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青いひれのミオ

 海の底の、ひかりがやわらかく届くあたりに、小さな入り江がありました。

 そこには色とりどりの魚たちがくらし、ゆらゆらと海藻がゆれる、静かな世界が広がっています。

 その入り江のすみで、ひときわ目を引く魚がいました。


 青いひれをもつ、小さな魚、ミオです。

「ねえ、ミオ。またそんなところで空を見てるの?」

 赤いまだら模様の魚、サンゴが声をかけました。

 ミオは岩の上にちょこんととまり、海面のほうを見上げています。

「うん。きょうはね、いつもより光がきらきらしてる」

「上なんて見ても、しょうがないよ。ぼくたちは海の魚だもの」

 サンゴは尾びれをひらひらさせて、くるりと回りました。

 ミオは少し笑います。

「でもね、上にはどんな世界があるのかなって、考えるとわくわくするんだ」

 入り江の魚たちは、遠くへ行くことをあまり好みません。

 外の海は広く、流れも強く、ときどき大きな影が通りすぎます。

 「危ないよ」と大人たちは言います。

 それに、「ここにいれば、じゅうぶん幸せだよ」と。

 けれどミオは、胸の奥がむずむずするのです。


 ある日、入り江に見知らぬ魚がやってきました。

 銀色にかがやく体。長い旅をしてきたようで、ひれには小さな傷がいくつもあります。

「こんにちは」

 低くてやさしい声でした。

 魚たちは少し身を引きましたが、ミオは前に出ます。

「こんにちは。あなたはどこから来たの?」

「遠い海のはてからだよ」

「海のはてって、どこ?」

 銀色の魚は、目を細めました。

「それはね、海が空にとける場所だ」

 入り江がざわめきます。

「うそだ」

「海はどこまでも海だよ」

 けれどミオの心は、強く引きつけられました。

「空にとけるって、どういうこと?」

「波が光に変わるんだ。水が、風になる」

 銀色の魚は、静かに続けました。

「そこでは、魚も、少しだけ空に近づける」


 その夜、ミオは眠れませんでした。

 海面のほうから届く月の光が、ゆらゆらとゆれています。

 胸の奥のむずむずは、もうおさまりません。


 翌朝、ミオはサンゴに言いました。

「あのね、外の海に行ってみる」

「えっ?」

 サンゴは大きな目を見開きます。

「ほんき? 外はこわいよ。大きな魚もいるし、流れも強いし」

「うん。でも、どうしても見てみたいんだ。海のはて」

 サンゴはしばらく黙りこみ、それから言いました。

「……じゃあ、ぼくも行く」

「いいの?」

「だって、きみがいなくなったら、さみしいし」

 ミオはうれしくなりました。

「ありがとう」


 ふたりは、入り江の境目まで泳ぎます。

 そこから先は、水の色が少し濃く、冷たい流れが感じられました。

「いくよ」

 ミオは尾びれを強く打ちました。

 外の海は、思っていたよりも広く、暗く、そして美しいものでした。

 大きな岩山、ゆらめく海藻の森、見たことのない魚たち。

 けれど流れは強く、何度も体を持っていかれそうになります。

「ミオ、だいじょうぶ?」

「うん、なんとか」

 と、そのとき。

 影が、ふたりの上をおおいました。

 巨大な魚です。

 口を大きく開け、こちらを見ています。

「逃げて!」

 ミオは叫びました。

 ふたりは必死に岩のすきまへ飛び込みます。

 大きな魚は、しばらくあたりをうろつき、やがて去っていきました。

 岩のかげで、ふたりは震えています。

「……こわかった」

 サンゴが小さく言いました。

「うん。でも、生きてる」

 ミオは、ふしぎと笑っていました。

「外の海は、こわい。でも、それだけじゃない」

 さらに泳ぎ続けると、水の色がだんだん明るくなっていきます。

 流れも、やわらかくなってきました。


 そして。

 目の前に、まばゆい光が広がりました。

 海面です。

 波がゆらぎ、その向こうに、空が見えます。

「……これが」

 ミオは、息をのみました。

 水と光がまじりあい、きらきらとほどけています。

「きれい……」

 サンゴも、目を細めました。


 そのとき、大きな波がやってきました。

 ミオの体が、ふわりと持ち上がります。

 海の水が軽くなり、体が宙に浮きました。

 一瞬だけ、ミオは海から顔を出しました。

 まぶしい青。

 どこまでも広がる空。

 風のにおい。

 すぐに海の中へ戻りましたが、ミオの心は震えていました。

「見た?」

「見たよ……空」

 サンゴが、信じられないという顔をします。

「海は、空につながってる」

 ミオは静かに言いました。

「わたしたちの世界は、思っていたより、ずっと広い」

 ふたりはしばらく、その光の下を泳ぎました。


 やがて、ゆっくりと入り江へ戻ります。

 帰り道は、行きよりも軽く感じられました。

 入り江の魚たちは、ふたりを迎えました。

「どうだった?」

「こわくなかった?」

 ミオは少し考え、それから言いました。

「こわかった。でも、それ以上に、きれいだった」

 魚たちは、ざわめきます。

 サンゴが続けました。

「海は、空とつながってるんだ」

 大人たちは半信半疑でしたが、ミオの青いひれは、どこか前よりも強く、かがやいて見えました。


 それからというもの、入り江の魚たちは、ときどき外の海を見つめるようになりました。

 すぐに飛び出すわけではありません。

 けれど、胸の奥に、小さな光がともったのです。


 ミオは、岩の上でまた海面を見上げます。

「ねえ、サンゴ」

「なに?」

「いつか、もっと遠くまで行こう」

「うん。でも、ちゃんと帰ってこようね」

 青いひれが、ゆらりと揺れます。


 海は広く、深く、そしてつながっています。

 魚たちは、海の中で生きています。

 けれど、ほんの一瞬でも、空を見た魚は、その光を忘れません。


 ミオは今日も泳ぎます。

 海の底から、光のほうへ。

 自分のひれで、水を切りながら。


 世界が広いことを、知ってしまった魚として。

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