2話 依頼の始まり『HE』
呼び鈴の音が聞こえる。俺は出迎えるために、玄関へ向かう。扉を開くと、若い女性が立っていた。スーツ姿を見て、平日だったことを思い出す。探し屋の仕事は土日に動くことも多い。茶色のショートヘアが少し乱れており、やや息が荒いな。きっと時間に遅れそうになり、走ってきたのだろう。大きめのバッグが重そうだ。
「いらっしゃいませ、天目探し屋へようこそ。ご予約された方でしょうか?」
「は、はい。10時に約束した沢村梨恵です。電話では失礼しました」
おそらく予約をしたときのことだろう。名前を聞き面談時間を決めたら、慌てて電話を切られてしまった。通常なら依頼の概要を確認するのだけど、今回は実際に話を聞くまで分からない。
ちなみに相談は無料である。依頼を引き受けるときに着手金、無事に達成したら成功報酬を貰う。これが基本の料金体系で、状況により変わることもありえる。
「お話は中で伺いますので、どうぞ上がってください」
沢村さんは靴を脱いで事務所に入る。この建物は洋風の外観だけど、生活様式は和風である。彼女を中央のテーブルまで案内し、お茶を出した。
「ありがとうございます」
「さて、飲みながら聞いてくれ。私が所長の天目知紗兎だ。こっちは助手の――」
「――安海賢悟です」
知紗兎さんの言葉を引き継いで、名前を述べる。改めて沢村さんも名乗り、話を聞く体勢が整う。沢村さんの正面に知紗兎さんが座り、その左横に俺が腰掛けた。目の前にはノートパソコンを置いて、話の内容を記録できるようにしてある。
「それでは用件を聞こうか」
「どうか私の父親を探してください。父は半年前、転職をしています。その直後に『しばらく留守にする。探さないでくれ』と書き置きを残して、姿を消しました。母の話によると、生活費は毎月末に振り込まれているようです」
しかし連絡は取れないみたいだ。
「月並みな質問だが、警察に連絡は?」
「行方不明者届は出しましたけど……」
沢村さんは口を濁した。事件性が低いことから、警察の捜索は当てにできないと思っているのだろう。書き置きの内容も緊急を要するものではない。積極的に動くケースではないと、少し調べれば分かるからな。
「まあ、一般家出人の捜索は期待できないか。それで、ここに連絡したと」
「そうです。探偵の方なら、見つけてくださると思って」
「一つ誤解している。私は探し屋、探偵ではない」
知紗兎さんの拘りらしい。あくまで自分は探し屋だと。しかし行政には探偵業で届け出を出している。つまり本人の意識以外に、大した違いはない。
沢村さんが反応に困っている。きっと違いが分からないためだろう。俺から少し補足しておく。
「探偵業務の中で、捜索に特化した職と考えてください」
「それなら人探しの専門家ですね! ぜひ力を貸していただけませんか!?」
彼女は必死である。本当に父親の身を案じているのだと思う。だが行方不明者の捜索は難しい。とりわけ今回は書き置きの内容を鑑みるに、身を隠していることも考えられる。
さらに人探しは金が掛かる。言いにくいけど、言わないわけにもいかない。ただ話を切り出す前に、ワンテンポ置こう。
「ところで天目探し屋のことは、どこで知ったのでしょう?」
「公式サイトです。人探し、探偵で検索しました」
だけど検索上位には出ないはず。よく見つけたものだ。
「賢悟が作ったものだな。宣伝意識の欠片も無いサイトで、依頼しようと思う者がいるとは」
「実は最初に依頼した探偵事務所では、まともに調査をしてもらえませんでした。そこは多くの広告を出していたのですが、中身は完全に違いました。そんなことがあって、宣伝の少なさが信用できると思ったのです」
もしかして調査費用の名目で、金を取られたのでは。わざと調査を長引かせて、費用を余計に払わせる事務所も存在すると聞く。そこの名前を教えてもらったら、聞き覚えがあった。断りを入れてから、パソコンを使い調べる。
案の定、業界内では評判の悪さで有名な事務所だった。宣伝だけに力を入れて、中身が伴わない探偵事務所である。こういう輩がいると、まっとうに商売している俺たちにも迷惑が掛かるのだ。
「探偵業法違反で、営業停止命令が出た事務所です。少し前に警視庁のサイトでも見ました。さらに詐欺まがいの方法を使い、金を巻き上げようとしたとか。きっと営業停止だけでは済まないでしょう」
「そ、そうだったのですか」
沢村さんが気落ちしている。配慮に欠けた発言だったかもしれないな。できれば取り返してあげたいが、すでに支払った金を返却させるのは非常に難しいだろう。
七つの大罪に『過剰な富の蓄積』があったな。別の言い方では『法外な富を得ること』である。詐欺で得た金は、間違いなく法外だと思う。……今から報酬の話をするのに、かなり話しにくくなってしまった。
「言いにくいのですが、支払いの件は大丈夫でしょうか。よろしければ分割払いもありますよ」
「なんとか工面しました。よほど高額でなければ、大丈夫のはずです」
人探しの相場は10万から100万ほどと言われている。当然、困難な捜索ほど金が掛かる。今回の件で大きな問題は二つ。失踪してから半年が経っていること、また父親自身の意思で身を隠している恐れがあることだ。
行方不明者を探し出すには、目撃者の証言が重要。もし変装でもされたら厄介なことになるだろう。
「まずは現在の状況を把握する必要があります。詳細が分かる資料や記録などは、お持ちでしょうか」
「それなら、こちらに」
沢村さんはバッグから、クリアファイルホルダーを取り出した。俺は両手で受け取って、知紗兎さんにも見えるよう机の上で開く。
まずは父親の情報だな。年齢や身長・体重、出生地から育った場所。東京都内で生まれて、何度か引越ししている。それから失踪直前の服装だ。数は少ないけど、目撃情報も記載されていた。そして以前の勤務先か。自己都合による退職らしい。満額ではないけど退職金も出て、家族に残している。ただ実際に振り込まれるのは少し先のことみたいだ。
「今、どこで働いているかは不明なのですね」
「元同僚の方にも話を聞きましたけど、分かりませんでした。急に退職届を出してから、連絡を取った人もいないそうです」
とはいえ口止めされていたら、娘に話をしないことも考えられる。退職の理由も不明だし、くわしく調べた方がいいかもしれない。
一通り目を通して思う。なんというか印象に残りにくい人だ。身内の視点では、真面目で誠実。問題を起こすタイプではない。
「次は沢村さん、ご自身の記録でしょうか」
「前の探偵事務所で、家族の情報も捜索に必要だと言われましたので」
それは事実だけど、言ったのは営業停止された事務所だ。悪用されないか心配になる。
とにかく内容を確認しよう。沢村梨恵、23歳。小柄で少し痩せているか。都内の大学を卒業。かなり上の大学だ。そのあと文房具の製造会社に就職。事務員として働く。
「もしかして、これから会社に向かいます?」
「実は……休職届を出しに行くつもりです」
まさか会社を休んで、父親を探すつもりだろうか。と俺が考えていたら、本人の口から「父を探しに行きます」と言葉に出した。これは本気だな。真剣な表情で、決意は固そうである。
「沢村君、一つ聞かせてくれ。そこまで父親を探す理由はなんだ?」
「え? いなくなった家族を探すのは、当たり前のことでしょう」
そうとも言えない。身内が消えても、気にしない人はいる。中には喜ぶ人だっているだろう。だけど沢村さんは、本気で家族の身を案じていそうだ。
知紗兎さんは俺の顔を見てから、自分の目を指差した。
「依頼を請けたいと思う。賢悟、詳細を詰めてくれ」
「あ、はい!」
それから俺の耳元に唇を寄せてくる。おそらく天眼通で何かを見たのだ。いや、見えたが正解かもしれないな。本人の意識と関係なく、勝手に発動することがあるらしい。そんなときは、しばしば重要な何かが目に映るとか。
「二つの英字、HEが見えた」
おそらく『human experiment』だ。つまり人体実験だな。沢村さんの父親が、七つの大罪事件と関係しているかもしれない。