5話 妖精の声
昼食を終えた俺たちは、沢村良枝さんの自宅に向かう。聞き込みを兼ね、電車を使って移動だ。彼女の自宅は杉並区にあると聞いた。最寄り駅から一本で行けず、乗り換えが必要である。
駅を出て歩くこと十分ほど。目的のマンションに到着。入口で来訪を告げると、すぐに通してくれた。エレベーターで六階に上がり、ドアのインターホンを押す。娘の梨恵さんが、玄関の扉を開けた。
「母から話を聞きました。二人が離婚を考えており、失踪の理由かもしれないと」
「まだ確定ではありませんよ。一日でも早く見つけるために、家の中を調べさせてください」
事前に許可を貰っているけど、改めて頼んだ。良枝さんも顔を見せて、二人から承諾を得られた。梨恵さんが片手で家の奥を示す。
「もちろんです、どうぞ中へ」
「失礼します」
「邪魔をする」
俺と知紗兎さんは、二人で屋内を回る。まず入って右手側にトイレ。その隣には脱衣場と風呂。まっすぐ進むとリビングがある。そして和室と洋室が一部屋ずつ。ベランダもあり、外へ出ると市街が眺望できる。
一通り回ってから、本格的に調べ始めた。プロフィールや経歴は教えてもらっている。手掛かりになりそうなのは、本人の癖や性格が分かる物である。まず寝室に置かれていた古いアルバムを見せてもらおう。最新の写真は梨恵さんから預かっているけど、昔の雰囲気を知りたい。
「見ろ、賢悟。どの写真も端の方にいるな」
「控えめな方なのかと」
梨恵さんの話では、真面目で人のサポートが得意。だけど自己主張は弱く、少し流されやすいみたいだ。
次に調べたのは日記である。これは娘に見せないよう、良枝さんが管理していたものだ。夫婦仲について多少の記載があるため、隠しておいたらしい。
「最新の日記は持ち出したらしく、ここにあるのは使い終わった日記帳です」
「拝見します」
とりあえず、新しいものからだ。隣で立つ知紗兎さんにも見えるよう、ページをめくっていく。なんというか良い人な気がする。不満や愚痴が少ない。とりあえず会った人や、行った場所をまとめよう。
俺は日記帳を知紗兎さんに渡して、持ち込んだノートパソコンを開いた。彼女と協力しながら、重要そうな情報を入力していく。ふと彼女が視線を止めた。
「この『幻聴が聞こえる』という記載、気になる」
「いつ頃からでしょう」
「ちょっと待て」
知紗兎さんが数年分の日記帳を確認する。俺は幻聴について調べよう。とはいえ今できるのはネットで検索くらいか。
「――だいたい二年ほど前から始まっているな。それから頻繁に起きたようだ」
「そのときの様子が気になります。良枝さん、すみません!」
「夫の幻聴ですね。そういえば何か声が聞こえると呟いたことがありました」
少し離れた場所にいたけど、こちらの話を聞いていたのだろう。質問の前にすぐ答えてくれた。そのときは深刻そうではなかったらしい。何度か似たようなことがあったけど、少し経つと言わなくなったとか。
だけど日記では頻繁とある。二人だけで暮らすようになり、夫婦の会話が少なくなったと言っていた。良枝さんが聞かなかっただけなのか。あえて言わないようにしたと考えることもできるな。
「ありがとうございます。知紗兎さん、捜索を続けましょう」
「そうだな。なにか進展があればいいのだが」
それから日記を含め、家の中を探した。しかし新しい手掛かりは見つからない。訪れた場所や交友関係などは、梨恵さんと良枝さんが知っているものだけ。元から活動的ではなく、知人も限られているようだ。
もう深夜と言える時間帯である。今日の捜索は終わりか。
「賢悟、使うぞ。ノートパソコンを貸してくれ」
「あ、はい」
ノートパソコンを知紗兎さんの前に置いた。
「このフォルダに今日の調査結果が入っています」
「ありがとう、助かる」
これは天眼通を使うための準備。まずは情報を確認。そして知紗兎さんは部屋を見渡した。最後に視点をベッドの方へ向ける。本人と関係が深い物や場所を基点にすると、より良い結果となるらしい。
だけど、このままだ不審な人物に見えてしまう。フォローしておく。
「すみません。所長が考え込みました。すぐに終わりますので、そっとしてあげてください」
この説明で二人とも納得してくれた。まあ、考え込んでいるのは本当だ。それに加えて能力を使っているけど。
数十秒ほど経過。知紗兎さんは軽く目を閉じたあと、すぐに開いた。
「ふむ、やはり手掛かりが足りない」
「なら引き続き調査しましょう」
そのとき、電話の着信音が鳴り響く。俺ではない。どうやら梨恵さんに掛かってきたようだ。相手の声は聞こえないけど、何事か話しているな。それから通話中のまま、俺たちに顔を向けた。
「鈴木さんから連絡をいただきました。明日、午後から時間が取れるそうですよ。お二人の都合を教えてください」
「問題ない、頼む」
知紗兎さんは簡潔に答えた。梨恵さんが相手方に伝える。鈴木さんというのは、父親の同僚である。いきなり会社に押し掛けるのも悪いので、事前に連絡を頼んでおいた。
もう遅いので天目探し屋事務所に戻る。二人に挨拶してから、外に出た。日中は暖かかったけど、夜は少し寒い。電車の駅まで世間話に興じる。こんなところで、依頼のことは話せないからな。
「腹が減った」
「帰ったら、なにか作りますよ」
「じゃあ駅前のスーパーに寄ろう」
二人で買い物してから、事務所に戻った。さっそく料理を始めようか。仕事中の食費は、知紗兎さんが払っている。休日よりも食生活が豊かで本当にありがたい。
そして彼女から晩酌の肴も頼まれた。明日に残らないくらいなら、大丈夫だな。誘われたので俺も付き合う。
翌日の午後。俺たちは約束した会社の前に着いた。ビルの七階がオフィスだと、そう聞いている。
午前中に行った聞き込みは、成果が出ていない。捜索の糸口になる話を聞けたらいいのだけど。
「そろそろ約束の時間です」
「行こう」
中規模の会社で、手堅い経営をしているらしい。七階まで上がると無人の受付があり、用件は電話で伝えるようだ。入口のインターホンを使い、面会の予約があることを告げる。少し待ってから、鈴木さん本人が来た。ちょっと白髪が目立った、四十代くらいの男である。着ているスーツは清潔で、人に不快感を与えない。ただ表情は固い。
どうやら社内の会議室を使えるらしく、俺たちを案内してくれた。細かい所まで掃除が行き届いた通路を進み、部屋の中に入る。
「話は聞いています。良枝さんの夫――沢村聞太の行方を捜していると」
「私たちは探し屋だからな」
「貴女は天目財閥の御令嬢、知紗兎さんですね」
知っていたのか。古い家系や老舗の会社では有名だから、それほど不思議だとは思わない。
「その通りだ。誰から聞いた?」
「聞太が言っていました。かなり遠い親戚と聞いています」
「でしたら、そちらから調べることも可能でしょうか?」
期待を込めて質問した。天目家の縁戚を調べれば、なにか分かるかもしれない。しかし無情にも首は横に振られる。
「残念ながら何代も前に婿入りして、今では繋がりも皆無みたいです」
「まあ、仕方ない」
「沢村家の縁を辿るしかありませんか」
「どうでしょう。実家は都内にあると聞きましたが、血族は少ないとか」
梨恵さんから貰った資料にあったな。両親も早くに亡くなっているはずだ。今は別の方向から攻めるしかないか。会社での行動や心当たりのある場所を聞くけど、こちらも空振り。
「幻聴について知っていることは?」
「聞太さんは二年ほど前から、おかしな声が聞こえていたようです」
知紗兎さんの聞き方だと分かりにくいと思い、ちょっと補足した。鈴木さんは、わずかに考えたあとポンと手を打つ。
「最近のことは分かりません。ただ子供のころに妖精の声が聞こえた、そう言っていました。だいぶ酔っていて、冗談だと思ったのですが。いつもは軽口も言わない奴が珍しくて、はっきり覚えています」
妖精の声、気になる言葉だ。もうちょっと踏み込んでみよう。