あちらとこちら
不夜城と化した今の帝都からは、星空は見えない。けれど夜の帳がそこにある限り、星空は常に天にある。
光。
カリナの手のひら、最初に感じたのは暖かさだった。流れ込んでくるのは、光。あの夜空の向こう側。世界を埋め尽くす無数の星の光。その力が、この手の内側にある。
「カリナさん」
呼ぶ声。アズヴァルの声。人の手には余るほどの力が、その声の持ち主からカリナに与えられている。どうして、なぜ。ただの一般人に過ぎないカリナに、これだけのものが与えられているのだろう。
過ぎた力には代償が伴う。この世界の、普遍の理。カリナはそれを十分に理解していて、けれどもそれを受け入れた。たとえ、どんな代償がこの身を滅ぼすとしても。アカシャを助ける。そのためにはこの魔女を倒すだけの力が必要だ。
何も持たないカリナがそれを成し遂げるためには、身に余るほどの力があって、ようやくトントン。そうだ。リスクを背負わないやつは、いつだって勝負の席にすら座れない。
「アズヴァル、聞こえるか!」
カリナは叫ぶ。
「オレに、力をくれ! アカシャを助けられるだけの、もう一度いっしょに遊びに行くだけの、そのための、ありったけを!」
かつて、この世界の無数の星々を、アズヴァルは命に変えた。
人も、草木も、海も、大地も、ありとあらゆるものが星から生み出された。それらは悠久の時を経てマナと溶け合い、混ざり合い、世界という大きななにかの一部へと変わっていき、星の力は失われた。
けれど、未だ星の輝きを失わぬものがある。塩。銀。炎。水。そして聖剣。
星をそのま鍛えあげ、磨きあげた、燦然と輝く星の剣。百年前にアズヴァルが生み出したそれが『鏡面湖畔』なのだとしたら、今、アズヴァルがカリナに与えた力も、それだ。
カリナがとったアズヴァルの手。そこにあったのは、一振りの美しい銀色の剣。
「――カリナ。あなたに与えます。予言者の肉と血、そしてわたくしの魂で錬成した聖剣。名を、『無音海嶺』」
力をたしかに感じる。この剣から、アズヴァルの力を。そして、カリナ自身の体から、限りない星の加護を。戦える。今なら、戦える。
「カリナ。あなたが今代の聖女となるのです」
見据える。敵は魔女。
踏み込み。体は軽い。世界を置いていける。体中から光が満ちる。振りかぶる。聖剣はまるで羽のように軽い。風を裂く。
聖剣を振り下ろす。
◆
ふと目を開くと、目の前に見えたのはステンドグラスだった。数百年以上前に作られたものだと、この教会の神父様はおっしゃっていた。ステンドグラスは薄く光っていて、それは月明かりではなく、帝都の街の明かりだ。
あたりを見回す。ここは帝都の聖ロランド教会の礼拝堂だ。どうやらうたた寝してしまっていたらしい。どうも帝都に来てから平和な日々が続いて、気が抜けている。
フォマとエステルは何やら動き回ってくれていて、エルフたちに言われた「善き墓守たちの火葬会」なる地下組織を探しているらしい。
ベルの力は、全盛期の半分以下になっている。そのためには世界各地に散らばった『黒水晶』を集めなくてはいけなくて、まだ私たちが取り戻したのは、たった二つ分だ。残り十個もある。
力を取り戻しきれていない状況で、十二聖人全員……いや、アズヴァル聖教すべてを相手にするのは難しい。やはり、力を取り戻すのは急務だ。こんなところでぼうっとしていて良いのだろうか。
「良いんじゃないかな」
私の口を通して、ベルが話す。私は少し眠くて、立ち上がるのが億劫だった。体の主導権をベルに渡す。
「今までリリンはずっと戦ってたんだもの。長い人生の中で、たった数週間。これっぽっちの休みも許されないなんて、間違ってるでしょ?」
そうかも知れない。私はずっと駆け足だった。ここ数週間は楽しかった。ベルと一緒に街を巡って、服を買ったり、甘いものを食べたり、十分に羽を伸ばした。本当に楽しい日々で、こんな日々がずっと続くなら、どんなに良いだろうかと夢想した。
けれど。心の奥底で、悲鳴が聞こえる。血の匂いがする。肉の味がする。
今でも夢に出る。マリナが夢で泣いている。泣きながら人の体を引き裂き、かぶりつき、口元を血で真赤に染めながら、二人でずっと、泣いていた。
最初から、私の人生に平穏なんて無い。十二聖人を全員殺す。殺して、殺して、私が奪われたものを全部奪い返す。
「――そうだよ。ボクのリリンはそうでなくちゃ。ボクも楽しかったよ。もしもボクが人間に生まれて、リリンと出会っていたら、きっと、ずっと楽しい日々があったんだろうなって。でも、そうはならなかった」
夜の匂いが、今日は妙に鼻につく。
ふと、視線の端を光が横切る。目で追えば、それはキラキラとマナで輝く一羽の小鳥だ。誰かに連絡するための簡単な魔法だ。手紙なんかに魔力を与えて、届けたい相手に届ける魔法。
胸がざわつく。今の私の居場所を知っている人は多くない。けれど、それよりも不安が先に来る。だって、あの魔法を使う魔術師の中には、普段から手紙を胸のうちにしまっておいて、自分に危機が迫った時、自動的に魔法が起動するようにしている者も多いからだ。
小鳥は私の手元に止まって、手紙に戻った。
少し古い紙。鉄の匂いが不吉さを煽る。無地の紙には一文だけ書かれていた。
『先輩、私を殺してください』
心臓が脈を打った。
フォマ。
「行こう、リリン」
私が動揺する間もなく、すぐにベルが私の体を動かす。体がふわりと浮いて、滑るように夜の街に飛び出す。こういう時、ベルの判断の早さはありがたい。
帝国なら、私たちの敵は居ないと思っていた。帝国なら、私たちから何かを奪う奴なんて居ないと思っていた。けれど、違う。居た。何者かはわからない。
私から、何かを奪うやつは許さない。
手紙についていたマナの後を追う。帝都の郊外、学院がある方に向かっている。そう言えばアカシャが学院に通っていたはずだ。まさか、アカシャが? アンジャ族は味方だと思っていた。油断はしていないつもりだった。
ダメだ、はやるな。まだ決めつけるときじゃない。
ベルは、私の体の動かし方がすごく上手くなった。私の体は、身軽に夜の帝都を駆けていく。軒先を、路地裏を、ひらひらと走る。
「……本当にここ?」
ベルが疑問を呈して、立ち止まる。それもそのはずだ。鬱蒼と茂る郊外の森の中。古い祠がどかされて、地下に続く階段が表出している。
(とにかく、急ぎましょう)
「大丈夫? 罠かも。地下室で待ち構えられてたら危なすぎる」
(例えそうだったとして、問題が)
「お?」
(正面から戦って、潰す。それが王者のやり方。そう言ってたのはベルじゃないですか)
私がそう言えば、ベルは笑う。
「最高。それで行こう」
階段に足を踏み出す。どこか肌寒くて湿っている。音が妙に響く。最初に鼻についたのは腐臭だ。腐った人の死体が、そこら中に散乱している。
歩いていくと、奥にあったのは小さな部屋だ。本やガラスが散乱して、おそらくは研究室だったのだろう。私も聞いたことがある。『脱獄囚』と呼ばれる魔術師たちは、地下に研究室を作る。
けれど、そんなことは問題ではなかった。散らばった腐った死体たちの中に、見間違うはずもない少女の姿があった。胸から真赤な血を流して、壁にもたれかかっている桃色の髪の少女。フォマ。
「……フォマ!」
駆け寄る。フォマの目線は宙に浮いてる。呼吸は浅い。肩を触る。大丈夫だ。まだ生きている。体を揺らせば、ゆっくりとフォマの口が動いた。
「……先輩?」
「そうです。私です。リリンです。何があったんですか!」
「……良かった。あの、さーせん、ちょっとやらかしたっす。ちょっと見えないんすけど、うち、どんな感じっすか? たぶん、もう死にかけなんすけど」
フォマは燦々たる有様だった。心臓に刺された鉛の釘。おそらく、これがフォマをこの世界につなぎとめている。けれど、これが刺さったままでは回復魔法をいくら使ったところで無駄だ。詰んでいる。釘を抜けばフォマは死ぬ。釘を抜かなければフォマは永遠にこのまま、アンデッドとなって朽ち果てるまで、この世界を彷徨うことになる。
「大丈夫です。大丈夫ですよ、フォマ」
「……先輩。うち、もうたぶん、ダメっす。だから今のうちに殺してください。先輩はいつかうちを殺さなきゃいけないっしょ。それがたまたま、今日だっただけっす」
その言葉に、迷いが生まれる。確かにそうだ。私はいつか、フォマを殺さなきゃいけない。けれど、まったくそんな気持ちにはなれなかった。フォマだって復讐の相手のはずなのに。なのに、私はいまだに答えを決められない。
黙る私の代わりに、私の口を開いたのはベルだった。
「……ダメだよ。まだ眠ってもらうわけには行かない」
「どうしてっすか」
「ボクもリリンも、まだ不完全だ。目的のためには力が必要で、力を取り戻すためにはキミたちが必要だよ。ボクは魔王だ。民と配下の無い王は王じゃない。ボクが、リリンが王であるためにはキミが必要だよ。君の墓場はここじゃない」
ベルがそう言えば、フォマは曖昧に笑った。
「どうして、アンタが先輩の代わりに答えるんすか」
「分からない? リリンが困ってるじゃない。君を殺すのがリリンだとして、君の眠りをリリンはまだ望んでいない。殺してほしいなんてのは、君の自分勝手だ。ボクはリリンを苦しめるすべてを許さない。だから君の眠りも許さない」
「……嫌な女っすね」
ベルは手を伸ばす。
「選んでいいよ。ボクは今まで、何度だってこうしてきた。ボクとリリンはアズヴァル聖教をボッコボコにして、ロランド聖王国も火の海にして、リリンが奪われたものを全部取り戻す。そのために君が協力してくれるなら、君に力を分けてあげる。ボクがかつて、エステルにそうしたみたいに」
「うちに、魔王の手下になれっていうんすか?」
「違う。ボクの……。いや、それも違うな。リリンの。リリンの配下だ」
ふと、ベルから私に体の主導権が返される。そういうことか。理解した。今、ここで殺せと。ベルはそう言っているんだ。十二聖人のフォマを殺して、新しい魔女を生み出せと。
「フォマ」
私が呼びかければフォマは笑う。
「……それを先輩が望むなら」
「良いんですか? この力を受け入れたら……、エステルや、私みたいに。死ねなくなる。永遠にこの世界を放浪することになります。それでも、良いんですか?」
「良いんす。だって、うちは今ここで、一回先輩に殺される。それで十分っす。うちの死は、リリン先輩の一回でいい」
さまようフォマの手が、私の手を引く。それが、フォマの心臓に当てられる。
「うち、先輩に殺されるのが夢だったんすよ」
「……」
「それが叶えば、あとは全部、大丈夫っす。うちってほら、こう見えて尽くすタイプなんすよ」
いつもみたいな、飄々とした口ぶり。少しだけおかしくて、笑ってしまう。
「先輩、見えない。もっと顔、近くで見せてください」
「フォマ、私は」
「良いっすよ」
私は頷いた。呼吸。
釘を引き抜く。




