Schizophrene
暖かい陽気に照らされ、目が覚める。どうやら私は机に伏せて眠っていたようだ。窓の外の光が眩しくて右手を前に出し日光を遮る。
「眩しいようなのでカーテンを閉めておきますね」
そう言って女性がカーテンを閉める。視野が広くなる。
「ありがとうございます」
女性は笑顔で「いえいえ」と言うと近くの椅子に座った。この人は誰だっけ?私のお姉さん?いや、それにしては年が離れすぎている。
「曇山さん。ちょっと」
「はーい」
名前を呼ばれた女性は机での作業を中断し、声の方へ向かった。そうだ思い出した曇山さんだ。あの人は……何をしているのだろう?呼ばれた人と何かをしゃべっている。何を話しているのかここでは聞き取ることができない。
周囲をよく見てみると老若男女様々な人がいた。ソファに座っている人、他の人とおしゃべりしている人、テレビを見ている人。私より年下の男の子もいれば年の近い女の子、中年太りした男性、還暦を超えたおじいちゃんおばあちゃんなどいろんな人がいる。
しばらくすると先程の女性が戻り、机の上にお茶と一つの袋を置いた。
「もうすぐご飯が来るからこれを飲んでくださいね」
女性は袋の切り口を手で破ろうとしたとき他の女性の方から呼ばれ、袋を机に置いてその場を後にした。
これを飲めばいいのか……。お茶を一口飲み、袋を開ける。開けたとき、勢いが強すぎたため中身が零れ、床に散乱した。
やってしまった。血の気が引く。どうしよう怒られる。とりあえずこれを何とかしなくてはと焦燥感に駆られる。幸いにも机の上にティッシュペーパーが置いてあったので三枚抜き取ってそれを拾う。すべて拾うとティッシュを丸め近くのごみ箱に捨てた。席へ戻ると曇山さんがいた。
「あっ空木さん。よかったー。どこ行ってたの?席に行くといないから心配しちゃった」
「すみません。ごみが落ちていたので捨てに行ってきました」
「あら本当?ありがとう。でもごみを拾ったなら手が汚れたと思うから一緒に洗いに行きましょう」
曇山さんに連れられ洗面台で手指を洗いアルコール消毒をして再び席についた。しばらくすると曇山さんが昼食のお膳を机に運んでくれた。周りの人たちもご飯を食べている。そうか、わかった!ここはレストランなんだ。だから料理を持ってきてくれたんだ。あれ?でもメニューを注文した記憶はない。それに財布も持っていない。このままでは無銭飲食で捕まってしまう。何とか謝らなくてはと思い私は曇山さんを呼んだ。
「どうかしましたか?空木さん」
「あの、私お金を持っていないので食べることができません。すみません。せっかく作ってくれたのに」
曇山さんは最初何を言っているのか分かっておらず、黙っていたが、笑顔でこう告げた。
「空木さん大丈夫ですよ。もうお金は頂きましたから。遠慮せず全部食べてくださいね」
そう言うと曇山さんは去っていった。どういうことだろう?ここのレストランは前払いのシステムなのだろうか。疑問に思いつつも箸を手に取り合掌。「いただきます」と言って食べようとしたその瞬間
「待って!」
突然私の手を誰かが掴んだ。隣には先程までそこにいなかった女性が座っていた。
女性は私と同じくらいの年齢で同じ黒髪の長髪に同じ容姿をしていた。ただ違うのは服装だ。彼女は私が高校生の頃の水色のリボンが特徴的な制服を着ていた。
私に双子の姉妹なんていたっけ?と考えているとその人は私に注意喚起した。
「それを食べたらだめ!」
「えっ、なんで?」
「そのご飯には毒が入っているの」
「えっ!?」
思わずお膳に乗った食事を凝視した。しかし、とても毒が入っているとは思えない。だが、この子が嘘をついているとは思えなかった。
驚き戸惑っていると私に似た人物は強引に私の手を引っ張り走り出した。
非常階段を使って外へ。しばらく走り広場についた。全速力で走ったため息が乱れている。
両膝に手をついて呼吸を整える。呼吸が落ち着くと彼女にお礼を言おうと頭を上げた。
しかし、彼女はいなかった。周りを見渡してもどこにもいない。
帰ったのだろうか。聞きたい話もたくさんあったのに。
少し辺りを探そうと思い足を動かすと声をかけられた。声の方向に振り向く。
そこには驚くべき光景があった。怪物……。青色の怪物だ。意味の分からない奇声を発しながらこちらに近づいてくる。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!???」
悲鳴をあげる。当然その場から私は離れようとしたが逃げた先にも同じ青い怪物が立ちはだかっていた。
はさみうちだ。怪物はよくわからないことを言いながら詰め寄ってくる。恐怖で体がすくむ。
周りをよく見れば他にも同じような怪物たちがこちらを見ていた。目の前の怪物と同じ青色の怪物もいれば赤色、黄色、黒色と様々だ。
囲まれた。多くの怪物がこちらを見ている。怖い取って喰うつもりなのだろうか。私以外に味方となってくれる人間は近くにいない。
不意に青い怪物の腰に視線が移った。銃だ。あれを手にすればこの怪物たちを倒せるかもしれない。私は覚悟を決める。この一縷の望みを手にしないわけにはいかない。
私は怪物たちが油断してる隙に腰の拳銃を奪い取った。まるでアクション映画の主人公のように転がり、青い怪物に狙いを定める。発砲。見事額にクリーンヒット。怪物たちから悲鳴があがる。
もう一方の青い怪物が拳銃を向ける。私は咄嗟に路地裏に入り、弾丸を回避した。そのまま路地裏を抜けて道に出る。
だが、そこにも例の怪物が何十、何百と歩いている。
路地裏で奴らの動向を探ろうと見張っていたが、どうやら先程の青い怪物が後ろから追いかけてきたらしい。
私は再び路地裏を駆使して怪物たちをなんとか撒いた。私は乱れた呼吸を整え、再び歩き出す。開けた道に出ようとしてもどこへ行ってもあの怪物どもが跋扈していて思うように身動きがとれない。
それに人間の姿も見当たらない。まさかすでに人類は奴らに喰われてしまったのだろうか?そう考えると全身に悪寒が走る。だが、それならば私は戦わなくてはならない。奴らと。
暗い路地を利用して単独行動をしている怪物を発見する。緊張が走る。辺りを見回しても奴以外は見当たらない。よしっと覚悟を決める。短期戦だ。奴にバレないように後をつける。徐々に距離を詰めていき飛び出す。
しかし、怪物に気づかれてしまい奇襲は失敗に終わった。
化け物は腰を抜かしているが、奴ら特有の周波数を出している。それを聞いた怪物たちが近くに集まってくる。まずいと思ったが、時すでに遅し。気づけばすでに囲まれていた。
何とか間を抜けて逃げようと思ったが、それも叶わず、取り押さえられ地面に伏す。
叫んだり、抵抗を試みるも全くの無駄であった。
しばらくして後ろの化け物に手を後ろに回され拘束具のようなものをつけられた。
目隠しをされ体を揺らされどこかへと連れていかれた。私は疲弊したこともあって知らぬ間に意識を闇の中に手放していた。
☆★☆★☆★
目が覚めると空木明美は知らないベッドの上にいた。知らない天井、知らない部屋。
ゆっくりと体を起こす。部屋には誰もいない。窓の外から暖かな日差しが差し込んでいる。
まるで今まで悪い夢でも見ていたかのように体が軽い。ベッドから出てドアまで行こうとしたその時、扉を開け入室した看護師の人と目が合った。
看護師の女性は酷く驚きその場から逃げるように「先生、先生!」と走っていった。
明美は何が起こったのかわからずそのままでいると白衣を着た医者だと思われる男性一人とその後ろに看護師と思われる女性3人が後ろを歩いている。その三人の中には先程先生を呼びに行った看護師もいた。
「おはよう空木さん。昨夜はよく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
「それはよかった」
男は笑顔でそう言った。明美は昨夜という言葉に引っかかった。昨夜ということは一夜明けたということになる。明美は昨日のことを思い出してしまった。
「……!?そういえば先生、あの怪物たちは?嘘じゃないんです。信じてもらえないかもしれないですけど街には見たこともない怪物たちが蹂躙しててこのままだと人間は奴らに滅ぼされてしまうかもしれないんです!」
「あぁ、わかった。それはさぞつらかっただろう?ちょっと待っていてくれ」
医者はそう言うと明美に背を向け看護師たちと話し始めた。
「怪物って何のことですかね?」
「もしかするとそれが彼女の妄想ってことですか?」
「そう考えていいだろう。おそらくは人間が怪物に見えてしまう幻視。そしてそれが原因で人を殺めてしまった。今は何らかの理由で幻覚は見えていないようだが」
明美はヒソヒソと話す。医者たちに不信感を感じていた。なにやら聞きなれない物騒な言葉に彼女は耳を疑った。
「あぁ、失礼。君と話している途中に不躾だったね。空木さん今から私が話すことは全て噓偽りない真実だと思って聞いてほしい。まず君が言うその怪物のことについてだが、それは全て君の夢物語なんだ。君の綴った幻という名のね。そして2つ目君は悪い夢に取りつかれてしまったせいで尊い命を一つ奪ってしまった。勿論、君は悪くない。悪かったのは私達がきちんと薬の管理を徹底していなかったこと、そして君と外界を繋いでしまったことだ。裁判になるだろうが、なに心配はいらない。君は我々が全力をもって守ると約束しよう。それから最後にこれが君に一番伝えたかったことだが、君はある病を患っている。それも身体ではなく心の。怪物の正体にも繋がることだ。君は統合失調症。この病院の管理下にある患者様なんだ。君が見た怪物は君の脳が見せた幻。人間を怪物に見せていただけなんだ」
明美は頭の中が真っ白になっていた。医者が何かを詳しく話していたが医療知識もない、目の前の現実に整理できていない明美の脳はオーバーフローを起こし情報を遮断していた。
ただ一つだけ分かったのは私が人を殺してしまったという事実だけ。
裁判は早くに執り行われた。壇上で罪を告白する前に強い視線を感じた。若い女性と子どもたちの怒りと憎しみに満ちた顔。遺族の方だろうか。明美は裁きを受け入れるしかなかった。病気とは言え人を殺した事実。
だが、裁判長は無罪を言い放った。遺族は激しく抗議していたが、明美は糸の切れた人形のように脱力し、その場へ座り込んだ。”許されたの?”問うても答えは分からない。
病院に帰った私は長い闘病生活の末、私は退院した。お世話になった医者と看護師に見送られながら。「もう帰ってくるなよ」と言われた明美は満面の笑顔を見せた。なぜならその約束は果たすことができそうだからだ。永遠に。
明美は退院後すぐに警察に自分が殺めてしまった方のお墓参りがしたいと言った。警察は頭を悩ませた。行って遺族と会うと彼女は何かしらの報復を受けてしまうと考えたからだ。
だが、明美の「お墓参りに行くときは一人で。万が一はちあわせても警察の方と一緒なら安心だ」と力強い説得で同行しての許可を出した。
墓は山の中にあった。車を走らせ歩くこと計30分。それは姿を見せた。
明美に席を外してほしいと言われたが、それはできないと断りを入れる警察だったが、泣きながら抱きついてくる彼女を見るとつい許してしまったのだ。
警察は「ほんの10分だけだぞ」というと車の方へ戻った。
「わかっています」と笑顔の彼女。一分間の長い黙祷を終えると彼女は拳銃を手に墓へと向き直った。
それは抱きついたときにこっそりと腰から抜き取ったもの。明美は膝をついて銃口を口で挟むと静かに目を閉じ、手を震わせながら引き金を引いた。
枝にとまっていた烏たちが一斉に羽ばたく。
明美から生まれ出た赤い液体は横たわる明美の制服を赤く染め上げた。
~FIN~