G-003 2度ある事は3度ある
今日から、契約した仕事が始まる。
ベッドから起きると、浴室に向かった。片隅の洗面台に真鍮の水差しから水を注ぐと顔を洗う。もう春も終わりの季節だが、山の麓にあるこの町の朝は肌寒く感じるほどだ。
硬い木材で作ってもらった櫛で髪を梳かして纏めると、ベッドの脇にある椅子の上に畳んだ革の上下を着てブーツを履く。椅子の背もたれに掛けてある幅広のベルトを腰から少し落とすようにして着ければ着替えは終わりになる。
バッグの中の魔法の袋から銀色のパイプを取り出してベルトに挟んでおく。タバコは殆ど吸わないが、パイプは結構使い道があるのだ。
忘れ物が無いことを確認して外に出ると鍵を掛ける。コツコツと軽い音を立てて食堂兼酒場に下りていく。
「お早う」
カウンターを磨いていたおかみさんに鍵を返す。
「お早う。適当に座っていておくれ。今用意するからね」
やがて、朝食が運ばれてくる。
軽めに食べてお茶を飲み、早速仕事に向かうことにした。
よく考えてみると、この仕事は就業時間が長いように思えるな。まぁ、それ程キツイ仕事ではないし、それ程相談事があるとも思えない。とはいえ、一日中ギルドにいなければならないから退屈しそうだぞ。
そんな事を考えながら、ギルドの扉を開ける。
「お早うございます!」
「お早う!」
カウンターの娘達に軽く挨拶をすると、掲示板のところに歩いて行く。ハンターがいないから、のんびりと左から眺めていく。
赤は殆どが採取だな。白にも採取があるが、採取の難易度が遥かに高そうな名前の薬草が並んでいる。報酬も赤で採取する薬草報酬の3倍以上になるからね。
この辺りになると食肉用の獣を狩る者も多くなる。青は肉食獣の狩りだ。一人前と言われる所以はこの辺にあるのかもしれない。更に上級の黒になると、青では心許ない危険な獣が相手になるし、魔物を相手に戦う事もあるのだ。
一通り眺めたところで昨日のテーブルに移動すると、カウンターの娘さんがお茶を運んでくれた。
「朝と、昼にお持ちします。それ以外は通常価格となります」
「依頼書の通りと言う訳ね。なら、10時と3時にも運んで頂戴」
そう言って、娘の持つトレイに銀貨(100L)を1枚差し出した。
「一月分という事で……。それに貴方達にも協力して貰いたいわ」
更に、2枚の銀貨を先程の銀貨の上に載せる。
「あまり、協力は出来ないと思いますけど……」
「知ってることを教えてくれるだけで良いわ。それでも結構役立つんだから」
そう言って笑顔を娘に向けると赤くなって頷いてる。
娘がカウンターの向うに消えると、もう1人の娘と銀貨を分けているのが見える。まぁ、アシスタントのアルバイトを頼んだと思えばいい。
彼女達の情報は貴重なものが多い。ハンターのレベル、受ける依頼の傾向、この町周辺の狩場の状況、それに噂話もだ。
ギルドマスターなんかは比べものにもならないな。ギルドマスターはハンターの成れの果てと思っても過言ではない。優秀で名の知れた、それでいて仲間の信頼の厚い者が、ギルドマスターの推薦を受けて初めてなれるのだ。
お茶のカップと一緒に置いてくれたシガレイ用の皿を見て、ポーチからシガレイを取出して一服を始める。
少し早すぎたようだ。まぁ、最初は様子見も兼ねるからな。今日1日の様子を見た上で明日からギルドに来る時間と帰る時間を決めれば良いだろう。
シガレイを灰皿でもみ消した頃、ようやくハンターが現れた。
少年達だからたちまち赤レベルの掲示板が溢れている。ワイワイガヤガヤと騒いでいる様子はいかにも初心者ハンターって感じで微笑ましくなる。
そんな少年達を押しのけるように白や青の掲示板を見る者達がぽつりぽつりと現れ始めた。
私に課せられた依頼は、相談と特殊な手助けだから、そんな迷えるハンター達を待っていれば良い。
見ていると、次々に依頼書を引き剥がしてカウンターにもって行くようだ。
自分達の手で出来るなら、何も問題はない。殆どのハンターがそうしている訳だからな。ちょっとしたムチャで負傷したり、仲間を失ったりしてレベルを上げていくのだ。
命を失ったり、大怪我をしてハンターを諦めることになるのは問題だが、ちょっとした負傷はハンターには必要だと私は思っている。それはハンターの貴重な経験。同じ間違いを起こさぬように工夫が始まるのだ。それが出来ないハンターならば、早々に足を洗う方が良いだろう。次ぎも軽傷とは限らない。
「お前はシングルなのか? 俺のところでレザムの狩りを請け負った。レベルを上げたいなら同行を許可するぞ」
「シングルだけど、レベルを上げる必要は無いわ。それなりに収入はあるしね」
「薬草を漁っても、たかが知れてる。一度上げておけば何処のパーティでも仲間にはいれる筈だ」
「そうね、仲間はいたわよ。皆優秀だったわ。貴方と違ってね」
この手の誘いは何度も受けたが、私の体目当てが殆どだ。楽しんだ後は獣の囮にでもする気だろう。さて、どこまで食いついて来るんだろう?
2人程、私のテーブルに近付いて来た。コイツの仲間なのか?
「お嬢さん。どうしたね。コイツは意外と気が短いんだ。早いとこ仲間になった方が良いんじゃないのかい」
「そうだぞ。前の村でも黒3つのハンターの腕を折った位だからな」
「まぁ、お気の毒に。……でも、この程度の男に腕を折られる黒3つなら、良かったかも知れませんね。それで、ハンターを廃業すれば狩りで命を落とす事も無いでしょうし」
そう言って、自分の体に【アクセル】そして【ブースト】を掛ける。
さて、どう来るかな?
「この、アマ!」
いきなり太い腕が、私の顔に向かってきた。椅子ごと後ろに仰け反るように体を投出して、後転しながら体を起こす。
「良い度胸ね。今日は狩りはお休みだから、相手をしても良いわよ」
「なんだと!」
そう言いながら再び殴り掛かってきたところを、軽く受け流して背中に肘打ちをしてやった。
バタンっと良い音をたてて床に転がったまま動かない。時々ピクピクと体を痙攣させてる。
それを眺めて、微笑みを浮かべたままテーブル越しに2人の男に話掛ける。
「やぁねえ……。突然倒れるなんて。ちゃんと食事をしてるのかしら?」
男達は私と床の男を見比べていた。へらへらした顔付がだんだんと赤くなっていく。
「てめぇ、何をした!」
「あら?何もしてないでしょ。見てなかったの?」
「ぅるせえ!」
そう言い放つと長剣を抜いた。
此処はギルド。ギルドでの抜刀はご法度だ。大人しく床の男を回収して帰れば、ハンターは続けられたのに……。
「あら? ギルド内で剣を抜くことは禁じられてるのは知ってるでしょう。今収めるなら、告げ口はしないけど」
「余計なお世話だ。幸いギルドにはカウンターの娘とお前だけ。後は奥に年寄りのマスターがいるだけだろう。お前等を殺って、カウンターの金を持ち逃げすれば誰がやったかは分らなぇ。コイツのギルドカードを回収して止めを刺しておけばどこに行ってもハンターは続けられるさ」
なるほど、それなりに考えてるな。確かに可能な話だ。私が此処にいなければな。
「そういう訳だ。だが、直ぐには殺さんぞ。ゆっくり刻んで殺してくれと泣き叫ぶまではな!」
いきなり長剣が2本、俺に向かって突き出された。
なるほど、連携は取れてるようだ。だが、言葉とは逆でいきなり心臓を狙ってきたぞ。
テーブルを離れてホールの中央に歩いて行く。さて、次ぎはどう来るのかな?
「なかなかやるようだな。だが、俺達は2人だ。何時までもかわすことは出来ないぞ!」
「そうでもないわ。直ぐに終る筈よ」
私の徴発に乗ってきた男が、大上段から剣を振り下ろす。何時の間にか私の横に移動してきた男が、私に向かって長剣を横に薙ぎ払う。
連携に僅かな差があるのはいかんともしがたいな。たぶん道場もしくは軍隊で鍛え上げられたのだろうが、完成には至っていない。
あえて1歩前に出ると腰のパイプを素早く引き抜く。男は振り下ろした長剣を、今度は上に向かって斬ろうとしている。その利き腕に力一杯パイプを叩き付けた。
そのまま脇の男の背中に回りこむと、背中の心臓の真上にパイプを打ち付ける。
素早く2人から離れて振り返ると、1人は腕を押さえて蹲り、最後の男は床にゆっくりと倒れ落ちる途中だった。ガタン!っと倒れた男はそれっきり動かない。
パイプをクルクルと回してベルトに挟むと、暖炉に行ってシガレイに火を点けた。
「警邏隊を呼んでくれない?」
「はい、ただいま!」
カウンターの娘の1人が、ギルドから外の通りに向かって走っていった。
暖炉の傍にあるベンチに腰を下ろしてシガレイを楽しんでいると、数人の男が走ってきた。
「ギルドで抜刀だと!お前か?」
いきなり犯人呼ばわりされたので、奥の3人を指差して教えてあげた。
ちょっと気になったので、男のカードの紐を首から引きちぎると、カウンターの娘に投げて調べさせる。
「これは……偽物です! 見た目は分りませんが」
「罪がもう1つ増えたわね。ギルドでの抜刀はハンター資格の剥奪だけど、この場合はどうなるのかしら? 後は、傷害未遂に強盗未遂。たぶん前もあるでしょう。じっくり吐かせる事ね。そっちの男は肋骨を折っているわ。この男は利き腕の骨を粉砕しといた。そこに寝てるのは、心臓にダメージを与えといたから動くのも困難な筈よ」
そう言って暖炉の傍に戻ると、再びシガレイに火を点けた。
更に3人の警邏がやってくると、最初に来た男と何事か話している。40代の壮年の男だ。それなりに筋肉がついているから軍隊から警邏部隊に転向したんだろうな。軍の仕官になれないものが警邏隊の隊長になるのは良くある話だ。カウンターの娘に事情を聞いている後ろでは3人の男を運び出している。意外と治安維持の方が軍隊よりも大変な気がするな。
そんなことを考えている俺のところに、その男がやって来た。俺の近くに椅子を運んできて座り込む。
「俺はナルミルの警邏をやっている。すまんが、ギルドカードを見せてくれないか?」
「はい……」
ギルドカードは銀の鎖で首に掛けている。
ゆっくりとした動作で、首から外してカードを男に渡した。神妙な面持ちでそのカードを眺めていたが、やがて俺に帰してくれた。
「噂には聞いたことがある。全身黒ずくめのハンターは、パイドラ王国で頂点に立つハンターだとな。家に帰ったら息子に教えてやろう。お前の親父は黒姫殿に会った事があるとな」
「あまり、その2つ名は好きではないんです。ミチルとお呼びくださいな」
「それでは簡単な質問だ。昨日の宿屋そして通りの騒ぎはミチル殿の仕業なのか?」
「そうですけど、あれは正当防衛です。その辺は加味してくださいね」
やっぱりって顔をしてるな。
「私が警邏隊長に任じられた時に、2つの事を上司より言い付かりました。1つはギルドを上手く使え。そしてもう1つは黒姫殿にあった場合は……、その指示を守れ。何をバカなと今まで思っていましたが、なるほどと昨日思った次第です」
「私を捕まえないと?」
「何の罪で? 先ずは無理でしょう。真実審判では私の負けが確定することは間違いないでしょう。目撃者は全て先に手を出した方を教えてくれています。カウンターの娘達も同じでした。正当防衛であれば仕方がないことです。そして、この町の治安に協力いただいて感謝します」
結果的に治安に協力したことになるのかな?
まぁ、問題が無ければそれでいい。
「後学のために教えてください。ギルドでの抜刀は御法度の筈。あの2人は抜刀していましたが、貴方はどうやって対峙したんですか?」
「これよ。パイプは剣ではないわ」
そう言って、ベルトからパイプを抜いて警邏に渡した。
「銀に見えますが、少し軽いですね」
「上辺は銀だけど、中身は鋼の筒よ。中型の獣ならこれで狩れるわ」
私の言葉を聞いてマジマジとパイプを見ている。
「私には無理ですね。確かに抜刀していないことを確認しました。それでは……」
そう言うと、私に頭を下げてギルドを出て行った。
カウンターの娘達がモップ持ってテーブル周りを掃除している。ちょっと出だしが悪かったかな。まぁ、ある意味退屈凌ぎにはなりそうだけどね。