第四話 冥府の女王ペルセポネの物語( 1/2 )
ペルセポネは思いにふけっていた。
力を奪われ、天界から下界に堕とされて3時間━━
正直言って、なんの不都合もない。
それもそのはず。
冥府の女王などと呼ばれてはいるが、それはペルセポネ自身が望んだ地位ではなかった。
ゼウスに唆された冥王ハーデスによって誘拐され、手渡された冥界のザクロを口にしたことで彼の妻にならざるをえなくなったペルセポネの、成り行きの地位だった。
神の力を失ったということは、その縛りからも解放されたと同義である。
いっそこのまま天界にも冥界にも戻らなくてよいのであれば、その方が好都合とさえ思っていた。
かつて夫よりも愛し、それでも自分を選ばなかった人間を間接的とはいえ己の手にかけた過去をもつペルセポネが、今度こそ幸せを手に入れようと願い最後の力を振り絞り冥界より召喚したのが、いま目の前にいる全裸の男である。
冥界から召喚した人間に、冥界の女王である自分が労働を命じられる事になろうとは思いもよらなかったが、これから愛する男の服を買う為に労働をも惜しまない自分に、ペルセポネは少々酔っていた。
「じゃあ行ってくるぞ」
義弟に手を振られながら、ペルセポネは歩く。
数メートル先の大手牛丼チェーン店 与瀬ノ屋の入り口へ向けて。
看板には2つのツノが描かれていた。
ミノタウルスだろうか。
その絵をペルセポネは睨みつけた。
確かにミノタウルスの住まう迷宮ラビリンスの如く、広い場所ではあるが、危険など省みている場合ではない。
例え奥からミノタウルスが出てこようが、今の彼女に怖気付く道理などあろうはずもなかった。
開口一番、ペルセポネの放った一言は━━
「ココデハタラカセテクダサイ!」
店内に響き渡る大声だった。
昼前だからか、まだ空席の目立つ店内だったが、店員を含め、ほぼ全員がペルセポネの方を見ていた。
「ココデハタラカセテクダサイ!」
ペルセポネがたった今教わった日本語は二つのみ。
そのうちの一つがこれだった。
これで勝負するしかない。
店員のうちの一人が、目の前まで来て何かをしゃべってはいたが、なにをしゃべっているかは全く分からなかった。
仕草から見て、何かを訊いているようではあったが、なにをしゃべっているかが分かったところで返す言葉がわからないのだから、言葉を理解していないデメリットも無いに等しい。
━━どうやら会話に間が空いたらしい。
向こうが何かを訊いているにも関わらず、こちらがなにも喋らないという状況だろうか。
しかしペルセポネが言えることはこれしかない。
「ココデハタラカセテクダサイ!」
店員は、困った顔で手のひらを店の奥の方へ向けた。
どうやら話が進んだようだ。
ここのボスと話が出来るのだろうか?
店の中の細い通路の先の、奥の扉の中へ通された。
そこには初老の男と、二十歳くらいの小娘が立っていた。
二人とも笑顔だ。
笑顔には笑顔で答えると、だいたい話はうまく進むらしいことを聞いていたペルセポネもまた、微笑み返した。
何やら話をしている。
意見が対立しているようだ。
初老の男の方がここのボスだろうか。
ペルセポネには、この男に対して小娘が何かを説得しているように見えたが、内容は分からなかった。
小娘が、店の電話の受話器を持ちながら、ホワイトボードを指差している。
ホワイトボードには、この国の文字と、何かのグラフのようなものが書かれていた。
名前と時間だろうか。
二つの文字に、黒マジックでバツが付けられていた。
これが名前だとするならば、この二人は死んだのだろうか?
それで後任の事で揉めているに違いない。
どうやら小娘の方は私の加勢に賛成のようだ。
ペルセポネはタイミングを見極める事にした。
小娘に押され、ボスの黙り込むその瞬間を、見逃さなかった。
「ココデハタラカセテクダサイ!」
この言葉には、雇わなければ悪い事をしているような気分にさせる魔力があるそうだ。
無論、どこでも通用するわけではなく、例えば生涯をかけて働くような重要な場所での面接ではほぼ無意味だが、短期間での労働に限り、この言葉の威力は絶大だった。
もはや言葉すらまともに喋れぬような者でさえ、使えばまるで、一通りの礼儀を弁えているかのような誤解を相手にさせることの出来る魔法の一言。
ボスが難しい表情をしている。
もう一押し必要か?
ペルセポネがそう思った次の瞬間、ボスはロッカーから服を取り出すと、ペルセポネに手渡した。
どうやらこの職場のユニフォームらしい。
ボスは渋々といった様子だったが、小娘の方は手を合わせて喜んでいた。
「アリガトウゴザイマス!」
それが、私が教わった二つ目の魔法の言葉。
何かがうまく行った時に使うと、次もうまくいく幸運のおまじないのようなものらしい。
どうやら小娘の方が、私に仕事を教えてくれるらしい。
ペルセポネは笑顔の小娘に笑顔で返した。