52話 鬼の面と感じのいいオバちゃん
「どうされました?」
目の前にいる女性が首を傾げる。とまどっていた俺たちを見て、怪訝に思ったのだろう。
「お気になさらず。急にドアが開いて、ビックリしただけですので」
「あら、驚かせてしまったかしら」
「とにかく、おばさん久しぶり。おじさんから手紙を預かっているから受け取ってくれ」
幸助が後ろから声を掛けた。
「ありがとう、幸ちゃん。遠いところ疲れたでしょう、中に入って。もちろん、みなさんも」
「助かります! 私の足が棒になるかと不安でしたよ!」
俺の見立てだと、まだまだ梨恵さんは大丈夫だと思う。疲労が極みに達すると、言葉を発することも億劫になるからな。とはいえ休めるときに休むことは大切だ。
しかし少し気になることがあった。悪路を進んだとはいえ、ちょっと彼女は疲れすぎている。何度か一緒に捜索しており、だいたいの体力は把握した。ある程度の余裕をもって先頭を歩いたつもりである。俺は梨恵さんの隣に立った。
「もしかして天耳通を使いましたか?」
「……皆さんの役に立とうと考えて」
小声で彼女に問い掛けたら正解だったようだ。梨恵さんの持つ天耳通は、万物の声を聞き取る能力。財宝探しに有効だと、試してみたのだろう。
ただ危険な行為だと俺は思った。知紗兎さんの話によると、限度を超えて能力を使うと、場合によっては一歩も動けなくなるそうだ。
「身体には気を遣ってください」
「うう、すみません。今度から相談してからにします」
「二人とも、まずは中に入るぞ」
言いながら知紗兎さんは館の中に入っていくので、俺たちも後を追う。玄関には鹿の頭部が飾られている。きっと剥製だろう。その横には鬼の面。そして長い棒も置かれていた。これは用心棒かな。
通してもらったのは、畳が張り詰められた和室。六畳間のようだ。
「どうぞ、ゆっくりして。ここは茶室として使っているの。落ち着くでしょう」
「良い雰囲気ですね」
この感じ、素晴らしいと思う。部屋の中は華美な飾りもなくて、質素な調度品で整えられていた。
中央に囲炉裏があり、さきほどまで火を使っていたらしい。残った湯を使って、お茶を淹れてくれた。
「私は足助香苗、よろしく」
一息ついたとき、彼女が名乗った。そういえば自己紹介もしていない。俺たちも名を告げた。
足助さんは柔和な笑みを浮かべながら、話を聞いている。
「姓名は大林じゃないのだな」
「ご結婚されているのですか?」
知紗兎さんの言葉を聞き、梨恵さんが尋ねた。
「私は独身よ。本家と苗字が異なるのは、主従関係を明確にするためらしいわね。ただ昔のこと過ぎて、確かなことは分からないの」
大林の姓を継いでいるのは、かなり本家に近い血縁まで。もう少し言うと有力な家系だけが名乗ることを許されたとか。
足助さんの言葉を聞いて、ふと気付いた。弟さんの氏名を聞いていない。経歴や趣味は話してもらったのに。
「そういえば私たち、管理人のおじさんに名前を聞かなかったですね」
どうやら梨恵さんも俺と同じことを思ったようだな。一緒に食事を取りながら、そのことに気が付かないとは。
「弟は家名を嫌っているから。正確には本家との繋がりを忌避しているのよ。私も似たようなものだから、香苗と呼んでちょうだい」
「実はオレも意図して、おじさんの名前に触れていない」
幸助の言葉を聞き、なんとなく納得した。それとなく話題を逸らしていたのか。
「貴方たち、しばらく泊まっていきなさいな。いいでしょ、幸ちゃん」
「少し相談させてくれ」
一応、三泊分の備えはある。調査の進展状況により、戻るか進むか決めるつもりだったからだ。ちなみに現状では手掛かり全くなし。ここを基点にできれば助かるだろう。
そして話し合いの結果、お言葉に甘えることになった。知紗兎さんや梨恵さんの疲労も考慮すると、ちゃんと管理された場所で休むに越したことはない。
「――香苗さん、よろしくお願いします」
「ゆっくりしていってね、賢ちゃん」
懐かしい呼び方だな、子供時代を思い出す。よく友人から言われていた。一番、無難なニックネームである。
たくさん部屋は空いているので、好きな場所を選んでいいらしい。各部屋を見て回ると、どこも清掃が行き届いていた。一人で管理するのは大変だろう。
「大部屋があるぞ。三人で泊まるとしよう」
知紗兎さんが俺と梨恵さんに呼び掛けた。幸助は前に使っていた部屋があって、そこに向かっている。
「構いませんけど……理由がありそうですね」
「まあ、な。夜にでも話す」
「梨恵さんも大丈夫でしょうか?」
「お泊り会ですね、楽しそう! 枕投げイベントはあります?」
ありません。冗談で言っているだろうから、軽く流して答えた。ともかく賛成の様子だ。俺たちは部屋が決まったことを、香苗さんに伝えるため茶室へ戻る。
その途中で大きな籠を背負った彼女に出会った。
「ちょっと弟に会ってくるわ。すぐ帰るから、ゆっくり寛いでいてね」
「今からですか? ここに着くのは夜遅くになりますよ」
「大丈夫、大丈夫。慣れた道だから、そんなに遅くならないわよ」
玄関まで見送ると、香苗さんは扉を開け外に出る。あっという間に姿が見えなくなった。
――帰ってきたのは夜になる直前だ。ちょうど茶室に四人で集まっていたので、一緒に出迎えにいく。
「お帰り、おばさん」
「ただいま! 皆、ちゃんと休めたかな?」
幸助が声を掛けると、疲れを感じさせない返事がきた。背中の籠に多くの野菜が入っている。主に夏野菜がメインみたいだな。
香苗さんは玄関に籠を下ろすと、軽く肩を回す。それから屈伸。
「おかげさまで。それにしても、ずいぶん健脚ですね」
「足には自信があるからね」
凄い。この移動速度は俺たちの倍以上かもしれない。さらに呼吸が乱れた様子もなかった。こういうのを神速と呼ぶのだろうか。
とりあえず荷物持ちくらいは手伝いたい。
「野菜、運びますよ。台所でしょうか?」
「ありがとう。夕食は腕によりをかけて作るわ」
「オレも台所に立とう。おばさんの味付けは独特だから心配だ」
「失礼ね、私の料理は標準よ」
勢いよく幸助が首を横に振っている。とにかく二人に任せよう。夕食は二時間後くらいに始めるらしい。それまでは部屋で待つことにした。
料理の支度が終わったと聞き、食堂に向かう。わりと広いな。テーブルの上には調理された野菜や肉が並ぶ。ちなみに鹿肉だと教えてもらった。へえ、ジビエとは珍しい。あまり食べる機会がないからな。
夕食が終わり、俺たちは部屋で休んでいた。皆が風呂に入って、楽な服装をしている。そのとき知紗兎さんが立ち上がった。
「そろそろ話を聞いてもらおうか」
「なにか気になることを感じたみたいですね」
「ああ、そうだ。足助香苗は天眼通の力を防いでいるかもしれない」
初めて館に来たとき、知紗兎さんは誰もいないと判断している。しかし実際には中に人がいた。少し腑に落ちなかったな。
「私も気になっていました。香苗さん、足音が全く聞こえないのです。いつもなら天耳通を使わなくても、多少は分かるのに」
「もしかして、あの健脚ぶりも関係ありますかね」
改めて移動速度を考えると、常人とは思えないほど。しかも帰りは結構な荷物を背負っていた。彼女も二人と同じような、特別な能力を持っているのだろうか。
「それも気に留めていた方がいいな」
「ただ悪い人ではないと思います。まあ、俺の想像ですけど」
「まあ、同感だ」
といっても注意だけはしておこう。しばらく会話を続け、現状維持ということになった。
仮に何か能力があったとして、軽々しく初対面の俺たちには伝えないはず。今のところ、感じのいいオバちゃんだ。
「ふぁあ~」
「眠そうですね、梨恵さん。どうぞ休んでください」
彼女は無言で頷いた。目が半分、閉じている。昼間の疲れが出たのか。そのままベッドに向かい、横になる。
だいたい話は終わっているので問題ない。
「お先に失礼しま~す――」
「もう寝たのか!」
「大きい声を出すと、梨恵さんが起きてしまいますよ」
「……すまない、気を付ける」
ところで今、就寝の挨拶をしながら眠りについたな。俺も眠くなってきた。もう休むか。




