5.幼い恋心
ラヴェは宿に着くと、先に四人部屋を一つ取った。
部屋に着くと、この間のように自分に魔法をかけて、眠りに落ちていった。
そして顔を上げたのは――氷のような青い瞳。ネージュだ。
ネージュが不敵な笑みでプリシラに告げる。
「わざわざ俺に直接言わずとも、ラヴェに言えば俺には伝わる。
それではいけなかったのか?」
プリシラは、おどおどとしながら応える。
「そうなんですか? でも、できればきちんとネージュさんにお礼を言いたくて」
ネージュが楽しそうな笑みでプリシラに告げる。
「ではプリシラよ、俺に礼を述べる栄誉を与える。
思う存分、俺を褒め称えろ」
褒め称えろって……承認欲求の塊か?
「あの、あの時は助けて頂いて、ありがとうございました!」
ネージュは鷹揚に頷いた。
「気にするな。ならず者の凶行など、俺の目が届く範囲で許すものか。
お前の両親を救ってやれなかったのだけが心残りだな」
「それは、もう仕方がなかったのだと諦めています。
私の命が助かっただけでも運がよかったのだと」
あのままネージュが助けなかったら、きっと殺されるより酷い運命がプリシラを待って居ただろう。
見た目が良いプリシラは人買いに売られ、奴隷生活が待ってたんじゃないかな。
それはきっと、死ぬより悲惨な運命だ。
幼いプリシラは、そこまで考えが至ってないみたいだ。
平和な町で生まれ育ったのかな。
ネージュがプリシラの頭を撫でながら告げる。
「お前を助けられたなら、お前の両親も許してくれるだろう。
ラヴェがお前の事も面倒を見るはずだ。そこは安心しろ」
私は思わず口を挟む。
「ちょっと、面倒なことは全部ラヴェに押し付けるつもり?!」
ネージュがニヤリと私に笑みを向けた。
「仕方ないだろう、今の俺には身体が無い。
俺が面倒を見たくても見れんのだ。
それにラヴェも、子供を助けることを厭う男ではない」
「……ふと思ったんだけど、ラヴェにはネージュの時の記憶がないのに、ネージュにはラヴェの時の記憶があるんだね?」
「俺がラヴェの肉体を使ってるから、ラヴェの記憶を覗くことが出来るのだと思う。
だが俺である時の記憶は、俺の魂に刻まれるようだ。
それでラヴェには俺の記憶を覗けないのだろう」
「……よく意味が分からないけど、理屈があるってこと?」
ネージュがフッと笑った。
「その理解で充分だ。俺に何かを伝えたいだけなら、ラヴェに言えばそれで事足りる。
滅多にないと思うが、ラヴェの手に余る事態になったら俺が出て来てやる。
お前たちは安心して守られておけ」
ラヴェが手を打ち鳴らした。
「腹が減った。続きは飯を食いながら話そう」
私たちは部屋を出て、宿の食堂に向かって行った。
****
雑談を交わしながら食事を取りつつ、私はプリシラをこっそり観察していた。
どこか楽しそうに笑みを浮かべるプリシラの姿に、予想が確信へと変わる。
これは、恋する乙女の目ですね?
潤ってますね! いいな!
私にはそういう話、ないのかな?!
私は横目でネージュを覗き見る。
プリシラと楽しそうに会話するこの男が、私の唇を奪った男だ。
……あれは、なんのつもりだったんだろうなぁ?
あの時以来、不誠実な所は見られない。
横暴で独善的だけど、決して不誠実ではないと思う。
ネージュの目がこちらを見た。
フッと不敵な笑みを浮かべたあと、すぐにまたプリシラに目線を戻していた。
……何考えてるか、分かんない奴だなぁ?!
食事が終わると、私たちは部屋に戻っていた。
「もう俺の時間も終わりか――どうだ? お前たちのどちらか、俺と共に寝る栄誉を与えてやろうか?」
「何を考えてるのかな?! この男は?!」
プリシラだって子供とは言え十二歳、立派な女の子だぞ?!
私は当然、十五歳なので大人だ。
結婚もしてない男性と一緒に寝るとか、ありえないんだけど?!
ネージュは楽しそうに笑っていた。
「ははは! 家に戻ればこんなことは認められんからな!
今のうちに味わえるなら味わっておこうかと思っただけだ」
「お断りだぁ!」
私の全力びんたは、あっさりネージュに受け止められた。
プリシラは頬を染め、目を伏せがちにネージュに告げる。
「その……次にまたいつお会いできるか分かりませんし、一緒に寝るだけなら別に構いません」
「プリシラ?! ネージュの身体はラヴェのものなんだよ?! それでもいいの?!」
「ラヴェさんにはご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、せっかくの機会ですし……」
本気か、この子ーっ?! 案外、ぐいぐい行く子だな?!
ネージュは不敵な笑みを浮かべたまま、プリシラの肩を抱いた。
「そうか、では共に寝る栄誉も与えてやろう。
なに、クロエも一緒なのだ。帰っても大きな問題にはなるまい」
「なるっつーの! もう少し自分とラヴェの立場を考えろーっ!」
私の全力びんた二発目も、あっさりネージュに受け止められていた。
「ははは! 冗談だ! さすがにそこまでラヴェに迷惑はかけられん。
――プリシラよ、まだ子供とは言えお前も女子だ。もう少し、自分を大切にしておけ」
ネージュはプリシラの頭を優しく撫でたあと、乱雑に自分のベッドに横たわった。
プリシラは眉をひそめ、切ないため息を残して自分のベッドに潜っていった。
……本当に冗談だったんだろうなぁ?!
私はネージュを一睨みしたあと、自分のベッドに潜り込んだ。
****
ふと夜中に目が覚めて、隣のベッドを見た。
プリシラは大人しく静かに寝息を立てていた。
ネージュは――ベッドに居ない?
起き上がって部屋を見回すと、窓辺の椅子に腰かけ、夜空を見上げるネージュが居た。
私はプリシラを起こさない様にそっとベッドから降り、ネージュに歩み寄った。
「何してるの?」
「……自分の身体がないと言うのは、不便なものだな」
その言葉の意味を考える。
「もしかして、自分の身体だったら本当にプリシラと一緒に寝るつもりだったの?」
ネージュの表情は静かなものだった。
「プリシラは肉親を失って間がない。
心の傷を癒す必要があるだろう。
誰かが傍に居てやるべきなのだ。
共に寝てやれば、少しは傷が癒えるのが早まるからな」
「……それが、プリシラの心をもてあそぶことになったとしても?」
「家に帰れば、プリシラが俺に近づくことはできなくなるかもしれん。
ならば思い出の一つくらいは作ってやっても良いのではないか?
心を支えられる何かを作れるならば、それで充分だろう」
「自分の身体なら、それで立場が悪くなっても構わないってこと?
年頃の貴族は男女関係に厳しいって聞いたことあるけど」
「最悪でも、妾として養ってはやれた。
生活に苦労する事にはなるまい。
いつか別の男を愛するようになれば、支度金を持たせて送り出すだけだ」
「……プリシラの面倒は、ラヴェに押し付けるんじゃなかったの?」
ネージュがフッと笑みを浮かべた。
「ラヴェは朴念仁だからな。女の機微など、理解できんさ。
プリシラの心のケアは、ラヴェの手に余る」
あー、一週間プリシラの視線を受けても何も感じてなかったみたいだし、ラヴェには難しそうだ。
「だからって、年頃の恋する女子にあんなこと言って、不誠実だとは思わないの?」
「俺の身体だったなら、俺に惚れた女などいくらでも抱えてやるさ。
ついラヴェの身体を借りてることを忘れて、言葉が口をついた。失態だったな。
クロエが止めてくれて助かった。礼を言う」
こいつでも、素直にお礼を言えるのか。
「……なんでこんな、ネージュの心がラヴェに入ることになったの?」
「二年前に母上が亡くなってな。ラヴェが酷く悲しんだ。
それで死者の魂を呼び出して会話する魔法を編み出そうとしていたんだが、失敗して俺の魂がはじき出されたようだ。
運が良いのか悪いのか、俺は死ぬことなく、魂がラヴェに宿った。
今もこうして俺の時間でいる間は、どうすれば元に戻れるかを考えている」
他人のための魔法、か。
独善的な奴だけど、根底にはやっぱり優しさがある気がする。
「戻れると思う?」
ネージュがうつむいて笑った。
「フッ、わからん。この状態では、魔導書を読み漁る事もできん。
父上に頼んで調べて貰っているが、宮廷魔導士共ではおそらく、辿り着けまい」
「……後悔、してる?」
「いや? そんなものは生まれてこの方、したことが無い。
こんな人生もまた、面白いものだ」
心の強い人なんだな。
こんな状況を、強がりでも楽しいだなんて、簡単には言えないと思う。
「ねぇ、なんで私にキスしたの?」
ネージュが顔を上げて私を見た。
「言わなかったか? お前は俺の心を奪った。
奪われた勢いで思わず唇を奪い返した」
私は眉をひそめてネージュに告げる。
「もう二度と、あんなことしないでよね」
「これはラヴェの身体だ。二度もラヴェにお前の唇を奪わせる真似など、俺は許さん」
「ネージュが身体を取り戻したあとも、許さないからね?」
「お前が許す必要はない。俺がお前の心ごと勝手に奪うだけだ。
その頃にはお前も喜んで唇を差し出すだろう」
「出すかっ?!」
私の全力びんたは、あっさりネージュにかわされた。
「フッ、大声を出すとプリシラが起きるぞ?
――もう遅い、お前も寝ておけ」
私はため息をついて告げる。
「ネージュも寝ておきなさいよ?
ラヴェが寝不足になると、私たちが危ないんだからね」
「わかっている」
私はネージュに背中を向け、自分のベッドに潜り込んだ。
――本当に、とんでもない自信家だなぁ。
小さく息をついてから、私は目をつぶった。