86話 電波はルールを守って正しく運用
夜明け前、俺は天目探し屋事務所の二階で目を覚ます。昨日は遅くまで報告書を作成し、知紗兎さんに渡した。時間も時間なので、泊まらせてもらったのだ。
まだ二度寝する余裕はあるけど、自堕落な生活はよくない。起きて支度をするとしよう。
「かなり冷えるな」
一階に降りて、応接間に入る。ここは普段、依頼人と会う場所だ。暖房が切ってあるため、ひどく寒い。置いてある面談予定帳を確認。分かっていたけど、今日は予約なし。客が来るならエアコンを起動しておくところだ。
応接間を出たら居間を通って、台所へ行く。冷蔵庫の中を確認。朝食は余り物で構わないと言われている。とりあえず味噌汁の準備をしておこう。ナメコと豆腐があるため、その二つを使った。
『朝です。起きてください』
スマホから音声が流れる。アラーム音の代わりに設定しておいたものだ。普段は初期設定の電子音にしてあるけど、気まぐれで変えてみた。でも飽きたら元に戻すつもりである。いつまで使うか自分でも分からない。
味噌汁の火を止めて、二階の風呂場へ移動。簡単に掃除をしたら、お湯を張る。お湯を止める時間を忘れないよう、タイマーをセットしておく。これで朝の仕事は一段落したな。
少し時間が空いたので、スマホでネットニュースをチェックする。とりわけ気になるのが『現代版七つの大罪事件』の続報だ。最初の速報から断続的に新しい話が出てくる。その内の幾つかは俺たちも関わっているから、情報を追うことが日課になっていた。
「おはよう、賢悟。いつも早くて、助かるぞ」
「あれ? 今日は一人で起きたのですか?」
「朝一番で報告書の確認を頼んだのは君だろう」
そうだった。知紗兎さんに提出した時間が遅くて、翌朝に回してもらっている。すぐに取り掛かれるように、前倒しで対応してくれたのだな。
この様子だと、すでにチェックは終わったようだ。普段より早く起きたためか、かなり眠そうである。
「ありがとうございます。どうです、内容は?」
「問題なし。後で構わないから、印刷してファイルにまとめておいてくれ」
「承知しました」
ということで始業時間直後の仕事が決まる。もっとも手間の掛かる作業ではないので、すぐに終わるはず。
それから知紗兎さんは風呂場に向かった。毎朝の日課だな。どうやら挨拶をするために、一階へ降りてきたみたいだ。
しばらくして二人で朝食を取り、少し休憩した。英気を養ったら、業務の準備を始めよう。
俺が仕事場で書類の整理をしていると、インターホンが鳴らされる。そういえば玄関の鍵を掛けたままだ。まずは応答するか。
「どちら様でしょう?」
『梨恵です! 寒いです! 開けてください!』
天目探し屋事務所のメンバー、沢村梨恵さんである。いつもの出勤時間より少し早い。用事でもあるのかな。とりあえず入口を開き、中に入ってもらう。
なんとなく玄関まで迎えにいき、朝の挨拶を交わした。
「今日は早いですね」
「所長から聞きましたよ。昨日の件、詳しく教えてほしいです!」
もちろん彼女にも伝えるつもりだ。二人で仕事場へ移動して、作成したばかりの報告書をパソコン画面上で見せる。
これは知紗兎さんに見せた物と一緒だった。念のために、自分でも確認してから印刷を実行した。そして紙の束をまとめる。
「紙の方は保管場所に入れておくので、いつでも見てください」
「ありがとうございます!」
梨恵さんはデータから目を離さずに、明るい声で返答した。ずいぶん熱心だな。なにやら琴線に触れるものでもあるのか。自分の手帳を取りだして、真剣にメモを取っている。
とにかく俺は報告書を棚に収納しておく。現代版七つの大罪事件ファイルの横、通常依頼用のクリアホルダーを取り出した。大型で収納数も多く、重宝している。――これで完了。
「梨恵、来ていたのか。早いな」
「あ、所長! おはようございます!」
支度を整えた知紗兎さんが姿を見せる。自然な流れで所長席へと座った。
「昨日の報告書、収納しておきました」
「お疲れ様。今日は急ぎの案件、無かったよな」
「そうですね。今の内に夢船の捜索について、梨恵さんへ話しておきませんか?」
急に自分の名前を出されて、彼女は顔を上げた。ちょっと首を傾げている。順を追って説明しないと分からないだろう。
「船を探す?」
「今から説明します」
「その前に、お茶を用意したらどうだ?」
知紗兎さんが良いことを言う。話をすれば、喉も乾く。夢船は逃げない、慌てず説明しよう。……あ、いや。もし移動しているなら、逃げることになるか。まあ、今は考えても仕方ない。
とにかく茶だ。手早く用意して、皆の前に置く。ただ茶菓子は準備しなかった。さすがに業務が始まったばかりだからな。十時まで待とう。
「準備できました」
「うむ、ありがとう」
「いただきます、賢悟さん」
俺は梨恵さんに夢船捜索の件を話す。情報屋との面談から始まり、隣の科学者と会ったときのことまで伝えた。
そして事務所に残るか、一緒に海へ出るか聞く。本人も少し迷っているようだ。俺と知紗兎さんは顔を見合わせる。
「できるならば、残っていただけると安心です。万が一、俺たちが遭難したときに後方支援を頼みたいので」
「え~と、わかりました。私は居残りしますね」
ちょっと考えてから、彼女は決断した。
「よし、梨恵は待機で決定だ。留守は任せたぞ」
「はい! お任せください!」
これは非常に重要な役割である。依頼を受ける前に、お客様へ契約内容を説明。同時に詳細の聞き取りを行う。内容によって料金や捜索の方法が異なるからだ。
最初に手間取るとスムーズに仕事が進まない。つまり天目探し屋事務所の信用に関わるのだ。梨恵さんなら安心だな。
「期日までに連絡が無かったら、探しに来てもらえますか?」
「了解!」
捜索の進展に関わらず、一定期間で戻る。水や食料などの問題もあるし、情報の共有も必要だ。詳しいスケジュールは判明次第、彼女に伝えよう。
そのときスマートフォンから着信音が鳴り響いた。あ、俺だな。掛けてきたのは栗間幸子さん。昨日の今日で何かあったのだろうか。
「はい、安海です。幸子さん、どうされました?」
『朝早くから、すみません。見せたい物があると、祖父が言い出しまして。都合のよろしい時間に来てもらえませんか?』
「分かりました。ちょうど余裕があるので、すぐに伺いますよ」
言いながら知紗兎さんの顔を見ると、彼女は頷いた。そして自分の顔を指差している。一緒に行くということだな。相手の声は聞こえていないはずだけど、たぶん俺の様子で状況を察知したのだ。
通話が終わったら、隣家に向かう。正門の前で幸子さんが待っており、速やかに地下室へ案内してくれる。
「おお、来たな! 儂の発明品を御覧じろ!」
部屋に入るなり、栗間博士が息せき切って話し掛けてきた。なにか目の下に隈があるけど大丈夫か。それにしても、ずいぶん自信がありそうだ。だけど幸子さんは気まずそうに、視線を逸らせている。
博士は机の上にある物体を指差した。見た目は大型の無線機みたいだ。少し嫌な予感がする。
「それが見せたい物ですか?」
「そうじゃ! 周囲の電波を拝借して、自在に操ることが可能! また電界強度も充分! 遠くの海上では通信に困るが、これを利用すれば安心である!」
不法無線局じゃないか! それと電波ジャック! 完全にアウト! 困惑しつつ幸子さんを見る。
「……なぜ止めなかったのでしょう?」
「……今朝、起きたら完成していました。おそらく作りかけで放置していたのを、一晩で仕上げたのかと」
その行動力には恐れ入る。
「……とりあえず通報します?」
「……これでも身内なのです。使う前に止めたいと考えています。できれば説得を手伝ってくださいませんか?」
「まあ、分かりました」
だが栗間博士は気合に満ち溢れているぞ。どうやら本気で使う気がする。それと試験運用でもしていたら、止めても遅いよな。おそるおそる博士に問い掛けると、今から行うつもりだったらしい。ギリギリセーフだろうか。




