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36話 未来の姿が見えた者

 田中さんは動機を話したあと、深く息を吐く。だいぶ疲れているな。


「ところで名簿のリストだけで、私が密告したと気付いたの?」

「不審に思ったのは、もっと前からですよ。気になる言葉を聞きましたので」

「なにか言ったかしら?」


 本人に覚えはなさそうだ。きっと無意識に発した言葉なのだろう。俺たちという異物が入ったことで、普段ならしないはずのミスをしたのか。


「総務部長を副所長と呼びました。人事を担当している貴女なら、副所長が自称であることを知っていますね」

「……思い出したわ。私たちが初めて会ったときね」


 このことに気が付いたとき、最初は単純に総務部長派の人間だと思った。だけど顧客名簿を見て、考えを改めている。


「貴女は研究所に入る前から、総務部長のことを知っていたのでしょう。そのとき副所長を自称していたため、そちらの呼び方に慣れている」

「また正解。ここに来てから初めて知って驚いたわ」

「研究所へは総務部長の紹介ですか?」


 田中さんは首を横に振った。気のせいか、ちょっと嫌そうだ。


「まさか。いると知っていたら、ここには来なかったかな」

「彼女は私がスカウトしたのです」


 所長から話を聞いた。研究所を改革するため人を探していたとき、老化防止薬の調査をしていた田中さんに会った。そこで知識を見込み、声を掛けたと。

 ちなみに総務部長と田中さんは知り合いであることを隠していたらしい。違法な薬を扱っているのだから、当然とも言える。やり取りは互いに最小限だったみたいである。


「所長には悪いことをしたと思っているわ。ただ、それでも薬が必要だった」

「専門家の治療は受けたのか? 精神科のカウンセリングなどは?」

「母や親類が嫌がってね。結局、諦めたの」


 知紗兎さんの質問に対し、田中さんは苦々しい表情で答えた。なんとなく治療を受けなかった理由が分かった気がする。


「しかし話を聞く限り、日常生活に支障があったのだろう」

「地域によっては、精神病に関する偏見が残っています。田中さんの母親が住んでいた場所も似たような感じだったのかと」

「その通りよ、親戚の大半から強固に反対されたわ。特に周囲へ噂が広がることを懸念していた」


 どうやら身内の繋がりが強い場所であり、定期的に親族会議も開かれるらしい。出るたびに大変だったと、彼女は忌々しそうに語った。


「ならば天目財閥が運営する保養地を紹介しよう。表向きはリゾート地だが専門の医者もいるし、個人情報も守られる」

「ありがたい話だけど、先立つものがないわ。……職も失うと思うし」


 推測だけど薬代が家計を圧迫していたのだろう。今回の件だと、違反行為による返金は難しいはず。地下室には明確な契約書類は無かった。すでに処分されていることも考えられる。

 この研究所の行く末は分からない。次の職場は決まっていたらしいけど、現在の状況で約束が生きるかは未定だ。


「所長、田中さんは何か罪に問われそうですか?」

「研究所側から咎めることはありません。しかし違法な薬の使用に関しては、私の一存では判断ができないかと」


 まあ、そうだよな。話を聞いていた梨恵さんが唐突に手を上げる。


「はい、盗聴や密告はどうなるのでしょう?」

「現状では罪にならないと思います」


 もう少し詳しく話を聞く必要があるけど、どちらも不問になりそうだ。盗聴器が仕掛けられた場所は庶務室と所長室。主に仕事部屋で、所員なら誰でも入ることが可能。住居侵入罪は適用されない。あるとしたらプライバシーの侵害かな。どこに盗聴器を置いたか、また入手した情報の使い方で罪になる場合もあるだろう。その確認は当事者たちに任せよう。

 そんなことを梨恵さんに伝えたら、ちょっと首を捻っている。説明が分かりにくかったかもしれない。


「盗聴というのは、それだけで罪になるわけではないのですね。だけど密告の件は大丈夫なのでしょうか?」

「所長が口頭で口止めしただけと聞いています。強制力としては弱いです」


 田中さんの伝えた内容は、俺たちが鍵を入手したことくらいのはず。職場の人に業務報告をしただけとも判断できる。


「それに私たちも罪に問う気はありません。やむを得ない事情があったと、分かりましたので。田中君。次の研究所へは、予定通り紹介する。落ち着いたら、一緒に挨拶へ向かおう」

「……ありがとうございます、所長」


 本当に問題となるのは違法な薬を使用したこと。最初は騙されて渡されたので、被害者とも言える。しかし許可されていないと気が付いたあとに、母親へ飲ませているからな。どうなるのだろう。


「これで費用は問題なさそうだ。保養地の予約を入れておく」

「貴女にも感謝を、天目さん」

「気にするな、しっかり料金は貰う」


 ちょっと照れている。ストレートに礼を言われることが少ないからな。それから少し田中さんの話を聞いた。状況を把握したいので、静かに耳を傾ける。




 少し時が経つ。すっかり朝日も昇り、多くの人が起き始める時間だな。俺たちは彼女が知っている総務部長の情報を教えてもらった。違法な薬だけでなく、問題のある行動が複数あるようだ。

 嘘を言っていれば、知紗兎さんが気付くはず。つまり田中さんの調査に間違いがなければ、総務部長の行為は目に余る。


「老化防止薬は総務部長の主導で作られたのですか」

「偶然の産物みたいだけどね。効果があることは、私自身の手で確かめたわ。元は人の進化を目指した薬で、研究の過程で老化を遅らせることが判明したの」


 話を聞いていた知紗兎さんが顎に手を当てた。彼女が考え事をするときの姿だ。何か気になることがあるのか。


「なあ、母親は人の老化した姿を見たと言っていただろ。それは未来の状態を見ていたのかもしれない」

「母に未来視の力があると?」


 田中さんの質問を聞いて、俺は梨恵さんを見た。後天的に能力が目覚めた例だ。


「断言はできない。だが私も似たような経験をしたことがある。しっかり保養地で調べてみたらどうだ?」

「そうさせてもらうわ。だけど、その前に研究所での仕事を終わらせないとね」


 ああ、そうだ。研究所の閉鎖は決まっている。再開は未定。この地での、最後の仕事になるのか。田中さんは聞太さんに視線を向けた。


「まだ完全な制御には成功していない。けれど適度に能力を使えば、普通の生活に戻ることができるはず。今までのデータから考えると、音楽を聞くといいわ」

「音楽に込められた、作曲者や演奏家の声を聞く訓練でしたか。承知しました」

「もしも困ったことがあったら、私に連絡してください。次の受け入れ先は考えてありますので。残りの報酬は急ぎで振り込みましょう」


 所長の話を聞いて、聞太さんは丁寧に頭を下げた。こちらも研究所での暮らしが終わるようだ。しかし訓練の継続は必要。大変そうだな。これからの生活を考える必要だってある。


「良枝さんと一緒にカフェの運営をしたらどうです? 店内にクラシック音楽でも流せば、いつでも訓練できます」

「わあ、素敵! 父さん、やってみよう!」

「私は構わないが、妻が断るだろう」


 そういえば離婚協議中だったか。しかし互いに嫌ってのことではなく、天耳通の暴走による擦れ違いが原因だ。

 今回の一件を説明すれば、上手くいくかもしれない。かなり梨恵さんが乗り気で聞太さんを説得している。




 親子会議は短時間で終わった。良枝さんの了承を得ることが先決という結論だ。逆に言うと良枝さんが了承したら、一緒にカフェをやることに同意した。

 そのとき虫の予感とでも言うべきか、不思議な感覚が起きる。誰かが話し掛けてくるような感じだろうか。


『再起動、完了』


 唐突に声が聞こえた。秘宝遺物『楽園生成』の無機質な音声。知紗兎さんが俺の様子に気付き、訝しげな視線を向ける。


「どうした?」

「楽園生成の再起動が終わったようです。一度、研究所に戻りましょう」

「へえ、そんなことが分かるのか」


 知紗兎さんが感心したように言葉を発した。とにかく場所を変える。田中さんにワゴン車へ乗るよう促した。


「あら、いいの? 座席が汚れるわよ」

「構いません。後で掃除します」


 ひたすら穴を掘っていたのだ、服は土まみれである。彼女は車内を覗き込むと、目敏く研究所の模型に気付いた。これが秘宝遺物だとは知らないはずだけど、何か感じるものがあったのだろう。


「もしかして、あの模型が?」

「想像の通りです」

「ともかく乗ってくれ、全員で研究所に戻る。急ごう」


 そうだな。知紗兎さんに賛成だ。総務部長が帰る前に、後のことを相談するべきである。田中さんに聞いた予定では、まだ到着まで時間が掛かるらしい。とはいえノンビリできるほどでもない。

 俺と知紗兎さんは総務部長の帰還前までに、研究所を辞することになっている。これは研究組織『現七罪』の恨みを買わないよう、所長が気を遣ってくれたのだ。お言葉に甘えよう。

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