仮想世界
説明ゼリフ多めです
眠っていた意識が浮上し佐藤は目を開ける。彼はベッドに横たわっていたため、天井を仰ぎ見る形だ。しかし、佐藤の記憶のどこにも今見ている天井は存在せず、見知らぬ場所だという実感が湧く。
「どこだここは……」
佐藤は自分の置かれている現状を確認するべく辺りを見回す。
佐藤が居る部屋はシングルベッドが置かれているだけの殺風景な部屋で他の家具類はない。しかしそれだけではなく、そもそも他の家具を置くスペースすらない。
「確か俺は得体の知れない眼鏡の人に促されてカプセルみたいな装置に入ったような……ん? これはなんだ?」
そこで佐藤は自らの視界に不思議な物が映っていることに気づく。
それは顔を動かしても常に視界の右上について回る。そこには《0BC》と表示されるが、佐藤に思い当たる節があるはずもない。
「いったい何なんだよ……」
『お目覚めかな』
考え込んでいた佐藤の頭に声が響く。
その声は佐藤にとってどこかで聞いたことのある、しかし懐かしくもなんともない声だ。
「……もしかして、あの眼鏡の人ですか?」
『ご明答。しかし眼鏡の人か……そういえば自己紹介すらしてなかったね。僕の名前は比嘉光博。研究者であり、開発者でもある』
「開発……ですか?」
『その通り。僕が作った作品は素晴らしいよ』
「はあ……あっ、そうか。その開発した物の実験台に俺を選んだってわけですね。それで開発した物ってなんなんですか?」
『ふふふ、君は不思議に思わないのかな……いったい僕はどうやって君と会話しているのかと』
その言葉に対する佐藤なりの答えはいくつか浮かびはしたのだが、どれも正解とは思えなかった。
「えっと、超小型の携帯電話とかですか?」
違うとはなんとなく感じつつも、耳の辺りを触りながら不審な物がないのか調べるがそれらしい物は見つかりはしなかった。
『違うね。少し難しかったかな。それでは答えを発表しよう。君がいる世界そのものが僕の……いや、僕らの開発した物だ』
佐藤は比嘉の言葉の意味を考えはしたが、全くもって理解することはできない。
『楽園、僕らは今君がいる世界をそう呼んでいる。そしてその世界は実は仮想世界なんだよ』
「仮想世界?」
『そう、完全なバーチャル世界。今現在の君のその姿は実体ではなく、カプセルに入る前に付けてもらった機械で脳波を測定し、具現化した仮想の電子体というわけだ』
「よくわかりません……」
『要は君の意識と身体を切り離して、意思に仮の身体を与え、そして行動できるようにした世界というわけだ』
比嘉の説明を佐藤は大まかに理解はしたのだが、それはにわかには信じがたいことであった。
「そんな技術は聞いたことがありません」
『自分の価値観から外れる物は受け入れられないかね。それは恥ずべき行いだよ。すべてを知っている者などいはしない』
「いえ、あの、そういうことではなく……」
『だけどこれは事実だ。その証拠に君の視界の右上に何か見えないかい?』
「はい、これはいったい……」
『BCという文字はブレインキャッシュの略で、その世界における通貨のことだよ。そしてこれこそがこの世界において何よりも重要です。特に君にとってはね』
「どういう意味ですか?」
『ああ、これから大事な説明をしよう。まず初めに、君はこの世界から出ることはできない』
「えっ……」
比嘉の言葉に佐藤は言葉を失ってしまう。
『はは、はやとちりしないでくれたまえ。何も一生というわけではない。ある条件を満たせば出ることは可能だ』
「条件……」
『そう、その条件とは10億BCを貯めてとある場所に持ってくることだ』
「とある場所ですか?」
『ああ、とは言ってもそう難しい場所じゃない。この世界の運営本部でね、部屋から出ると外に繋がり、町に出るんだが、そこから見える一番高い塔のような建物が運営本部だ。そこに10億BCを持ってくれば君をゲームから解放しよう。そうすれば君が負っていた借金からも解放され、晴れて自由の身になるわけだ。さらに余剰分のBCに関しては十分の一を円に変換して渡しましょう』
「そう、ですか……」
『この世界の物価は大体現実世界と一緒だ』
「それで10億を貯めろと……いくらなんでも無茶過ぎる」
改めて比嘉の出した条件の厳しさに気づき、佐藤は非難の声をあげる。
『この世界は仮想世界だよ? お金を貯めるのは現実世界より容易だ。何せこの世界はなんでも売ることができる。例えば素人が材料を買って作った料理なんかもね。そして運営本部に申請すれば無料で店も出せるし、税金もかからない。まあ、材料費や人件費なんかはかかるけどね』
「なるほど……それなら」
『まあ、現実とは違ってハイリスクハイリターンな戦人と言う職種もあるけどね』
「戦人ですか……」
聞き慣れない単語に佐藤の顔が疑問符でいっぱいになる。
『そう、とは言っても馴染みがないだろう。戦人とは町の外に生息する異形の生物、通称アンノウンを倒しその遺骸から採取した部位を売って賃金を得る者達のことだよ』
「アンノウンですか?」
『ああ、強力なアンノウンは出現率は低いがその部位はどれも高価で、またその部位から造られる武器や防具は性能がいい』
「なんか竜を倒す某有名ゲームみたいですね」
『確かに似ている。だがしかし、テレビゲームとは明らかに違う。なぜなら戦うのは自分自身なのだからね。君は自分の身体能力以上のことは基本的にできない。まあ、武器や防具の重さはそれほど感じない仕様だから問題はないが、走る速さやジャンプ力は変わらないというのは逃げる上では致命的かもね』
「そうなんですか」
仮想現実とはいえ、剣を持って戦うといった行為は男なら一度は憧れることだ。
10億稼ぐという一見無理とも言える難題を達成するために戦人になるのも悪くないと考え初めた佐藤の思惑は次の比嘉の言葉で脆く崩れ去ってしまう。
『ただ、気をつけて欲しいのはこの世界で君が死を迎えた場合、現実の君の肉体も死ぬということだ』
「なんだって……」
『聞こえなかったかな? この仮想世界で死んだらゲームのようにコンティニューはなく、現実にも死んでしまうんだよ』
「……それが本当なのだとしたら戦人にはなれませんね」
『ふふふ……』
佐藤の発言に比嘉から笑い声が返ってくる。それはビビりとも取れる佐藤の発言を小ばかにしたものではなく、純粋に楽しかったから笑ったと取れるものだ。
「なにが可笑しいんですか?」
『いや、失敬。あのね、このゲームに参加しているのは君だけではなく無数にいるんだが、なんと実に参加者の九割以上が戦人になるんだ』
「な、なぜ……」
比嘉の言葉にまたしても佐藤の頭に疑問符が浮かぶ。
『それはね、仮想世界で君と同じ存在を殺すとボーナスが入るからだよ。殺した相手の所持金や装備品なんかがね。そして極めつけは殺した相手の身体能力の5%が自らの身体能力にプラスされるんだ』
「それがどうしたって言うんですか?」
『うん? 人を殺したら自分の能力が上がり、なおかつ所持金も奪えるんだよ? お得だよね。そして人を殺すために強くなる必要があり、殺されないために強くなる必要があるというわけさ』
その言葉を聞いて佐藤は戦慄を隠せなかった。仮想世界での死は現実での死に繋がると説明しておきながら、人を殺すように誘導するルールを比嘉は楽しそうに語る。
「なんだよそれ……なんで殺すために強くなんなきゃいけないんだよ」
『それだけボーナスが魅力的なんだよ』
「たった5%ぽっち身体能力が向上するだけだろ」
『おや、5%に対する評価が低いね。忘れたかな、日本の消費税はまさに5%だ。導入された当初は更に少ない3%だったにも関わらず、時の首相はかなり批判されたみたいだね。そしてその3%を恐れ、消費税が導入される前は人が店に溢れた。今だって選挙の時はよく聞くだろ? 消費税撤廃って。人気取りのためにする気もないのに政治家がよく言うじゃないか。そしてまたこれが悲しいことに効果あったりするんだよ。ほら、5%も馬鹿に出来ない』
「それはそうですけど、でもそのために人を殺すなんて間違ってる」
『おや、怒っているようだね。殺しを推奨するシステムは変えようがないよ。それが楽しみなんだからね』
「楽しみだと……」
比嘉の言葉に佐藤の手の握りが強まる。
爪が手の平に食い込み、佐藤に痛みを与える。この身体が現実の物ではないと信じがたく思えて仕方がない。
『そうだよ。そのために君らのような人間を使ってるんだ』
「俺らのような?」
『君のような金に困った厄介者や死刑囚、そして酔狂な志願者など、いなくなっても問題ないような人間がこの世界にプレイヤーとして存在している。まあ、安心してくれ、人の住む都市は四つありいずれも一万を超えるノンプレイヤーキャラクター、いわゆるNPCがいるから数十人程度しかいないプレイヤーは滅多に見つからない』
「だからと言って……」
『見つけだして殺さないとも限らないかな。でも、NPCは独自の高性能AIで制御されているから見た目や行動ではプレイヤーは見分けがつかない。そこを見つけるのはプレイヤーの腕の見せ所だね』
「でも、無差別にキャラクターを殺していけばいずれはプレイヤーに当たる可能性もあります」
『そうだね。だからこそ、この仮想世界ではあらゆる犯罪が罰金制で行われる』
「罰金ですか?」
『犯罪を犯す可能性があるのはプレイヤーだけだからね。そのプレイヤーにとって致命的なのは所持金を減らされること。いくつか言うと、NPCの殺害で一人につき一千万BCの罰金、窃盗や無銭飲食は代金の倍額の支払い義務などだね。そのほかはやってみて確かめればいいよ。あ、そうそう大事なことを伝え忘れていたよ。このゲームには死ぬこと以外のゲームオーバーになる条件がある。それはこの世界で一年間で十億を稼げない場合と所持金がマイナス一千万になった場合だ。両方とも行き着く先は実体の死だから気をつけてね。あとの機能やら何やらは自分でプレイしながら覚えてくれ。そうだ、これらは最後に伝えなくちゃ。例え瀕死の重傷だとしてもこの部屋、つまりは自室のベッドで眠ると目を覚ました時には完治しているよ。あと、君の実体はどれ程の時が過ぎようと問題はないから安心してくれ。カプセル内に満たされたライフが君に栄養や酸素を送っているし、排泄物の処理までしてくれているから問題はないよ。ではグッドラック』
そう言うと比嘉の音声が一方的に途絶える。
その後佐藤が問い掛けても返信はなかった。
「とりあえず外に出てみよう」
そう言って佐藤は腰を上げ、扉を開いて部屋の外に出た。