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まどろみと

 辺りに転がるのは魔物の死体。魔物は腐った魔力に霊が宿って生まれる。原理としては精霊に近いが、人間をはじめとする、活性化されたマナを主食とする点で、まぎれもなく人類の天敵だ。


 魔物は腐ったマナから生まれる。つまり、人がマナを正しく運用しさえすれば、魔物は生まれないし、生まれたとしてもすぐに自然消滅する。今でこそマナの流動性と魔物や精霊の関係性は魔術基礎理論の範疇だが、まだ人間が魔術を持たなかった頃、魔物は恐ろしい天罰でしか無かった。


 故に、大陸の真祖であるアズヴァルを唯一神と定め、人の好意の善悪が精霊、あるいは魔物となって人々に因果応報するとするアズヴァル聖教が生まれ、魔物の生成プロセスが完全に解明された現在においても、これはロランド聖王国の国教だ。


 聖女。


 リリンが受け継ぐ『真に聖なるクロイライト』の血統は、そのアズウェル聖教の成り立ちに深く関わっているのだという。もっとも、そんなことはアズウェル聖教において絶対悪とされるボクには関係のないことだ。というか、詳しく知らない。


 ともあれ、ボクが知っているのはふたつ。聖女はとんでもなく強いということと、魔物を殺すことがその役割であるということ。


「いやあ、まさか本当にボクに頼らず森を抜けられるなんてね」


 そういうボクに、リリンは反応しない。いや、できないという方が正しいだろうか。何百という魔物を斬り伏せただろう。リリンの美しい顔も、髪の毛も、手足も、清廉を表す修道服でさえ、もはや返り血に濡れていないところはなかった。


 リリンは限界を超えたまま日夜戦い続け、ついにマナの薄い浅層まで戻ってきた。ふらふらと足取りもおぼつかず、せせらぐ渓流のもとに倒れ込むように駆け寄る。水だ。平時であれば一度火にかけて水あたりを防ぐところなのだろうが、もうリリンにそんな余裕はなかった。本能のままに水をすする。水に顔をつければ、顔や手についた返り血が流され、少し鉄っぽい味がする。


 返り血。


 なぜ、魔物も、精霊も、マナから生じるはずなのに生き物と同じように血が流れているのか、それは現代魔術においても未だ解明されていないことらしい。ボクが封印される前、ボクに付き従っていた魔道士は、ソレは逆で、血こそがマナと命の混合物なのだと言っていたが、どこまで本当かはわからない。


 リリンは水をかっこみすぎてむせた。咳き込む。リリンが咳き込むと、もちろんボクも苦しい。でもなんだか、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 リリンはそのまま、体を引きずるようにして、いちばん近くの木の根元に移動して、幹に体をあずける。


「ちょっと、リリン。だめだよ。こんなところで寝たら、魔物はともかく、野生の動物がやってきちゃう」

「少しだけ。……少しだけです」


 そういうリリンが、今にも眠ってしまいそうなのは分かる。


「駄目だって! ボクに任せてよ。任せてくれたら、ちょっと火をおこして、結界を張って、それで休めるから!」

「あなたに……。任せるわけ、ないじゃないですか」

「じゃあ、リリンが自分でやりなよ!」


 リリンは少しだけ倒れ込んだまま、動きを止めた。そして、大きく深呼吸をする。


 無言のまま立ち上がり、リリンは辺りの小枝や枯れ葉を一箇所に集めだした。流石に野営は手慣れたもので、すぐに最低限の乾いた枝葉が集まる。二小節くらいの魔術を唱えれば、小さな種火はたちまち焚き火になった。


 そのまま、懐に入れた小袋から、白く輝く砂を少しだけ取り出し、聖句をつぶやきながら四方にばらまく。簡易結界だ。完全に外敵の出入りを防ぐことはできないが、特別に殺意の強いものは近づくことができなくなる。ちょっとした精神攻撃の一種で、だからこそ仕掛けが分かっているものにも簡単に突破される。


 だが、少なくとも野生の動物や、そこいらの盗賊なんかが近寄ることはできないだろう。もっとも、こんなに危険な森にそんな連中がいるのかは疑問だけど。


 そこまでやって、リリンの緊張の糸は完全に切れる。ぷつんと。リリンの意識が切れれば、ボクの意識も引っ張られるように眠る。リリンが眠っている間、ボクが代わりに起きていられたら良いのに。


 話はそんなに簡単じゃないらしい。リリンとボクの意識は、眠りの中に落ちていく。


 間際、リリンの口が少し動く。ボクじゃない。リリンの声だ。


「……ありがとう」


 よく聞こえない。だって眠いもの。けれど、悪い気はしない。


 昔は人間が眠らなきゃいけないのを不便だと思っていたけど、ああ、なるほどこれは。すっと力が抜けて、意識が飛ぶ。これは確かに、心地良い。





 目が覚めると、沢山の人に囲まれていた。


「なにこれ」


 ボクは思わずそう呟く。リリンの手が口を慌てて塞ごうとする。このリアクションを見るに、どうもボクに勝手に喋られると困るということなのか。


 だが問題があって、リリンは結局口を塞げなかった。その理由は簡単で、リリンの体が完全に拘束されているからだ。手枷と足枷は鉄製。なんらかの魔術が込められているような、そんな感じがする。口に拘束具がないのは幸いだった。


 よく見れば、ここは森の中ではない。箱だ。箱の中だ。ガタガタと揺れてお尻が痛い。そうか、これはあれだ。馬車。人間が移動するのによく使っている乗り物だ。


 囲んでいる人たちは、みんな分厚い鎧を着込んでいる。騎士? まとわりつく人と魔物の血の匂い。顔まで隠れる兜を着ていて、性別はよくわからない。だけど、たぶん騎士だ。


 ただ、特徴的なのは、みんな剣を持っていないこと。あの騎士というタイプの人間は、剣の腕をずいぶん神聖視していて、どんなときでもこだわって剣を使う。なのに、ここの連中が持っているのは鈍器だけ。


 ボクが眠っている間に、人間の様式も随分様変わりしたものだ。


 そんなことを思っていると、馬車の幌の奥、多分二部屋に分かれる構造になっているのだろう。奥の方から、一人の女の子がやってきた。彼女はリリンと同じくらいか、それよりも小さいくらいに見える。


 彼女は顔が見えていた。燃えるような赤い髪。曇り空みたいな鈍色の瞳。肌は少し煤けていて、戦場にいたことを伺わせる。リリンほどではないにしろ、ボクのお眼鏡にかなうくらいには美しい少女だった。


 どうやら、分厚い鎧の騎士たちと階級が違うようだ。着ているものが違う。他の奴らと違って、分厚い鎧ではなくて、もっと身軽そうな手甲とすね当て。修道服を着ていて、首からは鉛のロザリオを下げている。


 ロザリオ。ソレに気付いて分厚い鎧の騎士たちを見てみれば、皆同じように鉛のロザリオを下げている。


 ふむ。


 ボクは一応、ずっと人間たちと殺し合っていたので、人間の下げるロザリオの意味は大体知っている。だけど、鉛のロザリオを見るのは初めてだった。そもそも、教会の神官は聖女を除いて戦ってはいけない決まりだったはず。


 いや、もし仮に教会の神官が戦うのだとして、じゃあこの、むせ返るような血の匂いはなんだろう。なぜ、人を救い、魔物を打ち払うことを目的にする彼らが、人殺しをしている?


 ボクが寝起きの頭でぐるぐる考えているうちに、目の前の真っ赤な髪の毛の少女が口を開いた。


「おはようございます。よくお眠りになれましたか、お姉さま?」


 それに応えるのは、リリンだ。


「マリナ。これはどういうことですか?」


 なるほど。マリナ。この女の子はマリナと言うらしい。ボクはまだベルちゃんと呼んでもらっていないのに、このマリナちゃんとやらは名前で呼ぶほどの間柄らしい。


「それを聞きたいのはこちらのほうです。お姉さま。私は、あなたを信じておりました。あなたは最も高潔で清廉で、決して折れず、錆びず、鈍らない。真に聖なるクロイライトだと」


 それが。と、マリナは表情に怒りをにじませる。


「お姉さまの中から臭う、そのおぞましい影の臭いはどういうことです?」


 まさか。ボクのマナの操作は完璧だったはずだ。だって、リリンですらボクに意識を汚染された小鳥を、精霊だと思いこむくらいだ。ただの人間に分かるはずがない。


「いいえ、お姉さまに尋ねるより、あなたに訪ねたほうが早いでしょうか?」


 リリンの背中に冷や汗が浮かぶ。ボクが焦るなんてことあるわけないので、きっとこれは、リリンの冷や汗だ。そうに違いない。


「ねえ、そこにいるんでしょう? お姉さまの中に」


 マリナの、光のない鈍色の瞳がボクを覗き込む。


「魔王。ベルナドット・ザス・カルトナージュ」

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