10話 水の音を聞いた一族
手帳を見ていたら、幻聴という言葉が目に留まった。知紗兎さんが気にしていたことである。
「あ!」
ふと思い立ち、本棚を端から確認する。特に医学や精神医療などの本があれば、注意してタイトルを見た。
しかし目当ての本は存在しない。
「どうした?」
「ここには幻聴に関わる本が全くありません。子供の身に起きたことです。自分で調べようとしなかったのでしょうか」
わざわざ改装して書斎を作り、ここまで多くの本を所持しているのだ。その中で一冊も無いとは考えにくい。
「……そうだな。しかし今は無い」
「引っ越し先に持って行った可能性もありますね」
「あるいは沢村聞太に見せないよう、別の場所に保管したのかもしれない」
それもありえるな。
「その場合、処分したかもしれませんよ」
「せめて家の中に有るかだけでも知りたい。賢悟、スケッチブックを」
「わかりました!」
知紗兎さんは天眼通を使うつもりだ。俺は急いで荷物を置いた部屋に行く。そこでは梨恵さんが片付けをしていた。
「ちょっと失礼します、梨恵さん」
「あ、どうぞ」
邪魔をしないよう声を掛けて、スケッチブックを取り出す。すぐに使えるよう、取り出しやすい位置に置いたのだ。
目的を果たしたら、また急いで書斎に戻る。
「お待たせしました」
「それでは始めよう。天の眼からは逃げられない」
書斎の机に座っていた知紗兎さんにスケッチブックを渡した。そして彼女の手が驚くほど速く動く。これは一種の自動書記らしい。ただ原理は不明だ。
固唾を呑んで見守ること数分。怖いくらい精緻な絵ができる。倉庫にも住居にも見える建物だ。
「ここは?」
「近い場所だとは思うが、詳細は不明。ただ該当の本はまとまって保管されている感じだった」
表札が見えたら助かったのに。
「あの、どうされたのですか? ずいぶん慌てていましたけど」
「バタバタして済みません」
さっきまで片づけをしていた梨恵さんだ。一段落して、俺たちの様子を見に来たのだろう。あるいは急いで荷物を漁ったから、不審に思ったのかもしれない。
梨恵さんが俺たちに近付いてくる。それから知紗兎さんが持つスケッチブックを見て、首を傾げた。
「もしかして佐藤さんの家でしょうか。凄く上手です」
「え? 隣に住むという、あの佐藤さん?」
「そう思います。……でも、お二人は家を見たことありませんよね」
知紗兎さんが描いている姿を見ていたようだ。考えてみれば、書斎の扉は開けたままである。見られるのは当然か。しかし密室で捜索は、ちょっと気が引けるから仕方ない。
それはともかく、天眼通のことは人に説明しにくい。うまく説明しないと。
「私の目は千里を見通すからな」
「は、はあ。ええと、つまり目が良いのですか」
俺が何か言う前に、知紗兎さんが自ら秘密を話していた。話を聞いた梨恵さんは混乱している。
「ところで、そろそろ外に出る時間でしょう! 早く行かないと、佐藤さんを待たせてしまいます!」
「それなら玄関まで、お見送りさせてください」
だいぶ不自然だけど、梨恵さんは踏み込んで聞くことはなかった。変に隠すより良かったかな。だいたいの人は天眼通や千里眼など信じないし。変わった人間だなくらいに思っているはず。
「では行ってくる」
「私は夕食の準備をして、お待ちしています」
「せっかくなので佐藤さんも誘いましょうか?」
「そうですね!」
俺の提案に梨恵さんは賛成のようだ。嬉しそうな様子も見せている。
「とにかく急ごう。日が落ちるまでに戻りたい」
「それは難しいと思います」
早朝に出発したとはいえ、途中で聞き込みもした。日が暮れるまで、もう時間がない。
俺と知紗兎さんは車に乗り込み、佐藤さん宅を目指す。……隣の家まで行くのに自動車で移動か。都心だと考えられないな。
ひたすら悪路を進むと、ようやく一軒家が見えてきた。倉庫を改装し、住居にも使えるようにしたとか。近くによると、スケッチブックに描かれた家だと分かる。
邪魔にならない場所に車を停め、玄関の前に立った。インターホンを押すけど、反応なし。仕方ない。直接、声を掛けよう。
「すみませ~ん! 佐藤さん、いらっしゃいますか!」
「開いている! 入ってこい!」
ドアノブを掴むと、確かに鍵が掛かっていない。ちょっと不用心な気もするが、大丈夫だろうか。この辺は治安がいいのかもな。
俺たちは扉を開け、家の中に入った。入口から居間らしき部屋が見える。そこに
佐藤さんは座っていた。そして手招きされる。
「失礼する、ご老人」
「失礼します」
俺と知紗兎さんの声が重なった。佐藤さんは二枚の座布団を指差す。どうやら、そこに座れということらしい。
「さて、話を聞かせてもらおうか。何か知っているのだろう」
「ずいぶん、はっきり断言するのだな」
「最初に会ったときのことです。子供時代の話と聞いて、即座に『何も知らぬ』と言いましたね。聞かれたくない内容があったのでしょう」
そして、もう一つ。気になったことがある。
「あのとき梨恵さんに目を向けたあと、すぐに視線を逸らしていました。彼女には言えない理由があったのでは?」
「ああ、それで私を止めたのか」
俺たちの話を聞き、佐藤さんは深く息を吐いた。鍋敷きの上に置かれたヤカンを手に取り、お茶を淹れてくれる。
「何が聞きたい」
「沢村聞太の幻聴について。また、それに関連した本を保管してあるはず。見せてほしい。外の倉庫で箱に詰め込んである本だ」
知紗兎さんは本来なら、知り得ない情報を開示した。
「まるで見たように言う。……それが天眼通の力だな」
「知っているのか?」
驚いた。知紗兎さんの能力に気付いていたとは。彼女の家族を除いて、天眼通と断言した人はいなかったと思う。
俺は耳を澄ませて、続きの言葉を待つ。
「うむ。儂は沢村家に仕えた一族の末裔。ある程度の事情は把握しておる。天目と沢村の関係については?」
「遠縁だと聞いている」
たしか聞太さんの同僚――鈴木さんが言っていた。
「その認識で構わない。天目の祖先は、特別な力を持つ者を迎え入れていたのだ。そこに世界の声を聞く『天耳通』の力を持つ一族がいた。しかし、少しずつ能力が衰えていく。そのとき目を付けたのが沢村だった」
「婿入りすることで、力を取り戻そうとしたのか?」
「そうだ。あるとき水不足で悩む村に、旅の者が現れた。旅人は地中に流れる水の音を聞き取り、その場所を掘るように指示。そこから水が出ると、やがて沢が生まれた。それが沢村の由来と言われている」
その話を聞き付けた天耳通の一族が交渉の末、沢村の者と婚姻を成したらしい。遠い子孫が沢村聞太さんなのか。
「つまり幻聴ではなく、本当に声が聞こえていたのですね」
「おそらくは。しかし今の時代、そんなことを言えば厄介なことになる」
「まったくだな。私も変人みたいな扱いを、たびたび受けたよ」
知紗兎さんは何度も頷いていた。
「貴女の場合は、性格の部分も大きいと思いますよ」
「うるさい! それより本を見せてもらうぞ!」
「分かった。ついてくるといい」
佐藤さんは家の外に出て、すぐ横の倉庫に入る。そして大きな箱を指で示した。俺と知紗兎さんが協力して家の中に運び込む。
許可を貰ったので中を開いた。
「耳の専門書や精神疾患。それに六神通の解説書。他にはオカルト本や都市伝説もあります」
「これは聞太に見せたくないと、儂が預かったもの。あやつの両親は、天耳通など迷信だと思っていた。子供に見せることで、悪い影響が出ると考えたのだろう」
「梨恵さんを外したのは、父親の子供時代を教えたくなかったのですね」
家族が故郷で異常者みたいな扱いされていたら、多くの人は不快に思うはずだ。気を遣ったのだと思う。
「しかし隠し通すことは不可能だ。私たちは、ここで聞き込みをする。遠からず、沢村梨恵の耳にも入るぞ」
「俺も同じ意見です。見ず知らずの人に聞かされるより、ご近所付き合いのあった佐藤さんから伝えてあげてください」
この地域では、沢村家は有名らしい。一家の事情を知る者もいるだろう。