白い息のむこう
まだ空がくらく、夜と朝のあいだをさまよっている時間。
部屋のなかはしんと静かで、窓ガラスは白くくもり、まるで外の息づかいをかくしているみたいでした。
けいすけは、目をこすりながら体を起こしました。
布団の中のあたたかさは、魔法のように足と腕をつかんで離してくれません。
けれど今日は、どうしても早く起きたかったのです。
「……行かなきゃ」
小さくつぶやいて、布団をえいっとけりました。
床の冷たさが足の裏からじんと伝わってきます。
息を吸うと、鼻が少し痛くなるような、つめたい空気でした。
台所のストーブにスイッチを入れると、ぼっ、と小さな炎が灯り、部屋の中にオレンジ色の光がひろがりました。
湯気の音が「くつ、くつ」と静かに歌いだします。
けいすけは、毛糸の帽子とマフラーをつかんで玄関へ向かいました。
ドアを開けた瞬間、きん、と音が鳴るような冷たい風が顔を打ちました。
「さむっ……!」
白い息が、ふわりと空へ立ちのぼります。
見上げると、空は薄い群青色で、夜の名残を抱いたまま、ゆっくり明るくなりはじめていました。
道には、夜のあいだに積もった雪。
まだ誰の足あともついていない、まっさらな白い道です。
けいすけは、ぎゅっと手袋をにぎりしめました。
「行こう」
ぎゅっ、ぎゅっ、と雪を踏む音が小さく響きました。
冬の朝だけに広がる、特別な静けさでした。
世界ぜんぶが、まだ眠っているみたいでした。
町外れの小さな神社まで来ると、空の色がすこしずつ変わってきました。
群青が明るくなり、薄い桃色と金色がまざっていきます。
そこで、けいすけは止まりました。
石段の上に、きのう約束した友だちーーはるかが立っていました。
「けいすけ、来たんだ」
「もちろん。はるかが言ったろ。“冬の朝の一番星を、ふたりで見よう”って」
はるかはうなずいて、くしゃっと笑いました。
「まだ、見えるよ。ほら」
空のいちばん高いところに、小さく光る星がありました。
夜が朝に追いかけられても、さいごまでがんばって光っているみたいな星。
けいすけとはるかは、並んで石段にすわりました。
手袋越しに触れた指先はつめたかったけれど、そのつめたさでさえ、どこかうれしい気持ちになりました。
「はるか、転校しちゃうんだよね」
「うん。今日の午後、出発」
風が吹き、はるかのマフラーがふわりと揺れました。
白い息が、ふわっと空に溶けていきました。
「行ってほしくないな」
「わたしも、本当は行きたくないよ。でもね、けいすけ。約束したいの。いつか絶対に、また会おうって」
「また会えるかな」
「会えるよ。だって、冬の朝ってすごいんだよ」
「すごい?」
「うん。冬の朝の光は、ぜんぶのものの輪郭をはっきりさせるの。寒さに負けないで立ってる木とか、雪の上の小さな足あととか、世界の全部を、ちゃんと見せてくれる光なんだよ」
はるかは空を見上げました。
「だからね、今日会えたことは、きっと忘れない。この光を見たとき、けいすけを思い出すから」
そのとき、ぱあっと、太陽の光が空へあふれました。
夜の青と朝の金が交じりあって、世界の色が変わる瞬間でした。
雪がきらきら光ります。
空気が透明になります。
心の奥のかたくなっていた部分まで、あたためてくれるような光でした。
「きれい……」
「うん。やっぱり来てよかったね」
けいすけの目に涙がにじみました。
涙はすぐに冷えて、頬の上で小さな氷みたいになりました。
「はるか」
「なあに」
「また絶対に会おう。ぼくも、そう約束するよ」
はるかはまっすぐけいすけを見て、うなずきました。
「うん。約束」
二人は小指を絡めました。
冬の朝の光は、ふたりの手をやわらかく包みました。
家へ帰る道、けいすけは何度も空を見上げました。
冬の朝の空は、すっかり明るくなり、青が広がっていました。
さっき見た星はもう消えていました。
でも、それが少しもさみしくありませんでした。
心の中にちゃんと、残っていたからです。
「よし、ぼくもがんばろう」
足あとが雪の上にしっかり続いていました。
その道は未来につながっている気がしました。
白い息がふわりと空へのぼり、太陽の光にきらめきました。




