7.クロルージュの王様(1)
私たちがソファで硬直して何分経ったのか……ようやくラヴェが戻って来てくれた。
「今戻った――どうした? 何をそんなに緊張している?」
私たちは涙目になりながらラヴェに応える。
「こんな環境でくつろげるわけ、ないでしょーっ?!
私たち、庶民なんだけど?!」
ラヴェは微笑みながらソファに腰を下ろした。
「おかしな奴だな。ただの広い部屋だ。緊張する必要はないだろう。
たとえ物を壊しても、お前たちが気にする必要はない」
だめだこいつ、庶民の感覚を理解しようとする気持ちが無いぞ?!
分不相応な高級品に囲まれるプレッシャーとか知らないな?! ――知るわけが無いか。王子だし。
私は深いため息をついてから、諦めて紅茶に口を付けた。
――くっ、なんて上品な透き通った苦みとフルーティな味わい! 良い物を飲んでやがりますね!
ラヴェが紅茶を一口飲んでから私たちに告げる。
「お前たちの身柄と身の振り先は、私が預かることを父上に了承して頂いた。
しばらくは離宮でのんびりと過ごすといい。
そのうち宮廷か、どこかの貴族の家の下働きにでも斡旋しよう」
プリシラがおずおずと告げる。
「あの……街で普通に生きる、という選択肢はないのですか」
ラヴェが困ったように眉をひそめた。
「すまないが、私には平民の伝手がなくてな。
就職先として斡旋できるのは、貴族社会の下働きぐらいだ。
働きたくないなら、ずっと離宮で暮らしていても構わないぞ?」
「そんな真似ができるかああああっ! 息苦しくて死んじゃうっつーの!」
ラヴェがきょとんと私を見つめた。
「息苦しいか? 私の周りは空気が緩いと、よく言われるのだが」
「どこがだああああっ! 庶民には窒息するくらい息苦しいよ!」
傍で控えていた従者が、クスリと笑みをこぼした。
「殿下、もう少し彼女たちの心を配慮された方がよろしいかと存じますが」
ラヴェが困ったように微笑んだ。
「そうか、できていなかったか。すまない。
私はネージュほど器用ではないのでな。そこは我慢して欲しい。
だがお前たちが普段通りに振る舞っても、問題にしないよう通達は出しておく。
どんな失敗をしようが、すべて私が責任を持つ。
だから緊張する必要はない」
ダンディなおじさんが部屋に入ってきて、ラヴェに告げる。
「殿下、お部屋の準備が整いました」
ラヴェが頷いた。
「わかった――さぁ二人とも、部屋へ案内しよう。荷物はそこに運び込ませてある」
ラヴェが立ち上がったので、私とプリシラも急いで立ち上がってその背中を追った。
****
ラヴェが歩いて行った先は、やっぱり広い空間だった。
大きなリビングとベッドルーム、南向きのバルコニーに面した大きな窓。
さっきの部屋より小さいけど、宿の部屋とは比べ物にならない。
ラヴェが振り返って告げる。
「狭くてすまないが、ここがクロエの部屋だ。
同じ物を隣に用意してある。そこはプリシラが使え。
侍女も控えさせるから、何か要望があれば彼女たちに伝えるといい」
「贅沢すぎるっつーの! もっと小さい、普通の部屋はないわけ?!」
ラヴェがきょとんとして応える。
「客間の中では一番質素だと思うが。
これより小さい部屋は、この離宮にはないぞ?」
おのれ王族! おハイソでありやがりますね!
このレベルが質素ときたもんだ!
「ラヴェ、よくこんな生活をしてる人間が、平民の宿屋なんかに泊まれてたね……」
ここと比べたら、物置小屋みたいなものじゃないかな、旅人が使う宿屋なんて。
「寝る場所に拘りなどないからな。
汚れても構わない服で出かけているし、困ることは何もない」
ラヴェとダンディなおじさんがプリシラを部屋に案内していった。
私は一人、部屋に取り残されて軽い絶望を味わっていた。
――どうしていいかわからない。
周りを見ると、侍女とかいう従者の女性が三人ほど壁際に並んで立っていた。
私が愛想笑いを浮かべても、侍女たちは澄まし顔で見つめ返してくる。
……どうしろと?!
仕方なく、運ばれてきた荷物を点検していく。
どいっても、山のふもとの町で買った、旅の日用品だけだ。
服は替えも含めて三着。
今着ている服は汚れているから、着替えた方が良いんだろうか。
私は侍女に向かって尋ねる。
「服はどこで着替えたらいいの?」
「お召替えですか。それでしたらお召し物の用意がありますので、そちらにお召替えください」
私は侍女たちに背中を押され、クローゼットの中に連れ込まれて行った。
****
私は何故か青いドレスを着せられ、疲れ切ってソファに座っていた。
「なんでドレスを着せられたの……」
肌触りの良い生地だけど、それを身に着けた時の感触が違和感だらけで気持ち悪い。
綿生地かむばーっく!
絹生地がさらさらと肌を流れる感触は、慣れるまで時間がかかりそうだ。
侍女がさらりと私に告げる。
「昼食は陛下が是非共にと仰られていますので、相応のお召し物になって頂きました」
……耳がまたおかしくなったかな?
「今、『私たちは王様と一緒にお昼ご飯を食べることになる』って言った? 聞き間違いだよね?」
「いえ、その通りに申し上げましたが、ご不明な点はございますか」
「なんで?! なんで王様が私たちとご飯を食べるの?!」
「ラヴェ殿下がお連れになった女性に興味がおありだそうです。
しばらく離宮にお住まいになるとのことですので、直接確認をなさりたいのではないでしょうか」
私は眩暈を覚えてソファに倒れ込んでいた。
「どうしたクロエ、疲れたのか?」
ラヴェの声を聞いて、私は急いで起き上がった。
「ラヴェ?! 王様とお昼を一緒って、どういうこと?!」
ラヴェの隣には、私と同じようにドレスに身を包んだプリシラが蒼い顔で立っている。
薄いレモン色のドレスが、良く似合っていた。
ラヴェは苦笑を浮かべて私に応える。
「やはり離宮に住む以上は、面識を持っておいた方がいいだろう。
私も急に言われて戸惑っているが、父上はネージュより親しみやすい方だ。
お前たちも、緊張する必要はない」
「王様と会うのに緊張するなとか、無理難題を言うんじゃありません!」
「だが昼食の準備は進んでいる。
もうじき昼の時間だ。そろそろ呼びに来るだろう」
タイミングよく、ダンディなおじさんがまたやってきて告げる。
「昼食の準備が整いました。陛下がお待ちです」
ラヴェが頷いた。
「では行くとしよう」
私とプリシラは、商人に売られた子牛のように蒼褪めながら、ラヴェの背中について行った。
****
私たちが案内されたのは、離宮の内庭だった。
庭に広げられたテーブルに料理が並んでる。
そしてテーブルの傍に、長い金髪を風にたなびかせる壮年の男性が居た。
なんだか威厳を感じるけど、優しい微笑みで私たちを見つめていた。
ラヴェがその人に向かって告げる。
「父上、クロエとプリシラを連れてまいりました」
金髪の男性が頷いた――てことは王様?!
王様は私たちの目の前まで歩いてきて、腰を落として目の高さを合わせた。
「君たちがラヴェの連れてきた子だね。
私はローマン。ラヴェの父親だ。
今日は突然、昼食に誘ってすまなかったね」
「いえ! 滅相もありません!」
直立不動で応えた私に、王様は優しく微笑んだ。
「そんなに緊張しなくていいよ。
この場は無礼講、何をしても誰も咎めない。
もっと肩の力を抜いてごらん――そう、ゆっくり深呼吸をして」
王様に優しく触れられた肩から、自然と力が抜けて行った。
その声は、どこか私を安心させる。
ようやく落ち着いた私は、王様の顔をまじまじと見つめた。
ラヴェとはあまり似ていない。
「王様、なぜ私たちに会いたいと思ったんですか?」
「王宮を統べる者として、離宮とはいえ滞在する人間を全く知らないという訳にはいかないからね。
一目見ておきたかったんだ。ただそれだけだよ」
王様はプリシラにも私と同じような言葉をかけ、緊張をほぐしていった。
王様が告げる。
「さぁ、まずは腹を膨らしてしまおう!」
侍女たちがテーブルの料理をお皿に取り分けて、私たちに渡してくれる。
どうやら立ったまま食べるということなのかな。
王様から小さなテーブルに案内されて、そこに料理の小皿や飲み物を置くといいことを教えてもらった。
私はもくもくと口を動かしながら考える。
――なんで王様は、私に張り付いてるの?
プリシラにはラヴェが付いてるみたいだ。
他の人はいないみたい。
口の中を空にして、私は王様に尋ねる。
「他の人はいないんですか? ラヴェのお兄さんとか、どうしたんですか?」
「ミシェルかい? あいつは別の部屋で食事をしているよ。
呼んでみたが、今抱えている案件が忙しいらしくてね」
「……王妃様は、二年前に亡くなったってネージュから聞きました。
ラヴェやネージュは、王妃様に似てるんですか?」
王様が目を見開いて私を見ていた。
「ネージュに会ったのか? 迷惑をかけられなかったか?」
「あはは……私の唇をネージュに奪われました。
今度、王様の方から叱っておいてください」
王様は一瞬硬直した後、楽しそうに笑いだした。
「ははは! そうかそうか、ネージュがそんなことをしたか!
それはすまないことをした。今度会ったら、きちんと叱っておこう」
笑い終わった王様が、私の目を見て静かに告げる。
「……君は、母親によく似ているね」