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四話

 私がウォーゴブリンとして生まれ変わったこの世界「海原と中原」は所謂ファンタジーの世界である。

 今までずっと名前をひらがな読みしてきたのだが、冷静に考えて見ればカタカナで呼ぶのが正しいのではないだろうか。

 極々最近、正確に言うとほんの三十分ほど前に、私はそのことに気が付いた。

 例えば私の名前「までぃ」であるが、どういう漢字が当てはまるのか全く見当がつかない。

 生まれ変わる以前の世界で言う珍走族よろしく無理矢理漢字を当てるとするなら、「魔出威」だろうか。

 違和感しかない。

 では、カタカナではどうだろう。

 文字にするとなると、「マディ」になる。

 実にしっくり来るではないか。

 「あにー」にしても「とむ」にしても、考えてみればカタカナ語だ。

 なんと言うことだろう。

 普通であれば、聞いた瞬間に気が付かないだろうか。

 どうも生まれ変わる以前のクセが抜けていないらしい。

 人の名前は大体漢字だと思ってしまうのだ。

 私もウォーゴブリンとして生きていく以上、これは非常に宜しくないことである。

 だが、別の考えが頭をよぎる。

 長年の経験、習慣と言うのは、実に覆しにくいものだ。

 それは実際に長い年月を生き、死んだ、その私がよく知っている。

 昨日今日の事では、早々変わるものではない。

 ここはじっくり馴れていくことにしても、罰は当たらないのではあるまいか。

 物事は柔軟に考えなければならない。

 そう簡単に変わらないのならば、時間をかけて変えれ行けば良いのだ。

 そんなことを考えつつ、私は明日に備えて寝ることにした。

 何のことはない。

 ただ明日が楽しみで眠れなかったから、こんなことを考えていたのだ。

 長年生きようがなんだろうが、楽しみなことがある前日と言うのは眠れないものだ。

 もっとも、私は生まれ変わったので、長年生きてきたことがある、というのが正しいのかもしれないが。




 まず私と子供達に教えられるのは、この森の周りにすむ動物たちについてだった。

 何十何百と居るそれらを、一つずつ覚えることから狩は始まるのだという。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからず、ということわざがある。

 相手の事をよく知っていれば、まず負けることは無いという意味だ。

 全くその通りだと、私は思っている。

 情報と言うのは重要だ。

 相手がどんな武器を持ち、どんなことを考え、どのように行動し、今どのような状況に居るのか。

 それを知ることが出来れば、負けることはない。

 よしんば勝つことが出来ないとしても、逃げてしまうという手もある。

 要は負けなければ良いのだ。

 その為にも、情報は非常に重要だ。


 私達がまず連れてこられたのは、大人達が狩りで捕ってきた肉や毛皮などを、一時的に保管する建物だった。

 木造の立派な建物で、かなりの広さがある。

 建物にはあまり詳しくないが、建物を建てる技術も相当高いのではないだろうか。

 「ぼっつ」が聞き出した情報によると、こういった建築物などは「工作兵」に分類される大人たちが作るのだという。

 実際の狩場では武器の修理や罠の設置などを担当する兵科であり、この程度の建物を作るのは朝飯前なのだとか。

 腕の良い物になると、長期の狩り用に一日で簡易小屋を作るのだそうだ。

 実に頼もしい話である。

 さておき。

 この一時保管施設と呼ばれる建物の中には、大小さまざまな動物が吊るされていた。

 地面や机の上に直接置くと、菌が移って腹を壊すことがあるからだという。

 驚いたことに、ウォーゴブリンには「細菌」や「ウィルス」というものに対する知識があるのだ。

 なんでも「しゃるしぇりす教」という宗教集団の僧が時々やってきて、重い病のものを治療してくれると共に、そういった知識を与えてくれるのだという。

 吊るされている動物は、どれもこれも私が見知ったものとは形状が異なっていた。

 例えばいま「こるて」と「りぃむ」が涎を垂らしながら見ているイノシシのような動物。

 身体は私が生まれ変わる以前の世界に居たイノシシそのままなのだが、頭がドリルだった。

 のような形状、というより、そのままドリルなのだ。

 象牙色で螺旋状の頭部は、なんでも牙や角が変形したものなのだという。

 幾らなんでも変形しすぎては居ないかと思わないでもないが、ここは「海原と中原」である。

 進化も全く別方向にあるのだろう。

 例えば地球でもカンブリア紀の海には、現代では考えられない形状の生物が跋扈していた。

 恐竜の時代も、宇宙から石ころが降ってこなければ終わっていなかっただろう。

 生き物の進化というのは、全く偉大で面白いものである。

 そんなことをしみじみと考えながら、吊るされている動物達を観察する。

 まずはどんな形状の動物が居るのか、名前と外見を一致させなければならない。

 私は自分はそれなりに熱心に見ていると思っていたが、「ぼっつ」は息を荒くしながら嘗め回すように動物を観察していた。

 関節の動く方向や、その体重、先生役の大人の話から、その動物が如何に優れた構造をしているのかを熱弁している。

 推測で語られる動きではあったが、どれもこれも的を得ているらしく先生役の大人は目を剥いていた。

 どこかで戦っているのを見てきたのか、と、本気で聞いたほどである。

 全く「ぼっつ」の頭の中はどうなっているのだろうか。


 動物の名前と形状を一致させるのは、一日二日で終わる作業ではない。

 季節ごと捕れる動物は異なるし、狩りの成果にも影響される。

 それでも通年を通して捕れる獲物は居り、そういったものは出会う機会も多い。

 であるから、毎日捕れる獲物を観察するというのは、実に有益な情報収集になるのだ。

 なにせ頻繁に捕れているということは、将来私達が出会う数も多くなる相手、ということなのだから。

 動物達を見ながら、先生役の大人の話を聞く。

 彼らは皆狩りの経験者であり、現役の狩人だ。

 その経験から来る話は、どれも為に成るものばかりである。

 先生役は持ち回りらしく、二三日で入れ替わった。

 多くのウォーゴブリンの違った視点から見た話を聞くのも、重要なことであるだろう。

 大人達はこの先生役をするときに話す話にかなり力を入れており、子供達にどの程度「うけた」かを競っているようだった。

 俺のほうが受けた、いいや俺の方が受けた、俺のドラゴン狩りの話は大うけだった、貴様ドラゴンは卑怯だ、などなど。

 そういった競争が向上心へと変わるのだから、一概に悪いとはいえない。

 寧ろそれを理由に様々な話しが聞けるわけであるから、実に喜ばしいことである。

 毎日いろいろな話を聞くうちに、私達も様々な知識を得ることが出来た。

 とはいえ、百聞は一見にしかずという言葉があるように、聞くのと見るのとは違う、ということもある。

 かといって、いきなり実物の動物を見に行くには、危険が多すぎる。

 我々ウォーゴブリンが相手をする動物の中には、「魔獣」「魔物」などと呼ばれる危険な生物も居るのだ。

 恐ろしいことに、それらは魔法を使ってくるという。

 そう、魔法だ。

 ファンタジー世界であるだけにあるかも知れないとは思っていたが、「海原と中原」には魔法があるのだ。

 全く厄介な話である。

 魔法のような超常の力があるということは、私の生まれ変わる以前の知識が、特にものの見た目に対する知識が役に立たないということだ。

 例えば、兎のような小さな小動物が、散弾銃のような破壊力を持っているかもしれない。

 鹿のような、一見逃げることに特化した動物が、ロケットランチャー顔負けの破壊力を持った何かを放ってくるかもしれない。

 実際、そのような一撃必殺の武器を持つ生物も居るのだという。

 拳よりふた周りも大きい石の直撃を頭に受けても全くダメージを負わないウォーゴブリンの身体を、一撃で粉々に打ち砕く草食動物も居るのだとか。

 しかもそのサイズは、私達の膝丈にも満たないのだとか。

 これが恐怖以外の何者だというのだろう。

 生前妻が「世の中にはファンタジーの世界に生まれ変わりたいという、奇特な若者が居るそうよ」と言っていたが、全く思考が理解できない。

 何時死ぬか殺されるかという世界に、誰が好き好んで生きたがるというのか。

 そういう危険なところに行きたいのであれば、地球でも戦場が幾らでもあるではないか。

 見知った殺人兵器が跋扈しているが、そのほうが幾分かマシなはずだ。

 私も年齢相応に従軍経験があるのだが、訳のわからない空気鉄砲でムササビモドキに吹き飛ばされるぐらいなら、太ももをライフルで打ち抜かれたほうが幾分か納得もできるというものである。

 ちなみに私は実際に弾丸を何度か喰らった経験もある。

 経験がある上で、そう思うのだ。

 それだけ訳のわからない超常の力というのは、理不尽であるということだ。

 だが、ここは「海原と中原」である。

 私が生きていた地球ではないのだ。

 なんと超常現象にも近いと思っていた魔法にも理論があり、安定した性能を常に発揮しうる兵器として確立しているのだという。

 さらに驚くべきことに、我々ウォーゴブリンもそういった力を使用して狩りをするのだというのだ。

 これを聞いた時思わず大口を開けて驚いた私を、誰が責められるだろうか。

 狩りの際に「ぱいなっぽぅ」や「ぐれねぃどぅ」等と言った炸裂武器の類を使うとは聞いていたが、私はずっと火薬などで作ったものだと思っていた。

 しかし、実際にはこれらは魔法の道具であり、兵士が一つ一つ手作りするというのだ。

 私は一瞬絶望しかかった。

 何が悲しくて頼りにもならん魔術や魔法を武器に戦わねばならんのだろうか。

 不安定で精神に影響されるようなものを武器に戦うぐらいなら、常に一定の戦果を上げられる割り箸を武器に戦ったほうが千倍マシだ。

 ちなみに、詳細は省くが私は生まれ変わる前尖らせた割り箸を武器に五人の人間と戦ったことがある。

 その経験があってそういうのだから、千倍マシというのは例えではなく本音であった。


 しかし。

 そう、しかしである。

 何度もいうようだが、ここは「海原と中原」である。

 もしかしたら魔法も確立した技術なのではないかと、淡い希望を持って「ぼっつ」に尋ねてみたのである。

 すると彼は、何事か考えた後、私をある場所へと連れて行った。

 授業は終わっていたので、行動は比較的自由であった。

 彼が私を連れてきたのは、兵器開発を行っているというエリアだった。

 そこにあったのは、なんと四速歩行する丸太だったのである。

 どちらが前だか後ろだか分からない丸太に、骨で作られたと思しき足が取り付けられ、それがまるで自分の意思を持ったものの様に歩いているのである。

 仰天している私に、彼はそれが動く原理について詳しく語ってくれた。

 曰く、魔法とは魔力と呼ばれるエネルギーを集め、それを消費することで別のエネルギーに変化させる技術なのだ、と。

 この丸太には魔力が蓄えられており、動物の骨で作られた脚にそれを送り、運動エネルギーに変換させることで歩いているのだという。

 もっと詳しく説明してもいいが、大まかな理解としてはそれで十分だろう、との事だった。

 一体こんなものを何に使うのか。

 そんな私の質問にも、「ぼっつ」はよどみなく応える。

 森は平坦な場所がなく、起伏に富んだ地形が多い。

 そんな場所を移動するのは、四速歩行が便利だ。

 この四速歩行丸太は、森に入るとき、荷物を運ぶのに使うのだという。

 例えば、武器。

 例えば、倒した獲物。

 例えば、傷ついた仲間。

 時にはこの丸太に槍などの武装を施し、動物に突撃させることもあるという。

 なるほどそう考えれば、この形状は全く合理的だ。

 余計な出っ張りはなく、荷物を積むのにも都合がいいようにできている。

 外付けのパーツもあるというが、実際応用が利くだろう。

 そして、「ぼっつ」はその丸太を前に、実に私に分かりやすく説明を始めた。

 ここで重要なのは、私にとって分かりやすいということである。

 未知の分野を難しい言葉で説明するのは、素人。

 分かりやすく説明するのがプロである。

 生前、そんなことを言っている知人が居た。

 その理論でいうと、その個人個人に対して判りやすい説明をする「ぼっつ」は、天才としか言いようがないだろう。

 全く本当に、彼の頭の中はどうなっているのだろう。

 兎も角。

 彼の説明によると、魔力というエネルギーは非常に安定していて目減りしにくく、一定したエネルギーへと変換するのに適したものなのだという。

 私が考えていたように、使うものの心理状態に左右されることはなく、同じ勢いで石を投げれば同じ破壊力を生むように、いや、それ以上に一定した結果をもたらしてくれるものなのだと。

 そうでなければ、四速歩行などという一定のバランスを保たなければならないものは成り立たないし、制御も出来ないのだそうだ。

 全くその通りだろう。

 次に「ぼっつ」が私に見せたのは、魔法で弦を引くクロスボウだった。

 クロスボウは弦を引くのにかなりの力が要るため、連射することが非常に難しい。

 しかし、「ぼっつ」が見せてくれたクロスボウはこの「弦を引く」という部分を魔法に置き換えていたのだ。

 丸太を持ち上げる強靭な足を動かすことが出来る以上、この程度の事は訳が無いという。

 大きく張り出した銃床の部分には、魔力を蓄える機能と肩に当てて照準を安定させる機能があるのだという。

 使い手は弦を引くときに魔力をこめるか、銃床から魔力を送り込むように指示を出すのだとか。

 弦さえ引いてしまえば、後は矢を装填して引き金を絞るだけだ。

 これなら地球の単発式ライフルと変わらない速射が可能だ。

 いや、慣れさえすればそれ以上の連射が可能だろう。

 私は魔法といえば、火を噴いたり光線を出したりするものだと思っていた。

 だが、その認識は間違っていたようだ。

 こうした工業製品もかくやというものを見、手にすると、実に安心感がある。

 なるほど、こういうものを作る大人はすごいな。

 私が感心しながらそういうと、「ぼっつ」は笑顔のままこう言い放った。


「え? ああ、これは僕が作ったんだよ。似たようなものは元々あったんだけど、どうしても上手くいかないところがあってね。それを技術的にブレイクスルーできたのは極々最近なんだ!」


 そもそも私がたちが生まれたのも極々最近ではなかったか。

 にこにこしながら彼が語るその「ブレイクスルーを可能にした画期的構造の革新」を聞きながら、私は彼の頭の中がどうなっているのかとしきりに首を捻ったのである。




 「ぼっつ」が言っていた「画期的構造の革新」というのは誇張でもなんでもなかったらしい。

 武器の開発を担当している大人や、弓などによる支援攻撃を担当している後方威力支援系の兵科の大人は、上へ下への大騒ぎをしていた。

 主に、「俺にその武器を寄越せ」「いいや、俺にこそ支給すべき」「こういう新しい武器は時間をかけて性能を判定すべき」「ならその手を離せ」「断る」

 などといったやり取りが成されていた。

 なんでも「ぼっつ」の作ったクロスボウは、魔法で弦を引くだけではなく、魔力が切れた際手動で引くことも可能だそうだ。

 そのときに必要な力も、従来の三分の二に軽減されているとかで、恐ろしく優秀な出来なのだという。

 構造も比較的単純で、整備もしやすく使い勝手もいいのだという。

 本当に「ぼっつ」の頭の中はどういう構造になっているのだろうか。


 さて。

 動物の名前を覚えるのと平行して、私達は武器の扱いも習うようになっていた。

 どんな兵科になるにしても、一通り武器は扱えるに越したことはない。

 弓、剣、槍。

 変わった物では、斧やハンマーなども練習する。

 弓があるのに剣を使うのかとも思ったが、私たちゴブリンが相手にする動物の中には「魔獣」や「魔物」と呼ばれるものもある。

 首をはねてやっと殺しきれるようなものや、体が硬く剣で関節を切るぐらいしか攻撃手段がないものもいるという。

 実に恐ろしい話である。

 狩りと言うのはこちらが怪我をしないようにするのが基本である。

 イノシシ相手にナイフ一本で戦いを挑む猟師がいないように、獲物に接近するのすら嫌うものなのだ。

 にも拘らず態々古典的な武器を持って戦いを挑むには、それなりの理由がある。

 まずは、それらのまともな方法では狩ることができない動物が多いこと。

 私達ウォーゴブリンが住む地域の動物は、兎に角頑丈で、凶暴なものが多いのだ。

 そして何より。

 それらの魔獣や魔物が、美味いこと、である。

 そう。

 美味いのだ。

 人狼やエルフ、ドワーフ、人間などにはとても喰えた代物ではないのだというが、私達ゴブリン族にとってはすこぶる付きのご馳走なのだ。

 芳醇な香り。

 噛み応え。

 どれをとってもまさに一級品だ。

 人種には噛み切れずに獣臭くてとても食べられないのだというが、実にもったいない話である。

 数日前食べた「ハガネオオカミ」というのは実にうまかった。

 あの肉独特の匂いに、えもいわれぬ歯応え。

 私達ウォーゴブリンは顎が強いらしく、あまり柔らかいものだと食べた気にならない。

 人間が好むという硬さの食べ物は、私達にとって見れば柔らかく煮込んだ御粥や、ヨーグルトのようなものである。

 他の動物では噛み千切るのも苦労するという強度の肉に、むせ返る様な獣臭さ。

 それこそが、肉、なのだ。

 知的生命体というのは、総じて美味い物には目がないらしい。

 多少危険を冒しても、喰う価値があると思えば、戦いを挑むのだ。

 さらに言うなら、その傾向はウォーゴブリン以外にもある。

 ゴブリン種というのは総じて、魔獣や魔物の肉を好むのだ。

 以前にも話したように、ウォーゴブリンは狩りをして肉を獲て、それを使って交易をしている。

 美味い魔獣の肉は需要が高く、交換レートも高い。

 武器や食物、衣服に衣料品、魔法素材。

 そういったものを手に入れるには、どうしても魔獣の肉が必要なのだ。


 さて。

 そういったわけで、私達は剣に弓、拳での格闘、斧、ハンマー、投石と、様々な武器の扱いを学んでいる最中である。

 狩りに行くとき兵士は、常に五から六の武器を身体に隠していくのだという。

 幾ら私達ウォーゴブリンが強靭な身体を持っているとはいえ、武器も無しに獣と対峙するのは危険だ。

 かすり傷から細菌が入ることもあるし、毒のある獣もいる。

 たった一つの傷が命取りになる。

 それが、狩りという仕事なのだ。

 地下の部屋に居たときからおおよそ予想はついていたが、「こるて」と「りぃむ」は、剣や斧、槍などの扱いに長けていた。

 私達ウォーゴブリンがそういう生物だからなのだろう。

 まさに生まれながらの戦士といった風情だ。

 「こるて」は特に、重く大きな武器を扱うのを好み、得意としていた。

 食事が虫の幼虫から肉になったことで、身体もどんどん大きくなってきている。

 筋力もついてきて、私達五人の中では最も身長も高い。

 実力のほうも伴ってきており、時折他のグループと合同で行う訓練でも、かなりの上位に食い込んできている。

 接近武器が苦手な大人であれば、互角に戦えるようにも成ってきていた。

 実に喜ばしいことである。

 「りぃむ」も、「こるて」に負けず劣らず強くなっていた。

 彼女はナイフや短槍を好み、くるくるとすばしっこく動き回る機動戦術を得意としている。

 その動きは実に見事で、捉えるだけでも難しい。

 整地されたと場所での移動は勿論、森や足場の悪い湿地でもその動きは殆ど変わらない。

 脚の動かし方や体の動かし方が巧みで、スタミナも申し分ない。

 最近では組み手をしていて、ひやりとされられることも増えてきた。

 にも拘らず、彼らは一切慢心したり手を抜いたりせず、訓練に打ち込んでいるのだ。

 その姿には私は大いに感心した。

 若いうちに優れた才を持つと、人というのはどうしても自分の力を過信してしまうものなのだ。

 実際私もそれで過去に酷い目にあったことがある。

 しかし、彼ら二人に関してはそんな様子が一切見られない。

 それがウォーゴブリンの性質なのかとも思ったが、父に聞けばそうではないという。

 自分の実力を見誤るものは、時々出てくるのだとか。

 となれば、これは彼ら二人の資質だろう。

 同じ穴倉で育ったものとして、実に頼もしい限りである。

 ちなみに、「同じ穴倉で育った」とは、私達五人の様に、同じ部屋で幼児期の数日を過ごしたものの事を差す、ことわざのようなものだ。

 ふとこういったウォーゴブリン特有の言葉が出てくるとき、私も大分ウォーゴブリンらしくなったものだと我ながら嬉しく思うところである。

 そんな二人に触発され、年甲斐もなく私も発奮してしまっている。

 幾ら生まれ変わったとはいえ、死ぬ以前に得た勘等は残っているらしい。

 剣や刀、槍に弓などは、生まれ変わる以前に多少嗜んでいた。

 その為、子供達とは決定的に経験量が違う。

 これでやすやすと負けてしまっては、私はただの腑抜けではないか。

 生まれる以前の経験に頼るのはどうか、と思うものもあるかもしれないが、私も剣客の端くれである。

 大人気無いといわれようが、そう簡単に負けるわけには行かない。

 そう、これは意地の問題なのだ。

 負けないためには、練習も必要だ。

 訓練が終わった後も、生前毎日続けていた練習をする私の横で、どういう訳か「こるて」と「りぃむ」も練習をするようになっていた。

 私達が受けている訓練は非常に厳しいもので、私の様に生まれ変わる以前からそういう経験をしていたならば兎も角、子供達には相当に辛いはずだ。

 ゆっくり休むなり遊ぶなりして身体を休めるべきだと思い、私は二人に「何故そんなことをしているのか」と、聞いたことがあった。

 彼らから返ってきた答えは、こうである。


「お前に一回も勝ててない俺達が、訓練しないわけに行くか、バカ野郎」


 彼らが私に勝てないのは、ある意味しょうがないだろう。

 私には以前の人生一回分の記憶と経験があり、肉体も彼らと同じ若さなのだ。

 同じ身体能力で数十倍の経験を持つ相手になぞ、早々勝てるものではない。

 もし簡単に負けてしまうようであれば、以前の私の人生が無駄だったことになってしまうではないか。

 素晴らしい妻と子供達を得たこと以外はあまり誇れるような人生ではなかったが、それでもそれは実に悔しい。

 とはいえ、そんなことを彼らに言えるはずも無い。

 私がなんともいえない表情で返事をしあぐねていると、二人は揃ってため息吐いた。


「まったく、同じ穴倉で育ったのがへんなのばっかりだと、苦労するわね」


 そういって、「りぃむ」は首を振った。

 へんなの、とは随分な物言いである。

 だがたしかに、彼らと同い年で彼らより経験がある私は、異質な存在だろう。

 私以外のへんなのとは誰だろう、と尋ねると、すぐさま返事が返ってきた。

 残りの二人の事だ、と。

 たしかに「ぼっつ」は口さがない言葉で言えば「へんなの」だろう。

 頭がよすぎるのだ。

 だが、もう一人の「くりっつ」はどうだろう。

 彼女は組み手でも平均的な実力で、そんなに目立っては居ない。

 いや、そうだ。

 彼女のもっとも得意とするのは、遠距離武器であった。

 その腕は凄まじい物がある。

 止まっている対象は勿論のこと、クレー射撃のような芸当を、吹き矢、弓、クロスボウ、スリング、等など、それら全てでやってのけるのだ。

 まるで弾道が見えているような、風を読みきっているような射撃である。

 何より恐ろしいのが、彼女自身の気配を消す技術である。

 まるでその場に存在しないように周囲に溶け込み、射撃を繰り出すのだ。

 魔獣などの剥製を的にした訓練では、その目に矢を打ち込んで見せたりもしている。

 まさに百発百中であり、音も無く忍び寄るその姿は狙撃者と呼ぶにふさわしいだろう。

 全く「くりっつ」を見ていると、狙撃者が「戦場の死神」と呼ばれる所以がよく分かるというものである。

 最近では、私ですら隠れている「くりっつ」を見逃しそうになるほどである。

 どうやら私は、そんな二人と一緒にされたようだ。

 ある種光栄ではあるが、私は彼らほど変わったウォーゴブリンではないだろう。

 少し経験が多いだけである。

 それより何より、そんなことを「くりっつ」に言ったら機嫌を損ねるだろう。

 現にあまりかんばしくない表情でこっちを見ているではないか。

 そういって、私は近くの茂みに隠れている「くりっつ」のほうを差した。

 二人はぎょっとした表情をして、私の後ろの茂みに顔を向けた。

 そこには、悔しそうな表情で舌打ちをしている「くりっつ」が居る。

 分かりにくくはあるが、「くりっつ」の気配は氷の様に冷たく、刀の様に鋭く独特なのだ。

 辛うじてではあるが、感じ取ることは可能だ。

 今でさえこれなのだから、きっとすぐに私なんぞには気取られなくなるだろう。

 実に成長が楽しみである。

 そんなことを考えていた私に、「ぼっつ」がこんなことを尋ねてきた。


「今振り返っても無かっただろう。何で分かるんだ」


 これに対して私は、「気配で分かる」と応えた。

 実際、こう応えるしかないだろう。

 気配を感じるというのはつまるところ、それまでの経験から来る勘でしかない。

 勘と言うのは脳が大量に蓄積した情報から、過程をとすっ飛ばして結論だけを導き出した状態を言う。

 つまり、肝心の「何で」は、私自身分からないのだ。

 答えにはなっていない私の答えに呆れたらしく、「ぼっつ」と「りぃむ」は再びため息を吐いた。

 そんな二人の様子に、私は申し訳ない気持ちになってしまった。

 詳しく説明できればよかったのだが、勘と言うのはどうやっても言葉に出来ないものなのだ。

 だから、勘と言うのは信頼されないのだろうか。

 私は茂みから這い出してくる「くりっつ」と、ため息を吐く「ぼっつ」「りぃむ」を前に、私は思わず唸ってしまった。

 何とか説明できないかと考えたのだが、上手い言葉が見つからない。

 そもそも私の前世での経験から来る勘なので、余計に説明が困難なのだ。

 私は暫く考えてから、すまない、説明は難しい、と二人に告げる。

 二人は大きく息を吸い込むと、盛大にため息を吐き出した。

 私は何か二人を落胆させるようなことを言ってしまったのだろうか。

 ウォーゴブリンの心というのは、実に難しいものである。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 転生を司る部門に、二位の天使が居た。

 ウォーゴブリンへと転生した件の老人を担当していた、二位である。


「こないだのおじいちゃん居たじゃないっすかー。資料取り寄せましたよー」

「おお、どれどれー」

 二人が開いたのは、地球での老人の死亡記事だった。


 日本剣術会の重鎮 死去

 剣客と呼ばれた男性が、事故に巻き込まれて死亡した

 戦時中を生き、最後の実践剣術の達人と呼ばれた男性だ


 武道を極めた男の最後

 警察などでも剣道を教えていた武道家でありながら、老後を地方で暮らしていた男性が亡くなる


 様々な分野で活躍した格闘家であったが、老後はまるで仙人の様な生活を送っていたという

 妻を亡くしてからは、ずっと山に篭もり畑を耕していた


 などなど。

 老人がどんな人生を歩んできたのかが、誇張も多分あるだろうが、書かれていた。

「やっぱただの爺さんじゃなかったんだなぁ」

「すごいですねー。でもなんか、専業格闘家って訳じゃなかったみたいですよ? 勤めもしてたみたいで」

「そのほうが余計びっくりするは。いるんだなぁ、あの世界にもそんな人」

「らすとさむらーいってやつですかね?」

 そんなことを語り合いながら、天使達はポテトチップスを齧った。

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