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5 恋の記憶が蘇る

 ヒューゲの街に来て一ヶ月が経った。

 最初の3日は宿に泊まったけど、その3日間でポワレは私達の住まいを整えたのだから、すごい以外の言葉が出なかった。ポワレは元々持っていた魔石を商業ギルドで換金して、そのお金で家を購入して、すぐに家具も揃えた。生きるために必要ではないものも、人間に混ざって生活するにあたって決して怪しまれないようにするためにと購入していた。

 そろそろ私も、この世界に生まれ落ちて初めての平民としての生活にも慣れてきた。前世は平民だったとは言っても、ポワレと始めた生活は前世とはまるで勝手が違っていて、戸惑うことがなかったわけではない。

 けれど、精神生命体になったおかげで不便な感覚とは無縁で過ごすことができている。

 前世や公爵令嬢だった頃に暮らしていた土地よりスカジナビアという国は、四季はあるけれども年中気温が低い。今は夏も終わり秋に差しかかるという季節で、既に朝と夜の冷え込みはかなりのものになっている。以前の私ならば、気温の変化に身体がついていかなっただろうけど、人間ではなくなった今は外気温に体調を左右されるということがない。常に快適な温度と感じることができる。

 だから、本当は服装は何でもいいんだけど、街に馴染むためにいくつか購入して、それを着回しているように見せている。

 食に関しては、そもそも食事の必要がないから料理を手軽な方法でできないなんて思うこともないし、身体が汚れるとか排泄の概念もないから水回りの衛生面の心配もない。ただ街の人々に怪しまれないように、食事をきちんと取っているように見せるために街での食料品の購入はしている。買った食材は、ポワレは手をかざして吸収して魔力に変換している。その不思議な光景にも慣れてきた。

 睡眠も必要ないからベッドの寝心地を気にすることもない。というか、今の私はポワレの魔力によって人間の姿でいられるのだから、夜はポワレの魔力の消費を減らすために魔法を解くことになっている。変身魔法を解かれた私は、小さな光のような姿になってポワレの周りをふわふわと浮かんでいる。不思議なことに、これが温かいものに守られている心地になって安心するのだ。

 人間として街に馴染むための就労先は商業ギルドを選んだ。勤務時間は食事の時間を挟まないようにして、午後だけだ。

 ポワレはできることが多くて色々な仕事を頼まれている。残業なんてものは決してしていないけど。交渉が上手だったり、流通の理解の素早さだったりは、ポワレが600年以上生きている悪魔だと知れば当然のことだと理解できる。

 私は商業ギルドの所有施設の掃除の仕事をしている。掃除の仕事は基本無心でできるから、気が楽だった。事務の仕事なども私が希望すれば役割を担えるようにポワレから取り計らってくれると言ってくれている。能力に申し分ないから大丈夫だと言ってくれたけど、今はまだなんだかボーッとしていたくて今のままでいいと話している。

 仕事が休みの日には二人で街の散策をしている。しばらく暮らしていく予定のこの街を知り、この街に馴染むためだ。土地に愛着が沸けば、慣れない生活への戸惑いも減って気持ちも早く楽になるだろうというポワレの計らいだった。

 

「リモネ、今日は教会を見学してみようか」

 朝陽が顔を出し始めた頃、ポワレが私を人間の姿にしてくれた。そこで出された提案に、私は純粋に驚いた。

「悪魔が教会に行っても平気なの?」

「もちろん。ミサにも出席しただろう?」

「後ろの方で少し並んだだけで、教会の敷地内には結局入らなかったし、神への祈りも捧げてなかったわ」

「そうだった気もするな」

 人間だった頃の母国フレリドではプロメシア教が国教で、月に一回のミサが行われていた。一方で、ここスカジナビアの国教は世界宗教であるサルース教で、宗派がエピスミアのヒューゲの教会では週に一回ミサが行われている。

 そのミサにも、ヒューゲの文化を知るためにと一度だけ参加することにした。とは言っても、人の多さに紛れて教会の周りをウロウロとしていただけで、参加したとは到底言えない状態だった。

 悪魔を敵と見做しているエピスミアの教会には、悪魔であるポワレは入れないからそうしたのだと私は思っていたし、ポワレに隷属している私もきっと同じなのだろうと思っていた。

「俺のことは心配しなくていい。本当に平気だ。それは君も同様だ。あの時ミサを疎かにしたのは、父の顔を立てようと気まぐれに思っただけだ」

「……貴方に父親がいるの?」

「俺にはな。気になるか?」

「それは……まあ」

 だって、悪魔は生殖機能はないと説明されたもの。親子のような関係の人がいるということかな。

「悪魔の父だから大悪魔といったところだが、人間からしたら恐ろしい相手だろう。それでも会いたいか?」

「……今はまだいいかな」

「そうか」

 ポワレは楽しそうに笑っている。冗談も混ざっていたのだろうか。

 今の私はもう人間ではないし、ポワレは隷魂を大切にするみたいだから、私が怖がる必要はないのだと思うけれど、大悪魔に会うっていうのはドキドキする。今だって、悪魔と一緒に暮らしているという実感もあるようなないようななんとも言えない感覚だし。

「それよりも君の信仰心の方が重要だろう」

「私の?」

「そうだ。スカジナビアとフレリドでは国教が異なる。君の信仰がフレリドの国教であったプロメシア教にあるならば、サルース教の神に祈りを捧げるなどできないだろう?」

「私は……」

 公爵令嬢として、ミサにも参加したし、教会への寄附もしてきた。プロメシア教は救済の宗教だ。願い請えば必ず神様がお救いくださるにも関わらず、私は何度祈りを捧げても神様がお救いくださることはなかった。

 私を救ってくれたのは神様でも天使でもなく悪魔だった。改めて考えると、実に悪役令嬢らしい結末だ。

 悪役令嬢である私が祈りを捧げるべき神様はどこにもいないということだろう。

「私はこれからは無宗教でいくことになると思うわ」

「……そうか。俺も無宗教だ。安心していい。今日はただ見学をするだけで祈りを捧げるわけではない」

「うん」

 ポワレは今日も私に優しい言葉だけを与えてくれる。感謝をしなくてはいけない。私ができることは何でも全部していかなくちゃ。



「見学ですね。もちろん、かまいませんよ。どうぞご自由に見て回ってください」

「ありがとうございます」

「お二人は遠い国から遥々この街まで来られたと聞いております。私共とは信ずる神が異なるのではないかと思っていたのですよ」

「……実は司祭の仰る通りです」

「やはり……」

「ですが、一ヶ月ほどこの街で過ごし、今後もここで暮らしていくならば、この素晴らしい街をお守りくださっている神へご挨拶と感謝をすべきだとも思ったのです」

「そうですか!決してご無理はなさらず。神もお二人の誠実な御心をお喜びになるでしょう。何かございましたら、いつでもお声がけください」

「お心遣いありがとうございます。行こう、リモネ」

「……うん」 

 悪魔が本当に平気な顔をして教会の中を歩いていると驚いていたら、まるで敬虔な民の振りをして悪魔がサラリと司祭と会話をしているから呆気にとられた。

 さっき家で私と無宗教だと話していたのに。でも無宗教より別の神の信者だと言った方が勧誘とかをされる可能性が低いかもしれない。だからポワレはあんな風に司祭と話してたのかな。嘘も方便って言うしね。

 ヒューゲは都心から離れている街ではあるけれど、教会は割ときらびやかな装飾が施されている。柱や壁や天井の端々に金色を用いていて、正にここが神の住まう場所なのだと言っているかのようだった。

 教会を見学すると言っていた通り、ポワレは本当に祈る気がないのか、聖堂を軽く見渡すとあっさりと次の場所へと向かっていった。

「祈らないの?」

「信仰する神が他にいるなら、容易に他の神に祈るべきではない。そうだろう?」

「確かに……」

 教会の中を歩いている内に、胸がなんとなく気持ち悪くなってきた。吐き気がするとか、そういうことではなくてザワザワする。何かが重く伸し掛かるような、そんな不安な感覚だ。

 悪魔は教会に入っても平気だけど、悪魔の隷魂は違ったのかな?でもそれなら、ポワレが私を教会に連れてくるなんてことはしないはず。けど……怖い。

「ねぇ、私も大丈夫なんだよね?」

「……浄化されて消えるなんてことはない。休むか?」

「……ううん、大丈夫。身体は確かに平気な気がするから」

「あまりに顔色が悪くなったら帰るぞ」

「うん」

 ポワレは私の曖昧な質問の意味を理解して的確に答えてくれた。彼には私の考えていることが手に取るように分かってるんじゃないのかなって思うことがある。でも、思考を読み取れるわけじゃないって否定されたんだよね。

 あちこちを見ながらだから元々歩くスピードはゆっくりだったおかげで、私ののろまな歩みがポワレに遅れてしまうことはなかった。

 廊下の端の部屋に辿り着く。そこには絵画や彫像がたくさん飾ってあった。

「ここは?」

「この教会のギャラリーだ」

 まるで小さな美術館だった。彫像には皆背中に羽根が生えていて、絵画に描かれている人物もほとんど背中に羽根が生えている。確か、神様と天使の違いは背中に羽根が生えているかどうかだった。

「天使が多いな。……ここ街には天使が来たことがあるんだろう」

「召喚に成功したってこと?」

「いや、恐らく召喚はしていない。……悪魔によって荒らされた土地に天使が舞い降りて浄化をした、か。なるほど」

 部屋の隅に置いてあった書物を開いて、ポワレが淡々と口にした。悪魔が悪く書かれていて、嫌な気持ちになっていないかと心配したけど、横顔を見る限り何てことなさそうだった。600年も生きてたら、色々と気にならなくなるのかな。

 ポワレがパラパラと書物を見ていたから、私は一人でゆっくりと絵画眺めて回ることにした。

 天使は悪魔の天敵だと学んできたけれど、こうして天使を見ても恐怖感は生まれてこなかった。この胸の重苦しさは教会とは全く関係ないことなんだろうと思えた。

「え?」

 とある一枚の絵の正面に来た時、驚きで足が止まった。いや、動揺で震えている。

「プラターノ様?」

 久し振りに愛する人の名前を口にした声は震えていた。

 髪と瞳の色こそ違えど、その顔立ちは私がずっと恋い焦がれてきた人と同じものだった。プラターノ様と同じ顔をした天使が、私の知らない笑顔をしている。

「あ……あぁ……っ」

 違う。昔はこんな風に笑ってた。優しく私にも微笑みかけてくれてた。なのに、いつの間にか私はプラターノ樣を怒らせてばかりになってしまった。次期王太子妃に選ばれたというのに、私が不出来だったせいで、プラターノ樣の笑顔を奪ってしまった。

「ごめっ、ごめんなさ、ぃ……っ」

 涙が溢れた。胸が苦しい。息が上手くできない。ごめんなさい。ごめんなさい。

 身体に力が入らず、ふらりと崩れかけた身体は、優しい力で危なげなく支えられた。嗚呼、また。私はいつも周りに迷惑ばかりをかけてしまう。

「帰ろうか」

「ごめんなさいっ。私っ……ごめんなさぃっ」

「君が謝らなければならないことは何もない」

 ポワレは泣いている理由を問いただそうとはしない。泣きじゃくる私に、いつもと変わらず優しい声をかけてくれた。


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