60話 新米店員(兼業)の誕生
「あの娘も明るくなって。お二人のおかげです」
「そういえば初めて会ったときと、ずいぶん雰囲気が変わりましたね」
良枝さんの言葉を聞き、当時の様子を思い出す。真面目な受け答えに終始して、明るい性格とは感じなかった。もっとも父親の捜索を依頼したのだから、当然とも言えるか。
「昔は快活だったのだけど、だんだんと固い顔ばかり見せるようになったのです。もしかしたら私と夫の関係を察していたのかもしれません」
夫婦仲が悪いことを感じれば、梨恵さんも暗くなるだろう。
「でも今が楽しそうで、よかったですよ」
「私も母親として少し安心しました」
「ところで予行演習はどうでしたか?」
今日の目的は実際の営業前に、問題点を洗い出すこと。俺が見たところ、来客の多い時間は人手不足になりそうだ。
「厨房内は休む暇もありません。良枝、表はどうだ?」
「こちらも同じよ」
案内、注文、配膳、片付けなどを一人でこなしていた。今日は招待客だけなので大丈夫でも、本番は分からない。仮に理不尽な客が来たら大変だろう。
良枝さんは知人の飲食店で働いていたらしい。しかし主に調理担当で接客経験は皆無。そして聞太さんも似たような感じである。
「今日は梨恵が補助で入ってくれたけど、普段はいないからな」
「せめて、あと一人いればねえ。ただ暇な時間だと、今度は多すぎになるかしら」
この流れだと梨恵さんが手伝うことになるかも。それは少し――かなり困る。
「忙しい時間に限定して、店員を募集したらどうでしょう?」
「それも考慮するべきですね。親戚や会社の知り合いなどに聞いてみます。二人の友人にはいませんか?」
聞太さんが俺たちに問い掛けた。東京近辺に何人か友達はいるけど、都合のいい相手はいたかな。ちょっと考えると、一人だけ思い付く。
「谷町なんて最適かもしれませんよ」
本業は駆け出し情報屋で、今は仕事も少ない。忙しい時間帯だけという条件にも合うはず。軽薄な印象も受けるが、根は真面目な奴だ。接客対応も苦手ではないと思うので適性がありそう。
経緯は不明だけど店の宣伝を任せるくらいには、沢村さんの家族から信用されている。招待客として来てもいたので、それなりに親しい関係を築いていると思う。――そんな感じで二人に説明していった。
「わかりました、頼んでみましょうか。いいわよね、あなた?」
「構わない。安海さん、ご助言ありがとうございます」
そこまで大層なことは言っていない。ただの思い付きだし。とりあえず提案した俺が谷町に連絡すると伝えた。異論は無いようなので、携帯電話を操作して相手の番号にかける。
『どうしたっすか?』
数コールのあと、通話状態になる。スピーカーに切り替えて、三人にも聞こえるようにした。
「仕事中に悪い。今、沢村さんのカフェで臨時の店員を探している。忙しいときの助っ人だが、働いてみないか? まだ情報屋も軌道に乗っていないだろう」
「そうっすね。バイトも考えていたんで、ちょうどいいかも」
ということで、まず話だけでも聞きたいらしい。その場で面談の時間を決める。それから店の宣伝に関しても継続となった。
かなり本人も乗り気そうなので、これは勧誘成功だな。
しばらく話をしていると、梨恵さんが帰ってきたようだ。手に大きな袋を持っていた。
「ずいぶん買いましたね」
「夕食の材料も込みですよ。あとは足りない物があったので、そちらも一緒に」
「なるほど。頼んでいた品物はありますね、助かりました」
俺は梨恵さんから出汁を取るための食品を受け取った。一から煮込むには時間が少ないため、短時間で可能な市販のものだ。
「こちらが無理を言ったのですから、これくらい当然でしょう!」
あまり遅くなると三人の腹具合が大変なことになる。さっそく始めるとしよう。そこで知紗兎さんが立ち上がった。
自信に満ちた笑みを浮かべている。
「私も手伝うぞ。この場は家族水入らずで待っていてもらおう」
「あ、そうですね。なら二人で作りましょう、よろしくお願いします」
改善点の相談もあるだろうし、ちょうどいい。話し合いが終わったころ、調理が終わればベストだな。
調理場に立つことは少ないが、知紗兎さんも料理は苦手じゃない。充分に戦力となる。
「どんどん指示を出してくれ。私は助手に徹するぞ」
探し屋の仕事とは逆だな。ちょっと新鮮だ。俺たちは連れ添って厨房に向かう。道具は好きに使っていいと言われている。わりと楽しみだ。
広いとは言えない厨房だけど、しっかりと整理がされていた。一目で調理道具の場所が把握できる。あとは棚に保管された調味料や食器などを確認しておこう。
「まずは出汁を取ります」
「使うのは混合削り節、昆布、煮干しの三種だな」
「適切な分量を用意したので、知紗兎さんはアクを取りながら煮込んでください」
この作業が大変なのだ。火を使うため、あまり目を話したくない。それが理由で同時作業に限界がある。今回は知紗兎さんに頼めるため、並行して麺を打てる。
麺は強力粉と薄力粉の混合、かんすいの代わりに重曹。このあたりは普段と全く変わらない。下手にアレンジして失敗することを避けたい。俺たちだけならいいが梨恵さんの家族がいるからな。
「まかせろ! しっかり賢悟の手順は見ていたぞ!」
妙だな。一緒に料理を作ったことはある。しかし二人でスープ用の出汁を取ったことはなかったはず。
天目事務所の台所は他の部屋から確認できない。仮に立っている姿が見えても、調理の仕方を把握することは難しいだろう。
「まさかと思いますが、天眼通を使いました?」
「あ!」
知紗兎さんは露骨に目を逸らした。どうやら推測が当たったようだ。
「濫用は感心しませんね」
「……つい、君の様子が気になって」
「とにかく身体には注意してくださいよ」
「わ、わかった」
以前より改善されたとはいえ、天眼通の負担は消えていないと聞く。本当に気を付けてほしい。
簡単に手順を説明してから作業開始。俺は麺を打ち、知紗兎さんは出汁を取る。空調は利いているはずだが、少し暑い。それでも集中しよう。
「――終わりました! あとは時間をおきます」
「こっちも、いい感じだぞ!」
次はトッピングの準備か。まずは煮卵。時間が足りないため、漬け込む代わりに鍋で煮ることにした。半熟の茹で卵を作り、皮を剥いてから鍋に入れる。調味料は酢、めんつゆ、みりん、醤油など。四分ほど煮て完成。
それから豚肉の生姜焼き。これは残った食材を使わせてもらったもの。モヤシと玉ねぎも入っている。野菜がほしかったのだ。塩コショウと片栗粉を豚肉にかけ、フライパンで焼いていく。野菜を入れて火が通ったら、料理酒や醤油にショウガを混ぜたタレを投入。良い感じだな。
「知紗兎さん、麺を茹でる準備をしましょう」
「お湯を沸かせばいいのだな」
その間に俺はスープを仕上げる。醤油をベースに各種調味料を混合。今回は奇を衒わず、基本を重視した。
そして湯が沸いたころにスープが完成。梨恵さんたちは、きっと腹が空いているだろう。片付けは後にして、すぐに作る。
「タイマーをセットしてください」
「時間は?」
「三分で」
麺を伸ばし切り分けてから、知紗兎さんに声を掛けた。これで準備よし。細麺を茹でていく。水を切って丼に入れ、スープを注ぐ。煮卵と生姜焼き、そしてノリを載せたら一丁上がり。
四人用のテーブルに五人分の料理が並ぶ。足りない椅子は、隣の客席から持ってきた。思ったより狭くは感じない。
「さあ、食べるぞ!」
知紗兎さんが真っ先に声を上げた。さっそく食事にしよう。昼にサンドイッチを食べたが、まだいける。ただ俺の麺は少なめにしておいた。さて、いただきます。スープを一口、美味い。次は豚肉をモヤシと一緒に味わう。しっかり生姜が効いていた。そして麺、茹で具合もいいな。
「今日はチャーシューじゃないのですね。こっちも美味しい!」
「確かに良い味だ。あとはスープに深みを増せば、そのまま店でも出せるかも」
その深みが難しいと思います。梨恵さんと聞太さんの会話を聞きながら、内心で呟いた。
空腹込みだろうけど、わりと好評で一安心だ。麺や出汁のことを聞かれたので、分かる範囲で答える。しばらく談笑を続けてから片付け。それが終われば改善点を話し合う。俺たちも意見を聞かれたので、できるだけ協力した。
「探し屋さんたちには、お世話になりっぱなしですね。ありがとうございます」
良枝さんから、感謝の言葉をいただいた。飲食店の生存率は厳しいと聞くけど、ぜひとも長続きしてほしい。この店が上手くいくことを願う。