第三話 ハッカーと学園七不思議『空白の座席の怪』
「ふふん~♪」
私は上機嫌だった。
右手には、コンビニで調達したばかりのミルクティー。
今日のクエストは完全勝利だ。
私の平和は守られた。
あとは涼しい部屋に帰って、録り溜めたアニメを消化するだけ――。
「おおおぉぉ!秋月ぃぃ!!」
マンションのエントランス前で、鼓膜を突き破るような爆音が響いた。
ビクッとして振り向いた私の視界を、巨大な影が覆い尽くす。
紺色のジャージ。はち切れんばかりの筋肉。そして、暑苦しいほどに燃え盛る瞳。
北市立高校の名物教師にして、全生徒が恐れる生活指導の鬼――剛田先生だ。
私の天敵である。
「貴様、こんなところで何をコソコソしているぅぅ!」
「ひっ……!い、いえ、ちょっとコンビニへ……」
「コンビニだとぉ!?平日の昼間に、制服姿でか!?」
先生の極太の腕が伸びてくる。
逃げようとしたが、私の貧弱な運動神経では反応すらできなかった。
ガシッ、と首根っこを掴まれる。
「学校へ行くぞ秋月!貴様の乾いた魂に、俺が青春を注入してやる!」
「い、嫌ですぅ……帰りたいですぅ……!」
抵抗虚しく、私は子猫のようにぶら下げられたまま、学校へと強制連行された。
連れてこられたのは、教室ではなく――地獄の入り口こと「生活指導室」だった。
狭い部屋。鉄格子のハマった窓。
パイプ椅子に座らされた私は、机を挟んで仁王立ちする剛田先生と対峙していた。
怖い。圧がすごい。
「いいか秋月!俺はな、不登校そのものを悪だとは言わん!」
先生の拳が机を叩く。
ドンッ!と書類が舞った。
「だがな、お前のその『日陰を歩くような死んだ目』はなんだ!覇気がない!目的がない!ただ制服を着ているだけのマネキン人形かお前はぁぁ!」
「ううぅ……すびばせん……」
私は小さくなるしかない。
だって事実だもの。私の本体はネットの中にしかいないもの。
「最近のニュースを見ろ!あの『K』とかいうハッカーを!」
「へっ!?」
突然飛び出した自分のハンドルネームに、心臓が跳ね上がった。
ば、バレた?まさか、こんな脳筋先生に?
「あいつは犯罪者だ!許されん悪党だ!だがなぁ……」
先生は遠くを見る目で、熱く語り出した。
「あいつには『世界を敵に回す』という凄まじいエネルギーがある!!」
「は、はあ……」
……世界を敵に回したことなんて、ないですよ…。
「それに比べてお前はどうだ!『K』のような悪党になれとは言わんが、あの燃え盛るような『意志の強さ』だけは見習ったらどうなんだ!」
「…………」
私は唇を噛んだ。
これ、なんていう拷問?
お前は『K』以下の燃えカスだ。
と、よりによって『K』本人に説教しているのだ。
私がその「意志の強いハッカー」なんですけど……とは、口が裂けても言えない。
だって犯罪スレスレだもの。
「お前もこのままだと、あんな大物にはなれず、ただの『社会不適合者の犯罪予備軍』で終わるぞ!恥ずかしいと思わんのか!」
「は、はい……」
私がその本人です……ごめんなさい……。
精神的ダメージは甚大だった。
私がうなだれると、先生はようやく満足したのか、ニカっと笑った。
「よし!話は終わりだ!言葉で分からんのなら、あとは実践あるのみ!」
「え?」
「行くぞ秋月!教室へ!」
「ひえっ!?」
再び首根っこを掴まれる。
説教でHPがゼロになった私に、拒否権などなかった。
ガララッ!!
2年C組の教室の扉が、勢いよく開け放たれる。
「注目ぅ!今日は迷える子羊が帰ってきたぞぉぉ!」
先生の怒号と共に、私は教室の中へ放り込まれた。
休み時間の喧騒に包まれていた教室が、一瞬で水を打ったように静まり返る。
数十人の視線が、一斉に私に突き刺さる。
……痛い。物理的に痛い。
その視線は、「久しぶり」という温かいものではなく、明らかに「異物」を見る目だった。
うわ、なにこの空気……。私、嫌われてる……?
私は身を縮こまらせながら、指定された自分の席――窓際の一番後ろに座った。
すぐに帰れるかと思ったが、甘かった。
「俺はここでお前の『青春』を見届けてやるからな!」
剛田先生は、あろうことか私の椅子の真後ろに、腕組みをして仁王立ちしたのだ。
逃げ場はない。
背後には生活指導のラスボス。前方には怯えるクラスメイトたち。
耳を澄ますと、ヒソヒソ話が聞こえてくる。
「おい、あれ秋月さんだろ……」
「本当に実在したんだ……」
「噂の『七不思議その四』だよな?あの席に座る生徒を見ると、スマホのデータが消えるっていう……」
「目を合わせるなよ、呪われるぞ」
……誰が呪いのアイテムだ。
さっき先生に「覇気がない」と怒られたばかりの、ただの不登校よ。
キーンコーンカーンコーン……。
無慈悲なチャイムが鳴り、数学の授業が始まった。
黒板に、難解な数式が書き連ねられていく。
数学の先生が教室を見渡す。
「えー、この問題。誰か解ける者はいないか?」
シンと静まり返る教室。誰も手を挙げない。
その時。背後の剛田先生が、低い声で囁いた。
「秋月。……行け」
「へ?」
「この問題を解いて、お前の『生きた証』をクラス全員に見せつけてやれと言っているんだ!」
肩に置かれた手の力が強まる。逆らえば握りつぶされる。
私はガタガタと震えながら席を立ち、黒板の前へと歩き出した。
早く……早く終わらせて席に戻りたい!
一秒でも早く、この注目から逃れたい!
恐怖が極限に達した私の脳は、生存本能として「最速での処理」を選択した。
私はチョークを掴むと、問題文を一瞥した。
……簡単すぎる。計算するまでもない。
カカカカカッ!
黒板を叩く音が、マシンガンのように教室に響いた。
計算過程?省略だ。
私は数秒で正解を書き殴ると、チョークを素早く置き、脱兎のごとく席に戻って頭を抱えた。
「…………」
教室は、先ほど以上の沈黙に包まれていた。
「……おい、見たか?」
「計算、してなかったよな?」
「問題を見た瞬間に答えを書いてたぞ……」
「まるで『最初から答えを知っていた』みたいに……」
「やっぱ人間じゃねえよ、あいつ……」
剛田先生だけが「ガハハ!見事だ秋月!これぞ魂の叫びだ!」と笑っているが、クラスメイトの私を見る目は、完全に「未知の怪異」を見るそれになっていた。
私は泣きたくなった。
どうして私の周りでは、いつもこうなっちゃうのよ。
キーンコーンカーンコーン……。
終了のチャイムは、私にとって解放のゴングだった。
「さようならぁぁぁぁ!」
私は挨拶もそこそこに教室を飛び出し、廊下を疾走した。
二度と来るもんか。
やっぱりリアルはクソゲーだ。
私には、薄暗い部屋とモニターの光がお似合いなんだ……!
ゼェ……ゼェ……!
私は自宅のドアに滑り込み、三つもの鍵を厳重にかけて、ようやく息をついた。
「た、助かったぁ……」
安堵と共に、へなへなと玄関に座り込む。
リアルは、やはり魔境だった。
あんな高プレッシャー環境に毎日通っている一般生徒たちは、全員ニュータイプか何かなのだろうか。
「とりあえず……補給」
私は冷蔵庫へ直行し、愛してやまないミルクティーのパックを取り出した。
コップに注ぐ余裕すらない。ストローを刺して一気飲みする。
冷たい甘さが、乾いた喉と、ズタズタにされたメンタルを癒やしていく。
「ふぅ……生き返った」
ようやく人心地ついた私は、薄暗い自室――私の聖域に戻り、いつもの指定席に深く沈み込んだ。
PCの電源を入れる。
見慣れたブルーライトが、私を優しく包み込んでくれる。
「さてと……」
キーボードに手を置きながら、私はふと、教室でのヒソヒソ話を思い出した。
『噂の七不思議その四だよな?』
『あの席に座る生徒を見ると、スマホのデータが消えるっていう……』
……聞き捨てならない。
私が「歩くデータ消去爆弾」みたいな言われ方をしているのは心外だ。
ハッカーとして、自分への風評被害は見過ごせない。
「検索:北市立高等高校 七不思議」
カチャカチャと検索窓に打ち込む。
すぐに、学校裏サイトのスレッドがヒットした。
『【閲覧注意】北高の七不思議について語るスレ Part42』
スレッドを開き「その4」のレスを抽出する。
『No.404:名無しの生徒』
『その4はガチ。2年C組の窓際最後列、通称「空白の座席」あそこには引きこもりの女子生徒の霊が憑いているらしい』
「生きてるっつーの」
私は画面にツッコミを入れながらスクロールする。
『No.408:名無しの生徒』
『俺、あの子を見たことあるけど、その瞬間にスマホの画像フォルダが全部消えたわ』
『No.412:名無しの生徒』
『写真を撮ろうとしたら、画面が真っ白に発光して何も映らなかったぞ』
「…………あー」
私は画面の前で、そっと目を逸らした。
……心当たりが、なくもない。
私はまだ背負ったままだった通学カバンのサイドポケットから、一つのガジェットを取り出した。
一見すると、どこにでも売っているごく普通の「モバイルバッテリー」だ。
「……ごめん。これの電源、入れっぱなしだった」
こいつの正体は、私が自作した小型・対顔認証ジャミング装置
通称『ぴかっとくん』
レンズを向けられると、瞬時に人間の目には見えない強力な赤外線パルスを放出し、カメラのセンサーを焼き付かせて白飛びさせる、対盗撮用の防衛装備。
つまり「カメラに向かってピカッと光る」からぴかっと。
なぜこんな物騒なものを持っているのかって?
話せば長くなるけれど……北市に引っ越してくる前、ちょっとハデにやりすぎて、ネットで「このハッカーの正体を特定しろ!」という祭りが起きかけたことがあるのよ。
その時学習したのだ。デジタルな防御だけじゃ足りない、物理的な顔バレも防がなきゃ、と。
それ以来、外出する時は、必ずこの「偽装バッテリー」をお守り代わりに持ち歩いている。
このモバイルバッテリーの出力をうっかり「軍事用レベル」に設定したままだったみたいだ。
「そりゃあ、普通のスマホで撮ったら白飛びするわよね……」
そして、極めつけはこれだ。
『No.415:名無しの生徒』
『ていうか、あの生徒がいようがいまいが、あの席の半径1メートル以内だけ、なぜか常に圏外になるよな』
『No.416:名無しの生徒』
『そうそう! まるで電子のブラックホールだ。あそこだけ空間が死んでる!』
「……うん、それはね」
私は頬をかいた。
「……私が、設定したからだね」
転校してきて、入学手続きをした直後のことだ。
私は自宅から学校のメインサーバーに侵入し、Wi-Fiルーターの設定を書き換えた。
自分の座席の座標を中心とした半径一メートルを、「通信遮断エリア」に指定したのだ。
理由は単純。
もし万が一登校した時に、学校のセキュリティの甘いWi-Fiに、私のスマホが勝手に接続されたら気持ち悪いから。
そして、GPSで私の居場所を特定されないための「聖域」を作るためだ。
……だって、一応特定騒動までされたハッカーだし、仕方ないじゃない。
その設定を解除するのを忘れて放置していた結果、あの席は「誰もネットに繋がらない呪われた座席」として定着してしまったらしい。
「……全部、私のせいだったわ」
呪いでも幽霊でもない。
七不思議の正体は、私の「用心深すぎるセキュリティ設定」と「オーバーすぎる自作装備」が原因だった。
「ごめんね、クラスのみんな。……でも、設定は解除しないけどね」
だって、私のセキュリティポリシーは何よりも優先されるから。
私はミルクティーの最後の一滴を吸い込み、小さく手を合わせた。
七不思議の幽霊の正体は、幽霊よりもタチの悪い「超ハイテクな人見知り」だったのだ。
とりあえず、明日ジャミングの出力だけ「軍事用」から「民間用」レベルに下げておこう。
そう心に誓いながら、私は二本目のミルクティーに手を伸ばした。




