3話 待ち人来ず
知紗兎さんの言葉で、思考が止まる。まさか大罪事件と関わりがありそうとは。今回の一件は、根が深いものかもしれない。
ならば早急に依頼を進めたい。そう彼女は考えているはず。
「どうされたのですか?」
「いえ、失礼しました。それでは依頼内容を確認させてください」
とにかく今は仕事をしないと。まずは注意事項の説明からだ。
「一つ確認させてください。貴女の依頼は父親を捜し出すことですね?」
「それで間違いありません」
はっきりと沢村さんは頷いた。
「もし我々が父親を発見したら、まず沢村様に連絡いたします。本人だと判明したところで、依頼は完了です」
「承知しました」
ここは明確にしておく必要がある。俺たちが対応できるのは、見つけ出すまで。無理に連れ帰ることは不可能である。
それから細かい規約を沢村さんに説明していく。事前に調べたのだろう。わりと話はスムーズに進んだ。前の探偵事務所でも、似た話を聞いたのかもしれない。
「――以上が注意点になります」
「あの、失踪した理由を知りたいのです。そちらは調べていただけませんか?」
「捜索の途中で判明したら、もちろん報告しましょう。とはいえ本人しか知らないこともあるので、確約は難しいですね」
探すだけでなく、分析や推理が必要になるのだ。おそらく知紗兎さんが探し屋を自称するのも、探偵と名乗るほど捜査に習熟していないからだと思う。
彼女のイメージしている探偵は「事件を解決する人」みたいだ。ほとんど全ての探偵に当てはまらないけど。
「……わかりました。可能な範囲で構いませんので、よろしくお願いします」
ここは探し屋。人や物を見つけ出せても、心の中は推し量るしかない。どうやら沢村さんも理解してくれたようだ。ここで粘られると困ったことになってしまう。頷いてくれてよかった。
そして事務手続きへ進む。少し時間を掛けて、丁寧に対応してもらった。不安な気持ちでサインを貰うわけにはいかない。なんとか無事に契約を締結した。
「調査料金を抑えてくださり、ありがとうございました」
「構わない。私にとっても気になる案件だ」
今回は着手金5万、成功報酬15万で請けた。書き置きを残して姿を消した人で、身を隠している疑いもある相手だ。正直、ちょっと相場より安いと思う。
知紗兎さんの判断で決定した金額。少しでも経費を抑えるよう協力したい。
おおむね必要な話を聞き終わって、さっそく今日から行動開始になる。今は他に手掛けている依頼も無い。この件に集中できるだろう。良いことか、悪いことかは分からないけど。
まずは聞き込みから。依頼の場にいなかった母親に連絡してもらいアポを取る。かなり離れた駅の近くで、チラシを配っているとか。現地まで行き合流することになった。――約束の時間15分前に到着。
「ちょっと待ちましょうか」
「そうだな。ところで賢悟、沢村君の母親だが、どう思う?」
「写真を見た感じだと、優しそうな雰囲気ですね」
俺は資料として預かった家族写真を思い出していた。彼女は柔和な笑みを浮かべ夫に寄り添っていたと思う。
それから娘さんの話では興味心が旺盛らしい。防犯の目的でスマホを渡したら、自分よりも使いこなしているとか。
「他には?」
「依頼の場に同席しなかったことは、ちょっと気になりました。娘さんが騙されたばかりです。心配じゃないのかな、と」
依頼料金は娘が一人で工面したらしい。父親から送られた金は、母親の生活費に使うべきだと語っていた。専業主婦らしいので、気を遣ったのだろう。
「ほぼ詐欺同然に金を払った娘だ。親なら心配になるはず、という考えか」
「少し気になっただけですよ。捜索に専念したいのかもしれませんし」
「いや、参考になった」
知紗兎さんは無言で考え始めた。邪魔をしないよう、傍で静かに立っていよう。この雰囲気は嫌いじゃない。
――約束の時間だ。しかし待ち人は来ず。
「時間も場所も合っているはず、変ですね」
「連絡なしで遅刻とは気に入らん」
ちょっと機嫌が悪くなったようだ。ただ遅れたことではなく、連絡がないことに怒っていると思う。
彼女は約束を違えることを、本人に対する侮蔑と考えている節がある。
「携帯電話に連絡してみます」
スマホを取り出し、登録しておいた番号にかけた。連続する呼び出し音。だけど誰も出ない。もう一度、番号を確認して掛け直す。それでも出ない。
呼び出し音だけが鳴り続ける。なにか、おかしい。俺は諦めて電話を切った。
「賢悟、駄目だったか」
「たしか近くにある大きな公園で、チラシを配っているはずですよね」
「仕方ない。直接、行ってみよう」
歩くこと二十分ほど。こんなことなら、自動車で来るべきだったか。合流場所の付近を調べたら、駐車できる場所が少なくて電車を使ったのだ。
行き違いにならないよう、最短距離を通り公園に向かった。この駅から公園には大きな通りを直進すれば辿り着くみたいだな。コンビニやファミリーレストランを横目で見ながら、すれ違う人に注意を払いつつ進む。
「やっと着きましたね、知紗兎さん」
「とりあえず中で探すとしよう」
思ったよりも大きい公園だが、ビラ配りなら場所は限られるはず。広場みたいに人が集まりそうな場所を探そう。
しかし見当たらなかった。平日ではあるが、それなりに人はいる。姿を見た人がいるかもしれない。――聞いて回ったけど、手掛かりなし。そもそもチラシ配りの目撃談が皆無である。公園の管理人に話を聞いたら、配布の許可を出していない。そもそも申請が無かったらしい。
「もう一度、電話してみます」
やはり出ない。呼び出し音だけが鳴り続けていることを、不審に思った。そして知紗兎さんを見ながら、首を横に振る。彼女は俺に視線を合わせてから頷いた。
「目を使う、構わないな」
緊急事態の恐れもある。乱用には当たらないと判断したようだ。もし携帯電話に出られない状況だとしたら、かなりマズイことになるだろう。事故や急な病気など悪いことも考えられる。
天眼通を使用中の知紗兎さんは、どこか神秘的な感じだ。両の瞳を見ていると、吸い込まれるような錯覚を起こす。
「見えた。だが聞いていた服装とは全く違う。茶色の地味な恰好だ。チラシ配りで人の目を引きやすい、赤色の服を着ていると言っていたはず」
今日は春の陽気で暖かい。コートを着ていないことは確認してある。もし途中で着替えたのなら、俺たちに伝えるだろう。
「む、着信に気付いているぞ。場所は――ファミレス、窓際の席。近い!」
合流場所を間違えたとは考えにくい。駅の前とファミリーレストランだからな。共通点が無さすぎる。店名を聞いたら覚えがあった。来るときに見掛けた、大手の店である。
俺と知紗兎さんは急いで店に向かう。彼女の天眼通は、完全に沢村さんの母親を捉えたらしい。もう見逃すことはない。
「ここが話に聞いた店だと思います」
「…………はあ、はあ。そうだな、間違いない」
肩で息をしている。天眼通を使うと、ひどく体力を消耗する。さらに走ったまま使っていたからな。ふらついていたので、肩を抱くように身体を支えた。
俺も疲れてはいるけど、彼女ほどではない。足取りはしっかりしているし、元の体力にも違いがある。
「大丈夫ですか?」
「……ありがとう。もう動ける」
二人でファミレスに入った。店員に待ち合わせをしていると言って、席の場所と服装を伝えた。店員間で待ち合わせの情報を共有していなければ、不審に思われることもない。すぐ該当する人物に思い当たったようだ。席まで案内してもらう。
沢村さんの母親は、目を見開いていた。どうやら驚きで言葉を失っている。俺は店員が離れたときを見計らい、声を掛けることにした。
「すみません。待ち合わせの場所に、連絡違いがあったようですね」
「なぜ、ここに?」
「私たちは探し屋だ。素人を一人、見つけることなど造作もない。沢村良枝、話を聞かせてもらおうか」
知紗兎さんは笑みを浮かべながら、自信満々に答えた。