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一話

 まるで霧の中に居るように視界が開けない。

 手足は、麻酔注射を打たれたようにうまく動かせなかった。

 感覚自体も緩慢で、何かに触れていることや触られている感覚はあるのだが、それがなんなのかまでは分からなかった。

 それも仕方ない事だろう。

 私はいま、生まれたての子供なのだから。


 天使達に見送られた私が次に意識を取り戻したのは、頭に走る激痛によってだった。

 それが生まれるときに伴う痛みだという考えに思い至ったのは、痛みが薄れたあとだった。

 子供は生まれた時の事をあまり覚えていないという話だが、それは正解だろう。

 あんなに痛いことは、忘れてしまうに限る。

 だが、子供があれだけ痛いということは、当然母親も同じように痛いのだろう。

 全く女性というのは偉大である。

 こんなに大変な事をしていたとは。

 私も五人の子供の親ではあるのだが、子供を産むのは妻に任せきりだったものだ。

 男である私はどうやっても子供が産めないわけではあるが。

 いや、「男である」というのは語弊があるだろう。

 私の今世での性別は、まだ確認していないのだから。

 早速自分の身体を見てみようと、頭を動かしてみる。

 だが、やはり視界が悪く、自分の手も見えない有様だ。

 いまだ手脚の感覚も緩慢で、触って確かめる事もできそうにない。

 仕方なく、私は身体を動かす事をあきらめ、身を投げ出した。

 そういえば、私は今どんな状況なのだろうか。

 目も見えず、感覚もぼんやりとしている為、どんな状態なのか全く分からない。

 ただ、こうして力を抜いてみると、妙に安心する事だけはわかった。

 体全体を包み込むような温もりも、ほのかに感じることが出来る。

 どうやら赤ん坊である私は、誰かに抱かれているようだ。

 抱かれているというのは、こんなにも安心するものなのか。

 私の中に、妙な感動が渦巻く。

 たしかに泣いている子供も、泣き止むわけである。

 ああ、それならば、もっと子供たちを抱きしめておけば良かった。

 もっとも、子供たちももう人の親である。

 となると、抱くのは孫に成るのだろうか。

 生まれ変わった今、孫達も抱く事は叶わない訳であるが。

 私は目を閉じて、眠る事にした。

 酷い眠気に襲われたのだ。

 寝る子は育つという。

 今の私にとっては、コレも仕事なのかもしれない。




 目が覚めると、すっかり視界は開け、手足にはしっかりとした感覚があった。

 視界に、自分の手が入った。

 掌に、五本の太い指。

 そして、緑色の肌。

 これを見て、私は自分がゴブリンに生まれ変わった事を思い出した。

 緑色の肌に嫌悪感は抱かなかった。

 それよりもぷくぷくとしていて、なんともさわり心地がよさそうだという感想を抱く。

 子供の肌というのは、さわり心地がよさそうなものである。

 どうやらそれは、ゴブリンも変わらないらしい。

 長年の習慣で、私はゆっくりと身体を起こす。

 あちこちが痛み、若いころの様に勢い良く起きられないのだ。

 いや、まて。

 私はもう、老人である私ではないのだ。

 両足を振り上げ、思い切り身体を起す。

 跳ね起きという奴だ。

 私の新しい身体は、私の意思どおりに動いてくれた。

 身体は勢い良く跳ね上がり、立ち上がることに成功する。

 気を良くした私は、表情をほころばせる。

 そこで、肝心な事に気がついた。

 はて。

 私は赤ん坊ではなかっただろうか。

 自分の身体を、しげしげと見回す。

 足も手も太く、がっしりとしているが、何処かぷっくりと丸みを帯びている。

 皮膚も少し柔らかそうな印象を受ける。

 赤ん坊特有の、というのだろうか。

 幼い印象だ。

 しかし、肌は緑色だ。

 そうか。

 私はゴブリンなのだ。

 人間とは違う。

 赤子だからと言って立ち上がって、何の不自然があるだろう。

 ゴブリンが生まれてすぐ立てる生き物なのかどうか知らないが、私が立てるということは恐らく立てる生き物なのだろう。

 自分の中で結論が出たところで、私は周りを見回す。

 この場所は、それなりの広さがある場所らしい。

 回りは土壁で、四方のうち一辺だけが開けている。

 洞窟か何かなのかもしれない。

 下に目を移すと、植物が敷かれているのが分かった。

 どうもゴブリンというのは夜目が利く生き物らしく、草がきちんと乾されたものであるのもわかった。

 周りを見回すと、自分と同じ外見の赤子らしき者達が寝ている。

 私も含め、合計で五人。

 いずれも私と同じ程度の大きさで、ぐっすりと眠っている。

 彼らはどうやら、私の同胞か、あるいは同時期に生まれた子供であるらしい。

 尖った耳に、大きな鼻。

 どう見ても人間には見えない彼らではあるが、愛くるしいと心底思える。

 当然だろう、何せ同族の赤ん坊であるのだから。

 もっとも、今は私も赤ん坊なのだが。


 さて、周りに赤ん坊だけということは、此処は育児室のような場所なだろう。

 密閉空間であるので、大きな音は立てるわけには行かない。

 赤ん坊達がおきてしまうからである。

 これでは、声を出す事もためらわれてしまう。

 言葉をしゃべることが出来るか確かめようと思ったのだが、出来そうにもない。

 私は仕方なく、赤ん坊達の横に座り、その頭をなでて居る事にした。

 こうしていると、自分の子供たちを思い出す。

 前世の、といわねば成らないのだが。

 今の私の現状を知ったら、子供達、子供達の配偶者や孫達はどう思うだろう。

 恐らくは、まず驚くだろう。

 子供たちは悲しむかもしれない。

 そして、亡くなった妻は羨ましがるだろう。

 まあ、貴方。一人だけで楽しそうな事して。

 彼女と私は、ともに苦楽を乗り越えてきたまさに戦友だ。

 少々の事では動じないし、驚かない。

 私よりも先に逝く時、彼女はこう言い残した。

 追って来る様なことがあったら、追い返してやりますからね。

 それがあまりに衝撃的で、結局私は彼女の葬儀の間も泣く事もなかった。

 なんとも気丈な、得がたい伴侶であった。

 生まれ変わることがなければ、あの世でまた会えたのだろうか。

 いや、彼女の事だ。

 きっと、新しい世界へ。

 そう、私の様に、私とは違う形にしても、飛び立っている事だろう。

 それは実に彼女らしい、彼女に似合った姿だ。


 思考に耽っていた私の耳に、ひたひたという足音が聞こえてきた。

 音が反響する事を考えても、その数は多いようだ。

 一瞬身がこわばるが、すぐに緊張を解く。

 この状況でやってくるのは、恐らくゴブリンの、私の親達だろう。


 私の予想通り、やってきたのは私の同族の成体達。

 つまり、大人のゴブリンたちであった。

 なぜ大人なのか分かるかといえば、それは体格の差を見ての結論に他ならない。

 彼等は私や眠っている赤ん坊達よりも、何倍も体格が立派で大きいのだ。

 耳は尖り、鼻は大きく、オデコは大きく迫り出し目の上を覆っている。

 手や足は太く、指も人間の比ではなく太い。

 そして、頭には小さな、しかし立派な角が二本生えている。

 人間であった頃の私ならば、恐怖を抱いただろう。

 それほどに迫力があり、恐ろしいと思えるような姿だ。

 だが、今の私が胸に抱いたのは、憧れだった。

 なんと立派な身体だろう。

 なんと逞しい顔立ちだろう。

 私も大人に成ったら、こんな素晴らしいゴブリンになれるのだろうか。

 感動に胸が震える。

 久しく忘れていた、憧れの気持ちが沸き起こる。

 実に気持ちのいい想いだ。

 そんな私を見て、大人たちはなにやら話し合い始めた。

 しゃべっている言葉は理解できなかったが、ニュアンスはなんとはなしに理解することが出来た。

 どうやら私が起きているのを見て、驚いたらしい。

 もしかしたら、子供は寝る時間なのだろうか。


 四人の大人のうち、二人は乾した草を抱えていた。

 彼等はテキパキと寝ている子供達を抱き上げると、下に敷いていた草を取り替え始めた。

 どうやら排泄物で汚れた草を取り替えているらしい。

 なんとも文明的な様子ではないか。

 もう一人は、大きな器にたっぷりと入った芋虫の、その頭をちぎっていた。

 それを見ると美味そうだと感じる当たり、恐らく食料なのだろう。

 前世では蜂の子なども食べていた私には、虫を食べる事に対する抵抗はない。

 ぷっくりとした芋虫は、実に美味そうだ。

 残る一人は、起きていた私にゆっくりと話しかけてくれていた。

 言葉の分からない私に、早く言葉を覚えさせようとしているのかもしれない。

 その気持ちに応えようと、私も彼の言葉を何とか繰り返そうと声を出す。

 勿論、赤ん坊達が起きてしまわない様に、小さな声ではあるのだが。

 言葉を交わすうち、ふとあることに気がついた。

 これは子供特有の、あるいはゴブリン特有の本能なのかもしれない。

 目の前で、私に言葉を覚えさせようとしているゴブリンが、自分の父親であると分かったのだ。

 それは「恐らく」や「多分」などと言ったものではなく、確実に、確信を持ってそうであると思えるものだった。

 なんとも不思議な話である。

 だが、そういうものなのかもしれない。

 子供とは、自分の親が分かるものなのだ。

 天使達は、私の父親は群のボスであるといっていた。

 だから、きっと彼はボスなのだろう。

 なるほどたしかに、他の三匹のゴブリンに比べても逞しく見える。

 けっして他の三人がひ弱なのではない。

 彼が、私の父が逞しいのだ。

 息子として、なんとも誇らしい気持ちに成る。

 私は父の立場の事を、「じぇねらる」、父の名は「こまんだ」であることを覚えた。

 父はそれに気がつくと、笑顔で私の頭を撫でてくれた。

 はっきりと言葉はわからないが、どうやら賢い子だと褒めてくれたらしい。

 事前知識があるが故の事であるだけに、なんとも心苦しいものだ。

 いずれ大きくなったら、自分に前世の記憶があることを、伝えるか伝えまいか決めなければ成らないだろう。

 それは彼等……。

 私たちゴブリンにとって、よいことであるのか、悪いことであるのか。

 今はとりあえず、あの芋虫を食べてみたい。

 そんな欲求が頭をよぎる。

 なんとも子供らしい思考が走るのは、恐らく若い身体に考えが引っ張られての事なのだろう。

 コレもまた、実に、実に懐かしい感覚である。

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