G-055 不審を問うもの
馬車の激しい振動で、この馬車が出しうる限りの速度で王都を目指しているのが分かる。
ガリウスはジッと目を閉じて話さない。
レリエルは不安そうに馬車の振動に耐えていた。
「それで、貴方は状況を見ているの?」
「……いや、聞いただけだ。話によれば左下腹部を長剣2振りを合わせた位の杭が貫通したらしい。その場にいた供周りの者達が、急いで【サフロ】で傷口を閉じたそうだ。そして貫通部を残したまま杭を切断したらしい」
重症だな。まだ生きているなら、ショック死はしなかったということか……。
話を聞くと板のような杭だ。内臓の損傷いかんではそれ程長くは生きられないぞ。
「腹を斧で抉った木こりを治療したとの話を聞いてな。公爵が最後の手段としてあんたを呼び寄せることを提案した。……ダメ元で治療を依頼すると言っていたぞ」
「確かにダメ元に近いわ。どの辺りを貫通したかがもう少し分かれば良いんだけどね」
私の呟きに、ガリウスは馬車の窓から前方を眺めた。
「あと1時間も掛からずに王宮に着く。直に女官が案内してくれる手筈だ」
100km近い道のりを3時間で駆け抜けたのか。
やがて、窓の外に高い城壁が見えてきた。王都を取巻く城壁だ。その城壁に沿って馬車は進み、大きな門を速度を落とさずに通り過ぎる。
ガラガラという車輪の音に負けないように衛兵と御者が怒鳴りあっていた。
「停める訳にはいかんかな」
「追って来るみたいだけど……」
「後は俺が説明する。あんたは王宮に向かってくれ」
窓から後ろを見ると大勢の衛兵が駆けて来るのが見える。
強行突破したんだからな。どんな罪になるんだろうか?
そんなことを考えながら馬車のシートに体を預ける。
大通りの混雑をラッパを鳴らしながら馬車が進み、やがてピタリと停止した。
直に、馬車の扉を開けて飛下りると、私のところに女官達が駆けつけてくる。
「お待ちしておりました。さぁ、こちらです」
私とエリエルの手を掴むと、女官達は先を争うように宮殿へと駆け込んだ。
入口ホールの階段を駆け上がり、更にもう1つ階段を上る。そこから続く赤い絨毯の敷かれた通路を走ると、数名の近衛兵が扉を守る部屋へと案内された。
「開けなさい!」
年かさの女官の一声で近衛兵が扉を開く。
近衛兵が扉を開くと、途端に薬草の匂いが鼻をついた。
中には数名の男女がテーブルを2つ合わせた急造のベッドに横たわる人物をジッと見ていた。
「陛下、やってまいりました」
壮年の男女が私に振り返ると、私達に歩み寄った。
「斧で腹を割った男の治療をしたと聞く。見てくれワシの王女を……。大神官さえ匙を投げておる。だが、万が一にも助ける事ができるなら、直してくれぬか。……勿論、結果がどうであれ、ミチル殿にお礼はするつもりだ」
「お願いします。王子は2人おりますが、王女はこの子だけなのです……」
国王は半ば諦めてる様子だが、王妃は私にすがり付いてきた。
子供を思う親の気持ちに変わりはないのだろうが、母親のほうが強く感じるのは庶民も王族も同じなんだな。
「見せていただけませんか?」
私の言葉に国王が頷いた。
王女を介護していた巫女達が壁際に寄る。
うっすらと血の滲んだ布を跳ね除ける。
王女は何も着ずにテーブルにシーツを掛けて載せられていた。
腹を貫通した杭は、杭というより板だな。横幅は6cm、厚さは1cm位だ。
右脇腹を貫通して皮膚より10cm程の所を鋸で切断してある。背中もそうだとすると、テーブルをあわせた隙間にこの杭があるんだろう。
顔面は蒼白で意識はないな。脈はしっかりしている。
【サフロ】で杭と皮膚を密着させているから内出血で少しお腹が膨らんでいるようだ。
「至急、外科治療の用具を2つ。レリエル、青かびを集めなさい。必要ないかも知れないけど一応念の為にね。この間の治療で使った分ぐらいで良いわ。それに大鍋と布と桶が必要だわ」
「急げ! 必要であれば女官を集めよ!」
国王の一言で部屋中が動き出した。
「どうじゃ?」
「時間が経過しているのが問題です。兵士が戦場で腹を刺されてどれ位助かりますか?」
「10人中、精々3人程だ。内臓が腐っていく。パラニアムを使って痛みを和らげてやるのがせめてもの慈悲だ。妃には言えぬが娘もそうなるだろう」
「この場合もその可能性が極めて高くなっています。怪我をしてから時間が経過していること。その間杭が内臓を傷つけたままです。これが後々の問題になります」
「対処する方法はないのか?」
「一応試みてみますが、薬剤ギルドさえ知らない方法です。私の国のやり方ですがかまいませんか?」
国王は私に歩み寄ると両手を握った。
「頼む。最後の望みだ。薬剤ギルドが何と言おうとミチル℃殿に迷惑は掛けぬ」
「安心しました。早速ですが、筆記用具をお貸しください」
小さなテーブルに用意された筆記具で、レリエルへの指示を書き付ける。
手術中に状況を確認していては手元が狂う恐れがあるからな。
箇条書きで、2枚に纏めたところへ、近衛兵が大きな木箱を持って入って来た。
直に王女の寝ている傍に小さなテーブルを移動して、金属製のトレイに道具を並べ始める。
そして、レリエル達が扉を開けて駆け込んできた。
皿を2枚反対に被せているのは、既に青かびを集め終えたのだろう。
「そこに指示書があるわ。女官さんはその指示書に従って、薬剤を作って頂戴! そして、レリエル。こっちを手伝って!」
「もう一皿青かびが届きますが……」
「それは、そのままにしておいて良いわ。壊疽を起こした男の子の方法を使いましょう。さて、腕をまくりなさい。始めるわよ!」
トレイの機材と両腕を出した私とレリエルの手に【クリーネ】を掛けていく。
そして、王女の背中と腹に【クリーネ】を掛けてからアルコールで良く体を拭き取る。
「背中から始めるわ。ナイフを取って!」
レリエルから受取ったナイフを使って杭の周辺を深く抉る。たちまち血が滴ってきたので布で抑えておく。
次に腹を縦に切裂いて背中と同じように杭の周囲を抉った。
背中の布を取り去るとゆっくりと杭が沈んで行き、背中からボトリと床に落ちる。
「背中に布を当てて止血するわ。ゆっくり体を動かすから上手く布を当てるのよ」
女官にも手伝ってもらい、王女の体の右側を少し浮かして、当て布をして薄い板をテーブル間に渡した。
いよいよ腹の中だな。カンシを使って腹を広げると、薄手の布を使って腹に溜まった血を取り除く。
腸の一部に裂傷がある。確認次第に【サフロ】で傷口を塞いだ。
そして、卵巣が一個潰れている。これは取り除く外に手は無さそうだ。
卵管を子宮出口で切断して、同じように傷口を閉じる。
腸を辿るようにして傷口がないか、再度確認する。腎臓は無事だな。大腸は傷が1箇所あるぞ……。
再び体の中の血を布で吸い取って、レリエルに薬がどうなったかを確認させる。
後ろに下がったレリエルがカップに半分位の水溶液を持ってきた。
問題は、これからだな。
認識力が魔法の効果を左右する。【クリーネ】と唱えた私は、この水溶液に含まれた有効成分以外の除去を念じた。
そして、その水溶液を腹の中に振りまける。
唖然とした表情で女官達が見ているに違いない。背後で一瞬鍔鳴りが聞こえたが気にしないでおこう。
たぶんこの行為に驚いてのことだろうからな。
「糸は準備出来てる! それと、お湯で絞った布に青かびを塗して!」
「ただいま、準備します!」
腹を縫い合わせる前に再度、布で腹の中の血を拭い去る。
そしてブスリブスリと5箇所程荒く縫い合わせると、その上に青かびを塗布した布を乗せて軽く包帯で巻いておく。次に、背中の傷も同じように縫い合わせて青かびを塗った布を被せた。
後は反物のような布で腹をグルグルと巻き付けた。
「術式終了。王女の体を拭って夜着を着付けてもだいじょうぶよ。そのままの姿勢を保ってベッドに運んで頂戴」
私が終了を告げると、年かさの女官が崩れ落ちた。
緊張に耐えられなかったのかもしれないな。
レリエル達が、使った道具をお湯で洗いながら木箱に戻している。
ほっとした表情をしている私とレリエルを近衛兵が別室に案内してくれた。
・
・
・
用意してくれたお湯の入った桶で軽く手を洗い、衣服についた血糊を【クリーネ】で落とす。
そんなことを途中で行って、案内された部屋は豪華なリビングだった。
繊細な調度品が周囲を飾っている。
窓際にある豪華なテーブルセットに座るように勧めて近衛兵が去って行くと、国王夫妻と大神官、それに老人が部屋に入ってくる。
席を立って国王に1礼し、国王達の座るのを待って再度椅子に腰をおろす。
「先ずは礼を言う。あのような無骨な場所で息を引き取るのはあまりにも不憫」
「先程覗きましたら、穏やかな表情で寝入っておりました。まるで何事も無かったように……」
「ここに招いたのは、どうしても確認したいことがあったからじゃ。青かびを用いる治療など聞いたこともない。王女暗殺を意図した訳ではあるまいの!」
「それは結果次第。そこまで治療に自信がおありなら、何故私を呼び寄せたのですか? たぶん貴方達の治療では今夜が山でしょう。明日中にはパンドラ王国内に訃報が届くでしょうね」
薬剤ギルドの長老だな。
自分で処置したのが、杭が刺さったままの【サフロ】ではお寒い限りだ。
「まぁ、その場合は薬剤ギルドが責任をとわれることになるでしょうね。あんな措置をしたままでいたんですから!」
そう言って、老人を指差した。
私の言葉と行動に驚いて全員が私達に注目する。
「そもそも薬剤ギルドには、何がどんな症状に効くかを研究しているんですか? 私の記憶は曖昧ですが。部分的に思い出せるものもあります。
私の国では、あの状態で運び込まれた場合であれば10人が10人とも治りますよ。
でも、この国では槍を受けた場合ですら、10人中助かるのは2、3人だと言います。この原因がどこにあるか分かっているんですか?」
「ちょっと待て! それを聞きたくてこの者達はやってきたのだ。ミチル殿をなじる気持ちは毛頭ないはず。……そうだな!」
立上がって薬剤ギルドの長老をなじる私を、慌てて国王が止めに入ると、きつい目で老人を見る。
私はゆっくりと席に戻った。
「私を、暗殺者とするならそれも良いでしょう。ですが、私をそのように仕向けた母体は全て滅ぼしますよ。別に、私はその結果に困りませんからね。
良く考えて発言しなさい。子供の戯言だという事で、ここは納めることにしますが……。それでは、簡単に青かびの効果をお話しましょう」
そういって、微生物と腐敗の話を始めた。
必ずしも有効とは言えないが、青かびにはそれを防ぐ力がある。
「私は王女の体の中にも使用しました。本来はこのような使い方はしません。ですが、あまりに長く杭を体内に入れていた以上、この方法の外は思い浮かびませんでした」
「何故、傷口に【サフロ】を使わぬ。あれでは醜い傷が残るではないか!」
「出てきなさい! そして、自分の身内にはそのように措置しなさい。痛みで泣き喚く姿を見て、自分の技を再確認すればいいわ!」
「聞く耳を持たぬ者は用は無い。近衛! ギルドの長老はお帰りだ」
はは!っと扉を開けて2人の近衛兵が老人を抱えるようにして部屋を出て行く。
入れ替わりに女官がお茶のカップが載ったトレイを持ってやってきた。
ここで一息という事だろうな。
国王がパイプを取り出すのを見て私もシガレイに火を点ける。
「あれで、悪気は無いと思うのだが、自分の知らぬことには排他的になるのかも知れぬな」
「はっきり言っておきます。2度の失言は無視出来ません。私がかの長老に連なることには一切係わりませんから、その旨お伝え下さい。
さて、先程の話の続きですが……」
あらためて、話を続ける。
私の話に、国王夫妻と大神官はジッと耳を傾けていた。
どんなことでも先ずは聞いてみる。疑問はその後で良い。
あの老人も、そんな聞く耳を持っていたらとつくづく考えてしまった。