
「これって!?」
「そう! Bランク冒険者のギルドカードだ。ようやく俺も冒険者だけで飯が食っていけるってことよ」
冒険者にはFからSまでの6つのランクがある。その中でも冒険者一本で一生食べて行くにはBランク以上である必要があると言われている。ランクごとに受けることのできる依頼の差があるからだ。
「ハッハッハッ、これからガッポリ稼いで、Fランクで金がなかったころにお前に奢ってもらった分の飯代を利子付けて返してやるからなあ」
ザイードはそう言って豪快に笑った。
□□□
「ういーっ、ヒクッ!」
その夜。リックはおぼつかない足取りで町を歩いていた。
仕事の終わったリックはザイードと行きつけの酒場で浴びるように酒を飲んできたのである。もちろん、本日から収入面で遥かに上をいかれたBランク冒険者ザイード大明神様の奢りだった。
ザイードと別れて、帰り道を行くリックは夜空を見上げながら呟く
。
「あのザイードがいつの間にかBランクか。そうだよな、もう14年も経ってるんだもんな……てか。14年もあの場所に座って同じ仕事をしているのか、俺は」
別に今の生活が苦しいかと言われれば、そんなことはなかった。嫁や子供はいないがそのおかげで、収入が多少安くても一人で生活する分には十分である。休日には趣味の釣りをしてのんびりと心と体を癒す。
そう、不満はない。あったとしても上司の嫌味が鬱陶しいとか、新人が明らかに舐め腐った態度をとっていて不愉快とか、まあ仕事をストレスで辞めるまではいかないような程度のものである。
だが。ふと、思う。もしも、自分もザイードのように冒険者になっていたら、と。
まあ、考えても仕方のないことだ。
今の生活に、不満は……ないのだから。
その時だった。
「きゃあああああああああああああ、モンスターよ! モンスターが出たわ!」
その言葉に人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
本来なら町では出現しないはずのモンスターが町に現れることは、珍しいが起こらないことではない。巣を追われた下級モンスターが町まで逃げてくるのだ。
「まあ、最近はなぜかよく見るけどなあ」
リックは野次馬根性を発揮して、騒ぎがした方に行ってみる。
その目にそのモンスターの姿が映った。
「ブオオオオオオオオオオオオ!」
でっぷりとした脂肪で固められた巨大な体躯と醜悪な顔面をもつトロールが暴れていた。しかも一般的なトロールより一回り大きく、ここら一帯の主ともいえる上位種のジャイアント・トロールだ。
なんでこんな魔物が町までやってきてるんだ? 巣を追い出すような敵もいないだろうに。
しかも、コイツ。
「……なんかこっちに向かってきてないか!?」
どうやら、間違いではないらしい。皮が垂れた鋭い眼光の目をこちらに向けて全力疾走してきていた。
「マジかあああああああああああああああああ!!」
リックはすぐに踵を返して全力で逃げ出した。
しかし、運動不足の中年ボディはなかなか思う通りに動いてくれない。
大型の魔物は動きが緩慢なのが唯一の救いであるが、トロールとリックでは一歩の大きさが番う。追いつかれるのは時間の問題である。
しばらく逃げ回っていたリックだったが、その途中で不意にトロールが自分とは違う方向に向きを変えた。
助かったか? そう思ったのも束の間。
トロールが新たに向かう先には野菜や果物の入った紙袋を持った一人の少女がいた。
(まずい!!)
考えるよりも先に体が動いた。
「待てやコラァ!!」
リックは千切れそうになるほど全力で地面を蹴って走り、女の子とトロールの間に立ちはだかった。
しかし、そうしたところで、ただの受付員の自分にはできることもなく。
「あー、えっと、まあ、その、お互いに色々言いたいこともあるでしょうが一旦落ち着いて」
「ブオオオオオオオオオオオオ」
「ちっ、言葉が通じないのって不便だな。逃げるぞ!」
トロールがその太い両腕を振りかぶる。
リックは少女の手を掴んで逃げようとするが、少女はその場を動こうとしなかった。
「おい、お前、何やって」
「アナタのお名前は?」
「そんなこと言ってる場合か! リックだ。リック・グラディアートルだよ」
「分かりました。では、リック様。さがっていてください」
そう言って少女は一歩前に出た。
リックは改めて少女の姿を見て息を飲んだ。
メイド服を着た神秘的なほどの美貌を持つハーフエルフだった。引き留めようとしたが見とれてしまってリックは動くことができなかった。
トロールの巨岩のような腕が振り下ろされる。
少女の右手が僅かに動いたように見えた。
次の瞬間。
トロールの体は十文字に切断されていた。
トマトを踏みつぶしたかのように、トロールの血が周囲に飛散する。
「え?」
唖然とするリックに少女は言った。
「助けていただいてありがとうございますリック様。私はリーネット・エルフェルト。一応、冒険者をやっております」
リックはまるで石化の魔法をかけられたかのように硬直したままだった。
少女が一体何をどうやってトロールを倒したのか分からなかった。だが、自分よりも遥かに大きなモンスターを一瞬で倒したその姿は、華怜で美しくて目を離すことができなかったのだ。
そして、その姿がかつて自分がこんな風になりたいと思っていた、強大な敵に打ち勝つ強くてカッコいい冒険者の姿に重なる。
「どうしました?」
リーネットは無表情のまま小首をかしげてくる。
あ、かわいい。ってそうじゃなく。
「あ、その、いえいえお礼を言われるよなことは……てか、ホントにお礼を言われるようなことしてないか。結局キミが倒しちゃったしな」
「リーネットと呼んでいただいて大丈夫です。そんなことありませんよリック様。アナタはトロールに襲われそうになっている私の前に立ってくれた。嬉しかったです。何かお礼をできるようなことがあれば……」
「お、お礼? そ、そうだなあ~」
リックは年甲斐もなくテンションを上げる。こんなかわいい子からお礼させてくれなんて、こんなチャンスは30年間なかった。食事にでも誘ってそこを糸口に出来れば彼氏彼女まで、そしてその先の嫁……
などと一瞬で妄想したが、自分の口からは思いもよらぬ言葉が出た。
「……聞きたいことがあるんだ。リーネットは冒険者なんだよな? かなり強いみたいだしBランクくらい?」
馬鹿、違うだろ。食事の誘いだろ! と内心自分を罵倒するが口は勝手に動く。
「いえ」
「じゃあ、Aランクかあ。俺ギルドの受付で仕事してるけど、冒険者が戦ってるところ実際に見たことなくってさあ。どのくらい皆が強いか分からなかったんだよな。でも、やっぱりAランクって強いんだな」
「いえ、Aランクではありません」
「え? じゃあ、Cランク? 冒険者って皆そこまで強かったの?」
「Sランクです」
リックはポカーンと大口を開けて立ち尽くしてしまった。
Sランク冒険者。あまりの戦闘能力に通常のギルド登録からは外され、ギルド本部の上層部がそのデータを管理する規格外の冒険者。
文句なしの超一流冒険者だった。
なら、やはり、どうしても聞いておきたいことがあった。
「なあ、リーネット。今からちょっとおかしな質問するけど、笑わないで真剣に答えて欲しい」
「ええ、安心してください。私は10歳の時からここ7年間笑っていません」
「いや、それは違う意味で心配だよ……えーっと、その、俺さガキの頃の夢が冒険者になって、誰も倒せなかった隠しボス『カイザー・アルサピエト』を倒すことだったんだよ」
リックは色々と質問の仕方を考えたが、いい言い回しが思いつかなかったので思っていることをそのままに言葉にする。
「そこまでしたいなんて言わないけど、その、もしさ、もう30歳になっちゃった俺がもし今から冒険者を目指すとしたら……やって行けるかな?」
リーネットは少しの間じっと俺の目を見つめていた。
答えを待つリックの心臓はずっとドキドキと強く脈打っていた。
やがてリーネットは小さく瞬きしたあと口を開いた。
「私はアナタには冒険者にとって大事な『勇気』があると思っています。先ほど私を助けようと自分よりも強い相手に向かって飛び出していきましたよね。そうそうできることじゃありません」
「そ、そうか。それなら」
「ですが……『魔力』に関する常識はご存知ですか?」
「ああ一応な。20前くらいまでに鍛え始めないと、その後成長しにくいってやつだろ?」
「成長しにくいどころではないですわ。ほとんど育たないと言った方が正しいですわね。冒険者なら一定以上の『魔力』量は絶対に必須になります。そのことを踏まえると、私は正直にこう申し上げるしかありませんわ。『今からアナタが冒険者を目指して、やっていける可能性はほぼありません』と。『勇気』だけではどうにもならないことは、どうしたってありますから」
「……ははは、そうか。まあそうだよな」
その言葉を聞いて、リックは落胆よりも少し安心したような心地になった気がした。
実際、心臓の音は静かになっていた。超一流の冒険者の言葉だ。受け入れるしかあるまい。
もう、夢なんて見る年でもないのだから。
「リック様? 大丈夫ですか?」
リーネットがリックの顔を覗き込んでそう言ってくる。無表情だけど気遣いはしっかりできる娘のようだ。
「うん。悪くない気分だよ。むしろスッキリしたかな。いい夜だった。ちょっと昔の気持ちを思い出すことができて嬉しかったし、リーネットみたいな素敵な子にも会えたしな。本当はこの後に食事でも誘いたい気分だけど、俺は酒入ってるし夜も遅いからまあ大人しく帰るさ」
リックは踵を返して歩き出そうとした。
だが、その背後からリーネットの声がした。
「いいですよ」
「え?」
「確かに今日は難しいですが、明日の19時からなら時間を取れます。それとも、他の日にしますか?」
「いやいや、大丈夫。うん、その時間なら仕事も終わってるから。行こう! 6番地区にデザートのおいしい店知ってるんだ」
訂正する。今日は最高の夜だ!!
□□□
「~ふっふ~ん」
翌日の朝。リックは鼻歌を歌いながら受付の準備をしていた。
「あれ? 先輩今日はずいぶんと上機嫌ですね?」
隣の窓口に座るやけに乳のデカい後輩がそんなことを聞いてくる。
「ああ、まあな!! 今日も一日頑張ろうアンネくん!!!!」
「うわ、テンションたかっ!?」
受付開始の時間になる。ギルドの扉が開くと同時に冒険者たちが依頼を求めて流れ込んでくる。
いくらでも来るがいい! 今日の俺は無敵だ!!
今日最初の相手はザイードだった。
「おーう、リック! 今日の俺様は上機嫌だ、何せ初のBランククエストだからなあ。テンション上がって昨日は眠れなかっ」
「はいっっ!! 『シャドーウルフ討伐』クエストですね!!! 承りましたっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うわ、テンションたかっ!」
後編は本日20:00に投稿します。