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噂の酒乱女

噂の酒乱女~まずは飲み比べから~

噂の酒乱女と登場人物かぶってます。


単独でも読んでも大丈夫です。

「ううっ・・・・。」


目が廻る。気持ち悪い。


重みを増してぐらつく頭を残った意識を総動員させ支える。

視界は狭くなり、気を抜くと瞼が下がってきそうになる。今は意識を保っているのがやっとだ。


「なんだ、もう酔ったのか?」


目の前の男がしきりに何か話しかけてくるが、耳に水の膜がかかったように音が籠って聞き取りづらい。

あーもう五月蠅い。黙っててくれないかな。


先程から僕の前の席に座っている男の顔にははっきりと悪意が浮かんでいる。

何故かわからないが、入社二年目の僕は、二年先輩のこの男に飲み会の席で目を付けられてしまっている。

特別この男とは、親しい間柄ではない。

同じ会社でたまたま同じフロアにいるだけの男。部屋は一緒でも部署は別だし、仕事はなんの絡みもない。

無理矢理関係付けたいのであれば『同僚』と言えばいいのだろうか。

この男との普段の会話と言えば挨拶程度で、個人的な話はおろか仕事の話もしたこともない。にも関わらずこの会社で年に二回行われる忘年会と暑気払いの合同飲み会の席になると、なぜか毎回僕に絡み、酒があまり強くない僕に強い酒を勧めてくる。

そして、部署が違えど二年後輩の僕は、その勧めを断ることができない。


今は『飲みたくない酒は断ればいい』とよく言うが、気の小さい僕にはそれが出来ない。

だったら飲み会に参加しなければいいじゃないか。と言うかもしれないが、別に僕は飲み会自体が嫌いな訳じゃない。飲み会の雰囲気も、同じ部署の奴らも好きだ。つまり、この男さえ居なければ楽しく飲めるのだ。

だからこそ、強い意志を持って拒否をしなければいけない・・・のだが、なぜか僕は自分の意思とは反対に愛想笑い浮かべてしまい、無理やり酒を飲まされ、その度に潰されるのだった。

そして今もまた、何度となく繰り返されてきたことが再現されようとしているのである。



「・・・内野さん、もう勘弁してくださいよ・・・。」


僕の口から演技ではない弱々しい声が出る。

正直もう限界だった。このままだと非常にみっともない醜態をさらすことのなることが判っていた。


しかし、内野さんは引いてくれる気配はない。


「まあそう言うな。まだ注いだ酒が全然減ってないぞ。」


「・・・・・・。」


黒い笑みを讃える内野さんの目。弱っている僕を見てそんなに面白いのか。


僕の目の前には、並々と注がれたロックグラスが置かれている。グラスの淵から今にも溢れそうなギリギリこの状態は、確か小学校の時理科で習った『表面張力』ってやつに違いない。

アルコール度数32度。沖縄特産の泡盛だ。

グラスは程良く汗をかき、良く冷えている事を教えてくれている。決してまずい酒ではないことは知っているし、この状況でなければきっと美味しくいただくことができただろうと思う。

でも、アルコール度数が30度を超える酒は今にも胃から何かが戻ってきそうな僕には非常に厳しい。

意味がないと知りつつも最後のあがきと、意識がもうろうとしている振りをして時間を稼ぎ、内野さんが諦めるのを待つが、内野さんは根気よく僕に付き合ってくれる。 なんでこんな時ばっかり・・・。

そして、内野さんから発せられる威圧的な雰囲気が、僕に断ると言う選択肢をなくさせる。

今回も謂われの無い嫌がらせに負けてしまうかと思うと悔しくて堪らないが、前後不覚の現状では言い返す気力もない。



「・・・・わかりました。」


清水の舞台から飛び降りる気分で。とはこのことだろう。

後先考えずに一気に煽ってしまおうと泡盛が注がれたグラスを握りこもうとしたその時、誰も座っていなかった横の席から澄んだ声が振って来た。


「それ、飲まないなら、私がもらっちゃってもいいですか??」


その聞きなれた声は、いつも仕事でお世話になっている総務の水沢さんだった。



※※※※



「私、泡盛好きなんですよ~。」


颯爽と現れた水沢さんは目の前の泡盛をさらっと一気飲みすると、おかわりを要求するように内野さんの前にグラスを置いた。

水沢さんは酒豪で有名な女性だ。だからと言って、30度以上のお酒を一気飲みするのはどうかと思う。

水沢さんは少し酔っているのか、そばかすだらけの顔をほのかに赤くして満面の笑みを浮かべた。

普段は厚く長い前髪を下しているが今日は真ん中で分けられていて表情がよくわかる。

元々細い目を幸せそうに更に細めるので、眼が糸みたい細くなった。 これって前見えてるのかな?


内野さんはしかめっ面で舌打ちを一つすると、水沢さんのグラスに泡盛を注ぐ。

水沢さんと内野さんは確か同期だったはず。だからお互いに知らない仲ではないだろう。

その証拠に、幸せそうな顔でグラスを干す水沢さんに対して、内野さんは終始苦々しい顔をして水沢さんを睨みつけている。この目付きは昨日今日の知り合いと言う感じではない。むしろ積年の恨みを感じるのは僕だけだろうか。


「こんな美味しいお酒が飲み放題なんて、やっぱ会社の飲み会って最高ですね~。」


内野さんの禍々しいオーラを物ともせず、にこやかに僕に話しかける水沢さん。

勘違いしてはいけない。飲み代は『皆で割り勘』+『会社の重役達の補助金』で成り立っている。決して飲み放題ではない。が、確かに彼女が飲んだ分を一人で払うとなるとお金がいくらあっても足りないから、彼女にとっては割り勘で飲める飲み会は『飲み放題』みたいなものなのだろう。


僕はわずかに残った気力で、コクコクと頷く。

僕の反応に気を良くした水沢さんは、強烈な視線を放つ内野さんに視線を向ける。


「あれっ? 内野さん、グラスが空いてますよ。 一緒に飲みましょうよ!!」


水沢さんは内野さんから発せられる殺気を帯びた視線を軽くかわし、近くにある泡盛の瓶を傾け、内野さんに勧める。

しかし、内野さんはグラスを手元に置いて黙ったまま応えない。


「・・・どうしました、内野さん? もしかして、も・う・酔っちゃってて飲めませんか??」


「・・・・・・ふざけるな。」


内野さんから唸るような低い声が発っせられる。

内野さんも水沢さんに負けず劣らず酒豪だと聞いている。見るからにプライドが高そうな内野さんにこんな言葉を掛けるなんて、わざと気分を逆なでしようとしているようにしか思えない。

内野さんは眉間のしわ更に深め、眼光を強める。眉間のしわで名刺が挟めそうだ。

もちろん、気の弱い僕にはそんなことは出来ないけれど。

そんな内野さんの返答を聞いて、にっこりと笑う水沢さん。その笑みに黒い物が見え隠れしているように見えるのは僕の思い過ごしだと思う。


「じゃ、久しぶりに(・・・・・)『飲み比べ』しませんか?」


「・・・・・勝負方法は?」


僕だったらもうとっくに気を失っているだろう強烈な眼光を水沢さんに向けながら、内野さんは低い声で応えた。

すごい眼力だ。虫眼鏡で太陽の光を集めて紙を焦がすように、あの視線だけで紙に黒い穴が空くに違いない。もちろん口には出せないけど。

水沢さんは突き刺さるような視線を物ともせず、少し考え込むように人差し指を口に当て、視線を上げて何もない天井を見つめる。次に僕の顔を見てにっこり微笑む。そして最後に、射るような視線を向ける内野さんを挑むように真っ直ぐ見返してから満面の笑みを浮かべて答えた。



「・・・ショットガンでいきましょう。」




※※※※


質問: ショットガンとは?

答え: ショットグラスにスピリッツ(ジンやウオッカ等)と炭酸を入れ、蓋をし、テーブルに叩きつけて炭酸が泡立ったところを一気に飲む飲み方。強いお酒が炭酸と合わさることで飲みやすくなりますが、一気酔いが廻る為あまりお勧めはできません。


恥を忍んで質問した僕に、水沢さんはやさしく「あまりお行儀のよい飲み方ではないので、真似しないでくださいね。」と付け加え教えてくれた。




「スピリッツはテキーラでいいですよね。 勝敗は交互に飲んで、どっちかがギブアップするまで。」


「ああ。 いいだろう。」


二人はボックス席からカウンター席に移動すると、カウンターの中に居るマスターに飲み終わったら次のお酒を出してもらえるように頼んでいる。手慣れた感じが妙に気になる。


さっきまで渦中に居たはずの僕は、いつのまにか話題の外に放り出され、今となっては疎外感しか感じないけれど、なんとなく最後まで見届けないといけない気がして、一緒にカウンター席に移動した。


内野さんと水沢さんの前に小さなショットグラスが並べられる。


勝負と聞いて無駄にドキドキしている僕とは対照的に、終始笑顔の水沢さんと見るからに機嫌の悪そうな内野さんには特に気負った感じがない。


二人はしばしの無言の後、「じゃ、私から。」っと何気なく言って、水沢さんが蓋のついたショットグラスを机に叩きつけた。

タンッ!と言う音の後にシュワッっと弾ける炭酸。それを水沢さんは素早くクイっと飲み干す。

水沢さんが飲み終わったのを確認すると、内野さんも同じようにグラスを叩きつけ飲み干す。

二人のグラスが空くと、マスターが新しいショットグラスを二人の前に並べる。

それを同じように、水沢さんが飲み、次に内野さんが飲む。

空いたショットグラスがどんどんと横に置かれていった。

無駄な会話をすることもなく、焦った様子もなく、ゆっくりと、でも確実にグラスが並べられていく。

顔色が全く変わらない二人にすいすいと飲み込まれていく透明な液体は、実は唯の炭酸水なんじゃないかと僕に思わせる。


各々10杯ずつ飲んだ頃だろうか。

膠着状態かと思われた戦況が突然変わった。

顔色一つ変わっていなかった内野さんの体がグラッと横に傾いだのだ。


あわあわと慌てる僕を尻目に、水沢さんは内野さんの行動を予測していたかのか素早く片手で支えると、近くにあるグラスを避け、内野さんの腕をカウンターの上に乗せゆっくりとうつ伏せになるように頭を倒した。

その見事な手さばきは、これが初めてではないと言うことをうかがわせる。

慣れているのは酔っ払いの介抱なのか、内野さんのあしらい方なのか・・・。


カウンターにうつ伏せになった内野さんは、寝心地が悪いのか身じろぎして僕の方に顔を向け直した。

その寝顔は先程までのしかめっ面ではなく、子供のようにあどけない無邪気な寝顔で・・・僕はなんだか見てはいけないようなものを見てしまった気がして思わず視線を逸らす。

すると、自分の目の前に置かれたショットグラスが自然と目に入る。

そこには、内野さんが口を付けていないお酒が入っていた。


「・・・・・・・」


二人が水のように飲み干していたテキーラのソーダ割り。

叩きつけて飲む珍しい飲み方に、少し、いや、かなり興味があった。

見た目は小さなグラスに入っている透明な液体。炭酸の泡が少し浮いているだけで、危険な感じは少しもしない。


一杯くらいなら大丈夫だろう。


何故かそう思ってしまった。

そう、僕はすっかり忘れていたのだ。

さっきまでこのお酒を飲んでいた二人が『規格外』だったことを。



水沢さんをちらっと見る。マスターと何やら話込んでいるようだ。

恐らく、寝入ってしまった内野さんをどうしようかと相談しているんだと思う。

今僕に注目している人は誰も居ない。飲むなら誰も見ていない今だろう。


僕は目の前のグラスを手に取ると、二人のまねをして蓋を抑え机に叩きつける。そして勢い良く発砲した液体を一気に流し込んだ。

液体は強い刺激を口内に残し、食道を通って胃に流れ落ちて行く。


無味無臭。と言うか、味わう程の量もない。

僕は緊張していた分、思いの外あっけなく終わってしまったことにちょっと拍子抜けした。


なんだ、この程度なら僕だってイケるや。


さっきまで尊敬の眼差し(と言うか、人外を見る目)で見ていた二人が途端に身近に感じられる。

僕は余裕綽綽で空になったショットグラスを見つめていると、それは突然訪れた。


「っうっ・・・・・!」


急きょ訪れる胃から込み上げるような感覚。


やばいっ! そう判断した僕はカウンターから立ちあがり、トイレに向かって走った。

さっきまでの酔いの比ではない。真綿の上を歩いているように足元がフワフワして平行感覚がおかしい。目に映る物全てに現実味がないのに嘔吐感は半端ない。


もつれる足を叱咤しながらなんとかトイレまで辿りつくと、便座を上げ座り込み、お腹の中にある物全てを吐き出した。

しかし、いくら出しても回転する視界は変わらず、意識を飛ばしては込み上げる嘔吐感に目を覚ます。と言った最悪の状況を繰り返した。


今更ながら後悔する。あれは手を付けてはいけない飲み物だった。

今までにない最悪な状態に、体力的にも精神的にも限界まで追いつめられる。


5分なのか1時間なのか・・・朦朧とする意識の中で必死に便器にしがみついていると、温かい手がそっと背中を撫でた。


「宮澤さん、大丈夫ですか??」


心配そうに眉を下げた水沢さんが、僕の目の前にミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。

僕はお礼も言う余裕もなく、ミネラルウォーターを受け取ると半分位一気飲みする。

冷たい水が体中に沁みわたる。頭が幾分かすっきりとした。


「ありがとうございます・・・。」


慌てて立ちあがろうとしたけど、まだふらつく僕の肩を水沢さんは優しい手つきで抑え、背中をゆっくりと撫で続けてくれる。

トイレの床ですっかり冷え切った体に、水沢さんの手の温かさが気持ちいい。


僕を心配気に見つめる水沢さんの表情はまるで『聖母マリア』のように慈愛に満ち溢れていた。

その表情を見た僕は、思わず泣きそうになってしまった。


僕はイタリア人の父とアメリカ人の母のハーフだ。青い目。金色に近い茶髪。白い肌。高い鼻筋。そんな外見からか、会社で僕は『王子』と呼ばれている。

親の仕事の関係で物心ついた時にはすでに日本に住んでいたので、中身はバリバリの日本人だけど。

そんな特異な外見のおかげで、女性社員からはちょっと注目されていると思う。

毎日のように食事に誘われたり、告白だってしょっちゅうされる。

だけど僕は別に思いあがったりしない。きっと僕だってそんな変わった外見の奴が身近に居たら注目するだろうと思うから。

だけど、その中で一体、どれだけの人が本当の僕を見てくれているのだろうか。

実際、僕が内野さんから嫌がらせを受けたり、こうやってトイレで潰れたりしているのに、誰も僕を助けようとしない。

つまり、皆、僕の綺麗な外側しか見ていないんだ。ただ、ちょっと騒げる対象が欲しいだけだから、都合の良いところだけを見て、ダメな所や汚い所は見て見ぬ振りをする。

そのことに気が付いてから、僕に周りの人(特に女性)に対して不信感を覚え、距離を置くようになってしまった。


それなのに水沢さんは、トイレで吐いてるこんなに弱くて汚くて惨めで情けない僕に優しく接してくれる。


内野さんから僕を守ってくれた勇気ある行動はまさに『ジャンヌダルク』のようであり、労わるように背中をさする手つきはまるで『マザーテレサ』のようだ。


僕は未だかつて、こんな素晴らしい女性に出会ったことはない。



「すみません。同期の内野さんが迷惑かけて・・・。」


あぁ、あんな男の同期だからって水沢さんがあやまる必要はないのに・・・なんて心優しいん人なんだ。

僕は耳触りのよい天使のような声を追いかけるように、水野さんの顔を見上げた。



「もし・・・これからも内野さんが宮澤さんに迷惑をかけることがあったら、私に言って下さい。」



僕と目が合った彼女は形の良い薄い唇を三日月型に上げる。



「彼は・・・・・・私が、潰します。」



その微笑みは、圧倒的な力を持つ者が放つ全ての者を従えてしまうような魅力を持ったもので、僕の背筋にぞくりとした寒気が走った。



ああ、女神だ・・・。



その微笑みは僕の心臓を掴んで離さない。

心まで奪われた僕は、今までにない幸福な気持ちのまま意識を手放した。







※※※※



まずは、お礼から。

そしてお詫びに食事に誘う。


頭の中で散々シュミレーションした台詞をブツブツと呟く。


僕の仕事は広報だけど、僕はその中でも総務と絡みの多い仕事をしている。

今日もいつものように朝イチで総務に依頼をしなければいけない物を記したメモを持って総務の扉の前で立ち止まり、一つ深呼吸をした。

水沢さんとは毎日のように話をしていたけれど、いざ意識して話しかけようとするとすごく緊張する。


まずはお礼。そして食事に誘う。


何度目かわからない独り言を呟いてからドアノブに手を掛けようとした時、横から伸びて来た手にドアノブを奪い取られた。


「・・・・なっ!」


僕からドアノブを奪い取った男、内野さんは、薄笑いで僕を見下ろし(残念ながら僕の方が少し背が低い)総務の扉をさっさと開け放つと


「おい、水沢!! この書類はなんだ!!」


大きな声で水沢さんにつっかかっていった。


「えっ? あの・・・私ですか?」


厚く前髪を降ろした水沢さんが、俯き加減でボソボソと呟く。


そう、水沢さんはいつもこんな感じに自信なさげにボソボソと話す。

厚く下した前髪が邪魔で、表情はほとんど判らず、今まで暗そうなイメージしかなかった。

だから、この間の飲み会の席の彼女は、今までの僕の印象を180度変えたのだった。


「なんだ、この文章は!! こんな文章しか書けないで、今まで良く総務を続けられるな!!!」


その書類にさっと目を通すと、おどおどとした雰囲気の水沢さんを包む空気がふっと変わる。同時に口元が綺麗な曲線を描いて口角が上がった。


「内野さん、こちらの注釈を見ていただければわかるようになっていますよ。」


「・・・なっ! 」


内野さんの顔にさっ朱が差す。


「じゃ、これは何だ!! この間頼んだ会社名入りのボールペン、五箱のはずが二箱しか届いてないぞ!」


「注文用紙には二箱と書かれていますよ。」


水沢さんは慌てた様子もなく、机の上から注文内容の書かれた用紙をさっと選び出し内野さんに差し出す。


「・・・・・何っ! くそっ、 覚えとけよ!!!」


顔を真っ赤にした内野さんは、よくわからない捨て台詞を残し、扉を乱暴に開けて去って行った。

まあ、恥ずかしいだろう。あれだけ大きな声で自分の恥を曝した訳だし。


内野さんと言う嵐が去った後に残された僕はしばし呆然とするが、総務課メンバーは慣れているのか特に慌てた様子はない。

そんな僕に水沢さんが近づき、僕の耳元でこっそり囁いた。


「・・・こんな感じでいいですか?」


耳にわずかに掛る彼女の吐息と甘い匂い。厚い前髪のすきまから見えるのはいたずらっ子のような瞳。

思いがけない距離の近さに僕は顔を真っ赤にし体を硬直させ反射的に頷く。

新たに見せつけられた小悪魔的な彼女の魅力にまた心を持っていかれる。彼女はどこまで僕を夢中にさせるのだろうか?

水沢さんは呆けたように立ちつくす僕の手元からメモを抜き取ると、さっさとメモに書かれた文房具などを集め僕に手渡した。


「じゃ、お仕事、頑張って下さいね。」


ひらひらと手を振る彼女の声に押されて、僕は夢見ごこちのまま総務の部屋から押し出された。



それからも、何度か彼女を誘おうと試みてみたが、弱気な僕はいつまでたっても最後の一歩を踏み出すことが出来ない。さらには内野さんの嫌がらせなどもあり、結局のところあれから全く進展する気配すらない。

内野さんの陰に怯えながら廊下の隅から彼女を見つめ続ける毎日。

食事に誘うどころか気のきいた言葉すら掛けることも出来ない。その意気地のない姿は、自分を守る為に周りの人と距離を置くと言う方法を取る事しかできなかった、後ろ向きな自分の現れのような気がして、何もかもに自信が持てない自分が嫌になる。


どうしたら彼女との距離を縮めることが出来るのだろうか?

彼女に似合う男になる為には、どうしたら良いのだろう?


廊下の隅から彼女の姿を見つめうだうだと悩んでいると、知らぬ間に隣に男が立っていて、僕にこう呟いた。


「なあ、おまえ。 彼女に守られているだけで、本当にいいのか?」



そうか! 女性に守られているなんて、男としてダメじゃないか!!

内野さんから彼女を守る。そのために自分に自信をつけ、そして彼女を手に入れるのだ!!

そんな考えに辿りついた僕は『打倒!内野さん!!』を目標に掲げることにした。


自信を持って彼女の隣に立てる男になる!


そんな妄想を描きながら、まず僕は、内野さんに立ち向かう為に、アルコールに強くなる為の訓練を始めるのだった。






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