覚悟
黒薔薇の魔女。
薄暗い街灯を背に立つその姿は、おとぎ話に出てくる魔女の姿そのものだった。
死ぬ。カリナの本能が目の裏側で激しく点滅する。呼吸が浅くなる。視界は狭くなる。恐怖。奥歯がガチガチと音を鳴らす。なぜ、さっきまで何とかなると思っていたんだろう。フィリップの言っていたことは正しかった。ガキが一人でどうにかできる相手じゃない。
「参ったな、戦いは専門外なんだが」
声がする。どことなく呑気な言い方に、少しだけ心が落ち着く。そうだ。いまカリナは一人じゃない。どう見ても犯罪者だし悪人面だけれど、このオッサンは少なくともカリナの味方だ。
「おい、カリナちゃん。走れるか?」
足が取られているから無理だ、と言おうとしたけど、恐怖のせいかうまく喋れなかった。息だけがカタチを作って夜の空気に溶けていった。
「落ち着け。深呼吸だ。良いな?」
フィリップはそう言いながら、目線をずっと魔女に合わせている。よくわからないけれど、きっとこのオッサンは状況を打開しようとしている。そしてその中に、カリナという足手まといを逃がす算段も含まれているのだろう。情けなくもあったけれど、この場においてカリナはあまりにも無力だ。
けれど、魔女はこちらを待ってはくれない。威圧感、としか形容できなかった。もしかしたらマナを動かしているのかも知れないけれど、カリナが感じ取れたのは吐き気を催すほどの重圧だけ。
恐る恐る魔女を見れば、その目線はカリナを冷たく見下ろしていた。
「あら、あなた……。匂いがするわね」
「黒薔薇の魔女、その少女は無関係だ。お前を嗅ぎ回っていたのは俺だけだ」
「今更そんな言い訳が通じると思って? ワタシには分かるわ。アカシャの匂い。学院のお友達かしら?」
魔女が、カリナの顔を覗き込む。目をそらせない。目をそらしたら、殺される。
「うーん、とっても気分がいいわ。実はね、実験がだいぶ進んだの。これもアカシャを貸してくれたアンジャ族のお陰ね。あとは必要な体を探すだけだったんだけど……。運がいいわ。あなた、とっても素敵な体をしているんだもの」
魔女の指が、カリナの頬を撫でる。
「おい、黒薔薇の魔女! その子は無関係だ。離れろ!」
「離れろ? 無力ね。そんなに離れてほしければ、ワタシを直接どかしたらどうかしら?」
黒薔薇の魔女はフィリップを挑発する。
「その点で言えば、あなたより十一席の方がずっと上ね。最後まで、自分の力だけで戦っていたわ。ワタシだって首を跳ねられたもの……。まあ、命をかけてワタシの首一つ。それで、ワタシは今ではこの通り」
フィリップの顔は、カリナからは見えない。
「無駄死にだったわよ」
その言葉の直後、魔女を衝撃が襲った。爆風。衝撃がカリナの髪を揺らす。魔女はそのまま吹き飛んだ。
「お言葉通りにさせてもらおうか!」
吹き飛ばしたのは、フィリップだった。無手。見たことのない構えだった。格闘術。見たことがないほど鮮やかなマナの制御だった。そうか、これが十二聖人。
フィリップは大柄な体で跳ねる。まるで吹き飛ぶ矢のような速度で魔女に近づき、もう一度殴打を入れる。魔女の体は地面に叩きつけられ、石畳が跳ね上がり、砂埃が舞う。
すぐさまフィリップが取り出したのは小瓶だ。それがカリナに向かって投げられる。瓶は地面に当たって割れ、中から水が飛び散る。その水に当たると、黒薔薇の魔女の茨が宙に溶けた。
「逃げろ!」
カリナは頷いた。立ち上がろうとするけれど、足が震える。ダメだ、恐れるな。フィリップが作ってくれた隙を無駄にしちゃダメだ。今逃げなきゃ。逃げないと。
けれど、頭の片隅にこびり付いているのは、あの日の光景。二人で一緒にでかけたあの日の景色。パンケーキを食べて笑うアカシャの顔。
恐怖と、後悔と、そして理性。三者がカリナの中で混ざりあって、ぶつかり合う。
「何してる! 早く!」
その時だった。カリナを向くフィリップの後ろ。土煙の中から魔女が立ち上がった。フィリップは気づいていない。カリナの喉は震えていて、けれど声は出た。
「オッサン! 危ない!」
振り向く。けれど、フィリップは間に合わなかった。真っ黒な茨がフィリップの心臓を貫く。
茨は心臓からフィリップの全身に広がっていく。フィリップは自分の胸を見下ろして、諦めたように笑った。
「生きて、友達を助けてやんな」
フィリップは、真っ黒な薔薇の花束になった。
どうして。どうしてこんな目に会わなきゃいけない。フィリップは悪いやつじゃなかっただろ。見ず知らずのガキを助けて、かばって、死ぬようなやつだ。アカシャだって、悪いやつじゃないだろ。学院で浮きまくってる、オレみたいなどうしようもない奴に笑いかけてくれるようなやつだ。
間違ってる。良いやつが報われないセカイなんて。
魔女がカリナに向かって歩いてくる。
「まったく、乱暴な男ね。あ、安心して。殺してないわ。十二聖人を殺すのはワタシの役目じゃないもの。あの方に怒られてしまうわ。……さて」
魔女の足が、カリナの眼の前で止まる。
「あなたの体、使わせてもらえないかしら」
魔女の茨が、カリナに向かってやってくる。
嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。こんなところで終わりたくない。だって、まだ友だちになれてない。まだ、アカシャと友だちになっていない!
この魔女さえ、この魔女さえ、いなければ!
カリナは目を瞑った。
◆
カリナが目を瞑っても、いつまで立っても死はやってこなかった。カリナは目を開く。
そこにあったのは、光だった。真っ暗な郊外の道。その上に立つ、背の高い女。体中ボロボロで、血まみれで、けれど不思議と安心感があった。女の体は、まるで暖かな日差しのように輝いていた。
「……誰」
カリナの言葉よりも先に、口を開いたのは黒薔薇の魔女だった。
「しつこい女」
「こちらの台詞です」
瞬間、光が爆ぜた。衝撃。爆風が広がり、カリナは思わず顔を覆う。黒薔薇の魔女は吹き飛び、辺り一帯の黒薔薇が燃えていく。
背の高い女が振り返る。
「よく耐えましたね。人の子」
「……誰だよ、お前」
「わたくしは、アズヴァル。真に聖なるこの世界の主。あなたを救いに来たのです」
アズヴァル。この世界の主。まるで笑えない冗談だったけれど、不思議とその言葉には説得力があった。もしも神様が本当に居るのなら、こんなふうに微笑むのだろう。
遠くに吹き飛ばされた魔女が、立ち上がって悪態をつく。
「ちっ、本当に厄介な女。またあのお方にチョッカイを出しに来たのね。何度来たって同じよ。あのお方は、あなたのことなんか大嫌いよ」
「いつまで立っても生意気な口が抜けないのですね。あなたごときにお姉さまの言葉を語る資格はないでしょう?」
「あら? いつもみたいにわめき散らかさないのかしら。面倒な女が面倒な女の体に取り付いて来たものだから、てっきり癇癪を起こすかと思ったわ」
アズヴァルは、魔女の皮肉に笑って応えた。
「この場にお姉さまが居ないのは好都合です。……だってわたくし、今日はあなたを殺しに来たのですもの」
「へえ、そんなボロボロの体で? 冗談が上手になったのね」
ただ呆然と見つめるカリナに、アズヴァルは振り返った。
「人の子、あなたの名前は?」
「カリナ。カリナ・ランページ」
「素晴らしい素質の持ち主ですね。あなたは願いましたね? 魔女を滅ぼしたいと。何故です?」
「助けたい友達……。助けたい女の子がいる。オレはまだ、その子とやりたいことがたくさんある!」
「素敵な理由ですね」
そう言ってアズヴァルは微笑んだ。そこで、黒薔薇の魔女が何かに気づいたように目を見開く。魔女はにわかに焦りだした。
「……まさか、あなた! その女に騙されちゃだめよ! アズヴァルの言葉を信じてはダメ! ふざけないで! その子は先にワタシが目をつけたのよ!」
けれど、カリナにその言葉は届いてなどいなかった。ただ、アズヴァルの声だけが、神託のように聞こえてくる。
「わたくしの体は、見ての通りもうダメ。あなたの体を貸してほしいんです。わたくしの力があれば、あの魔女を討滅して、きっと友達だって助けられます」
契約を。
そう言って、アズヴァルは手を差し伸べた。
神との契約。何が代償になるかわかならない。けれど、カリナの心は決まっていた。
「力を貸してくれ」
カリナは、その手をとった。
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