59話 開店祝いの盛り塩とボードゲーム
とりあえず珈琲は外せない。それと小腹が減ったし、サンドイッチも頼むかな。俺は自分のオーダーを伝えた。他に客もいないため、良枝さんは傍に控えている。
隣に座る知紗兎さんの様子を見た。わずかに考えたあとで、メニューの一ヶ所を指差す。
「私はナポリタンとグラタンのセットを。飲み物はブレンドコーヒーで」
「かしこまりました」
知紗兎さんの注文を聞いて、二人分の確認をした。たしかカフェの接客は初めてだと聞いたけど、なかなか堂に入っている。おそらく事前に練習をしたのだろう。
それから良枝さんはオーダーを厨房に伝えた。店内に了承の声が響く。ところでカウンターの内側に誰もいないが、あれは大丈夫かな。そこで珈琲や紅茶は淹れるみたいだけど。
「開店祝い、渡しそびれましたね。知紗兎さん、どうします?」
「まあ、あとでも構わないだろう。今は料理に集中するぞ」
彼女はメニューを手に取ったまま、全体を眺めている。デザートのページに目を留めていたから、追加で頼むつもりかな。
わりと早く料理が運ばれてきた。俺の前にはサンドイッチとカプチーノが並ぶ。珈琲の種類には詳しくなく、洒落た感じの写真が気に入って頼んでみた。二人分の料理が並び、食事を開始する。
舌鼓を打ちつつ料理を堪能していると、他の客が入ってきた。今日は招待客だけであり、主に良枝さんの知人を呼んだとか。人数は控えめで、まずは注文を受けてからの動線チェックを徹底したいと聞いた。
それからも何人か店に入る。だいたい良枝さんと同年代の方が多い。そんなとき若い男が来訪した。俺も見知った顔である。あ、向こうも気が付いたようだ。
「安海さんじゃないっすか!」
「谷町も呼ばれたのか?」
「なんと仕事を頼まれました! この店を広めてほしいって!」
新米の情報屋だと貴重な機会だろう。ずいぶんと熱心なようだ。それだけに少し不安を感じてしまった。
「張り切るのはいいけど、情報の扱いには気を付けてくれよ。誇張表現をしたり、ステマじみた方法を取ったり。店に迷惑が掛かるからな」
「忠告、感謝っす! こう見えてオレも成長してるんで、安心してください!」
その軽い言動が怖いのだけど。まあ、これ以上は余計な口出しか。谷町の仕事が成功することを祈っておこう。
少し会話をしたあとで、谷町はカウンターに座った。一人客の居心地について、調べたいらしい。思ったより、真面目に仕事をしている。ちょっと感心した。
「見た感じだと、料理メインの飲食店に見えるな」
「もともと改装前は料理屋だったと聞きました。必要な設備が揃っていたことが、建物を選んだ決め手だとか」
率直な知紗兎さんの感想に対し、梨恵さんに教えてもらった話を伝えた。
「なるほど。ラーメンも作れそうだ!」
「メニューには載っていませんからね」
さっきまで目を通していたので、知っていると思うけど。それから食事を終えて二人で会話を続ける。
そう思っていたら、知紗兎さんが追加注文。デザートのショートケーキである。これは店主が作っておらず、他の店から仕入れたものらしい。菓子作りは苦手だと言っていた。
少し時が流れ、ぼちぼち挨拶を済ませた客が帰り始めている。このまま俺たちは待機だ。梨恵さんの家族と茶会をするからな。
片付けを手伝おうかと提案したが、作業量の確認も予行の内と断られた。考えてみれば当然か。ちなみに梨恵さんは主に記録や補助を担当しているらしい。彼女が手を出し過ぎたら、予行にならないからとのこと。
「お先に失礼するっす!」
「頑張ってな」
谷町も店を出て、残っていた客も帰る。見たところ、何かしら開店祝いを渡していた。俺たちが用意した品と被らないといいけど。
やがて店内から人の気配が消えていく。残ったのは俺と知紗兎さんだけである。良枝さんは店を閉めたあと、厨房の片付けに回った。もう少し待とう。
「――どうやら一段落したか」
厨房から三人が出てくる姿を見て、知紗兎さんが呟いた。前を歩いているのは、あまり顔を見せなかった沢村聞太さん。白の長袖シャツを着て、前身頃はダブルとなっている。コックコートが渋い感じだ。
「お待たせしました。いつも娘が大変お世話になっています。……天耳通のことも含めて」
「気にするな。よく梨恵は働いているし、我々も助かる」
本当に良い仕事をしてくれるからな。かなり俺の負担も減ったし。挨拶をしたら忘れないうちに持ってきた品を渡そう。
「よろしければ、こちらをどうぞ。天目探し屋事務所からです」
「ご丁寧にありがとうございます」
「私が選んだのは盛り塩だ。魔除けと商売繫盛の祈願だぞ」
飲食店の祝い品としては定番らしい。
「俺からはカードを使用したボードゲームですよ。最短5分で遊べるものと、60分くらいかかるもの。よければ店に置いてください」
関連商品ではあるけど、それぞれ単独で楽しむもの。ちなみに内容は姫に恋文を届けるゲームだ。
ふと横から視線を感じる。なぜか知紗兎さんが呆れたような目で見ていた。
「それは自分の趣味が入り過ぎていないか? とくに二つ目だ。カフェに1時間もいたら回転率が悪くなるだろ」
「事前に相談をしています! 人聞きの悪い!」
梨恵さんを通じて、カフェで楽しめるものを探していると知った。そのとき俺がボードゲームを提案したのだ。短時間で終わるものと、長時間かかるもの。両方があると嬉しいらしい。時間を気にせず過ごせる店にしたいとか。
また曜日や時間帯によって、雰囲気を変えたいと言っていた。落ち着いた静かな空間と、皆で楽しめる店内。どちらも目指すとのこと。
「助かります。わざわざ持ってきていただき、ありがとうございました」
「賢悟さんが選んだのなら、きっと面白いものですよ!」
気のせいか梨恵さんがハードルを上げているような。まあ、大丈夫だろう。
「ところで店主、ラーメンを出さないか? あるいは、すでに裏メニューあたりで用意していないか?」
「今のところ予定はありませんが……」
「知紗兎さんは、そんなに麺類が好きでしたか?」
嫌いじゃないのは知っている。一緒にラーメン屋へ行くこともあるけど、二杯は普通に食べるからな。ただ裏メニューに言及するまで好物ではなかったと思う。
「君が言っただろ。研究のために多種多様な麺類が食べたいと。カフェで提供するラーメンも参考になるはず。そして私は自宅で、さらに美味い食事ができる」
「前半だけで止めておけば、ちょっと感動したのに」
つまり俺に学ばせて、自分の食生活を豊かにしようと。隠そうとしないところが知紗兎さんらしい。
「ふーむ、少し考えてみましょう。幸い必要な道具は揃っていますので」
どうやら前の店から受け継いだみたいだ。元の店主は年を召した方で、故郷への引っ越しを機に勇退。後進の運営者に安く店舗を貸してくれたとか。経営が順調に進んだら買い取りも対応可能で、配慮も行き届いている。
「そうだ、賢悟さん! 試しに作ってください!」
「梨恵、およしなさい。ご迷惑でしょう」
急な提案に良枝さんが娘を窘めた。
「俺は構いませんけど、厨房に他人が入るのは好まれないのでは?」
「問題ありません。あなた方は我々の恩人、使っていただけるなら光栄です」
「こう店主も言っているぞ。あと私も食べたい」
結局、遅い昼飯の代わりで作ることになった。ずっと三人は動き続けて、食事を取った様子がなかった。足りない食材があり、梨恵さんが買い出しに向かう。
「行ってきます! 良い品を選び抜いてきますよ!」
「気を付けて、いってらっしゃい」
「は~い! お母さんは二人をもてなしていてね!」
元気に外へ出る梨恵さんを見送ったあと、良枝さんは神妙な表情で俺たちに頭を下げた。ずいぶん真剣な様子に少し戸惑ってしまう。