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二話

 前世の私の記憶でいえば、ゴブリンとは決して優れた動物ではなかった。

 人間から奪った武器などを手に、ぎゃぁぎゃぁと騒ぎながら襲い掛かってくる、凶暴な人型生物。

 それが大まかなイメージであった。

 私が子供たちと見た映画の中で、ゴブリンたちは汚い服装と粗末な武器を手に、凶悪な顔つきでわめきちらしながら主人公たちに襲い掛かっていた。

 そこに知性は感じられなかった。

 最近の映像技術というのは恐るべきもので、コンピュータで作られたというゴブリンは日本の漢字で「小鬼」という字があてられるのもうなずけるほどの凶悪さを放っていた。

 いるわけがないと思いつつも、実際こんなものがいたら人間にとって脅威なのだろう、と、その時は思ったものである。


 今私の目の前には、生まれたばかりの赤ん坊に食べ物を与えているゴブリンがいる。

 赤ん坊は必死になって食べ物を食み、ゴブリンは落ち着かせるようにそれをなだめながら食べるのを手伝っている。

 その姿や表情からにじみ出ているのは、まさしく赤ん坊を慈しむ理性の光だ。

 どうやら、私の目の前で赤ん坊に食べ物を与えているゴブリンは女性であるらしい。

 顔つきから判断したわけではない。

 私の父や力仕事をしているゴブリンたちが上半身裸で、食べ物を与えているゴブリンが上着を着ているからだ。

 男は上半身裸でもよいが、女はそうもいかないだろう。

 ゴブリンにもそれが当てはまるのかどうかは知らないが、あながち間違ってもいないだろう。

 私は自分の手で食べ物、カブトムシの幼虫のようなものをつかんで食べながら、ほかの赤ん坊たちを眺めていた。

 どうやらゴブリンの赤ん坊というのは、個体差が激しいらしい。

 すでに私のように上手に座って自分で虫を食べているものも居れば、寝転がったまま食べさせてもらっているものもいる。

 一瞬生まれた時期に差があるのかとも思ったのだが、体格を見るにそうではないらしいことがわかる。

 きちんと座って自分で食べているゴブリンも、寝転がって食べさせてもらっているゴブリンも頭身も体格もほとんど変わらないように見えるからだ。

 最も、私にはゴブリンの個体差を見極めることはまだできないので、その感覚がずれている恐れもあるのだが。

 赤ん坊たちの食事が終わる頃、ちょうど地面に敷いた藁の交換も終わったらしい。

 大人の一部と私の父は、女性のゴブリンに何事か告げ、私のほうを向いてひとつうなずき道を曲がった向こうへと歩いて行った。

 洞窟にはドアのようなものがついており、そこから出て行ってしまった。

 その場には、男女の大人のゴブリンと、赤ん坊のゴブリン五人が残る。

 どうやら二人の大人は、我々の世話役らしい。

 赤ん坊である我々に向かって自分たちを指さし、同じ単語を何度も言っている。

 男のほうが「とむ」、女のほうが「あにー」。

 どうやら彼らの名前であるようだ。

 私は彼らの名前を了解したことを伝えるために、それぞれを指さして名前を呼んだ。

 指をさすのは失礼かとも思ったが、これが手っ取り早かったので仕方がない。

 それに、ゴブリンの礼儀で指をさすという行為が失礼かどうかも分からないわけだし。

 彼らは私の反応に驚いたらしく、大げさに口をあけ、私の頭を撫でた。

 どうやら私の予測は当たっていて、そのことを褒められたらしい。

 私以外の自分で食べ物を食べることができたゴブリンも、彼らのことをすぐに認識したようで、私と同じように指をさして名前を呼んでいる。

 全員がそうなのかといえば、そうでもない。いまだに壁につかまってよちよちしている者もいるし、転がってだぁだぁとわめいている赤ん坊もいる。

 とにかくゴブリンは成長の個体差が激しいようだ。

 我々の世話を焼くであろう「とむ」と「あにー」はさぞ大変な目に合うに違いない。

 だが、子供の世話はまた大人の宿命である。

 仕事にかまけて子育てのほとんどを妻に押し付けていた私ですらそう思うのだから、そういうものなのだ。

 幸い、私は成長が早いほうらしい。

 少しは彼らの負担を減らせるだろう。

 当面の目標は、言葉を覚えることになるだろうか。

 二人の言葉をよく聞き、そこから学習をしなければならない。

 前世での死ぬ直前はすでに私は老人であり、記憶にはほとんど自信がなくなっていた。

 しかし、今は生まれたての赤ん坊である。

 きっとスポンジが水を吸い上げるように知識を蓄えられることだろう。

 言葉を覚えながら、歩く練習もしなければならない。

 速く歩けるようになれば、赤ん坊たちの面倒を見ることもできるはずだ。

 仲間の面倒を見るのは、先んじたものの義務である。

 私は早速立ち上がると、「とむ」と「あにー」の話を聞くべく、歩き始めた。




 二人のゴブリン、「とむ」と「あにー」が部屋に来て、七日ほどが経った。

 本当に七日たったのかどうかはわからないが、少なくとも七回寝ておきてを繰り返している。

 驚くべきことに、私は彼らの会話をほとんど理解することができるようになっていた。

 赤ん坊の頭は柔らかいというが、事実そうらしい。

 私と同じく、初日から自分で食事をしていた赤ん坊も同じくほとんどつっかえることもなくスムーズに会話できるようになっていた。

 ほかの赤ん坊たちは、もう転がっている者こそいないが、よちよち歩きで片言で話している。

 「とむ」と「あにー」に聞いてみたところ、我々二人の成長速度は「異常とまでは言わないが、早いほうではある」とのことだった。

 最初は成長の速い赤ん坊は、私と同じように前世の記憶を持っているのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしいことはすでに判明していた。

 何せ会話ができるのだから。

 ただ、彼は異様に頭がよく、1を聞いて10を知る天才肌ではあった。

 その知性は前世の記憶を持つ私も感心するほどである。

 あるとき、彼は食事である虫をじっと見つめ、こんなことを言い始めた。


「このごはんは、あたまで土を掘ります。でも、ごぶりんのあたまはこういう形をしていません。手で掘るのも、たいへんです。ドアは木というものでできていますが、爪や石で形を変えることができます。この木をつかって、ごはんのあたまのような形を作って、あなをほるのですか?」


 これには大人たちも、私も舌を巻いた。

 「とむ」がスコップのような道具を持ってきて、これを使って穴を掘る、と教えると、彼は大いに驚いていた。

 スコップは柄の部分は木でできていて、先の部分には鉄が使われていた。

 彼は鉄の部分を触ると、「つめたい、かたい」と言って大いにはしゃいでいた。

 鉄というものは初めて見るので他の赤ん坊たちも興味津々ではあったが、彼の驚きや感動の具合はすさまじいものがあった。

 それを見た私は、彼が事前に知識を持っているわけではなく、自分の頭で物事を考えているのだと悟った。

 世の中には、頭のいい人間、いや、ゴブリンというのがいるものなのだな、と、痛感したのである。




 せっかくなので、彼以外の残り三人の赤ん坊のことも説明しよう。

 我々赤ん坊は、男三人、女二人という人数比になっている。

 そのうち、男二人は私と彼だ。

 とりあえずもう一人の男について話そう。

 その彼は、非常に活発な性格で、常に飛び回ったり走り回ったりしている。

 立ち上がるのも言葉を覚えるのも時間がかかったのだが、それを取り戻そうとするかのごとき暴れっぷりだ。

 走っては壁にぶつかり、走ってはつまづき、走ってはほかのゴブリンとつぶかっている。

 非常に危なっかしく、見ている私や「とむ」「あにー」は、常にハラハラしていた。

 幸いゴブリンというのが頑丈にできているらしく、転んで頭をぶつけようが、後頭部をぶつけようが平気な顔をしている。

 恐るべき身体能力というべきか。

 この部屋にはおもちゃとして、棒切れや石なども置いてある。

 赤ん坊である我々はそれを放り投げたりするのだが、あたったところで対して痛くもない。

 せいぜい、プラスティックのブロックがぶつかった程度だろうか。

 兎に角、彼は元気が有り余っているらしく、棒切れなどを振り回して遊んでいた。

 そんな彼だったが、時折「あにー」が聞かせてくれる話のときだけは、黙って静かに聞くのだ。

 それは、大人たちの狩りの話。

 特に、前衛として戦う者たちの話に夢中になっていた。

 大人たちは金属の武器を使い、大きな食べ物と戦い、倒すのだという。

 どんな形の食べ物かと聞いてみると、どうもイノシシや牛といった私の知っている形状のようなものも交じっている様子だった。

 もちろん、聞いたこともないような奇天烈な形状のものもいるらしいのだが。

 ここは前世で私がすごした「地球」ではない。

 異世界「海原と中原」なのだ。

 そういう生物もいるのだろう。

 今から直接目にするのが楽しみだ。

 そんな感想を抱く私とは異なり、暴れん坊な彼はそういった者たちと戦いたくて仕方がない様子だった。

 話を聞き終わると、彼は大いに興奮し、棒切れをナイフや剣、ハンマーに見立てて暴れまわった。

 件の異様に頭のいい彼や、「とむ」などがその標的だ。

 大人である「とむ」は笑いながらあしらっているが、頭のいい彼は悲惨な有様になっていた。

 どうも頭が良い分暴力事が苦手なのか、2~3発殴られると悲鳴を上げながら逃げ回り始めるのだ。

 暴れん坊な彼はそれが面白いらしく、嬉々として追いかける。

 まったくにぎやかなものである。

 当然、私にも襲い掛かってくる。

 幸い前世で剣術をたしなんでいた私は、暴れん坊な彼を返り討ちにすることが出来た。

 剣術とはいっても、砂利を投げて目潰しをしたり、時には背中を見せて逃げ出すようなものである。

 教えを受けていた師曰く、「生き残る為だけの邪道剣術」なのだそうだ。

 兎に角生き残ることに特化した剣術、というよりも喧嘩術であるので、棒切れを振り回す赤ん坊相手にも対応することが出来た。

 大人気ないかとも思ったが、私とて今は生まれたての赤ん坊なのだ。

 むやみに殴られて痛い思いをするのは、真っ平ごめんなのである。

 襲われては撃退し、襲われては撃退しを繰り返すうち、暴力的な彼はどんどん私の技を盗むようになっていた。

 棒切れを剣に見立てた構えからも、実に様になってきている。

 熱心に練習もしているようで、たまたましていた私の素振りを、見よう見まねで真似したりもしているようだ。

 成長が楽しみでもあり、襲われる私がいつかやられそうで心配でもあり。

 子供の成長を見守るというのは、実に複雑な心境である。




 残る二人は女なのだが、これがまた実に方向性の違う性格をしていて面白い。

 一人は暴れん坊な彼と同じように非常に活動的で、同じく大人たちの戦いの話が好きだった。

 そして、やはり同じく、棒切れを振り回すのだ。

 ただ、暴れん坊な彼と違うところがあった。

 振り回すのは短い棒切れを好み、殴りかかるのではなく突き刺してくる。

 さらに、飛び道具として石を投げてくるのだ。

 戦術としては、まず石ころを投げて牽制。

 相手がひるんだところで、棒切れをナイフ代わりに突き差しにかかる。

 日本であれば、暴力的なことはやめなさいと止める所だろうが、如何せん此処は「海原と中原」である。

 そして、我々はゴブリンは狩りをするものでもあるようだ。

 であれば、これは止めるよりも、将来有望であると見て喜ぶところだろう。

 同じ部屋で育つものとして、実に頼もしい限りである。

 彼女の標的は、やはり「とむ」と頭のいい彼であった。

 大人である「とむ」はやはり笑いながらあしらう。

 頭のいい彼は、何とか抵抗しようとするものの、やはり最後は悲鳴を上げながら逃げ惑うことになる。

 頭脳が優秀な分、肉体を動かすのは不得手なのだろうか。

 当然というかなんというか、私にも襲い掛かってくる。

 幸い前世で格闘技もたしなんでいた私は、彼女を撃退することが出来た。

 投げつけられる石を避けたり払ったりするのは、練習さえすればどうにかなるものなのだ。

 格闘技は、先にも言った剣の師に習ったものである。

 変わった人物で、相手が石や砂利を投げつけてくることも想定して戦えと教えられていた。

 まさかこんな所で役に立つとは思わなかったが。

 人間、生きて入れば何が役に立つか分からないものである。

 もっとも私は人間ではなく、さらに言えば一度死んでいる身なのだが。

 やはり彼女も非常に練習熱心で、私にかけられた技を研究しては、「とむ」や頭のいい彼に試していた。

 石の投げ方や棒切れの持ち方も様になってきており、暴れん坊な彼よりもはやく私を倒すと息巻いている。

 目標にするならば、私ではなく「とむ」ではないかと思うのだが。

 子供の考えることと言うのは、なんとも不思議で楽しいものである。




 最後の一人、石と棒を駆使する彼女とは違う方向の性格をしていると紹介した彼女だが、実際、実に不思議な性格をしていた。

 性格と言っていいのか分からないのだが、兎に角つかみどころが無いのだ。

 まず、終始端っこや隅っこのほうに居る。

 どうもそういった場所が好きらしく、何時まででもじっとしているのだ。

 そうかと思えば、突然動き回り始める。

 暴れん坊な彼や、石と棒を駆使する彼女と並び、素振りなどをするのだ。

 これが実に見事で、動きに隙が無い。

 私も「とむ」も、感心して見ているほどである。

 彼女が最も変わっているところは、異様なまでに気配に敏感なところである。

 たとえば、日に二回ご飯を持ってきてくれるものがいて、ドアから部屋の中に入ってくるのだが、彼女はそれを誰よりも早く察知するのだ。

 それも、ちょっとやそっとではない。

 ドアが開く遥か以前からそれを察知し、ドアから死角になっているところに隠れる。

 そして、ドアが開いた瞬間、ご飯を持ってきた大人の手に石を投げつけるのだ。

 そんなことをされて、驚かないものは少ないだろう。

 慌てた大人が器を取り落とすと、彼女は素早く走りこんでごはんである虫を奪うのである。

 失敗することもあるのだが、そのとき彼女は非常に悔しそうに舌打ちをし、どうして落とさなかったのかと大人に尋ねるのだ。

 どうやら、失敗を今後に生かそうとしているようなのだ。

 彼女は投擲、特に相手に気が付かれない不意打ち的なそれに長けており、同じ部屋に居るのに「とむ」や頭のいい彼を狙撃するのだ。

 この攻撃は非常に優秀で、なんと暴れん坊な彼や石と棒を駆使する彼女も標的にされ、一方的にやられ放題になっていた。

 私はといえば、生前からの勘なのか彼女の気配を察知することが出来、なんとか直撃だけは免れている。

 幾ら頑丈な身体をしているとはいえ、痛いものは痛いのだ。

 子供である私が痛みに弱くて、何を恥じることがあるだろうか。

 今後も出来るなら彼女の狙撃から逃げ切りたいものである。




 さて、此処まで話して、不思議に思った方が殆どだろう。

 なぜ、私は赤ん坊達を固有名詞で呼ばないのか。

 実は私を含め、赤ん坊達にはまだ名前が無いのである。

 赤ん坊の名前は、伝統的に生まれてから歩けるようになった後、同じ部屋で育てられているもの全員一度につけるのが慣わしになっているそうなのだ。

 なんとも不思議な伝統だ。

 「とむ」と「あにー」によると、私達五人の名づけは、三日後になるのだという。

 名前を付けられると、部屋の外、洞窟の外に出ることが許されるのだそうだ。

 それを聞いた私たち五人は、大いに喜んだ。

 名前をもらえるのも嬉しいが、外に出ることが出来るのも嬉しい。

 頭のいい彼は好奇心に打ち震え、活発な二人は暴れまわって喜び、石投げが得意な彼女は薄ら微笑んでいて何を考えているかよく分からない。

 私はといえば、いよいよ見ることが出来る異世界の空を想像し、感無量であった。

 雄大な自然と大空を想像し、天井を仰ぎ見て思わずため息を漏らす。

 そんな私たち五人を見て、「とむ」と「あにー」は不思議そうに首を捻っていた。

 どうも普通の子供とは、反応が違うものが居るのだそうだ。

 きっと頭のいい彼のことだろうと思い、私はそういってみた。

 ところが、返事は実に意外なものだった。

 それは、私の反応が不思議だというものだったからだ。

 子供は外に出られるといわれて、しみじみため息などつかないのだという。

 そう指摘されて、私は思わずさもあらんと頷いてしまった。

 たしかにそんな子供が居たら不気味だろう。

 まして生後七日である。

 もっとも、ゴブリンの生後七日と言うのは、人間の子供で言うと3歳から4歳ぐらいなものだと、私は睨んでいるのだが。

 兎に角、外に出られるというのは楽しみなので、私だって楽しみであると二人に伝えた。

 「とむ」も「あにー」も余計に面食らったような表情になっていたが、わたしは特に気にしなかった。

 それよりもゴブリンの表情が見分けられるようになってきたことに、言い知れぬ感動を覚えていたからである。

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