中編 お菓子とSNS
聡がかよちゃんに、「知らない人から写真が送られてきている」という話をしたところです。
「僕使ってるの、『あいち』なんですけど。」
「それなら、私も使ってるで。」
『あいち』は、SNSの中でも、ごくごく一般的なアプリだ。チャット形式で、メッセージや画像をやり取りできる。
あなたと、いつでも、ちょっとだけ、と言うコンセプトで開発されたらしい。ひらがな名前が、ちょっと可愛い。ちなみに、愛知県とはなんの関係もない。
「そうだ。かよちゃん、それならあいちのID教えて下さいよ。」
「出し方分からへんなあ。」
「嘘つくのやめてもらっていいですか。」
「また、懐かしい言葉を……。あんたアホやのに、鋭いな。」
関西人の「アホ」は、愛情のこもった表現だと聞く。ならば、気にする必要はない。
「ほら、回覧板とか、内容を僕が写真に撮って送りますよ。そしたら次に回したりする手間もないし。ハンコは、僕が用意して押しときますから。」
「何や、あんた。回覧板回すの嫌なんか。」
また、かよちゃんの顔が揺らぎ、彼女の顔が見えた。彼女は、寂しそうな目で、こちらを見ていた。
「来ます!」
「は。」
「回覧板は、僕が来ます!」
思わず、大きな声で宣言してしまった。
そうだった。かよちゃんのところに来なくなれば、彼女にはもう会えなくなってしまう。
かよちゃんは、ふうん、と言って微笑んだ。
「ま、でもええで。一応交換しとこか。なんかあったら連絡できるしな。」
「あ、はーい……。」
「急にテンション下がったな。」
かよちゃんは、慣れた手つきでささっと画面を出し、僕とIDを交換した。
かよちゃんのアイコンが、僕の画面にぱっと加わった。アイコンの画像は、フリーサイトで拾ってきたであろう、急須のイラストだった。
「何でこれなんですか。」
「身バレ防止や。……それより、さっきの話や。写真が送られてくるって、具体的にはどういうことなんや。」
「あー。始まったのは、1か月ほど前なんですけど……。」
最初は、ショートメールだった。見覚えのない番号から、メッセージが届いていた。
「お願い、あいちを見て。」
『あいち』は、登録していない相手でも、メッセージが送られてきたら教えてくれる。
それは、画面の右上に『お知り合いですか?』とフキダシが出ることで分かるのだが、大概は、顔を合わせたときに、本人がメッセージを送ったことを教えてくれるので、僕は無視していた。
アプリを確認すると、確かにフキダシが出ていた。
フキダシをタップすると、メッセージの一覧が出てきた。ずらりと画面にならぶ、そのメッセージたちは、たった1人から送られてきていた。
「なんぼほど送られて来とったん。」
「ざっと、100から120件くらいですかねえ。」
「はあ?」
「チェックするの、大変でしたよ。」
相手を登録しなければ、メッセージの中身は読めない。一覧から見られる情報では、誰から送られてきているメッセージかは分からなかった。
しかし、「橋崎さん」「聡くん」といった自分の名前もちらほら見え、自分宛てであるのは間違いないようだった。
『あいち』のIDは複雑であり、基本的にあてずっぽうで送れるようにはできていない。だから、自分にメッセージを送れるということは、知り合いの一人ではないかと考えた。
『あいち』は、「この相手を登録しますか?」と尋ねてくる。
「それで、ぽちっと。」
「押したらあかんやん。」
「でも、僕の電話番号も知っていたみたいでしたし。」
相手を登録すると、画面にアイコンが現れた。アイコンの画像は、僕の顔だった。
「びっくりしちゃって。僕、間違えて自分を登録したのかなって。」
「なんでそうなんねん。」
「あ、でもでも、名前が違うんで、ちゃんと分かりましたよ。」
名前は、ひらがなで”こはる”となっていた。トーク画面を開くとすぐに、新しいメッセージが届いた。
[聡くん、登録ありがとう! これからもよろしくね。]
適当にスタンプを返し、メッセージを最初からチェックした。
こはるさんのメッセージは、挨拶から始まり、最近あったことなどをつらつらと書いてあった。最初は「橋崎さん」と呼びかけられていたが、後の方になると、「聡くん」になっていた。
僕の仕事ぶりもどこかで見ているらしく、[よく頑張ってるよね。][応援してるよ。]などと書いてあった。
「だから僕、会社の人なのかなっていうのは分かったんです。」
「誰なのかは、分からんかったんか。」
「女の人とは、僕、仲良くないんで……。」
仲良くないどころか、むしろ怖い。変に避けられたり、急に怒られたり、どう対応していいか分からないことが多い。
こはるさんは、とりあえず僕に害意はないようだった。
会社での勤務中、どの人だろうとキョロキョロと探していたが、女子社員から目をそらされることが多く、心が折れたので2~3日でやめた。
「あんたをそれだけ見てるってことは、同じ部署の人間か、関わりのある部署の人間やろ。」
「そうなんですよね。写真も撮られてますし。」
「そうや、それや。どんな写真撮られとったんや、あんた。」
次第に、[いつも見てるよ。]というメッセージとともに、写真が送られてくるようになった。
送られてきた写真に写っていたのは、全て会社で働く僕だった。正面からのものはなく、少し離れたところから、後ろ姿や横顔が撮られていた。
「今日もあったんか?」
「いや、彼女のメッセージは数が多いんで、30個たまったら見ることにしてて。今日はまだ見てないんですよね。」
「今見ろて。」
「え~。今まだ、28個なのに。」
「ええから、見せ。」
僕は、『あいち』のアプリを開き、かよちゃんに見せた。
「同じ向きからの写真が多いな。」
「そういえば、そうですね。」
「方向から考えたら、こいつの座席わかるんちゃうの。」
「うーん、僕、部署の中では端っこなんですけど……。」
僕の勤めている会社はそんなに大きくない。同じフロアには、経理部もある。かよちゃんの言うとおり、この方向から写真が撮れるのは経理部の人になるだろうか。
かよちゃんは、僕からスマホを取り上げ、ざあっと写真を確認していた。少しすると、スクロールをしていていたその手が止まった。
「ん? この写真、近ないか?」
「確かに。どうやって撮ったんでしょうねえ。」
それは、僕の頭上から撮られた写真だった。仕事で使うキーボードも、手元に見えている。
「……これは、あんたの机の近くにも、カメラがあるっていうことちゃうの。場所的に、パーテーションかなんかのところか。」
「ああ、ありますね。机と机の間にパーテーション。」
「あんた、座席でスマホ触ることあるんか。」
「それはまあ、休憩中なんかには。」
「そのときちゃうか。電話番号とか、ID見られたの。」
机で『あいち』のマイページを見たり、通販サイトの登録をしたりしたことがあれば、画面にIDや電話番号が出てくることもあっただろう。
「経理部の中で、就業前か就業後に、必ずおるやつはおらんか。」
「あそこは、みんな結構残業してますからねえ。あ、でも、いつも朝早い人はいた気がするなあ。」
「女か?」
「そうですね。」
カメラを仕掛けるにも、バッテリーの問題がある。自分の手元にあればいつでも充電できるだろうが、僕の机近くにしかけたものは、周囲に人がいるときは触れない。”こはるさん”は、人気のない時間帯に、充電か電池交換のためにカメラの所に来ているはずだ、とかよちゃんは言った。
毎朝、僕の出社前にはすでにいる、経理部の女子社員。当てはまる人は、1人いた。
「向こうが盗撮しとんねんから、あんたもカメラ仕掛けといたらどないや。」
「やです。それも盗撮じゃないですか。僕、犯罪を犯してないことだけが自慢なんですから。」
それに、そんなところにカメラを仕掛けても、写る画像はほとんどが僕の顔だ。そんなの見ても面白くも何ともない。
「そういえば、この人から、お菓子もらったんですよ。」
僕の机の上にアメやチョコが置かれ始めた頃、こはるさんからメッセージが来た。
[聡くん。今度、私がお菓子をあげる。他の人のものなんて、食べる必要ないからね!]
そのメッセージが来た翌日、でっかい高級焼き菓子の詰め合わせがテーブルに置いてあったのだ。
「あんた、それどうしたん。」
「皆で分けて食べました。」
「何で、そいつのお菓子は食べるんや。」
「顔は知らない人ですけど、誰が何の目的でくれたかは分かってるじゃないですか。」
「……。」
「お礼のメッセージも、ちゃんと送りましたよ。」
なぜか、[聡くんにあげたのに……。]と嘆かれてしまったが。
「ずいぶん、豪気なんやな、その女。そこのお菓子の詰め合わせやったら、万は超えるやろ。」
「僕もそう思って、こんなことをしてもらったら申し訳ないですよって、送ったんですけど……。」
うちの会社の給料からすれば、かなり痛い金額のはずだった。
こはるさんからは、お金の心配はしなくていいと返事が来た。それどころか、僕が欲しいものがあれば、何でも買ってあげるという、気前のいいメッセージまで送られてきた。
「元々資産家なのか、株でもやってらっしゃるんですかね。だからといって、僕が買ってもらう理由もないですし。」
僕はそう言ったが、かよちゃんは黙ったまま、画面のスクロールを続けていた。真剣な彼女の横顔に、僕が見とれていると、
「最近のメッセージは、何やら不穏になっとるな。」
と、かよちゃんが言い、画面を僕に見せてきた。僕は、あまりに多いメッセージをチェックするのが面倒で、最近は内容を確認せずに適当に返信していた。
[私達、運命共同体よね? 結婚してくれるよね?]
[最後に大きいお金を手に入れたら、2人で会社を辞めて、一緒に遠くで暮らそうね。]
[ねえ、私、もう後戻りできないわ。お願い、返事をちょうだい。]
アプリの画面には、こはるさんからの切羽詰まったメッセージが並んでいた。
「これ、彼氏さんか誰かと間違えてるんですかね? 結婚とか。」
「いや、絶対あんたに言ってるで。これ。」
「やだなあ、なんで僕に言うんですか。僕はただの『あいち』友達で、顔も知らないんですよ。下手すると、僕と同じ顔の人ですよ。」
「それは気持ち悪いな。」
アイコンの写真は、僕そっくりの本人の顔かもしれないのだ。かよちゃんは、僕にすげなく返事をしたあと、スマホを見ながら考え込んでいた。
「……もしかして、この女、会社の金を使い込んでるんちゃうか?」
「ええ? それって、横領ってことですかあ?」
「できる立場にはおるやろ。」
──経理部。
かよちゃんと一緒に、改めてメッセージをよくよく読み直した。
すると、こはるさんはある時点で、自分の横領をはっきりと僕に告白していた。僕が適当に「いいね!」のスタンプを送っていたせいで、彼女は僕に認められたと勘違いしていたようだった。
そして、今後は秘密を共有した同士で駆け落ちしようという流れになっており、僕からの返信が遅いため、こはるさんからの焦ったメッセージが続いていたのだ。
お読みいただいてありがとうございます。次が後編です。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。