五話
私達ウォーゴブリンは、他のゴブリンとは少し異なった体型をしているらしい。
二足歩行であり、人間に似た形状をしているところは同じではある。
しかし、通常のゴブリンよりも腕が長く、がっちりとした体つきをしているのだそうだ。
たしかに私の腕も人間であった頃のそれとは比べ物にならないほど長い。
腕をまっすぐに伸ばすと、膝の位置まである。
かといって、ひょろ長いわけではなく、寧ろゴリラなどの類人猿にも似たがっしりと強靭な作りをしている。
足も短いわけではなく、寧ろ太く力強い。
総じて、人間のそれとは比較にならないほど太く逞しい形状なのだ。
驚くべき点は、首すら太ももほどに太く、弱点になりそうにない外見をしているところだろうか。
人の形をしているのに、おおよそ華奢な点が見受けられない。
しいて言えば、指ぐらいだろうか。
もっともその指も、手そのものがグローブの様に頑丈そうでクルミ程度であれば握りつぶしてしまいそうなほど頑丈なのだが。
先に「他のゴブリンとは少し異なった体型をしているらしい」といったが、それは私が他のゴブリンを見たことが無いからだ。
絵などでは説明を受けたのだが、実物は見たことが無い。
世の中にはかなりの数のゴブリン種がいるらしく、それらはかなり外見的に異なっているらしいのだ。
例えば、かなり知能が高く、人間の中に混じって生活をしている種族もいるという。
逆に知能が低すぎて、食欲と性欲しかないような、私の昔のイメージどおりのゴブリンも居るのだと言う。
こういうのを生物多様性というのだろうか。
実に興味深いことである。
さて、私達ウォーゴブリンの腕は、武器を扱ったり殴ったりするだけのものではない。
走ることにも使うことが出来た。
何せ膝まで届く長い腕だ。
少し屈めば、簡単に地面に手がつく。
手は足の裏ほどに頑丈なので、地面に接地する衝撃にも耐えることができる。
この走り方はかなり有用で、目測ではあるが100mを7秒弱で駆け抜けることが出来た。
しかもこれは私の記録であり、それよりも足の速いものは多数居るのだ。
それも、子供の中に、である。
これが大人であったら、一体どうなるのか。
実に私達ウォーゴブリンの体というのは素晴らしいものといえるだろう。
ちなみに、「ぼっつ」は約100mを10秒強で走る。
ウォーゴブリンとしては、かなり遅い。
遅い方、ではなく、遅いのだ。
それでも彼自身は必死に走っているらしく、走り終わるとひぃひぃと息を荒げならだ地面に転がっていた。
頭が良い人物というのは、体が弱いものなのだろうか。
なんともアンバランスな気がしなくも無い。
ちなみに、私達のグループで一番足が速いのは「りぃむ」だ。
次点で私なのだが、彼女の俊足ぶりには到底及ばない。
アレだけ足が速ければ、きっと「りぃむ」は良い偵察兵になるだろう。
最もかなり好戦的なので、強行偵察になることが多くなるだろうが。
訓練も大分本格的になってきていた。
体力作りの為の走りこみ等は勿論、石製や木製の武器等を使った模擬戦も始まっている。
これは実際にゴブリン同士の戦闘を想定したものではなく、武器の扱いを覚える為のものなのだという。
魔獣などとの戦いを想定した模擬戦闘は、以前「ぼっつ」が見せてくれた脚の付いた丸太を使うのだとか。
たしかにあれは魔獣に見えるかもしれない。
あれは荷物を運ぶ程度しか出来なさそうにも見えたのだが、何でも使うものが使えばかなりの戦力になるのだという。
主に槍や刃物を装備させるらしいのだが、その突進力や機動力はかなりのものなのだとか。
あまりそのようには見えなかったが、まあ「ぼっつ」がそういうのだから、そうなのだろう。
ふと、生まれ変わる以前、妻と通っていたカルチャー教室の事を思い出した。
いくつか通った中に「ラジコン教室」というのがあったのだが、あの丸太はラジコンと似たようなところがあるのかもしれない。
最初は全く思うように成らなかったのだが、どういうわけが妻は私よりも器用にそれを使いこなしたのだ。
優越感の浮かんだ妻の表情に、私の闘争心に火がついた。
毎朝三時に起きて練習した結果、ようやく私は妻と張り合える腕になったのだ。
その頃には妻もかなりこなれて来ていて、よく腕を競い合ったものである。
ヘリ、レシプロ機、車の四駆、等々。
どれもこれも最初はぎこちなくまともに動かすことも出来なかったが、練習さえすれば思い通り動かすことが出来た。
きっとそれと同じように、あの丸太も扱い方次第で凄まじい戦力になるのだろう。
あれを扱う専門の兵科もあると聞いたが、いつか見てみたいものである。
きっと訓練が進めば、見えることが出来るだろう。
さて。
私達は、武器を使った模擬訓練の真っ最中であった。
一人一人いくつかの武器を持ち、大人のウォーゴブリンに戦いを挑むのだ。
今戦っているのは、ナイフで武装した「くりっつ」である。
胸や肩、脚などにも何本かナイフを差していて、手に持っているのもナイフだ。
ナイフだらけである。
何故そんなにナイフなのだろうか。
そういえば彼女が長柄物を持っているのをあまり見たことが無い。
一度だけ短槍を持っているのを見かけたことがあったが、どうもしっくりこない様子で首をかしげていた。
彼女が極端に表情を出すのは珍しく、声をかけてみたのだが、なんでも弓やクロスボウの邪魔に成らない武器が欲しいのだという。
現実の世界であれば、スナイパーは副武装としてサブマシンガンなどを装備するのだろうが、生憎この世界にはそんなものは存在しない。
私が「毒を塗った投げナイフなどでどうか」と提案したところ、酷く感銘を受けた様子で頷いていた。
失敗しただろうか。
それ以来、彼女の装備は多種多様のナイフになっているのだが。
いま「くりっつ」と向かい合っているのは、まだ若い兵士だ。
若いとはいえ、立派なウォーゴブリンの戦士であり、実戦経験もある男である。
その構えは実に堂に入っており、隙も少ない。
装備しているのは鉈のような分厚い剣と、何本かのナイフだ。
その装備を見て、私は思わず唸ってしまった。
獣と戦うのであれば、多くの者は距離をとって戦いたがるだろう。
例えば、槍のような長柄物を選ぶものが多いと思う。
だが、森の中で戦うということを考えてもらいたい。
私達ウォーゴブリンの狩場の多くは森の中であり、そこでは木の枝や草が邪魔で槍などは扱いづらいのだ。
そこで選ばれるのが剣なのだが、実はこれもなかなかなやましい点がある。
剣は大きく振らねば威力が出ず、獣に致命傷を与えられない。
突き刺せばよいのではるが、それでは距離が詰められてしまう。
近付いてしまえばやはり獣のほうが強力であり、爪の一振り、牙で一噛みもらってしまえば形勢は逆転してしまうのだ。
そこで役に立つのが、鉈などの厚手の武器である。
重く、分厚い分少ない動作で高い威力を発揮する。
そして、周りの枝や草をはらうのにも使うことが出来るのだ。
剣でも代用できるだろうが、あくまで代用にしかならない。
森の中で汎用性が高いのは、やはり鉈のような分厚く短い剣なのだ。
青年は、片手に持った鉈を僅かに動かしながら攻撃へ出るタイミングを見計らっているようだった。
対峙している「くりっつ」は、その鉈の動いを見ながら、相手の出方をうかがっている。
これは良くない。
そう思いつつも、訓練中は声をかけることを禁止されている。
はらはらしながら見守っていると、案の定青年は鉈を持っていないほうの手をすばやく動かした。
身体にくくりつけてあったナイフを取ると、素早く「くりっつ」に向かって投擲する。
上手い!
実に見事な攻撃だった。
身体のほかの部位は殆ど動かさず、腕だけで投擲して見せたのだ。
その分勢いも威力も落ちるが、この場合は速度と他の部位を動かさないことこそ重要なのだ。
案の定意表を突かれた「くりっつ」は、飛び退いてナイフを避ける。
腹をめがけて飛んで来たそれは避けられたものの、ついで迫る青年の剣への反応は遅れた。
逆手に持ったナイフで一撃こそ凌ぐが、そも、打撃力が普通の剣の比ではない。
例え木製とは言えど、純粋に大きい分それは鉄製のときと同じだ。
「くりっつ」は僅かに眉間に皺を寄せただけであったが、衝撃は相当であっただろう。
それでも空いた手で青年にナイフを突きつけようとしたのは、さすがとしか言いようが無い。
青年は身体をずらしてそれを避け、ナイフを持った腕を掴んだ。
そして、鉈を「くりっつ」の首へと押し上げる。
審判役の大人の声がかかり、「くりっつ」の訓練は終わった。
わずかに悔しそうな表情を見せる「くりっつ」だが、彼女ばかりを責める事は出来ないだろう。
これはあの青年の技術の勝利でもあるのだ。
注意をそらさせ、相手の意表をつく。
基本的な技ではあるが、だからこそ有効で強力な物なのだ。
そしてあの青年は、意表をつくために「相手の気を引く剣の動き」をして見せたのだ。
いわばそれは、その動きそのものが相手の気を引くための技である。
経験の少ない「くりっつ」に、初見でそれを察しろというのは酷だろう。
まあ、これは訓練だ。
こういう相手もいるのだと分かれば、対策のし様もある。
これでまた「くりっつ」はひとつ新しいことを学んだわけだ。
そんなことを考えていると、今度は私に声が掛かった。
自分のみにつけた武器をさっと見て、私は先ほど「くりっつ」が戦っていた青年の前に立つ。
改めてこうして対峙すると、実に立派な体格の青年である。
立ち居振る舞いからも、よく訓練している様子が見て取れる。
何より、目が良い。
相手を正面から見据え、その力量を推し量ろうとしている。
気を使ったり敬意を払う事ばかりに気を取られている目や、ただただまっすぐな視線の数倍良い。
隙あらば取って食ってやろうというその視線は、私が生まれ変わる以前の教え子達には、ついぞ見られなかった物である。
知人の道場に稽古に行った時、少年たちの中に一人だけそういう目を持った居たのだが、あの時はその知人を妬んだものだ。
良い弟子に恵まれるというのは、生涯の宝を得るに等しい。
もっとも、私は妻を娶ったときにそういった運を使い果たしたのかもしれないが。
まあ、それも生まれ変わる前の話ではあるのだが。
そんなことを考えているうちに、構えの合図が掛かった。
私は手にしていた木刀を両手で握り、青年へ向けた。
そう、木刀である。
なんとうれしいことに、この世界には刀があるというのだ。
入手は困難だというか、この本拠地には何本か備蓄があるという。
これは是が非でも手に入れねば成らないだろう。
使いやすい得物というのは、咄嗟のときに自分の命を助けてくれるものであるのだから。
開始の合図がかかり、青年は早速鉈を揺らし始めた。
なるほど。
正面から対峙すれば、たしかに気の抜けない動きである。
何時その鉈が自分めがけて飛んでくるかと、目線がそちらに行ってしまうのもよく分かる。
昔これに似た技を使うものが居たが、あれはかなり苦戦したものだ。
しかし、そのときの相手に比べれば、青年の技術はまだまだ拙い。
もっとも私達のような子供相手に本気の技を見せているとも思えないので、わざと大きな動きで分かりやすくしているのだろうが。
こういう使い手は、相手の事をよく見るものである。
例えば視線。
自分の張った罠に掛かっているようであれば、相手の視線は鉈に向いているはずだ。
視線が鉈を追っていると確認できてから、攻撃を仕掛けるわけだ。
逆に相手が乗ってこないのであれば、また別の対処をする必要がある。
まだ見ては居ないが、十中八九青年にもそこからの技はあるだろう。
であれば、一度見せてもらった動きをしてもらうほうが、対処はしやすい。
私はわざと青年の持つ鉈に視線を向け、その動きを追って見せた。
だが、意識自体は、周囲一体へと向ける。
その気になれば、視界の中央ではなく、視界の端に意識を集中することなど簡単だ。
車の運転中、まっすぐ前は見ていても、視界の端にも意識が向いているのと同じようなものである。
青年は私の視線が鉈に集中しているのを確認すると、僅かに眉間に皺を寄せた。
どうやら、何か仕掛けてくるつもりのようだ。
生まれ変わる直前は老眼で目がよく見えなかったものだが、今は視界の端で青年の目の動きを確認できるほど、よく見えている。
若いというのは、なんともかけがえの無いものだ。
動きを見せたのは、青年の足元だった。
足の指が折り曲げられ、砂を掴んだのだ。
ウォーゴブリンは脚が頑丈なので、素足で行動するものも多い。
足跡を残さない為や、足音を消すためにわざと靴を履くものもいるので、履くものと履かないものとでは半々といった所だろうか。
なので、素足であることには不自然は無い。
それに、足の指に力を入れる動作は、踏み込みの為の動作とも取れる。
脚に力を入れて、鉈を振るう準備をする。
ように見せかけて、足で砂を掴んだ訳だ。
恐らくはあの砂をこちらに投げつけ、その隙を突いて攻撃を仕掛けるつもりだろう。
なかなかに良い手だ。
砂による目潰しは、私が師匠に教わった技術のひとつでもある。
同門の相手と相見えているような気分だ。
しかし、それにしては不自然に足の甲が上がりすぎだろう。
あれでは踏み込みの為に力を入れているのではなく、何かを握るための動作だとばれてしまう。
最も今は訓練なので、恐らくはわざとそう見せているのだろう。
大人というのも大変なものだ。
青年が足を振り上げる動作に入ったところで、私は身体を低くし一気に踏み込んだ。
投げられた砂の下を潜り、振り上げた足のすぐ下まで潜り込む。
僅かばかり上体を起こし、青年の足首を自分の肩にあてがい、ほんの少し上に持ち上げてやる。
人体の構造上、自分の意思ではなく足を持ち上げられると、上手く動けなくなるものなのだ。
それはウォーゴブリンでも変わらない。
その間に、鉈を持った青年の腕に木刀を宛がうことも忘れない。
刃を当てるのは、当然腕の筋の部分だ。
これで、身体を起こせば青年は倒れ、腕を切られ武器を取り落とすことになる。
審判役の大人の声が、勝負がついたことを知らせてくれた。
訓練の様子を見ていた大人達や子供達から、どよめきが起こる。
実際、私も大いに感心していた。
この青年の先生役としての動きが、実に見事だったからである。
私は指示された場所を、指示されたように叩いただけなのだ。
私が礼をすると、青年もそれに合わせて私に礼をする。
組み手が終わった後の挨拶だ。
元の位置に戻ろうとする私に、青年はいささか呆れたような表情で言葉をかけてくれた。
実に良い腕だ、驚いた、というような内容である。
私はにっかりと笑い礼を言うと、元の位置に戻って座った。
他の子供達が、驚きの目を私に向ける。
全くこんなことで驚いていてはいけない。
実力を隠してさえ、大人はあの腕なのだ。
あの青年もその気になれば、私など圧倒して見せるだろう。
何より驚くべきは、実力を隠すことのうまさだ。
油断を誘う為には実に有効で、実に実践的な技術といえる。
私は改めて、大いに感心しながら他の子供達の、訓練の観察に戻った。
彼等はいつか共に戦う仲間である。
その動きのクセや思考を覚えることも、また訓練であるからだ。
訓練が終わるのはまだ日があるうちであることが多く、帰宅する時間になるまである程度余裕がある。
子供達にとっては、かっこうの遊びの時間だ。
私も同じ穴倉で育った仲間達と共に、遊びまわっていた。
遊び場になるのは専ら「ぼっつ」のヒミツ研究室であった。
私達で崖に掘った穴に、くすねてきた機材を運び込んだものである。
力仕事はお手の物なので、広さもなかなかあり快適だ。
「ぼっつ」が凝り性なので、壁面もきちんと整えられており、私達が幼少期を過ごしたあの部屋と比べても遜色ない。
私達がいつもの様に、具体的には「こるて」と「りぃむ」が殴り合い、「くりっつ」がハッカのような味のする葉っぱを噛み、私が筋トレをしていると、突然「ぼっつ」が頭を抱えて叫び声を上げた。
彼は研究や開発が行き詰るといつも叫んでいるので、気にとめるものはいない。
私がどうしたのか、と訪ねると、「ぼっつ」は私に詰め寄ってまくし立てるように話し始めた。
内容を要約すると、こんな具合だ。
例の脚の付いた丸太に、クロスボウを装備させることになった。
あの丸太には遠距離で操作するための視覚情報を送るカメラのようなものも付いていて、それをクロスボウの照準器に仕掛けることで狙いをつけることにしたのだそうだ。
ただ、風の影響などの細かな気象条件、弓の形状や羽の曲がり具合など、クロスボウでの狙撃にもやはり生身での感覚は必要であるらしい。
それが分からない視覚情報だけの射撃は、どうしても精度が落ちるのだという。
私達が相手をするのは魔獣や魔物であり、ある特定の部位を正確に射抜くことが必要になることもある。
その一撃でとどめになることもあり、クロスボウでの攻撃は精度を要求されるのだ。
「こるて」が、そういうのは大人の仕事なんじゃないのかと呆れ顔で呟く。
その言葉に「ぼっつ」は、これはあくまで個人的な研究なのだと答える。
どうやら「ぼっつ」は自分であの丸太を自作するつもりのようなのだ。
地球で言えば、中高生が戦車を自作するようなものだろうか。
実に恐ろしい話である。
話を聞いていた「くりっつ」が、私ならば外さないという。
実際その通りなので、私を含む四人はなんともいえない顔で頷いた。
まあ、兎に角射撃というのは精密作業で、職人技であるところもある。
私は、成らばいっそ連射してみればどうか、と、提案した。
下手な鉄砲数撃ちゃあたるということわざもある。
何十発とすばやく打ち込んでやれば、そのうち狙ったところに当たるだろう。
そんな私の提案に、「りぃむ」は呆れたように肩をすくめた。
たしかにそれなら当たるかもしれないが、クロスボウと言うのはそんなに連続で打てるものでもない。
そもそも、弓ですら一分間に何本という射撃速度なのだ。
魔獣などが使う速射ブレスでもあるまいし、そんなに撃つことはできないだろう、と。
いわれてみればその通りだ。
そもそも丸太に取り付け遠隔操作で撃つクロスボウであるから、矢の装填も難しい。
やはり無理か、そう言おうとした私の手を、いつの間にか間合いをつめていた「ぼっつ」ががっしりと掴み取った。
速い。
接近に全く気が付かなかった。
面食らう私を他所に、「ぼっつ」は私の腕をぶんぶんと振り回す。
「までぃ」、君は天才だ、などとよく分からないことを叫びながら、狂喜乱舞する「ぼっつ」。
どうやら私の言葉が、何がしかのヒントになったらしい。
そんなことが有ってから数日後。
「ぼっつ」がやたら大きなクロスボウを開発した。
本来矢があるべき部分には、矢筒のようなものが取り付けられている。
それにしても、大きい。
抱えている「ぼっつ」はよろよろしているが、彼でなくても持つのは困難だろう。
まるで重機関銃かガトリング砲のようである。
私も生まれ変わる以前扱ったことがあるが、あれはとても一人で運べるようなものではなかった。
まして森の中で扱うようなものではない。
「りぃむ」がなんだそれは、と尋ねると、「ぼっつ」は胸を張って応えた。
なんでも連射式クロスボウなのだという。
あの矢筒は特殊な構造をしており、効率的にクロスボウに矢を装填するのだという。
弦を引く機構は既に開発済みだから、これで毎秒五発は撃てるのだとか。
私が従軍時代扱ったことがある「92式重機関銃」が確か毎秒七発で、現代の平均的なサブマシンガンは確か毎秒10から15発だったはずだ。
それから比べればけして多くはないが、クロスボウであるということを考えれば破格だろう。
私は「くりっつ」が喜ぶかと思ったが、彼女はあまり良い顔をしていなかった。
聞いてみると、あんなでかい物を抱えて走ったり隠れたりできるか、との事である。
まあ、もっともだろう。
このクロスボウは、例の丸太に取り付けるために開発したのだという。
しかし、でかい。
なんにしてもでかい。
もう少し小型にして、我々も扱えるように出来ないのか。
そう尋ねてみると、「ぼっつ」は難しい顔で唸り始めた。
小型にするとその分矢を小さくせねばならず、威力が落ちるのだという。
それに弓の部分の威力も落ち、連射が出来ても刺さらないものになってしまうのだとか。
なんとも悩ましいところである。
それにしても本当に、「ぼっつ」の頭の中はどうなっているのだろう。
頭のいい人間というのは、あんな言葉一つでこんなものを作り上げるのだろうか。
実に恐ろしい事である。
このほかにも、私の一言が発端で出来た、という兵器はいくつかある。
頭の部分に爆薬を仕掛けたハンマーや、先の部分に「ぐれねいどぅ」を取り付けて相手を爆撃する槍などである。
そういったものを作るたびに、「ぼっつ」は私の事をアイディアの天才だと誉めそやすのだが、作っているのは彼なのでそれはないだろう。
今も彼は、爆発のエネルギーを一点に集中できないかと悩み頭を抱えている。
私は首を捻りながら、筒に入れるだけではいけないのか、と尋ねてみた。
彼のことだから、爆発の衝撃を筒状のもので集中する方法はもう思いついているだろうと思ったからだ。
私の言葉を聴いた「ぼっつ」は、目から鱗が落ちたとでも言うようなぽかんとした顔をしている。
どうやら難しく考えすぎて、逆に思いつかなかったらしい。
早速ヒミツ研究所にすっとんていく「ぼっつ」を、私達グループの残りの四人は、いつもの様に呆れた顔で見守っていた。