年の瀬の灯り
窓の外で、風がごうごうと音を立てていた。
空はどんよりとした灰色で、雪になるかもしれない冷たい空気が町じゅうを包んでいた。
年の瀬。
今年も、残すところあと三日。
駅前の商店街は、いつもより人が多かった。
両手いっぱいの荷物をさげた人たちが、急ぎ足で行き交う。
八百屋の前ではおばさんが値段をさけび、魚屋からは包丁の音が響いていた。
その喧噪から一歩はなれた場所に、古い小さな店がある。
「灯」という名前の喫茶店だ。
いつ作られたのか誰も覚えていない古い木の看板と、大きなガラス窓。
中には、やわらかいオレンジ色の灯りがともっていた。
紘太はドアを押した。
ちりん、と鈴の音。
冷たい空気がふっと背中から押され、温度の違いに肩がすこし震えた。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、店主の美世が顔をだした。
白髪の混ざった髪を後ろでひとつに結び、やさしい目をしている。
「いつもの席、空いてるよ」
紘太はうなずき、窓ぎわの丸いテーブルに座った。
外のざわざわとした空気が、ガラス越しに遠く感じられる。
灯りの色が静かに店内を染めていた。
「今日も、ブレンドでいいかい?」
「はい。お願いします」
「はあい」
美世は豆をひきはじめた。
さらさら、さらさら。
その音は、冬の夜に雪が降り積もるように静かでやわらかかった。
紘太はぼんやりと外を見た。
行き交う人たちの顔は、みんな少し急いでいる。
年末になると、誰もが落ち着かなくなる。
なにかを終わらせなければならないような、
なにかを始める準備をしなければならないような気持ちになる。
「お待たせ」
湯気をまとったカップが、そっと置かれた。
琥珀色の香りが、ふわりと立ちのぼる。
「年末は忙しい?」
「……まあ、いろいろまとめなきゃならないことがあって」
「毎年、そんな顔してここに来るねえ」
美世は笑った。
からかうでもなく、励ますでもなく、ただ見守るような笑い方だった。
「今年、父さんが亡くなって……家のことも会社のことも、全部ぼくにまわってきて。なんとかやってきたけど、正直、気が抜けてしまって」
ことり、とカップのふちを指先でたたく。
声にすることで、胸の中の重さが少しだけ形になる。
「年末って、今年をしめくくるための時間なんだと思ってた。でも今は、終わらせる力も残ってない気がして」
美世は手をとめ、静かに言った。
「年末はね、終わらせる時間じゃないよ」
紘太は顔を上げた。
「まとめるんじゃない。置いていく時間さ。持って歩くには重すぎるものを、そっと置いていくための」
「……置いて、いく」
「そう。人はね、何かを全部抱えたまま新しい年を迎える必要なんてないんだよ。古い荷物を置いていく場所が、年末なんだ」
紘太はカップに口を近づけた。
香りが胸の奥までしみ込んでいく。
ひとくち飲む。
苦みがゆっくり広がり、あとからやわらかな甘さが追いかけてきた。
「……軽くなりますね、この味」
「飲む人の気持ちが軽くなるように、淹れてるからね」
窓の外、雪がちらちらと降りはじめていた。
ひとひら、ふたひら。
灯りに照らされ、白い影となって静かに落ちていく。
「父さんが好きだったんです、この店のコーヒー」
「覚えてるよ。いつも『今年もよろしく』って言ってね。年の終わりと始まりには、必ず来てくれた」
「ぼくも、来ます。新しい年の最初の一杯を、ここで飲みます」
「うん。そうするといい」
店の中の灯りが、雪の白さをやさしく照らしていた。
ざわめく外の世界と、静かな店内の境界が、ゆっくりと溶けていく。
紘太は深く息を吸った。
胸につかえていた重い石が、すこしずつほどけていく。
「今年、置いていきます」
「えらいね」
「また明日も来ます。大事なものだけ持って、新しい年を迎えるために」
「待ってるよ」
カップの中のコーヒーは、まだ温かかった。
降りしきる白い雪を、静かに照らす灯りのように。




