38話 公園に潜む情報屋
翌日、梨恵さんに電話があった。母親の良枝さんからだ。聞太さんに会うため、こちらへ来るらしい。到着は二日後、そのころには聞太さんも外に出られるはず。まだ荷物の整理が終わっていないみたいだ。あとは手続きも必要だろう。なんとか間に合ってほしい。
「賢悟、進捗はどうだ?」
「もう少し掛かりそうです」
俺は朝からレポートを書いている。情報屋に渡すものだ。競馬場に行ったときのことを文章としてまとめる。雛形はできていたので、文章に起こせば完成。しかし時間は掛かりそうだ。それほど量は多くないけど、質には気を遣う。なんだかんだ言って、あの情報屋は頼りになる。契約を打ち切られたら困るだろう。
この作業は本来の予定にない。もっと後で対応するつもりだったからな。しかし昨日の夜遅く、情報屋から連絡を受けた。この町に滞在中で、残りの情報を渡してくれるとのこと。指定の時間は今日の深夜。せっかくなので途中だったレポートを提出したいと思ったのだ。
「お茶、どうぞ。急に大変ですね」
「ありがとうございます」
ノートパソコンと向き合っていると、梨恵さんが差し入れをしてくれた。緑茶と菓子か。ちょうどいいので休憩する。
知紗兎さんも来て三人で談笑してから、レポートを再開するつもりだ。やる気を奮い立たせるためにも、しっかり休息を取らないと。
「ところでレポートの課題はなんでしょう?」
そろそろ作業を再開しようと思ったら、梨恵さんから質問を受けた。そういえば概要だけは説明したけど、詳しく話していない。改めて俺は彼女にメモを見せた。
『欲強き群衆が集う楕円の場。終焉の地を目指し役者は進む。決して振り向くこと能わず。嘆きと怨嗟が渦巻く魔境で、されど賢者は掴み取る。知識に繋がる勝者の印を』
彼女は目視でメモを読んでいるようだ。声に出さないのは、邪魔をしないという配慮かな。
休息を終え、レポートの続きに一意専心。今のペースなら午前中に終わるはず。タイピングに没頭していく。やっと完成だと思ったとき、ここだと印刷ができないことに気付いた。
「ちょっと近くのコンビニへ行ってきます」
「買い物か?」
「用があるのはマルチコピー機ですね。レポートが書き終わったので、印刷をしないと」
「私も行こう。唐揚げが食べたい」
朝食も結構な量だったはず。もう腹が減ったのだろうか。とりあえず断る理由はない。最後にレポートを確認し、ホテルを出た。梨恵さんはホテルに残るそうだ。
コンビニエンスストアまでは本当に近い。散策がてら、歩いていくことにする。肩掛け鞄を下げて、ゆっくりと進んだ。のどかな風景が広がり、よく海が見えた。潮風に当たると懐かしい気分を感じる。
「ここ、俺の知人が副店長をやっているそうです」
「ホテルでも似たようなことを言っていたな」
「狭い町ですから、顔見知りが多くて」
そんな話をしながらコンビニに入る。お客の数は少ない。ここは観光客目当ての店らしいけど、今はオフシーズンだからかな。
店内にいるのは、若い男が一人だけ。
「いらっしゃいませ~。……あれ、安海じゃないか?」
「よ、久しぶり」
「東京に行ったと聞いたけど、どうした?」
「この近くで仕事があった。無事に終わらせて、今は休暇みたいなものさ」
微妙に間延びした挨拶のあと、声を掛けられた。高校の同級生である。そこまで仲は良くなかったと思う。ただ顔を合わせれば世間話くらいはする。
レジの近くで作業をしていたようだが、手を止めて視線を向けてくる。俺の隣に立つ知紗兎さんを見ると、怪訝そうな表情を浮かべた。
「知り合い?」
「バイト先の上司」
俺が端的に答えたところで、客がレジの前に立った。話を切り上げ、仕事へ戻るようだ。一人だと大変そうだな。
ともかく先に印刷を済ませてしまおう。マルチコピー機を操作し、USBメモリのデータを読み込ませる。手早くプリントアウトを実行。それが終わったら用意しておいた封筒に入れる。これで対応完了。
「お待たせしました、知紗兎さん。何を買いますか?」
「唐揚げとフライドポテト、それにポークフランク。そんなところだ」
「了解です」
さっきの客は帰ったようだ。レジへ行って注文し、品物を受け取った。それから領収書も貰っておく。
「天目探し屋? なんだか変わった場所で働いているな」
「ま、まあな」
かなり成り行き任せで働くことになったことを思い出す。立ち話をしていると、三十代ほどの男が近くにきた。
ネームプレートに店長とある。どうやら交代に来たらしい。
「すまん、これから用事だ。ここは食事のスペースもあるし、ゆっくりしていってくれ」
一言だけ残して、去っていく。ずいぶんと慌ただしい。忙しいのかな。
「ああ言っているし、せっかくなので店内で食べましょう」
「賛成だ」
コンビニ内で飲食可能な場所があると助かるな。並んだ商品を見ていたら、俺も食べたくなった。多めに購入しているので、ちゃんと俺の分もある。一緒に買った緑茶と共に賞味した。
夜になって情報屋と会う準備をしていると、メールが届いた。差出人を見ると、母親からである。仕事が終わったのなら帰ってこいと、催促された。どこかで俺のことを聞いたみたいだ。昼に会った知人経由だろう。
「あの、知紗兎さん。実家から帰るように言われたのですが、上司の人も一緒にと誘われています。……行きませんよね?」
「よし、行こう。すぐに返信してくれ」
即答だ、何の迷いも無かった。まあ、いいか。明日の午前中に帰ると連絡した。二泊の予定だ。梨恵さんは家族でホテルを利用する予定であり、そちらと帰る日を合わせた。東京まで三人を送る手筈となっている。
すぐにメールが返ってきて、了承の言葉を確認。父と二人で待つそうだ。
「たしか君の実家は、ご両親が二人で暮らしているのだったな」
「そうですよ。兄と妹がいますけど、どっちも地元を離れたので」
兄は就職で妹は進学、かなり遠くで生活している。しばらく会っていないので、不在なのは残念だ。
そんなことを話していたら、情報屋と約束した時間が近い。遅刻は厳禁だから、そろそろ出るとしよう。
夜の公園に俺は一人佇む。ここには他に誰もいない。世界から人が消えたような錯覚を起こす。
「こんばんは、良い夜ね」
しばらく待っていると、背後から声を掛けられた。予想していた通りに現れる。公園に潜んで、タイミングを見計らっているのだろうか。俺は慌てずに振り向き、軽く頭を下げた。
それから手に持つ封筒を渡す。
「いつもお世話になっています。これ、今回のレポートです」
「確認させてもらうわ」
情報屋は封筒を開けて、中身に目を通していく。
「あ、競馬場に行ったみたいね。そう、天眼通は使わなかったの」
「それで的中させても、賢者と繋がらない気がしましたから」
「上手く説明できれば、使っても構わないのだけど」
ちょっと難度が高いと思う。天眼通だと知恵を絞る余地が少ない。そのまま読み続けているので、ちょっと待つ。相も変わらず彼女はコートを着込んで、マスクを着用。しっかり帽子も被っていた。
しばらくして、視線を落としレポートを読んでいた情報屋が顔を上げる。
「どうでしょうか?」
「及第点よ。そうそう、忘れる前に残りの情報を渡しておくわ」
「……人体実験の件ですね。ありがとうございます」
「次の課題は天目探し屋事務所に郵送しておいたわ。今度は何を調べてほしい?」
知紗兎さんと相談してあるため、惑うことなく答えられる。
「現七罪という組織について。できるだけ詳しく」
「承ったわ。それじゃあ、また会いましょう」
短く答えた彼女は踵を返した。普段なら少し雑談していくのに、もう今日は帰るみたいだ。
俺が礼を述べると、情報屋は後ろを向いたまま右手を上げた。それから夜の闇に溶けるように、彼女の姿が見えなくなっていく。――さて俺もホテルへ戻ろう。




