82話 お隣さん
俺は課題が記載された紙を黙読した。
『仮定の話、愛しき命が奪われた。汝の怒りは収まるか。否。激情が世界へ迸り、臥志山をも砕く。散らばりし山の破片は七つなり。全てを束ねて、夢船の中枢へと誘うべし』
よく分からない単語が二つある。臥志山と夢船だ。前者は『がしざん』と読むのかな。後者は何かの例えだろうか。
「どうしたの?」
「一部の言葉で読み方に悩んでいまして」
「なら今回は少しだけヒントをあげる。たぶん、困っているのは『ふしさん』と『ゆめふね』でしょう」
その通りだった。
「ありがとうございます。ちょうど、そこで思案していましたよ」
「もう一つ助言。まずフロッピーディスクの件を優先すること。次の課題に必要となるはずだから。美人な所長の手を借りるといいわ」
そこまで教えてくれるのか。つまり中のデータを見たら、レポートの作成が捗るということだな。
話しながらも情報屋は渡した紙へと目を走らせている。何度か質問を受けつつ、確認作業は進んでいく。やがて最後まで読み終えたらしく、封筒の中に戻した。
「どうでしょう?」
「今回も問題なし。さて次の依頼を教えて」
「現七罪のボスについて、お願いします」
さほど意外な内容ではなかったのか、すぐに情報屋は頷いた。
「オッケー。ただし相手のセキュリティは強固だからね、絶対に成功するとは言い切れない。それでもいいなら調べてみましょう」
「構いません」
そんな簡単に話は進まないと思っている。というのも現七罪対策班の中で何組か調査を行ったけど、結果は芳しくなかったからだ。
しかし目前の情報屋であればと、一縷の望みを託した。彼女の実力は申し分ないものである。
「はい、承ったわ。じゃあね~」
軽く手を振って、情報屋は身体を反転。俺から遠ざかる。その背中を目で追っていたけど、気が付いたら姿を消している。
とにかく次の課題を考えよう。まずは知紗兎さんに報告しないと。素早く簡潔にメールで結果を送る。とりあえず事務所に戻るか。
しばらくして深夜の天目探し屋事務所に到着する。扉を開けると、知紗兎さんが出迎えてくれた。
「お帰り」
「ただいま戻りました。メールでも送りましたけど、情報屋の話を伝えます」
「慌てるな。まずは風呂に入って、温まるといい」
どうやら、すでに準備を整えたようだ。好意を無碍にするのも悪いし、遠慮なく使わせてもらおう。しかも着替えまで用意されている。これは泊まり込みの仕事に対応できるよう、保管しておいたものである。二階の一室を借り、私物も置かせてもらっていた。
この季節だと、さすがに寒気が厳しい。湯船に浸かり、身体の芯から温まった。一階のリビングに戻り、改めて知紗兎さんに報告をしていく。
「――以上が情報屋との遣り取りです」
「ならば明日の朝一番で天眼通を使おう。今日は泊まるといい」
お言葉に甘えよう。今から自宅に帰るのも大変だからな。
「ありがとうございます。いつもの部屋、貸してください」
「存分に使ってくれ。あ、朝食は頼んだ」
「了解です」
もう夜も遅い。そろそろ寝ないと明日が辛くなる。もしかしたら長距離の移動もあるかもしれない。
就寝の挨拶をしたあと、部屋に向かった。支度を整えてから、念のために明日の予定を確認しよう。急を要する仕事はないので、情報屋からの課題に力を尽くせるみたいだ。……手帳を見ていたら、だんだん眠くなってきた。もう寝るか。
そして翌日、朝食と風呂の準備は完了した。知紗兎さんの朝風呂は習慣らしい。もちろん捜索の仕事で野営するときは別だけど。たまに深い山の奥まで探しに行くときもある。
さて、そろそろ起床の時間だ。知紗兎さんを起こして、身支度の手伝いをする。冷めた料理を温めて、一緒に朝食を取った。メニューは純和風な感じで落ち着く。休憩を取ったら、いよいよ捜索開始。
「よし、賢悟。地図を用意してくれ、都内全域を網羅したやつ」
「ここにあります」
そうくると思って、すでに準備しておいた。まず近場から探すと推測したのだ。印を付けるための筆記具、メモを取るための手帳、それとスケッチブックも忘れていない。
「助かる。では、さっそく始めるぞ」
なんとなく知紗兎さんの雰囲気が変わったな。神秘的と言えばいいのだろうか、あるいはトランス状態とも言えるかもしれない。
数秒が経過後、彼女は首を捻っていた。
「どうしました?」
「……思ったより近くに反応がある。しかし何かに妨害されている感じだ」
「場所は分かりますか?」
「おそらく隣の屋敷からだな。最近、越してきた者がいただろ、そこだと思う」
それは本当に近い。たしか孫娘と老爺の二人暮らしだったはず。引っ越しのとき挨拶に来て、俺が応対している。
「とにかく一度、話を聞いてみましょう。今から外に出ますよ」
「まあ、考えるより早いか。ただ起きているかは分からないぞ」
「この時間なら大丈夫ですよ、きっと」
たまたま家の前で会ったとき、孫娘さんと世間話をしたことがある。お爺さんは朝が早くて、それに自分も合わせているとか。
二人で家を出てから、隣家へ向かう。表札を見たら『栗間』と記載されている。ここで間違いないはず。
「わりと大きい家だな」
知紗兎さんが屋敷を眺めながら呟いた。二階建てで丸みを帯びた建物。どうやら敷地面積も広いみたいだ。入り口の門は閉じられており、そのままでは入れない。
在宅だと助かるのだけど。とりあえずインターホンで連絡を取ろう。
「どなたですか?」
「朝早くに失礼します。私たちは天目探し屋事務所の者です。お伺いしたいことがあり、訪問いたしました」
「少々、お待ちください」
数十秒ほどで玄関の扉が開かれる。出てきたのは若い女性だ。身長は俺より少し低いくらいで、茶髪のショートヘア。作業着らしきズボンに白衣を着ている。
どうやら孫娘のようだな、たしか名前は栗間幸子さん。あまり話したことはないけど、人当たりの良い方だったと思う。目が合ったので、軽く頭を下げた。
「急な訪問、申し訳ございません」
「お気になさらず。隣に住む探偵さん達ですよね?」
「私は違うぞ、探し屋だ」
知紗兎さんの拘りらしい。おそらく世間一般では同じ仕事だと認識されるけど。一応、補足しておこう。
「我々は探偵業の中で、捜索を専門に扱っています」
「は、はあ」
「そんなことよりフロッピーディスクだ!」
栗間幸子さんが困惑した様子を見せた。それも当然か。知紗兎さんの言葉では、何のことか分からない。
「こちらに特殊なディスクを読み取れる機械があると、聞き及びました。恐れ入りますが、お借り出来ませんか?」
「地下室にいる祖父へ伝えてきます」
祖父とは栗間浩也さんのことだな。博士号を持つ研究者で、発明家を生業としているみたいだ。
幸子さんは家の中に戻っていく。門前で待っていると、冬の冷風が身にしみる。コートも着ないで外に出たからな。数分後、玄関から幸子さんが出てきた。
「寒い、早く中に入れてくれ!」
「いきなり押し掛けて、失礼でしょう。すみません、うちの所長が」
「こちらこそ、お待たせして申し訳ありません。祖父の元まで案内します」
どうやら無事に連絡が取れたようだ。彼女の先導で家の中を進んでいく。玄関の先は大広間。奥の方にキッチンが見える。すぐに地下室への階段を発見。
「綺麗な家ですね」
「ありがとうございます。一階だけは、なんとか年内に掃除が終わりました」
「ちなみに地下は?」
「……まだ手を付けていません」
つまり、これから片付けるのか。まあ年明けまで数日ある。きっと大晦日にでも整理整頓に励むのだろう。
そして栗間博士がいるという部屋に到着した。




