9.聖女の奇跡
昼食を終えると、王様は「執務があるから失礼するよ」と言って内庭から去っていった。
ラヴェが私たちに告げる。
「我々も部屋に戻ろう。
興味があるなら離宮を案内するが、どうする?」
プリシラが一瞬ためらい、思い切ったように口を開く。
「ネージュさんの姿を見てみたいです!」
おっと? やっぱりぐいぐいと行くな?
でも私も、実物は見てみたいな。
ラヴェは苦笑を浮かべて頷いた。
「いいだろう。付いて来い」
私たちは、身を翻して歩き出したラヴェの背中を追っていった。
****
ラヴェが案内してくれたのは、離宮の一室だった。
扉を開けると、光り輝く文様の中心にベッドが置いてあって、そこに誰かが寝ている。
「あれがネージュの身体だ」
ラヴェがベッドに近づくので、同じように慎重に歩いて行く。
「この光る模様は何?」
「ネージュの命を維持するための魔法陣だ。
損なうとネージュの身体が死ぬから気を付けてくれ」
「――そんな怖い所に連れてこないでよ?!」
ラヴェが小さく笑みをこぼした。
「フッ、乱暴に歩かなければ問題ない。
侍女たちが毎日世話をしに入っているしな」
近づくと、ラヴェによく似た青年が寝ているのがわかる。
髪色は凍えるような青――ラヴェとは正反対の色だ。
思わず私の手が伸びて、閉じられていたネージュの瞼をこじ開けた。
そこには見覚えのある、氷のような青い瞳があった。
「うわぁ、本当にネージュだ……」
ラヴェがあきれたように私に告げる。
「クロエお前、あとでネージュに怒られるぞ。
私は庇えないから、自力でなんとかしてくれ」
だけどネージュの顔はやつれてた。
体もやせ細っていて、生きてるのが信じられないくらいだ。
「そっか……一年間、何も食べてないんだもんね。
そりゃあ、やせ衰えるか」
ラヴェが頷いた。
「それを補助しているのがこの魔法陣であり、普段から飲ませている魔導薬だ。
だがそれでも、少しずつ衰弱しているように感じる。
あまり長くこの状態が続くと、身体が先に死んでしまうかもな」
うーん、それは嫌だなぁ。
私は聖女なんだし、何とかしてあげられないかなぁ。
……私の血を飲むと若さを得られるって噂があるんだっけ。
若さって、生きる力だよね。
今のネージュに私の血を飲ませたら、少しは元気になるのかな?
「ねぇラヴェ、ナイフみたいな刃物はある?」
「何をする気だ?」
「いや、ネージュに私の血を飲ませてみようかなぁって」
ラヴェはそれを聞いて唖然としてた。
だけどすぐに考えこんでから、懐の短剣を取り出した。
「なまくらだが、指先を切るくらいはできるはずだ」
王位継承者の証って、なまくらだったんだ……。それでいいのか王家って。
私は短剣をラヴェから受け取ると、切っ先で指先を切りつけた。
そしてそのまま、遠慮なく血が出ている指先をネージュの口の中に突っ込んだ。
「クロエさん?! 豪快過ぎませんか?!」
プリシラの声に、半分だけ同意しておく。
でも意識が無い人に血を飲ませるとか、こんな方法しか思いつかないし。
しばらく口の中を指先でムニムニして血をこすりつけたあと、指を引き抜いた。
「ふー。謎のやり遂げた感があるね!」
呆れるラヴェとプリシラの視線を無視しながら、私はネージュの様子を観察した。
……特に変化はない、のかなぁ?
やっぱり噂は噂だった? それとも何かが足りない?
……天気を変える時は、祈ってたよね。
私は、やっぱり誰だかわからない相手に向かって『ネージュの身体が元気になりますように!』と祈った。
ラヴェの声が聞こえる。
「なんだ?! ネージュの身体が――」
プリシラの驚く声も聞こえる。
「なんですかこの光?!」
見たいけど、目を開けながら祈るとかいう、器用なことは私にはできない。
目をつぶって祈りを捧げ続け、そろそろいいかな~? と思ったところで目を開けた。
私の目に、血色の良くなった、ぷっくりとしたネージュの姿が飛び込んできた。
「……もしかして、成功した?」
やせ細っていた身体も、今のラヴェと変わらないくらいにしっかりお肉が付いてる。
頬を突っついても、きちんと弾力があって指が跳ね返ってきた。
ラヴェがため息とともに告げる。
「――ふぅ。プリシラ、今見たことは秘密にしてくれ。絶対に誰にも話すな。
私はこの事を父上に報告してくる。
二人は私の部屋で待っていて欲しい」
そう言うと、ラヴェは足早に部屋を出ていった。
「……じゃ、私たちもここを出ようか」
私は頷いたプリシラと一緒に、慎重に部屋から抜け出した。
****
ラヴェは国王の執務室に居た。
「父上、人払いをお願いできませんか」
その真剣な表情に、国王は鷹揚に頷いた。
「――なるほど、血の力か祈りの力か、定かではないがネージュの身体に力を与えたのだな」
「はい、そして目撃してしまったプリシラも、このまま外に解放するのは危険だと思います」
国王が大きくため息をついた。
「……クロエをブルーシエル王族として受け入れ、プリシラをクロエ付きの侍女として雇用しよう。
それほど特別な力があることがわかった以上、半端な対応はできないだろう。
なるだけ匿うが、いつか彼女の噂が外に漏れる。
その対策も、急いで準備しなければならないな」
「プリシラに侍女が務まるでしょうか」
「なに、身分を侍女とするだけだ。
ただの平民を、王族の傍に置いておく口実が欲しいからな。
なるだけ彼女たちの存在は隠しておくが、時機が来れば公表することになるだろう。
『久遠の聖女』に関する情報も、早急に収集する必要があるな」
「ではやはり、タレイアを頼るのですか」
国王が頷いた。
「今度はどんな無茶を要求されるか分からないが、彼女以外に情報を得る道はないだろう。
その時はラヴェ、お前も可能な限りクロエをフォローしてやって欲しい」
ラヴェがしっかりと頷いた。
「はい、わかっています父上」
****
私とプリシラがカチコチに緊張しながらラヴェの部屋で待って居ると、ラヴェと王様がやってきた。
……なんで王様まで?
王様が微笑みながら周囲の従者に「人払いを」と告げると、周りの人たちがみんな部屋の外に出ていった。
扉が閉まるのを確認した王様とラヴェが、私たちの前のソファに腰を下ろす。
王様が優しい微笑みで告げる。
「急に顔を見せてしまってすまない。
クロエがネージュを救ってくれたと聞いて、まずはそのお礼を伝えようと思ってね」
私は緊張しながら応える。
「いえ、思い付きで行動したら、偶然助けられたと言うだけですので!」
王様がラヴェを見る。
「ラヴェ、お前との意見のすり合わせは終わったと思う。
ネージュを呼び出せるか? あいつの意見も聞いておきたい」
ラヴェが頷き、すぐに魔法で眠りに落ちた。
「……おいクロエ。随分好き勝手に俺の顔をいじくりまわしてくれたな」
顔を上げたネージュは、なんだかとっても不機嫌だった。
私は愛想笑いを浮かべながら応える。
「あはは……でも、ネージュの身体を治せたんだから相殺ってことで! どうかここは一つ!」
「チッ! 仕方ねーな……まぁ、助かったよ。礼を言う」
ふぅ、どうやら納得してくれたみたいだ。
王様が微笑みながらネージュに告げる。
「お前は今回の件をどう思うね?」
ネージュは私を見つめ、考えこむように黙り込んでいた。
「……父上の判断で間違いはないと思います。
クロエには窮屈な思いをさせますが、自業自得かと」
「自業自得ってなに?!」
ネージュがジト目で私を睨んでいた。
「お前、自分の力をわかってて使っただろう。
噂を証明したらどんなことになるか、少しは考えなかったのか?
それとも、その頭の中身はスカスカなのか?」
いや、そりゃあわかってたけどさ……。
私はたじろぎながら応える。
「だって、あのままだとネージュが死んじゃいそうな気がしたし。
それは嫌だったから、仕方ないじゃない」
ネージュがため息をつきながら応える。
「はいはい、確かに助かったよ。
あのままなら夏を越せたかすら、怪しかったしな。
だがクロエ、お前を他国に売り渡す気もないからな」
私はきょとんと小首を傾げた。
「結局、どういうことなの?」
王様が優しい微笑みを浮かべながら告げる。
「クロエ――いや、クロエ・マリア・ブルーシエル第一王女。
君を国賓として我が国で迎え入れることを決定した」