6.王都
その日、私たちは王都の城壁を眺めていた。
街に入ろうとする旅人の列に並んで、検問を待つ。
プリシラは王都が初めてのようで、少し緊張しているみたいだ。
私もこんな大きな国の王都は初めてだけど、やることはどこも変わらないはずだ。
私たちが城門に辿り着くと、兵士が横柄に告げる。
「身分証と通行料を出せ!」
普通は王都に、身分証を持たない人間は入れない。
商人たちはその為に、商人ギルドで身分証を作って持ち歩く。
私の身分証は、谷底の下だ。プリシラは手荷物にあると思うけど。
ラヴェはどうするんだろう?
ラヴェは懐から王位継承者の証とかいう短剣を取り出し、兵士に見せた。
その途端、兵士は直立して敬礼し、「通って良し!」と叫んだ。
私たちはスムーズに王都に入っていった。
「……ああやって使うものなんだね」
「それ以外に使い道がない、とも言えるがな」
私たちの会話に、プリシラが小首を傾げていた。
「検問の人、なんであんなに緊張してたんでしょうか。
それに、通行料を払ってないですよ?」
ラヴェが優しく微笑んで応える。
「私は王都では顔パスなんだ。そう思ってくれればいい」
「顔パスですかぁ。羨ましいですね」
旅人にとって、街に入る時の通行料は悩みの種だ。
それが要らないなんて、羨ましい――プリシラは、単純にそう考えてるようだった。
馬車が道を進んでいき、貴族区画に入るとプリシラの顔が強張っていた。
「あの、ここって入っちゃいけない区画じゃないんですか?
なんで途中の兵士さんたちは止めないんですか?」
並の商人が入れる区画じゃないからなぁ。
たぶん、この区画を守る兵士たちは、貴族の顔を覚えてる人たちだ。
当然、王子の顔だって知ってるだろう。
王子が乗る馬車を止める兵士なんて、居るわけが無い。
馬車が王宮に向かうと、いよいよプリシラの顔が蒼白になっていった。
「……あの、なんで王様が居る場所に向かってるんですか」
私は小さく息をついてラヴェに告げる。
「もう教えても大丈夫だと思うんだけど? いつまで黙ってるの?」
「ん? そうなのか? 別に王宮に着けばわかることだろう?」
駄目だ、ラヴェには不安に震えるプリシラが見えてない。
私は深いため息と共にプリシラに告げる。
「落ち着いて聞いてね? ラヴェは王子様なの。
だからこれから私たちは、王宮に行くの。理解した?」
プリシラの顔が硬直していた。
「……王子様? ラヴェさんが?」
ラヴェが背中を向けながら応える。
「ラヴェ・ロマン・クロルージュ第三王子だ。
お前たちの身柄は、私が責任を持って預かる。
ひとまず、私の離宮に客間を用意させる。それで我慢してくれ」
プリシラの時間が止まるのを、私は諦観の眼差しで見守っていた。
****
馬車を王宮に乗りつけたラヴェは、兵士の一人に指示を出して荷物を運び出すように伝えていた。
私とプリシラはラヴェに案内され、王宮の中を歩いて行く。
廊下の途中で出迎えに来たダンディなおじさんに、ラヴェが端的に告げる。
「客人を二名連れてきた。客間を二つ用意してくれ。それまでは部屋で待つ」
「かしこまりました」
私たちはダンディなおじさんの横を通り過ぎ、ラヴェの部屋へと向かった。
ラヴェの部屋に辿り着き、大きな宿の二階を貸し切ったかのような広さを持つ空間に、私とプリシラの足が止まった。
ラヴェが私たちに気付いて振り返る。
「どうした? リビングはこちらだ。ついてきてくれ」
「いや……豪華すぎて……」
「そうか? 私の部屋は質素にしてあるつもりなんだが……ともかく、そこで立ち止まられても困る。こっちだ」
ラヴェが私たちの背後に回り、背中を押していった。
私たちは押し出されるように、立派なソファが置いてある部屋に連れて行かれた。
半ば無理やり私たちをソファに座らせたラヴェは、当たり前のように告げる。
「私は着替えて父上に報告をしてくる。それまでこの部屋でくつろいでいてくれ」
そう言い残し、私たちを残してさっさとリビングから去っていった。
私は緊張しながら、プリシラに尋ねる。
「ねぇプリシラ、どうやってくつろいだらいいかな」
プリシラも血の気が引いた顔で応える。
「私にわかるわけ、ないじゃないですか」
私たちは従者が入れてくれた紅茶に手を付ける事もできず、ソファの上で固くなっていた。
****
ラヴェは着替え終わると、国王の居る執務室へ向かった。
国王は優美な長い金髪を垂らしながら、執務の書類に向かっていた。
四十代にしては若々しい、理知的な王だ。
「父上、ただいま戻りました」
書類から顔を上げた国王が、優しく微笑んで応える。
「戻ったか。いつもより遅かったな」
ラヴェが困ったような笑みを浮かべた。
「少し事情がありまして……説明をする時間を頂けますか」
国王は頷き、執務机からソファへと移動した。
「――ということがあり、二名の少女を保護しました。
しばらく私が身柄を預かるつもりでいます」
「お前の責任で好きにするがいい。
だが身の振り先はどうするつもりだ?」
「字の読み書きと計算はできるようですので、下働きぐらいはこなせるかと。
宮廷か、それが無理ならどこかの家に預けるのも手ではないかと考えています」
国王が頷いた。
「そこも、お前の判断に任せよう」
ラヴェが紅茶を一口飲んでから切り出す。
「ところで父上、ブルーシエル王国の生き残りが居る可能性はあるのでしょうか」
国王の片眉が上がった。
「ブルーシエルか? あの国はエルノワール王国に滅ぼされて久しい。
徹底抗戦したブルーシエルの生き残りなど、平民がわずかに残る程度だろう。
だが何故、今それを聞いた?」
「旅の途中で、生き残りが居るのではないかという噂を耳にしたのです。
ですがそうですか、やはり生き残りは絶望的ですか」
「ブルーシエルのあった地は今も荒れ放題だ。
あそこは疫病が流行り、人が住める場所ではなくなっていると聞いた。
聖女を失った反動かもしれないな」
ラヴェはわずかに思案し、国王に尋ねる。
「父上、あの国の聖女とは、どういった存在だったのでしょうか」
国王が短く息をついた。
「『久遠の聖女』か。
祈るだけで天候を操り、豊作をもたらす存在だったと聞く。
美貌と気品を兼ね備えた姫が『久遠の聖女』だ。
なぜブルーシエルの姫が『久遠の聖女』になるのか、それはもう今ではわからないな。
だが民たちに慕われ、国が滅ぶまで守ろうと思われる存在だったのは確かだ」
「聖女の血が若さをもたらすという噂は、本当なのでしょうか」
「エルノワールが『久遠の聖女』を得たという話は聞かない。
おそらく全員が自害したのだろう。
今ではその噂も、確かめる術がないな」
「仮に父上が聖女を手に入れたとしたら、父上はどうされますか」
国王の目がラヴェの目を見据えた。
「私が? そうだな……豊作を祈ってもらうくらいはするかもしれん。
だが存在を他国に知られると、攻め入られる危険がある。
存在を秘匿し、国内で守るしかないかもしれんな」
「そんな危険な存在であれば、殺してしまう方が早い――とは考えないのですね?」
国王がフッと笑った。
「私を見くびるな。そんな弱い国家にこの国を育てた覚えはない。
聖女の一人や二人、守り切って見せよう」
ラヴェは小さく息をついて紅茶を飲み干した。
「確かにこの国は、周辺でも強い国です。
そんな国に生まれた幸運を神に感謝します」
ラヴェは立ち上がり、執務室を辞去していった。
国王はその背中を見送り、小さくつぶやく。
「……わかりやすい奴だ。
さて、『久遠の聖女』か。楽しみにしておこう」