19話 山中の建物
翌朝、午前六時前。ちょうど身支度を整えたところで、知紗兎さんと梨恵さんが部屋に来た。朝食が始まるまでの時間を使い、車で町を巡る。
「ちゃんと今日は起きましたね、知紗兎さん」
「まあ、たまにはな」
「私よりも早く起床していましたよ」
そうだったのか。遅れると後の予定に支障が出るから、大変ありがたいことだ。フロントに声を掛けたら、さっそく出発するか。
ホテルを出て道路を横断し、駐車場に行った。三人で車に乗り込み、すぐ出かけよう。
「右手側には海か。ただ助手席からだと見えにくい」
「帰りまで我慢してください。それと町の風景も悪くないですよ」
これは地元民の欲目が入っているだろうか。また知紗兎さんは話をしながらも、道行く人に目を光らせている。本人が通り掛かる可能性だって無視できない。
とはいえ今は施設の確認を優先。この地図には大まかな区域のみ示されている。まずは付近の地形を把握する必要があるだろう。
「昨日は夜の移動で、ほとんど景色は見えませんでした。改めて眺めると、とても良い所だと思います」
「それは私も同感だ」
二人から、お褒めの言葉を頂いた。多少なりとも、お世辞は入っていそうだけど嬉しい言葉である。
「とりあえず町中を通りつつ、道の駅まで行きましょう。そこで引き返し、ホテルまで戻るつもりです」
「例の場所は町から外れた場所にありそうだな。ただ少し遠いから、態勢を整える必要があるか」
知紗兎さんは地図を見ながら呟いた。問題は該当しそうな施設が二軒あること。一方は山中の建物で、一方は川から離れた林の中。地図上の距離では遠くない。
「そう思います」
「つまり登山の準備だな。高さは? 険しい場所か?」
「大きい山ではありませんよ。小学校の遠足で定番になるくらいです」
そんなところに人体実験の施設があるのは怖い。ここは今日中に調べるべきだと考えている。
「では動きやすい服装ならば、構わないわけだな」
「そうですね。車道もありますけど、小回りが利かないため徒歩で行きましょう。それに見合った格好で」
「了解」
うろ覚えだけど、頂上以外だと駐車できるスペースは無かったはずだ。一時的に停めるくらいは可能だが、捜索には不向きだと思う。
しばらく進み、商店街に入った。何ヶ所か狭い場所があったので、気を付ける。通行人に注意しながら、ゆっくりと車を走らせた。やがて商店街も終わり、国道に出る。あとは道なりに進めば目的地が見えてくるはず。
「綺麗な川ですね」
梨恵さんがポツリと呟いた。景色を見る余裕が出てきたのは良いことだと思う。さっきから必死で人の姿を追っていたからな。この様子だと捜索の途中で息切れが懸念される。
「懐かしいな、昔は友人たちと一緒に遊びました」
「子供時代の思い出か。私も楽しんだものだ」
「周囲は大変だったとのことですが」
知紗兎さんの家族から少しだけ話を聞いたことがある。周囲のことは、我関せずという態度だったらしい。
「些細なことは気にするな」
「ご両親も心配していましたよ」
さぞ家族も苦労したのだろう。
「ところで安海さんは、ご実家に戻られなくてよろしいのですか?」
「きっと敷居が高くて帰りにくいのさ」
「え? なにがあったのでしょう?」
梨恵さんには俺の事情を伝えていなかった。ことさら話すことではないが、別に隠すつもりもない。
「大学に入って三年後、相談なしに辞めました」
「……学費や生活費は自分で?」
「全額、実家から出してもらっています。勝手に退学したことを伝えたら、絶対に返せと手紙が来ましたよ」
当初は卒業して就職したあとに、少しずつ返済するという話だった。もし余裕が無ければ、気にしなくていいとも言われている。――いや、言われていた。
「その結果、毎月のように返済で苦しいと」
退学した後はアルバイトに精を出していたが、生活費と返金でギリギリである。そこから金を溜める必要もあって、厳しい日々を送っていた。
また梨恵さんに大学を辞めた理由も聞かれる。正直に冒険へ行くためと言うと、しばしの沈黙が訪れた。
「……なんというか、頑張ってくださいね」
「お気遣い、ありがとうございます」
などと話していたら、道の駅に到着。食事処や売店もあるのだが、この時間だと開いていない。そのままUターンしてホテルに戻る。
だいたいの地理は分かってもらえただろうか。さすがに車で一回りしただけでは無理かな。帰りの知紗兎さんは海に興味が向いていたけど、ちゃんと周囲にも気を付けているだろう。たぶん。
「それにしても、朝から運転していると腹が減りました。ホテルに戻ったら、すぐ朝食ですか?」
「そうだな。早めに食べて、捜索を開始しよう」
ということになった。車を停めて、ホテル内に行く。どうやら朝食はバイキング形式らしい。知紗兎さんが大量の料理を嬉しそうに食べている。一方、梨恵さんは食が進んでいないようだ。
「どうしました? 体調が悪ければ、今日は休まれます?」
「いえ、大丈夫ですよ。ただ少し耳鳴りがして……」
昨日は寝る時間が遅かったし、疲れが残っているのかもしれない。または過度のストレスを感じているか。
これから結構な距離を歩くことになる。ちょっと心配だな。
「もし具合が悪くなったら、すぐ言ってください」
「わかりました。ご迷惑をお掛けします」
「迷惑じゃないぞ。依頼人を慮るのは、探し屋として当然だからな」
知紗兎さんが良いことを言った。三人で話をしていたら、梨恵さんも少し元気が出たようだ。
朝食を終えたら、山に向かう。道なりに沿って進み、神社の手前を左折。やがて山の入口が見えてくる。近くに知人の住居があり、そこの庭に停めても構わないと許可を得ている。今は留守だけど、勝手に駐車していいらしい。
「目的の建物までは、たしか歩いて三十分ほどです」
「よし、先導は任せた」
頂上までは、ほとんど一本道。道に迷うことは考えにくいけど、滑りやすい所はあるので気を付けたい。
俺は先頭に立ち、山を登っていく。山頂への道は複数あって、ここは車が通れるよう整備されている。とはいえ車一台分の幅が続いて、すれ違いが大変だ。途中で広い部分もあり、そこが待避所となる。
「建物が見えましたよ!」
「梨恵さん、そこは違います。地図の印だと、もっと上の施設を示しています」
「あ、そうですよね。まだ登り始めたばかりだし」
ここは入口から五分ほど進んだ場所。該当の施設まで、さらに二十分以上は歩く必要がある。
「周りに竹が多いな」
「時期によっては、生えたばかりのタケノコも見えますよ」
「へえ、それはいい」
ここ以外の山でもタケノコは採れる。よく知り合いから貰って、食卓に上がっていた。
しばらく登ると、大きく曲がった道に差し掛かった。ガードレールがあるのは、降りの車が落ちないようにするためか。
「良い眺めですね!」
「景色を楽しむなら、頂上付近がオススメです。ここは木々で視界が遮られているでしょう」
そこから登り続け、ようやく目的の建物が見えた。しかし知紗兎さんが首を横に振る。
「ここは違う。おそらく設備を残して、今は使われていないのだろう」
「残念ですね。あ、いえ。子供が通るような場所の近くで、恐ろしい施設が無くて安心するべきかもしれません」
はっきりと彼女が断言するなら、きっと間違いないはず。
「それでは下山しますか?」
「一度、頂上まで行こう。町を見下ろせる場所から、天眼通を使いたい」
梨恵さんの質問に、知紗兎さんが答えた。俺も異論ないため、再び登り始める。だいたい今は中間くらいかな。なんでも中腹に幻の城があったらしい。知紗兎さんなら発見できそう。
そんなに頂上までは遠くない。木の実園や芝生の広場を通り過ぎ、さほど時間が掛からず山の頂に到着した。