第八話 俺は誰だ? ( 3/6 )
サクは三杯目のお茶を飲み干していた。
厚くワサビを塗りつけた寿司を口に入れたあとは、咽び泣きながらお茶を飲み続けて目元を指でギュッと抑え続けていた。
「サクさん、お茶もっと飲む?」
「……るェ」
サクは小さく一回頷いた。
俺は緑茶の粉末をコップの中に少量入れてから、テーブル備え付けの蛇口からお湯を注いでサーモンが一つだけ乗った皿の横に置いた。
「ワサビは魚の生臭さを消す為に、元々適量が魚とご飯の間に入ってたんだけど、ワサビは鮮度が落ちやすいから空気に触れないように小袋に入れるようになったんだ。ほんの少し付ければそれで十分だよ」
「……ぁぉうぃェ」
「え?」
「は・よ・い・え」
「あー……ごめん。話に夢中で、気がついた時には口の中というか……これ、後全部食べていいから。少しは気が紛れると思う」
━━数分後、テーブルの上には六枚の皿が積まれていた。
サクは力の抜けた表情で咀嚼していた。
四杯目のお茶も飲み干していたので、俺はお茶を入れてサクの目の前に置いた。
「美味しかった?」
「んー……たぶん」
「味、分かんなかった?」
「んー……たぶん美味かった」
「そうか」
「そうだ」
サクは目の前に置かれたコップを手に取ると、音を立てて少量口に含み、静かにテーブルに置いた。
「ズシの正体が何者なのか、という話だよな?」
「ん?……うん、もう大丈夫?」
「うむ。ズシの正体はな……」
「うん」
「実は私もよく知らん」
「え?」
「これだけは言える。ズシはもう死んでいる、いや、死んでいた」
「うん、これ何の話?」
「まぁ黙って聞け。私は冥府の女王故、ズシを冥界から蘇らせる事が出来たのだ、ただそれで殆どの力を使い果たしてしまったのだが……」
「あのさ、もしかして俺……この後、羽毛布団とか契約させられるの?三十万くらいの」
「ん?布団が欲しいのか?それもいいな、でもまずは雨風を凌げる場所を探さないとな」
「あー……うん、そうね、ごめんごめん」
「ん?」
「いや、続けて」
「うむ。本来ならばどんな偉人でも冥界から蘇生させる事が出来たのだが、色々あって力が弱体化してしまってな、この辺りで最近死んだ人間を一人、やっとこさ召喚することしか出来なかった。今はこれが精一杯……」
「人の事を残念な奴みたいに言うなやーーい!」
「実際、残念だろうが。その年で死んだんだぞ?産まれて二十年は経っておらんだろ、その見た目は。人間であれば、これから人生が楽しくなるという年だろうに」
「……で、死因はなんだったの?」
「分からん。分からんが、案外この近くに生前のヒントがあるかもしれんぞ。まぁ知ったところでというのはあるかもしれんが……」
「そうだね。行くところもないんだよね。この辺りも、全く見覚えがないし。ただ記憶がなくなっただけなのかもしれないけど」
「私もそう。行くところがない、が、別に元の場所に帰りたいというわけでもない。この地で新たな居城を築く事ができれば、それはそれで幸せな人生と言えるだろう?最も私は人ではなく神だが」
「前向きなんだな。行くあてがないっていうのは、なんというか、居場所がないのと同じ気分になるよ」
「死にたくなったら死ねばよい。長く生きれば分かる事もある。人生とは所詮、死ぬまでの暇つぶしに過ぎん。気楽にいけ気楽に。一度は死んだのだから、今回の人生は楽しく生きろ」
「死んだ実感なんてないけどね」
サクはガリの入ったケースを開けると、それをトングで皿に少量取り分け、箸でそれを持ち上げた。
「このくらい軽いものなら、箸で持ち上げても落ちないな」
サクは、そう言って口の中に放り込んだ。
「おおお、これは、美味いな、美味い。これは何という食べ物だ?」
「ガリ」
「ガリか。食感がガリガリしているからガリか?」
サクは何かを期待する目でニッコリと笑い俺を見ていた。
「あーうん、そうだよ、正解正解」
俺はガリの語源はよく知らなかったが、そういうことにしておいた。
「ふ……で、提案なのだが、私がこの地に居城を築く為の手伝いをするというのはどうだ?楽しそうだろう?」
「んー、そうだね、他にやることもないしね、じゃあ手伝うよ」
「良かろう、では手伝わせてやる。まずはじめに必要なのは、金だ」
「うん?」
「金で城を手に入れる。ドデカい城だ。あれはさっきのアルバイトでどのくらい働けば買えるものなのだ?」
「んー、普通の家ならだいたい三十五年ローンとかで買うんじゃないかなぁ。でも城でしょう?」
「うむ」
「無理なんじゃないかな?アルバイトとかだと」
「もっと稼げる仕事があるのか?」
「探せばあるかもね。日本語が話せなくても働けたんだから、もっといい時給の仕事がこなせるようになれば。それに俺も服が手に入ったから協力するよ」
「うむ、あー……ところで、そう言えばさっき牛丼屋で貰った封筒の中に、お金と一緒に紙が入っていたのだが、私は字が読めない。今後は字の読み書きも教えろ」
サクは封筒の中から白い紙を一枚取り出すと、テーブルの上に広げて置いた。